第32話 真っ当な商人たちの選択
──大きな石がどかされると、その影から、小さな芽がいくつも顔を出しますのよ。
ブロイエル商会との数字によるお説教タイムから、三日後の朝。
例によって、わたくしの机の上には書類とお菓子の包みと空のティーカップが散乱し、セバスチャンが無言で回収しておりました。
「お嬢様。昨夜の戦果を机の上に並べてお休みになる癖は、そろそろ」
「戦果ですわよ? ブロイエル本店口座から、きっちり追加使用料三倍ぶんを回収した、その余韻ですもの」
「紅茶の染みまで余韻と呼ぶのは、さすがに強弁でございます」
口うるさい執事は放っておいて、わたくしはユリウスから回ってきた朝イチの報告書に目を落としました。
「……ふうん」
思わず、口の端が上がります。
「早速、動きがありましたわね」
「やっぱり、ですか」
ちょうど別の束を抱えて入ってきたユリウスが、緊張半分・興味半分といった顔でこちらを見ました。
「ブロイエル商会の下請けからの相談が、昨日の午後だけで六件。本日分の面会予約が三件。……うち四件は、正式にご苦楽シティ側に乗り換えたいと」
「良い数字ですわ」
わたくしは書類をぱらぱらとめくりながら、指でとん、とん、と机を叩きました。
「大きな本店から見れば取るに足らない規模でも、こちらからすれば、真っ当な商人の種ですものね」
「真っ当かどうかは、会ってみないと分からないですけど」
ユリウスが真面目な顔で言う。だいぶご苦楽シティの癖が身についてまいりましたわね。
「ええ。ですから、これから選別して差し上げるのですわ」
そのとき、扉がノックされました。
「アメリア様。面会予定の商人たちが、控えでお待ちです」
「ご案内してちょうだい。ひと組ずつ、ですわよ」
セバスチャンが小さく頷き、廊下へと消えていきます。
──さて。大きな影の下で震えていた芽が、“この街の土”に合うかどうか。
少し、楽しみですこと。
◇
執務室兼応接室の丸卓に、最初の男が座りました。
四十代くらい、小太りで額が少し寂しい。服は質素ですが、靴はよく磨かれている。手は荒れているけれど、指先の動きには慣れがある。
……第一印象、現場を知っている帳簿持ちといったところですわね。
「港倉庫組合所属、ルッツ・ヘーベルと申します」
男は緊張した様子で頭を下げました。
「今までは、ブロイエル商会様向けの荷扱いを、主に……」
「今までは、ですわね」
わたくしは、さらりと口を挟みました。
「本日はこれからのお話をご希望とか。ユリウス、彼の台帳は?」
「はい、こちらです」
ユリウスが差し出した紙には、ここ一ヶ月の取扱量と、ブロイエル関連の比率が簡単にまとめられていました。ヘルマンの筆跡で「支払い遅れあり」と小さく添え書きも。
「支払い遅れ?」
問いかけると、ルッツが慌てて手を振りました。
「い、いや! ブロイエル様が悪いというつもりは……その……」
「悪いと言いたいのでしょう?」
くすりと笑って助け舟を出す。
「ここは王都御前ではございませんわ。どうぞ、帳簿の通りにお話なさいな」
しばし逡巡してから、ルッツは観念したように息を吐きました。
「……正直に申し上げます。最近、ブロイエル本店からの倉庫料の支払いが、ひどく遅れておりまして」
数字で見れば一目瞭然でした。月末締めの翌月払いが、二ヶ月、三ヶ月とずれ込み、その間にも新しい荷だけは押し込んでくる。
「王家ご用達の看板を盾に、待てるだろうと」
苦い笑いが漏れる。
「こっちも、長い付き合いでしたから、最初は我慢しました。でも、最近は前王国の営業税の影響か、本店がどんどんしぼんでいて……このままでは、こちらが持ちません」
わたくしは、そっとペン先を動かしました。
「ご苦楽シティに、なにを求めていらっしゃいますの?」
