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第33話 預かり所、小口融資を始めますわ

──お金というものは、あるところにさらに集まるようにできておりますの。


 ですから、ないところにも、少しだけ回る仕掛けを作って差し上げないと、街としては損をいたしますわ。


「……というわけで、ちょっとだけ貸してほしい人たちが増えてきましたのよ」


 午前の執務室。わたくしは帳簿をぱたんと閉じて、向かいのレオンに宣言いたしました。


「というわけで”の前段を、もう少し説明してくれないかな」


 レオンが、苦笑混じりに片眉を上げる。まじめですこと。


「こちら、ご苦楽シティ預かり所・相談記録」


 ユリウスが抱えてきた分厚い束を、机にどさりと置きました。机が、ちょっと悲鳴を上げた気がいたしますわ。


「三日前からの特記事項にしぼって集計しました」


 ページをめくると、「少しだけ前借りできないか」「荷が着くまでのつなぎがほしい」といった書き込みが並んでいる。


「宿代、仕入れ代、屋台の板代まで。今さえ払えれば、明日の売上で返せるとおっしゃる方が、日に十人単位で」


「今さえ払えればという言葉ほど、信用してはいけないものもございませんけれど」


 わたくしは、くすりと笑いました。


「でも、全部断るのも、もったいないのですわ」


「もったいない?」


「ええ。仕入れがあと一歩足りないせいで機会を逃している商人が多すぎますの。もう五かご分仕入れられれば売れたのにとか、荷車を一台増やせれば二往復できるのにとか」


 ユリウスが、慌てて自分のメモをめくる。


「たしかに、仕入れを増やしたいけど、手持ちが足りないって相談は多いです。前の街では、旦那衆から前借りしてたっていう話も」


「旦那衆……つまり、昔のブロイエル商会みたいな大きなところですね」


 レオンが静かに言う。


「ここでは、そういう片手で肩をつかまれる形には、あまりしたくない」


「だから、預かり所の中だけで完結する、小さな貸し借りを始めますの」


 わたくしは、机の端の黒板を指さした。


 そこには、朝から落書きのように計算が書き散らかされている。


『小口融資案』 ・対象:預かり所に口座を持つ商人・職人のみ ・上限:通常残高の三割まで ・返済期限:最長一ヶ月 ・手数料(利息):一回あたり一〜二%


「証票の前渡し、とでも呼びましょうかしら」


「前渡し?」


 ユリウスが首をかしげる。


「いつもはお金を預けてから証票をもらうでしょう? それを、信用できる相手にだけ、先に証票を渡してあげるのですわ」


 わたくしは指で円を描きながら説明する。


「明日の売上で返しますと言われても、その人の売上が普段どれくらいかが分からなければ、博打ですわ。でも、この三ヶ月の売上と残高が、帳簿に全部あるなら――」


「その人が、どれくらいまでだったら無理なく返せるかが見える、ってことですね」


 ユリウスの目がぱっと開く。いい子ですわ。


「そう。残高の三割まで返済期限一ヶ月くらいなら、いつもの売上の範囲で収まる人が多い。そこに、少しだけ手数料を乗せておけば――」


「預かり所の運営費にもなるし、預金者にとっても、必要なときに少し引き出せる安心になる」


 レオンが、黒板の数字を眺めながらうなずいた。


「理屈は分かる。でも、問題はもし返ってこなかったらだ」


「もちろん、返ってこないときもある前提で帳簿を組みますわよ」


 わたくしは、別の小さな欄を指さした。


『貸し倒れ見込み:全体の一〜二%』


『利息収入:全体の三〜四%』


「一部は返ってこないと最初から見込んで、その分を利息から差し引いておけば、預かり所の全体としては黒字にできますわ」


「……全員に返してもらえなくても、全体で帳尻を合わせるってことですか」


「ええ。もちろん、返してくれる人の方が多いという前提で、ですけれど」


 わたくしは肩をすくめた。


「それに、返さなかった人は、次から借りられない。預かり所も使えない。それだけで、かなりの抑止力になりますわ」


 ユリウスが、少しだけ顔をしかめた。


「……でも、本当に困っていて、一回だけ返せなかった人もいますよね。病気とか、盗難とか」


「そうですわね。ですから、全部同じ扱いにはいたしません」


 わたくしは、ペン先をとんとんと机に打ち付ける。


「真面目に返そうとしたけれど返せなかった人と、最初から踏み倒す気だった人は、数字の動きが違いますもの」


「数字の動き?」


「たとえば、返済期日の前までに、少しずつでも返そうとしたか、そのあと、荷の出し入れがどう変わったか。帳簿を見れば、逃げたか、残ろうとしたかくらいは分かりますわ」


 レオンが小さく笑う。


「あなた、本当に数字で人を見るのが好きですね」


「人の心など、直接覗き込む趣味はございませんの。帳簿の方が、よほど正直ですわ」


