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第35話 レオンと夜の作戦会議 〜相棒以上未満〜


──静かな夜ほど、数字と本音がよく喋りますのよ。


 その夜、役所の明かりが残っている部屋は、もう一つしかありませんでした。


「……アメリア様、本当に、ここまでやりますか?」


 天井のランプの下。黒板一面に書き散らされた数字と矢印を見上げながら、ユリウスが半泣き声を上げております。


「ここまでやらないで、どうやって向こうの愚策を利用いたしますの?」


 わたくしは、机いっぱいに広げた帳簿と報告書を、ぱらぱらとめくりながら答えました。

 港の荷動き。預かり所の出入り。移住台帳。難民仮宿の人数推移。元取り巻き貴族商会の動き。ブロイエルの追加使用料の入金確認まで。


 ──数字の洪水。ふふ、気持ちよろしい。


「ユリウス、とりあえず本日はここまで。続きは明日で結構ですわ」

「えっ」


 彼がきょとんとした顔をする。


「で、でも、難民区画のベッド数のまとめがまだ……」

「人間を働かせすぎると質が落ちると、いつも口を酸っぱくして言っているのは誰でしたかしら」

「それ、レオン様ですよね」


 ぴしゃり。


「そのレオン様がいまからお見えになるのですもの。地獄の深夜会議を三人でやるわけにはいきませんわ。犠牲者はふたりまでで十分です」


「え、犠牲……」


「さあ、帰ってふかふかのベッドで寝なさい。わたくしのかわりに」


「アメリア様も寝てください!」


 ユリウスの必死のツッコミを、優雅に受け流したところで、扉がノックされた。


「入るよ」


 レオンの声。

 ユリウスがぴしっと背筋を伸ばし、慌てて書類をまとめ始める。


「レオン。わたくしの夜の相棒、お待ちしておりましたわ」

「言い方を変えなさい」


 扉を開けて入ってきたレオンは、外套を脱ぎながら苦笑した。


「ユリウス君、もう上がっていいよ。ここからは大人の残業タイムだからね」

「なんか響きがいやです!」


 メガネ書記官はぶつぶつ言いながらも、帳簿を抱えてぺこりと頭を下げ、部屋を出ていった。

 扉が閉まる。


 残ったのは、わたくしとレオンと、紙の山と、数字の海だけ。


「さて」


 レオンは袖をまくり、黒板の前に立った。


「拡大フェーズの次の一手。あなたの案から聞こうか」

「レディを誘っておいて、いきなり仕事の話ですの?」

「他に何があると?」

「……正論ですわね。つまらない人」


 軽口を交わしてから、わたくしは机の一枚を彼に差し出した。


「向こうの愚策のおさらいから始めましょうか」


 紙の上には、最近届いた前王国の情報がまとめてある。


 累進的営業税。贅沢品への追加課税。村落への免税乱発。徴税局の混乱。軍の給金遅配。

 そして、それに伴う「移住志願者」「荷物の流れ」の変化。


「税を上げて人気を取ろうとして、税を運ぶ人間を逃がしている」


 レオンが、短く総括した。


「うちにとっては、移住者募集キャンペーン兼物流ハブ移転キャンペーンだ」

「ええ。ですから、受け皿を整える必要がございますわ」


 わたくしは、黒板の左半分を指さした。


 港の図。倉庫の数。馬車台数。仮宿のベッド数。自警団の人数。


「物流宿治安金融。この四つのうち、いま一番危ないところはどこだと思います?」

「宿だろうね」


 レオンは即答した。


「物流は、倉庫の増設で一応の目処が立ってる。治安はジルクたちが人数を増やせばなんとかなる段階」


 指で数字を追いながら続ける。


「金融――預かり所は、あなたがブレーキをかけながら回している。問題は人の寝床。難民と移住者が一気に増えたとき、今の仮宿じゃ足りない」


「その通りですわ」


 黒板の隅に、ベッド数:現状300/必要見込み450〜500と書かれている。


「港町セットメニュー付き中級宿の計画、前倒しですわね」


「やっぱりそう来たか」


 レオンは、呆れたように笑った。


「前に出していた案、商人向けの中級宿+食堂を、一年計画から半年計画に短縮する」


「半年と言わず、三ヶ月でもいいくらいですわよ?」


「職人の数も資材も有限って話、覚えてる?」


「ええ、無限に増やす方法を現在模索中ですわ」


「模索しながら現実も見なさい」


 レオンはチョークを取り、現実と大書きしてから、宿屋の図面の上にバツ印を一つ描いた。


「建物を増やすのは時間がかかる。だから、今ある部屋の使い方を変えるのが先だ」


「たとえば?」


「商人向け中級宿の部屋割りを、仮設的に二段ベッド仕様にする。ひと部屋を個室から三人〜四人部屋に変える」


 わたくしは、思わず顔をしかめた。


「それは……窮屈ですわね」

