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第41話 祖国からの嫌がらせその2 〜価格攻勢〜

──値札というものは、一瞬だけ嘘をつくことができましてよ。


 でも、仕入れの帳簿と腹の虫は、そう簡単には誤魔化せませんの。


     ◇


「アメリア様、また一つ、前王国からの風が」


 昼前。執務室の扉が控えめにノックされ、セバスチャンが書簡を盆に載せて運んできました。


「王都ライシア経由、前王国王都港の価格動向報告でございます」

「まあ、値札の愚策が、ようやくこちらにも届きましたのね」


 わたくしは紅茶カップを机の書類の山の上に押しやって(セバスチャンの視線が鋭いですこと)、書簡の封を切りました。


 中身は、ライシアの情報局がまとめた、市場価格一覧と短い報告。


『前王国王都港にて、以下の品目について一時的な大幅値下げ確認。・小麦粉(一等級・二等級)・干し魚・塩蔵肉(一部銘柄)・布地(中級品)・酒類(葡萄酒・麦酒の一部)名目は「民のための救済価格」。期間について明示なし。』


「救済価格……」


 わたくしは、思わず鼻で笑ってしまいましたわ。


「自国の財政を救済する気はないのかしら」

「お嬢様、皮肉が漏れております」

「普段はちゃんと心の中にしまっておりますのよ」


 セバスチャンの小言を右から左へ受け流しつつ、わたくしは机の鈴を鳴らしました。


「ユリウス、レオン。ちょっとしたおもちゃが届きましたわよ。会議室に運びましょう」


     ◇


 会議室には、すぐに三人が揃いました。


 レオンは報告書をざっと目で追い、眉をひとつ上げます。


「……やったね、向こう」

「やったのは価格だけですわ。中身は伴っておりませんもの」


 わたくしは前王国王都港と、ご苦楽シティ港の簡単な比較表を黒板に書き出しました。


「現在のご苦楽シティ発小麦粉価格、売値で王都港より二割高。干し魚・塩蔵肉は一割高、布地・酒もおおむね一〜二割上乗せですわね?」


「うん。輸送費と付加価値ぶん、上に乗せている」


 レオンが頷く。


「つまり、パッと値札だけ見れば、今は向こうの方が安い」

「パッと値札だけ見ればですわね」


 わたくしは、そこを強調しました。


「ユリウス。あなた、価格だけで店を選んで痛い目を見た経験、なにかございます?」

「え、ぼくですか?」


 突然振られて、メガネ書記官がたじろぎました。


「えっと……学生の頃、学食の外の安いパン屋があって。いつもより銅貨一枚安くて、お得だ!って思って買ったら、中身すかすかで、お昼まで腹がもたなかったことなら……」


「立派な教材ですわ。ありがとう存じます」


「な、なんか恥ずかしい……」


「銅貨一枚安くても腹がもたなければ午後の授業で死にかける。長い目で見れば損ですわね?」


「はい……」


「前王国の値下げは、あのパン屋と同じですの。今だけ安い、でも、いつまで続くかは誰も保証しない」


 レオンが、椅子にもたれながら腕を組んだ。


「今までご苦楽シティ側に荷を回していた商人たちの一部は、間違いなく揺れるよ」

「ええ。値札だけを信じる人たちは、どこにでもおりますもの」


 わたくしは、黒板に二つの大きな丸を描きました。


『短期目線組 長期目線組』


「短期目線組は、今の値札しか見ません。今月安いなら、今月はそっちに乗る」


「長期目線組は、一年間での合計コストを見る。途中で値札が跳ね上がるリスクと、途中で港が機能不全になるリスクも含めて」


 ユリウスが、おそるおそる口を挟んだ。


「ご苦楽シティとしては、どっちを大事にするんですか?」

「決まっておりますわ。長期目線組ですの」


 即答。


「値札だけを追いかける人は、どう頑張っても安売り競争でしか縛れません。でも、長期で付き合う気がある人なら、価格以外のもので繋ぎ止められる」

