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第43話 前王国、ついに踏み倒し始めましたの 

──朝いちばんで届く書類に、ろくなものはございませんわね。


 執務机の上に、例によってレオンからの封筒が置かれていました。黒い封蝋、端正な字。「至急」と小さく書き添えられております。


「セバスチャン。朝食の前に至急を持ってこないでと、何度申し上げましたこと?」


「朝食の後に回してよい内容でしたら、レオン殿も『至急』とは書かれますまい」


 老執事は、完璧な所作でティーカップを置きながら、さらりと毒を吐きますの。……ええ、知っております。開けたくない手紙ほど、真っ先に開けなければならないのは。


 封を切ると、内側から二種類の羊皮紙が滑り出ました。一枚はライシア情報局経由の報告書、もう一枚は、前王国の「内務公報」と表紙に印刷された公的文書の写し。


 わたくしはあくびを噛み殺しつつ、公報のほうから目を通しました。


『王宮布告 第百二十四号  かねてより発行しておりました王国内債について、以下の通り条件を変更する。  一、来期利払いのうち、第三〜第五回分を、二年繰り延べとする。  二、対象となる内債は、第二期以降発行分のうち、額面百金貨以上のものとする。  三、繰り延べ期間中、利息は据え置きとし、国民各位には引き続き王国への信任を──云々』


 読み進めるほどに、紅茶の味が遠のいていきます。


「……あら。とうとうやりましたのね、あの国」


 王国が、自ら出した借金の利払いを「少しお休みしますわ」と、さらりと宣言してきたわけでしてよ。いわゆる、選択的デフォルトというやつでございます。


「国民各位には引き続き王国への信任を……ですって。寝言は帳簿を揃えてからおっしゃいなさいませ」


「表現を和らげておられるだけ、まだ理性は残っているほうかと」


「踏み倒しを繰り延べと呼ぶ程度の理性に、どれほどの価値がございますこと?」


 皮肉を言いながらも、指先は勝手に数字を弾き出します。第二期以降の内債残高、平均利率、対象額面……。


 そこへ、控えめなノックとともに、レオンが姿を見せました。


「おはようございます、アメリア。もう目を通しましたね?」


「ええ、胃痛のもとがよく見えましたわ。わざわざ朝食前にありがとう存じます」


「胃薬も一緒に持ってきたほうが良かったでしょうか」


 そんな軽口を交わしつつ、彼は反対側の席に腰掛け、情報局の報告書を机の中央に滑らせます。


「内債利払いの繰り延べだけではありません。こっちが本命です」


 ざっと目を走らせると、さらなる素敵情報が並んでおりました。


『──一部辺境駐屯軍に対し、二ヶ月分の給金支払いを延期』 『──中央軍への物資供給に遅延。現物支給での代替を検討中』 『──徴税官への暴力事件、地方で散発的に発生』


「……まあ。火に油を注いで、そのまま鍋ごと投げ捨てましたわね」


「君の予測どおり、どこかの支払いを削らざるをえなくなった。そのどこかを、軍と債権者に振り分けた形だ」


 レオンは淡々と説明しながら、卓上の簡易黒板をこちらへ回してきました。わたくしの机の上には、いつも数字を書くための小さな板が備え付けてあるのです。……書類はぐちゃぐちゃでも、数字だけはいつでも書けるように。


「ほら、また黒板。レオン、あなたもだんだんわたくし色に染まってきましたわね?」


「君が言語より前に数字で話したがるから、合わせているだけですよ」


「誉め言葉と受け取っておきますわ」


 チョークを取り、ざっくりとした現在の前王国の収支を走り書きします。


「歳入が仮に百といたしましょう。以前の資料から、利払いに二十、軍事に三十、貴族へのお小遣いやら何やらで二十、民生その他で三十……だいたいこんなところですわね?」


「誤差はあるが、大枠はそうだと思う」


「ここで、内債残高が膨らみ続けて、利払いが二十から三十に近づきつつある。けれど、民からもっと税を絞る余地は少ない。となれば──」


 わたくしは、利払いの項目の横に“×”をつけ、その一部を「繰り延べ」に移しました。


「こうして今期は払わなくていいお金を作って、穴埋めに回す。ですが、これは単に未来に払うツケを増やしているだけ。二年後に、利払い三十に、この繰り延べ分がどん、と重なりますのよ?」