「今よりはマシだ」


 レオンがきっぱりと言う。


「今は、床に雑魚寝の区画も出始めている。そこから数歩上げるだけでも、十分な差だ」

「……そうですわね」


 渋々ながら頷く。


「理想の中級宿は、いったん棚上げ。半分だけ理想、半分は仮設ですわね」

「そう。で、その半分をいつ、どう切り替えるかを、数字で決める」


 レオンは、段階移行という言葉を書き込んだ。


「移住ラッシュが続く間は、多少窮屈でも数を優先。落ち着いたら、快適さを優先に切り替える」

「切り替えの線引きは?」

「そこはあなたの出番だよ、財務卿殿」


 さらりと振られる。

 わたくしは、机の紙を一枚引き寄せた。


「宿泊税と食堂売上の推移。平均滞在日数空きベッドの割合」


 さらさらと数字を書き出しながら、口を動かす。


「空きベッド率が一割を超えたら平均滞在日数が三日未満になったら。その辺りを、快適さへの再投資開始ラインにいたしましょうか」

「具体的に」


 レオンが追い打ちをかけてくる。いい性格ですこと。


「ベッドを減らしても大丈夫なタイミングを、空きベッド率一割とするのですわ。慌てなくても客が回る状態ですもの」


「なるほど。使い方の切り替えに、ちゃんと数字の閾値を置くわけだ」


 レオンが、満足げに頷いた。


「そういうところは、本当に頼りになるよ」

「褒め言葉と受け取っておきますわ」

 わたくしは、少しだけ頬を緩めた。


     ◇


 宿の話が一段落すると、レオンは黒板のもう一方に向き直った。


「次。祖国への対抗策だ」

「対抗策というより、見物しながら拾う策ですわね」


 前王国が始めた価格攻勢。


 王都港で、一部の商品を一時的に安売りして、ご苦楽シティ経由の品に対抗しようとしているらしい。


「典型的なダンピングですわ」


 わたくしは鼻で笑った。


「長く続ける体力があるなら脅威ですけれど、今の財政状況で、安売り合戦などそう長くは持ちませんわ」


「でも、目先の利益に飛びつく商人はいる」


 レオンが淡々と言う。


「とりあえず今は王都の方が安いからと、うちへの荷を減らす商人も出てくるだろう」

「ええ。うちに来る理由が、値段だけの人たちですわね」


 わたくしは、ペン先で机をとんとん叩いた。


「そういう人たちには、特別な餌を用意しておきましたの」

「餌?」


「長期契約割引とサービス保証ですわ」


 紙を一枚取り上げる。


「半年以上、荷の二割以上を常時ご苦楽シティ経由にしてくださる場合関税を一部固定割引倉庫利用料の一部優遇預かり所の送金手数料も優遇」


「短期の安売りに対して、長期の安心を差し出す、か」


 レオンが、感心したように頷いた。


「目先の利だけを追う人は、今だけ安い方を選ぶ。でも、腰を据えて稼ぎたい人は、安定して回る方を選ぶ」


「ええ。真っ当に稼ぎたい人に、うちの方を選んでいただければ十分ですわ」


 わたくしは、にやりと笑った。


「向こうのダンピングが長く続けば続くほど、向こうの体力が削れる。その間、うちは長期契約組を増やしておけばよろしい」


「安売り合戦に乗らずに、別の土俵を用意する。悪くない」


 レオンは黒板に、短期vs長期と書き分けた。


「ただ、そのためには、こちらの倉庫と宿と治安を、ちゃんと維持しておく必要がある。……やっぱり、全部つながってるね」


「ええ、どこか一つでも崩れると、全部に響きますもの」


 だからこそ、夜更けにこんな地獄の作戦会議をしているわけですのよ。


     ◇


「……しかし、本当にあなたと話していると、退屈しないね」


 しばし数字と線の追加に没頭したあと、レオンがふと漏らした。


「それは、褒め言葉八割・呆れ二割と受け取ってよろしいのかしら」


「七三くらいかな」


「細かいですわね、あなたも」


 わたくしたちは、思わず笑った。


 夜の役所に響く笑い声は、紙の擦れる音と、ペン先のかすかなひっかきと、よく馴染む。


「……アメリア」


「なにかしら」


「たまに、ここまで張り巡らせなくてもいいんじゃないかって、思うことはない?」


 不意に、いつもより少し柔らかい声色で聞かれた。


「細かい線をたくさん引いて、全部を管理しようとするのは、疲れないかって」


「疲れますわよ?」


 即答。


「えっ」


「疲れますし、面倒ですし、夜は眠いですし、机は書類で埋まりますし」


 指折り数えてから、肩をすくめた。


「でも、わたくしが線を引かなかった場合の未来を考えると、その方がもっと疲れますもの」


「……たとえば?」


「誰も線を引かなかったら、ブロイエルみたいな連中が、好き放題市場をかき回し続けますわ。難民区画は、スラム街に変わりますわ。預かり所は、博打場の出入り口になりますわ」