「……約束通りの支払いを」
即答でした。
「特別優遇を、とは申しません。うちみたいな中小の倉庫屋には、そんな力もない。ですが、決められた期日までに、決められた倉庫料が払われる。それを守ってくれる相手と、長く付き合いたいだけで」
ふむ。
その答え方は、嫌いではありませんわ。
「では、ルールの顔を、先にお見せしておきますわね」
わたくしは、机の上に一枚の紙を広げました。
「ご苦楽シティ港湾・倉庫利用規約。──前王国と同じ条件。ただし、ルール遵守が絶対」
ルッツが、食い入るように紙を見る。
「倉庫料の単価は、前王国と同水準。支払いサイトは月末締めの翌月末払い。期日を一週間過ぎたら、追加利息。一ヶ月を超えたら、以降の新規荷受け停止」
「厳しい……といえば厳しいですが」
男は唸るように言った。
「最初からそう決まっているなら、むしろ分かりやすいです」
「王家のご機嫌で条件が変わったりはいたしませんわ。かわりに、数字と契約だけがものを言います」
わたくしは、にこりと笑ってみせました。
「あなたが期日通りに仕事をこなしてくださる限り、わたくしは期日通りに倉庫料をお支払いいたします。それだけのことですわ」
ルッツの肩から、すっと力が抜けたのが分かりました。
「……それで、十分です。いえ、十分すぎます」
「では、乗り換えをご希望と?」
「はい。うちの倉庫で扱える分のうち、まずは三割を、ご苦楽シティ経由に切り替えたい」
まずは三割。いい数字ですわ。いきなり全量と言い出さないあたり、現実的。
「よろしいですわ。その三割分、うちの帳簿に試験運用として載せましょう」
わたくしは、ユリウスに目配せした。
「ユリウス。ヘーベル倉庫・試験枠として、市場側と港側の記録にラベルをお願いね」
「はい!」
メガネ書記官が、嬉々としてペンを走らせる。こういう新規案件の名札作りは、彼のお気に入りの仕事の一つですもの。
「それでは、ルッツ様。ようこそ、ご苦楽シティ側へ」
「こ、こちらこそ……よろしくお願い申し上げます!」
最初の一組目は、こうして決まりました。
◇
二組目、三組目も、似たようなものでした。
地方の小さな穀物商。王都近郊で馬車運びをしていた輸送業者。どちらも、ブロイエル本店の「大口契約」にぶら下がって商売していた人たち。
「本店様の荷が減ってきて、うちが切りたくない契約から先に切られた形でして……」
「契約書はあるのに、口約束の方を優先されてしまう。よくある話ですわね」
彼らの愚痴は、ほぼパターンが同じでした。
大きな看板の下にいると、最初は安心。でも、その看板が揺らぎ始めたとき、一番先に切り捨てられるのは、末端。
わたくしは、その一つひとつに、同じ方針を繰り返しました。
「条件は、前王国と同じ。ただし、うちは契約に書いていない特別扱いは、一切いたしません」
「それと、うちに乗り換えたからといって、前王国での未払い分を肩代わりして差し上げることもありません。あくまで、これから先の話ですわ」
甘くしすぎれば、数字が歪む。冷たくしすぎれば、人が寄らない。
その線引きをするのが、わたくしの仕事ですもの。
「……それでも、うちはお願いしたいです」
三組目の馬車業者の若い代表が、ぎゅっと帽子を握りしめた。
「いつ、どれだけ払ってもらえるか分からない契約は、もう嫌なんです。きちんと決まっているものなら、それに沿ってやる方が、腹をくくれます」
その言葉に、ユリウスが小さく頷くのが見えました。
「分かりましたわ。では、あなた方もご苦楽シティ側で」
三組目の手続きが終わるころ、レオンがふらりと顔を出しました。
「進み具合は?」
「ええ、大きな影の下から、三組ほど抜け出してこられましたわ」
「なるほど。ブロイエル商会の締め付けが強まるほど、こっちに流れてくる」