「その頃に今より景気が良くなっている保証はない。むしろ、こういう処置をすればするほど、国内の信認は落ちていく」


「ええ。内債を買う人間が減るから、さらに高い利率で借りざるをえなくなって……あとは、わざわざ申し上げるまでもございませんわね」


 いわゆる、螺旋階段を転げ落ちる構図、でございます。


「軍の給金遅配も、似たようなものですわ。今払えないお金を、いつか払うからと約束だけして先送り。兵士たちには、王国のために我慢せよとお優しい言葉をかけていらっしゃるのでしょうね」


「その“いつか”が来る頃には、彼らが別の主の旗を掲げているかもしれない、とは考えていないんでしょうか」


「数字が読めない方々は、目の前の札束しかご覧になりませんもの。兵士の忠誠という無形資産の価値を、帳簿に載せて差し上げたいくらいですわ」


 呆れながらも、胸の奥に、わずかな痛みが走るのを自覚しておりました。


 あの国の帳簿を、わたくしは一度は握っていたのです。そこに積もっていた赤字や、薄氷のような黒字も、よく知っている。


 その帳簿が、今や他人の手で好き放題に書き換えられ、数字どころか約束そのものを踏みにじる道具にされている。


 怒りというより……そう、もったいなさ、でしょうか。


「せっかく、あれほど丁寧に積み立てておきましたのに」


「……え?」


「国の信用、ですわ。赤字ギリギリで止めて、支払いの優先順位も何度も組み替えて。あれを、ああも豪快に崩してくださるとは。職人の積み木を、素人が蹴飛ばしたようなものですのよ?」


 思わず、本音が口からこぼれます。


 レオンは、少しだけ目を細めたあと、苦笑しました。


「怒っているように聞こえますが」


「怒ってなどおりませんわ。ただ、市場が壊れるのはつまらないと申し上げているだけでしてよ」


「……言い方の問題だけだと思いますけどね」


 わたくしはチョークを置き、代わりに紅茶のカップを手に取りました。冷めかけた液体を一口含んで、ため息を吐きます。


「ともあれ、数字はもうわたくしの責任ではございません。あの国が自国民とどう喧嘩しようと、知ったことではなくてよ」


 口ではそう言いながら、レオンの報告書の後半に、目が吸い寄せられました。


『──前王国の中央市場において、穀物価格の急騰が観測される。地方からの搬入減、および米問屋による買い占めの可能性あり』 『──一部都市で、商人組合が内債取引を一時停止』


 ……ええ、知ったことではない、はずなのですけれど。


「ただし?」


 レオンが促すように問いかけます。彼のこういうところ、少々意地が悪くて好きですわ。


「ただし、隣国の破綻は、ここにも波をかぶせてまいりますのよね」


「そう。穀物や金の流れは、国境でぴたりと止まってくれるわけではない」


 レオンは別の紙を取り出し、ご苦楽シティを中心とした簡単な地図を描き始めました。前王国の主要都市と、そこから伸びる交易路。ご苦楽シティへと繋がる海路と陸路。


「たとえば、前王国の中央市場で穀物が足りなくなれば、地方の商人たちは高値がつく場所へ優先的に荷を運ぶ。ご苦楽シティ向けの荷が、そのせいで細るかもしれない」


「あるいは、前王国の通貨への信用が落ちれば、両替レートが乱れますわね。こちらで前王国金貨を受け取るのが、少々リスキーになる」


「そうなると、ご苦楽シティの商人たちも、前王国相手の取引を減らそうかと考え始める。結果として、君の街に流れ込んでいるお金と物の一部が、目減りする」


 ごもっともでございます。


 わたくしは頬杖をつき、黒板の端に「波及」と書きました。


「火事場から吹いてくる熱風で、うちの看板が燃えるのはごめんこうむりますわ。どうせ炎が広がるなら……風向きを読んで、焼け残った材木だけ拾い集めたいところですわね」


「表現がだいぶ物騒ですよ」


「誉め言葉でしてよ?」


 レオンは肩をすくめつつも、口元にうっすら笑みを浮かべています。


「君がそう言うだろうと思って、もうひとつ報告があります。前王国から、非公式な打診が来ました」


「ほう?」


「ご苦楽シティに移りたい官吏・技師・商人がいた場合、ライシア側はどの程度受け入れ可能か──そんな類いの質問だそうです」


 わたくしは、思わず背筋を伸ばしました。


「非公式とは、王宮の意向ではなく、現場の声、という意味でして?」


「そう解釈していい。情報局の連絡によれば、老財務卿の周辺や、一部の実務家たちが、逃げ道を探り始めているらしい」


「……ようやく、現実が見えてきた人たちがいるというわけですのね」


 あの老財務卿の顔が、脳裏に浮かびました。わたくしをかばいきれなかった、不甲斐ない上司。それでも、数字を前にしたときだけは、きちんと頭の回る人でございました。


 彼の周りにいた官吏たちのいくつかの顔も、思い出します。机の引き出しの奥に、わたくしの書いた改革案の写しをこっそり隠していた、真面目な中級官吏。会議のあとに小声で「本当は、あなたの案のほうが筋が通っている」と漏らした記録官。