「価格以外……」

「品質サービス安全決済の便利さ。あと、約束の守りやすさですわね」


 わたくしは、黒板の脇に箇条書きします。


「ここで買えば、ちゃんと届く支払いも簡単トラブル時の対応も早い。それを数字と実績で積み重ねておけば、一時的な安売りにはそう簡単に揺れませんの」


     ◇


「とはいえ、揺れる人がゼロとは思っていません」


 わたくしは、机の上の報告書をあらためて広げました。


「ヘルマンのまとめによると、ご苦楽シティ経由で前王国向けに常時荷を流している商人は、大きく三つに分かれますの」


 別紙には、いつもの几帳面な字でこう書かれていました。


『A:長期契約組(荷の二〜三割を固定でご苦楽経由) B:試験組(一割程度をこちらに流して比較中) C:気分次第組(その時々の税と噂で使い分ける)』


「A:長期契約組は、すでにこっちと契約を結んでいる人たちですわ。バルド商会がその代表ですの」


 レオンが頷いた。


「長期契約で、関税の一部固定割引と倉庫利用の優遇を受けてる。代わりに、荷の二〜三割を常に回してくれる、っていうあれだね」


「ええ。B:試験組は、まだ決めかねている人たち。最初に一割テストをした頃のバルド様のような位置ですわ」


 ユリウスが付け加える。


「C:気分次第組は、その時その時の税率と噂で港を変える人たち。値札に一番敏感な層ですね」


「この中で、今回のダンピングに一番釣られやすい層は、もちろんCですわ」


 わたくしは、Cの丸を指でとんとんと叩いた。


「Cを無理に引き留めようとして、こちらも値下げ競争に乗る必要はありません。ここは離れて結構ですわ」


「AとBだけ守る、と」


「ええ。Aをさらに固め、Bの中から長期に切り替えたい人を拾いますの」


     ◇


「──そこで、こちらの対抗策ですわ」


 わたくしは、新しい紙を会議机の中央に広げました。


 見出しにはこう書いてある。


『長期契約アップグレード案』


「名前がすでに悪役っぽいね」

「ほめことばですわ」


 さらりと返してから、説明を続けます。


「A:長期契約組に対し、期間延長+特典追加を提案しますの。一年契約を三年契約に。荷の固定割合を二割から三〜四割に。その代わり──」


 箇条書きを指さす。


「・関税割引率を少しだけ上げる ・ご苦楽シティ内での優先倉庫枠確保 ・護衛付き街道パックの利用料を優遇」


「安全と便利さをセットで売るわけだ」


 レオンが、すぐに要点を掴んだ。


「短期の価格攻勢に対して、長期の条件で対抗する。……悪くない」


「B:試験組には、今なら長期契約にアップグレードすると、初年だけちょっとお得というお試し特典をつけてもいいかもしれませんわね」


「初年だけってところが、アメリア様ですね……」


 ユリウスが、苦笑しながらメモを取っている。


「最初の一年で、こちらの利点を実感してもらえれば、そのあと多少条件を戻しても、離れにくくなりますもの」


 わたくしは、本音を隠さずに言いました。


「最初にちょっと甘くしてあとで標準に戻すのは、商売の基本ですもの」


「そうやって言い切れるの、ある意味すごいと思います」


「あなた、誠実という言葉を勘違いなさっていなくて?」


 軽口を交わしながらも、ペン先は止めません。


「ただし、一点だけ注意がございますわ」


「何を代償にするか、だね」


 レオンが先回りして補う。


「長期契約を広げると、うち側のキャパシティも固定される。倉庫枠も、護衛付き街道の枠もね」


「ええ。全部の商人にそれを出すわけには参りません。選ぶ必要がありますの」


 黒板に、A組の中のいくつかの名前を書き出した。


『バルド商会 ミュラー商会 ヘーベル倉庫 その他中堅数件……』