 そう、きっぱりと言い切ったところで、扉がノックされた。


「アメリア様、預かり所からの本日の相談者が二名、控えております」


 セバスチャンの声だ。


「まあ、話が早いですわね。ちょうどいい実験材料が来たようですこと」


「アメリア」


 レオンが、少しだけ鋭い視線を向ける。


「実験材料はやめてあげて」


「比喩ですわ、比喩」


 わたくしは軽く受け流し、背筋を伸ばした。


「ユリウス。黒板を消して、小口融資試験運用案と書き直しなさい。枠で囲って、本日限りの試験と注釈も」


「はい!」


 メガネ書記官がばたばたと動き出す。その間に、最初の相談者が案内されてきた。


     ◇


 一人目は、魚屋の若い女主人だった。


 日に焼けた腕。手には魚の匂い。目は、はっきりしていて、でも少しだけ不安げ。


「いつも市場をご利用くださり、ありがとうございますわ」


 形式的な挨拶を済ませてから、わたくしは本題に入った。


「少しだけ貸してほしいと伺いましたけれど、具体的には?」


「はい……」


 女主人は、ぎゅっとエプロンを握りしめる。


「今の樽の数じゃ、朝の競りであと二樽買い切れなくて。毎回、それが悔しくて……」


 ユリウスが、さっと台帳をめくる。


「この三ヶ月、毎日だいたい同じくらいの量を仕入れて、同じくらいの時間に売り切ってます。売り残しは、ほとんどないです」


「つまり、売れるだけの需要はあるけれど、樽代が足りないわけですわね」


 わたくしは頷いた。


「そのあと二樽に必要な金額は?」


「銀貨で……三枚分くらいです」


 ユリウスが、すかさず数字を書き込む。


「口座残高は、平均で銀貨十枚前後。たまに八枚まで下がることはありますが、一ヶ月以内にはまた十枚に戻ってます」


「でしたら、三枚まで”なら、無理はありませんわね」


 わたくしは、黒板の上限三割の文字を軽く叩く。


「本日、小口融資試験運用として、樽代三枚分を先にお渡しします。その代わり――」


 机の上に、さらりと紙を滑らせた。


「一ヶ月以内に返済。返せなかった場合は、当面の間、新たな貸し出しはなし。利息として、一割ではなく一割の一割。つまり一%を、本日の売上からいただきますわ」


「い、一%……?」


 女主人が目を丸くする。


「ひと樽分余分に仕入れて売れば、そのくらいは簡単に出ますわよね?」


「は、はいっ。出ます!」


「ならよろしい。ただし」


 わたくしは、少しだけ声色を硬くした。


「もし返せなかったとき、理由をきちんと説明なさい。病気で店を開けなかった。船が遅れて魚が来なかった。それなら、こちらも考えます」


「……はい」


「でも、どこでどう使ったか分からない。帳簿も適当。そういう場合は、今後一切貸しません。よろしいですわね?」


 女主人は、ごくりと唾を飲み込んでから、力強く頷いた。


「わかりました。……絶対、返します!」


「それを決めるのは、あなたの明日からの帳簿ですわ」


 軽く釘を刺しつつ、わたくしは紙に署名を促した。


 一人目の手続きが終わると、女主人は何度も頭を下げて出ていった。その背中を見送りながら、ユリウスがぽつりと呟く。


「……なんか、怖がらせてるのか助けてるのか、よく分からなくなってきました」


「怖がらせるくらいでちょうどいいのですわ。お金は、怖いと思っている人の方が、だいたい真面目に扱いますもの」


 レオンが、くすりと笑う。


「あなた自身は、怖がってないけどね」


「わたくしは、数字の方を怖がっておりますから」


 そこまで言ったところで、二人目が案内されてきた。


     ◇


 二人目は、まだ若い男の行商人だった。


 軽そうな身なり。口も軽そう。にやにやと笑っていて、あまり緊張している様子はない。


 ──正直、わたくしの好みではございませんわね。


「ええと、小口融資を、というお話でしたわね」


「はいはい。いやぁ、さすがご苦楽シティっすね。噂どおり、金回りがいい」


 第一声からこれですもの。


「ちょっとした仕入れでしてね。昨日、前王国側でいい話がありまして。今なら香辛料が安くて――」


 ぺらぺらと言葉が止まらない。ユリウスが、困ったように帳簿を見る。


「アメリア様、この人の口座、まだ開いて三日です。預け入れ一回。引き出し一回。履歴がほとんどありません」


「でしょうね」


 わたくしは、男に向き直った。


「いつから、この街で商売を?」


「え、ええと、一週間前くらいからっすかね。ここに来れば金を貸してくれるって聞いたもんで」


「どなたから?」


「そりゃあ、港の酒場で――」


「はい、そこで結構ですわ」


 ぴしゃり。


 男の口が、ぱくぱくと止まる。


「残念ながら、あなた様は、本日の試験運用の対象外ですわね」


「え、え? なんでっすか?」


「この街での帳簿がないからですわ」


 即答。