 彼らが今、追い詰められている。


「ご苦楽シティとしては、どうする?」


 レオンの問いに、わたくしは迷いなく答えました。


「受け入れますわ。──ただし、逃げてくる覚悟を持っている人たちだけ」


「線引きは、どうする?」


「まず、肩書きではなく、前職の実務内容を確認。税務、統計、工廠管理……わたくしどもの街で使える技能を持っているかどうかを、最優先に」


「貴族身分は?」


「原則、前王国の特権は持ち込み禁止。伯爵だの男爵だのと名乗るぶんには勝手ですが、この街では全員ご苦楽市民候補として扱いますわ」


 レオンの目が、愉快そうに細くなります。


「君らしい」


「誉め言葉として頂戴いたしますわ」


 チョークを再び手に取り、ご苦楽シティの地図の周りに小さな丸印をいくつも描きました。


「有能な官吏、数字の読める商人、手に職のある職人たち。前王国の崩壊で行き場を失った彼らを、こちらで拾い上げる。難破船からの積み荷回収ですわね」


「人を荷物みたいに言うのはどうかと思いますが……比喩としては、間違っていない」


「もちろん、わたくしどももコストを払います。住居の手配、最低限の生活保障、教室に入れ直す時間。短期的には赤字も出るでしょう」


 黒板の片隅に、「短期コスト」「長期リターン」と書き、矢印で結びます。


「ですが、有能な人材は、最終的に税収と秩序の形で返ってまいりますわ。前王国が自分で燃やしてくださった人材を、こちらで安く仕入れる。悪くない取引でしてよ」


「君、本当に言い方を選びませんね」


「だって、本質はそうでしょう?」


 自覚はありますの。わたくしは、人を数字で見すぎる傾向があると。


 けれど、その数字の裏にある生活や誇りまでは、軽んじているつもりはございません。


 むしろ、いい加減な善意で彼らを焼き殺す連中のほうが、よほど残酷だと思っておりますから。


「それに……」


 ふと、窓の外に視線を流しました。朝の光の中、ご苦楽シティの港は、いつも通り活気づいております。バルド商会の荷車、自警団の見回り、パン屋「麦と陽だまり」の煙突から立ちのぼる白い煙。


「向こうが勝手に市場を壊してくださるなら、そのぶん、こちらの市場は大きくなれますわ。波に呑まれるのではなく、波に乗る側に回りましょう」


「波を利用する側か」


「ええ。破綻の波を、移住者と取引の波に変えて差し上げますの」


 そう言うと、レオンは少し真面目な顔になりました。


「ただし、一つだけ気をつけないといけない。──前王国の崩壊は、君個人の過去にも火の粉を飛ばしてくる」


「過去、ですこと?」


「君を追放した王太子と、その取り巻きたち。彼らが行き詰まったとき、便利そうな元婚約者をどう扱うか。まったく何も仕掛けてこない、と考えるのは楽観的すぎる」


 なるほど。そこまで想像しておりませんでしたわ。


「つまり、あの方々が、こちらに泣きついてくる可能性、ということですわね」


「泣きつくか、責任転嫁をするか……あるいは、その両方か」


「嬉しくもなんともございませんけれど、“ざまぁ”の材料としては上等ですわね」


「アメリア」


 レオンが、少し呆れた声でわたくしの名を呼びます。


「……冗談ですわよ。ほんの半分くらいは」


「その半分が問題なんですけどね」


 彼は額を押さえながらも、すぐに表情を引き締めました。


「いずれにせよ、ライシア王都としては、前王国の正式な支援要請が来る前に、態勢を整えておきたい。ご苦楽シティとしても、受け入れ枠と拒否枠をはっきりさせておいてほしい」