 レオンが、静かに目を伏せた。


「線を引かなかった未来も、ちゃんと見えてるんだね」


「ええ。嫌というほど」


 わたくしは、自分の指先を見つめた。


「前王国で、線を引く仕事をしようとして、止められて。結局、線を引かないまま爆発した場所を、何度も見ましたもの」


「だからこそ、ここでは――」


「わたくしの線で爆発する分には、まだマシですわ」


 レオンが顔を上げる。


 わたくしは、笑っているのか、自分でもよく分からない顔で、そう言った。


「線の引き方が悪かったと分かったら、引き直せますもの。誰も引かなかった線は、あとからどうしようもありませんわ」


「……そうだね」


 レオンは、しばらく黙ってから、ぽつりと呟いた。


「そういうところが、僕は好きだよ」


 ペンを持つ手が、ぴたりと止まった。


「……今、なんと?」


「そういうところが好きだと言った」


 レオンは、ごく自然な顔で繰り返した。


「誤解しないでほしいけど、人としてだ。……まあ、仕事の相棒としてと言い換えてもいい」

「人としてと仕事の相棒としてのどちらがマシか、迷うところですわね」


 冗談めかして返しながら、心臓が一瞬だけ変な跳ね方をしたのを、自覚してしまった。


「あなた、さらりと言いますわね」

「本当にさらりと言ってるからね」


 レオンは、特に照れた様子もなく、淡々としていた。


「自分の線が間違っていたら引き直すって、言える人はそう多くない。責任を取る気がある人は、貴重だ」


「そんな大した話ではございませんわ」


「大した話だよ」


 珍しく、語気が少し強くなった。


「ここのルールが、あなたの線引きに依っている以上、あなたがどういう人間かは、この街にとって重大事だ」


「……あなたにしては、ずいぶんと感情的な言い方ですわね」


 わたくしは、からかうように目を細めた。


「疲れていらして?」

「そうかもしれない」


 レオンは、少しだけ笑った。


「でも、この街に賭けるなら、相棒のことくらいは、ちゃんと信じておかないと。……僕は、あなたが線を引く限り、ここに賭けるよ」

「相棒、ですのね」

「相棒以上未満くらいかな」


 ふ、と。

 笑ってしまった。


「便利な言葉を作るのは、お上手ですこと」

「外交官の職業病だよ」


 軽口が戻る。

 けれど、さっきよりも、部屋の空気が少しだけ近く感じられるのは、気のせいかしら。


     ◇


「……で。相棒殿」


「なにかしら」


「自分の机の上の線引きも、少しは見直した方がいいと思うよ」


 レオンの視線が、机の端――昨夜から積み上げられたお菓子の包みと空のカップの山へと向いた。


「ここからここまでは残していいここから先は捨てる。そういう線引きも、大事だ」


「それは、セバスチャンの担当領域ですわ」


「責任転嫁をしないと言ったのは、どこの誰だったかな」


 ぐ。

 痛いところを突いてきますわね、この男。


「……仕方ありませんわね。セバス、明日からお菓子の包みは一日三つまででお願い」


「お嬢様がご自分でお決めください」


 いつの間にか扉の外に控えていたらしい執事の声がした。怖いですこと。


「……ほらね、線引きは難しいだろう?」


 レオンが、愉快そうに笑った。


「難しいですが、決めないともっと面倒ということくらいは、理解しておりますわ」


 くすぐったいような、むずがゆいような空気の中で、わたくしたちは再び黒板に向き直った。


「さあ、相棒以上未満殿」


「なんだい、悪役令嬢財務卿殿」


「祖国の愚策を、あと何手分、利用できるかしらね」


「少なくとも、彼らが現実を見るまでは」


 レオンが、チョークで前王国の方向を示す矢印を書き足した。


「こっちはこっちで、現実を作る側として、手を抜けない」


「ええ。退屈しない夜が、まだまだ続きますわね」



 窓の外には、既に星が瞬き始めている。

 ご苦楽シティの夜の作戦会議は、こうして今日も、更けていくのでしたわ。          






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