「過去三ヶ月の売上も残高もない人にお金をお貸しするほど、わたくし、楽観的ではございませんの」


「で、でも、前の街での実績なら――」


 わたくしは、さらりと遮った。


「前の街の帳簿を持ってきてくださるのなら、拝見しますわ。きちんと数字が揃っていて、ひと月にどれくらい売り上げていたかが分かるなら、話は別」


「え、えー……いや、その、前のところでは、帳簿なんか、あんまり……」


「でしょうね」


 わたくしは、椅子に背を預けた。


「ここで三ヶ月、真面目に商売なさってから、またおいでなさい。そのときの帳簿を見て、貸すべきかどうか判断いたしますわ」


「そ、それじゃあ遅いんすよ!今がチャンスなんすから!」


「今だけチャンスという言葉ほど、信用してはいけないものもございませんのよ」


 わたくしは、にっこり笑ってみせた。


「この街は、博打の資金を貸し出す場所ではございません。稼ぐための道具として、お金を回す場所ですの」


「ふ、ふざけんなよ、小娘が……!」


 男の顔が一瞬赤くなるが、ジルクが無言で一歩前に出た瞬間、さっと青ざめた。


「預かり所の利用そのものは、これまで通り可能ですわ。真面目に使って、三ヶ月分の帳簿を揃えてから、またおいでなさい」


 そう告げて、わたくしはセバスチャンに目で合図した。


 男は、ぶつぶつと文句を言いながらも、結局は何もできずに退室していった。


     ◇


 扉が閉まったあと、ユリウスが大きく息を吐き出した。


「……はあ……同じ貸し出しでも、さっきのお魚屋さんと、あの人とでは、全然印象が違いますね」


「帳簿が違いますもの」


 わたくしは、机の上に二枚の紙を並べて見せた。


「日々コツコツ増えている数字と、よく分からない出入りが一回だけ。この二つを、同じ一人分として扱うわけにはまいりませんわ」


「差別、じゃないんですか?」


 ユリウスの問いに、レオンが静かに答えた。


「差別”じゃなくて、区別だよ、ユリウス。どこから来たかではなく、ここでどう動いているかで分けている」


「ええ。もし二人ともこの街で三ヶ月分の帳簿を持っていたなら、同じ基準で判断しておりましたわ」


 わたくしは、ペン先で黒板を軽く叩いた。


「預かり所の小口融資”は、帳簿がある人のための仕組み”ですの。帳簿がない人は、まずそこから始めていただかないと」


「……なるほど」


 ユリウスが、ゆっくりと頷いた。


「数字がある人の味方なんですね」


「正確には、数字を残してくれる人の味方ですわ」


 わたくしは、笑った。


「真面目に記録をつける手間を嫌がらない人にだけ、お金というご褒美を少し早めに差し上げる。そうすれば、記録をつける人が増えますでしょう?」


 そのとき、窓の外から、にぎやかな声が聞こえてきた。


 魚屋の女主人の店の前だ。樽が、いつもより二つ多い。


 彼女が、元気な声で客を呼び込んでいるのが見えた。


「アメリア様」


 ユリウスが、小さく笑う。


「うまくいきそうかどうかは、数字を見る前から、少し分かりますね」


「ええ。あとは、本当に返してくださるかどうか。それは数字が教えてくれますわ」


 レオンが、腕組みをしながら窓の外を眺めた。


「小口融資を始めれば、もっと借りたい人も、借りて逃げたい人も増えるだろうね」


「でしょうね」


 わたくしは、あっさり頷いた。


「だから、断る練習も、同時にしなければなりませんの。貸せない人には貸さない貸したくなっても貸さない」


「それが、一番難しそうです」


 ユリウスの正直な感想に、わたくしは笑ってみせた。


「貸したくないけど貸すより、簡単ですわよ?」


「え……」


「かわいそうと思って貸してしまうと、あとでその人も自分も苦しくなりますもの。数字がNOと言っているときは、わたくしもNOと言う。それだけですわ」


 そう言いながら、わたくしは自分の財布をちらりと見やった。


 中身は……まあ、だいたい黒字ですわね。


「……だいたいじゃダメですよ、アメリア様」


 背後から、的確なツッコミが飛んできた。


「だいたいは帳簿には書きません、と、いつもお嬢様が仰っている言葉でございます」


「細かいことはよろしいのです、セバスチャン」


 執事の冷ややかな視線を華麗にスルーしつつ、わたくしはペンを取り上げた。


「──ともあれ、預かり所の小口融資は、本日より試験運用開始ですわ」


 黒板の隅に、大きく書き加える。


『小さく貸して、大きく稼ぎますわ』


「数字と人を、同時に見る練習には、ちょうどいい題材ですもの。ねえ、ユリウス?」


「は、はい! ……が、がんばります!」


 メガネ書記官が、半分不安そうに、でも半分わくわくした顔で頷いた。


 ご苦楽シティの新しいお金の回し方は、こうして静かに動き始めたのでしたわ。







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