「堅実で、数字を守る人たちを優先。値引き以外の条件をきちんと飲んでくださる相手に、長期契約カードを切りますわ」


「C組には?」


「通常通りの条件だけを提示。値札が安い方へ行きたいなら、どうぞですわ」


「嫌いじゃないです、その線引き」


 レオンが少し笑った。


「無理に全員抱え込もうとしない。むしろ、値札が好きな人たちには、わざと前王国港側に残ってもらう」


「ええ。向こうのダンピングを、向こう側で消費していただくのですわ」


 ユリウスが、不思議そうな顔をした。


「消費していただく?」


「短期で安く売った分、どこかで穴埋めが要りますわね?」


 わたくしはペン先で前王国の方向を指し示した。


「前王国王都港で安売りした分、別の税目で取り戻すか、品質を落とすか、どこかの誰かにツケを回す」


「たとえば、農民とか、港の労働者とか、兵士とか」


 レオンの声が僅かに冷えた。


「そう。値札だけ安く見せるのは簡単ですが、本当に安く売るには、誰かの犠牲が要りますの」


 ユリウスは、ぞくりとしたように身震いした。


「……安売りって、誰かが安くなってるってことなんですね」


「誰が安くされたかを見ないと、本当の値段は分かりませんわ」


 わたくしは、静かに言った。


「ご苦楽シティでは、値札に嘘は書かない代わりに、タダ乗りしたい人には厳しくします。安全サービス便利さは、誰かの仕事ですもの」



     ◇



「──で、バルド様は?」


 ひと通り方針が固まったところで、わたくしは一番気になる名前を出しました。


「もう反応は?」

「さすがに早いよ」


 レオンが、懐から一通の手紙を取り出す。


「前王国のバカ共が安売りを始めたが、うちとしては長期で付き合う方を優先したい。そっちの条件をもう一度聞かせろ──だそうだ」


「さすが、悪魔みたいで面白え女と評しただけのことはございますわね」


 思わず微笑がこぼれました。


「ユリウス、バルド商会向け長期契約アップグレード案、清書をお願いね。期間三年、荷の三〜四割、ご苦楽経由固定」


「はい!」


「関税割引倉庫優先枠護衛付き街道優遇をセットに。ただし、帳簿と預かり所の記録を完全に開示することを条件に入れておきますわ」


「条件……ですか」


 ユリウスが、その一文に目を留める。


「うちの数字を全部見せるって、商人さんにとっては、けっこう勇気がいることじゃないですか?」

「ええ。それでもいいと言える人とだけ、長く付き合うのですわ」


 わたくしはさらりと言った。


「数字を見られて困る人とは、長期で組めませんもの。うちの中身を見せる代わりに、あなたの中身も見せてね。公平でしょう?」


「公平の基準が、だいぶアメリア様ですね」


 ユリウスが苦笑しながら書き写していく。


     ◇


「──さて、対抗策はこれでひとまず形になりましたわね」


 わたくしはペンを置きました。

 レオンが、まだ何か考え込んでいる顔をしています。


「気になることが?」


「うん。こっち側の商人と荷は、それである程度守れると思う」


 彼は黒板の長期目線組の丸を指でなぞった。


「問題は、前王国側の庶民、かな」


 ユリウスの表情が曇る。


「救済価格で、一時的には助かる人たち、ですよね」


「そう。今月のパンが安くなるぶんだけ見れば、前王国の庶民には、確かに恩恵がある」


 レオンが、真剣な声で続けた。


「長期的には首を絞めると分かっていても今を生きるために飛びつく人たちを、笑うことはできない」


 わたくしは、少しだけ黙り込んでから、ため息をひとつつきました。


「……笑わないことと、巻き込まれないことは、別問題ですわ」


 ゆっくりと言葉を選びます。


「今月のパンまで、一緒に背負い込むほどの余裕は、この街にはまだございませんもの」