「受け入れる人材の条件、拒否する肩書き、移住者に課す義務……そのあたりを、規約に落とし込んでおけ、ということですわね」


「そう。君がぶっつけ本番で現場判断をすると、たぶん論破が過ぎる」


「わたくしに対する評価がひどくありませんこと?」


「事実ですから」


 ……まあ、否定はいたしません。


 そのとき、執務室の扉が控えめにノックされました。


「失礼いたします、アメリア様、レオン様」


 顔を覗かせたのは、書記官のユリウス。両腕に書類の束を抱え、いかにも「徹夜明けです」と言わんばかりの目元をしております。


「あらユリウス。あなた、また目の下に素敵なクマを飼っていらっしゃるわね?」


「アメリア様の宿題を、なんとか朝までにまとめましたので……」


「それは結構ですわ。人間、若いうちにしかできない無茶というものがございますもの」


「できるからやらせていいとは限らないと思いますけどね」


 レオンのツッコミは聞かなかったことにいたしまして、ユリウスから書類を受け取ります。


「前王国との取引に関する、ここ一年分の台帳をまとめました。もし内債がデフォルトした場合の影響も、簡単に試算してあります」


「まあ、有能ですこと」


 ぺらぺらと目を通しながら、わたくしは口元を緩めました。


 数字の並びは、先ほどわたくしとレオンが黒板に描いた“波及”のイメージと、ほぼ一致しております。ユリウスなりに考え、怖々と未来を覗き込んだ跡が、数字の端々からにじみ出ていました。


「面白いわね、ユリウス」


「面白……?」


「あなた、この欄。前王国からの荷が三割減ったときの影響と、代わりに別ルートから荷を入れた場合の差額を書き出しているでしょう?」


「は、はい。一応……」


「ここ、前王国向けの貸し倒れリスクも控えめに見積もっている。けれど、移住者が増えた場合の税収増は、かなり控えめに見ている」


「それは、その……人が来ても、すぐに税収にはつながらないと思って……」


「ええ、だからこそ。あなたは短期の損をちゃんと怖がっているけれど、長期の得も一応視野に入れている。実に健全な臆病さですわ」


 ユリウスは、ぽかんと口を開けました。


「……それは、褒め言葉、なんでしょうか?」


「褒めておりますわ。わたくしのように、面白そうだからやってみましょうで突っ走る人間ばかりですと、街がすぐに破産いたしますもの」


「自覚はあるんですね……」


 レオンが小声で突っ込んでおりますが、聞かなかったことにいたします。


「ユリウス。あなたの数字をベースに、受け入れ規約を作りますわ。前王国からの移住希望者に適用する新しいルール。書式を作るの、手伝いなさい」


「は、はいっ!」


 彼の目に、一瞬だけ迷いが浮かびました。祖国の崩壊と、それを前提とした規約作り。その重さに、戸惑いを覚えるのも無理はございません。


 けれど、それでも彼は、「はい」と頷いたのです。


 ……ならば、わたくしが迷うわけにはまいりませんわね。


「波がこちらに届く前に、堤防を作る。ついでに、水車も建てておきますのよ」


「堤防と水車?」


 ユリウスが首をかしげます。


「ええ。前王国から押し寄せる崩壊の波を、ただ防ぐだけではもったいない。その力を使って、この街の水車──すなわち税収と産業──を回して差し上げるのですわ」


「……やっぱり、表現が怖いです、アメリア様」


「安心なさいユリウス。怖いのは表現だけですわ。中身はとっても合理的で、民思いでございますもの」


「その評価は、僕たちの側ではなく、受け入れられる人たちが決めることですね」


 レオンの言葉に、わたくしは肩をすくめてみせました。


「ええ、そうですわ。だからこそ、選ばれる街であり続けなくてはなりませんものね」


 窓の外から、港の喧騒が聞こえてまいります。荷を運ぶ掛け声、船の汽笛、パン屋の呼び込み。


 あちらの国が、自分で自分の足を食べ始めたのなら。


 こちらは、その間に、もっと遠くまで歩ける足を生やしておきましょう。


 ──前王国が現実に追いつく頃には、もう、二度と追いつけないくらいの距離まで。


 わたくしは新しい羊皮紙を引き寄せ、「前王国出身移住希望者受け入れ規約(案)」と、大きく書きつけました。


「さあ、波が来る前に、準備を始めますわよ。堤防を作って、水車も増やして──ついでに、見物席もご用意しませんとね」


「見物席、ですか?」


「ええ。いつか、“あの方々”がこちらの岸辺に立ったときに、よく見えるように」


 わたくしは、にっこりと笑ってみせました。


 レオンは小さくため息をつき、ユリウスはぞくりと肩を震わせます。


 ──ええ、その反応。たいへん心地よろしゅうございますわ。

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