「うん」


 レオンは、わずかに肩の力を抜いた。


「こっちに来られた人たちのパンと、こっちに荷を回してくれている商人たちのパンを守るので、今は精一杯、というところだね」


「ええ。全部は救えない。だからこそ、届いた分だけは確実にですわ」


 ユリウスが、小さく手帳をめくる。


「全部は救えないからこそ、届いた分はきっちり黒字にする……昨日も聞いた気がします」


「大事なことは何度でも復唱しなさいな」


 わたくしは、少しだけ苦笑してみせました。


「値札に踊らされず、どこにどれだけ投資するかを決めるのが、わたくしの役目ですもの」


     ◇


 夕方。

港の一角で、さっそく価格攻勢の余波が見え始めていました。


「おい、親方、本当にこっちに荷を下ろしちまっていいのか?」

「今月だけなら向こうの方が儲かるって話だぜ?」


 桟橋の端で、小さな商船の水夫たちがひそひそと話している。

 その少し離れた場所で、バルド・グランデル本人が、腕を組んで海を見ていました。


「ごきげんよう、バルド様」


 声をかけると、彼は振り返り、豪快に笑った。


「おう、ご苦楽シティの悪魔嬢」

「悪魔はまだ慣れませんわね。ご苦楽財務卿様あたりでお願いしたいところですけれど」

「長ぇよ」


 言い合いながらも、その目は笑っている。


「向こう、だいぶ安売りしてやがるらしいな」

「ええ。今月だけ見るなら魅力的ですわね」

「だが、来年の今ごろを考えるなら、俺ぁこっちだな」


 バルドは、鼻で笑った。


「向こうの役人ども、安く売るための帳尻をどこで合わせるつもりだか。また税を上げるか、兵に払う金を減らすか、どっかの農村を絞るか、まあ、だいたいそのへんだろ」


「目の付け所がよろしいですわ」

「伊達に何十年も帳簿見ちゃいねえよ」


 バルドは、こちらをじろりと見た。


「お前んとこは、どう出る?」

「長期で付き合う方とは、より深く。短期で揺れる方とは、無理に争わず。それだけですわ」


 わたくしは、簡潔に答えた。


「長期契約の条件、お目通しいただけまして?」

「ああ、さっきレオン坊ちゃんから聞いた」


 バルドは、倉庫の方を顎でしゃくった。


「三年契約荷の三〜四割をこっち経由関税と倉庫と護衛で優遇その代わり、帳簿は丸見え。悪くねえ」

「丸見えは嫌ではございません?」

「別に。隠すほどの贅沢もしてねえしな」


 バルドは豪快に笑った。


「贅沢したいなら、稼いでからってのは、お前から教わった理屈だ」

「まあ、覚えていてくださった」

「覚えねえと、またお前に数字でぶん殴られるからな」


 そう言って、彼は手を差し出した。


「三年、こっちに荷を三割以上。乗ってやる。代わりに、こっちの港が沈まねえようにしっかり頼むぜ、悪魔嬢」


「もちろん。あなたが沈むと、うちの帳簿も沈みますもの」


 握手を交わす。

 その手のひらには、長年の仕事の跡が刻まれていた。


「──値札は、いつでもつけ直せますわ」


 握手を解きながら、わたくしは小声で呟いた。


「でも、積み上げた信用は、そう簡単には書き換えられませんの」


 港の向こうでは、遠く、前王国の旗を掲げた船が、安売りの値札を載せた荷を積み込んでいるのでしょう。


 短期の安さに飛びつく人たちもいる。

 それを笑うことはいたしません。


 でも──。


「ご苦楽シティは、安さでは勝負いたしませんの」


 わたくしは、夕暮れの海を見つめながら、静かに笑った。


「稼ぎたい人たちが、長く安心して儲けられる方に、きっと流れてきますから」


 数字は、嘘をつく値札より、少しだけ長く、そして静かに真実を語りますのよ。

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