レオンが軽く肩をすくめる。
「前王国にとっては、自分で自分の下支えを削っているようなものですね」
「まあ、上はそこまで見ておりませんでしょうけれど」
王太子殿下と、あの清純(笑)ヒロインの顔が脳裏をよぎる。数字を読まない人たちは、風向きが変わる前触れを、いつも見落としますのよね。
◇
夕方近く、最後の一組が入ってきました。
先ほどまでの三組と比べて、少し雰囲気が違う。服の質も、言葉遣いも、ほんの少し“王都寄り”。
「前王国王都商人ギルド所属、ミュラー商会の者です」
三十代半ばくらいの男が、丁寧に頭を下げました。
「これまでは、ブロイエル本店様の下請けとして、王都近郊からの集荷を担当しておりましたが……」
なるほど、中小の中でも、上寄り。完全な末端ではないぶん、こちらへの影響も大きくなる層ですわね。
「乗り換えをご希望で?」
「……はい。ただ」
男は、少しだけ言い淀んだ。
「全部ではなく、半分ずつにできないかと」
わたくしは、眉をひとつ上げました。
「半分?」
「ええ。いきなり前王国との縁を切るのは、さすがに怖い。ですが、ご苦楽シティの方に足場を作っておかないと、この先、自分たちも沈む気がする」
正直な男ですわね。
「どちらかが沈んだときに、どちらかだけでも生き残れるように。そのための二本足を、今のうちに用意しておきたいのです」
レオンが、静かに息を呑んだ気配がしました。
……ええ、分かりますわ。その言葉の重みは。
「よろしいですわ」
わたくしは、迷いなく答えました。
「半分ずつ。こちらとしても、悪くない提案ですもの」
ユリウスが、驚いたようにこちらを見ます。
「いいんですか? 半分って、向こうにもまだ荷が残るってことですよね」
「ええ。片足を残したまま来る人も、いればいいのですわ」
ペン先をくるくる回しながら、説明する。
「完全に乗り換えた人だけを歓迎していたら、沈みかけの船から飛び移るタイミングを逃す人が必ず出ますもの」
「……」
「大事なのは、こちらのルールに足を乗せる気があるかどうか。半分でも払う気があるなら、その半分の分だけ、この街の味方として扱いますわ」
ミュラー商会の代表が、ほっとしたように肩を落とした。
「ありがとうございます。……正直、二股みたいで、嫌われるかと思っていました」
「どこにでもいい顔をするのは嫌いですけれど、溺れないように慎重になるのは、むしろ賢いことですわ」
わたくしは、さらりと笑ってみせました。
「その代わり、こちらの半分については、きっちりこちらのルールで縛らせていただきますけれどね」
「もちろんです」
男は、まっすぐに頷いた。
──こういう人間が、長く残るのですわ。
◇
全員を見送ったあと、ようやく一息つけました。
窓の外では、夕日が港を赤く染めている。
「……アメリア様」
書類をまとめながら、ユリウスがぽつりと呟いた。
「真っ当な商人だけ吸い上げるって、難しいですね」
「ええ、とても」
わたくしは、椅子の背にもたれて首を回しました。
「声が大きい人は、得をしやすい。看板が大きい人も、同じ。でも、真っ当にやっているだけの人は、なかなか自分から前に出てきませんもの」
「今日みたいに、大きなところと揉めた後じゃないと、出てこない人もいる……ってことですか」
「そうですわ。だから、ブロイエル商会との一件も、無駄な喧嘩ではございませんの」
ペン先で、今日のメモに+ルッツ倉庫。+中小商会3+ミュラー半分と書き加える。
「影が動けば、土も動く。そのときに、どの芽を拾うかが大事ですわ」
レオンが、窓のそばにもたれて外を見ていた。
「ブロイエル商会は、しばらくはこちらでも向こうでも居心地が悪くなるでしょうね」
「ええ。上の顔色を伺いながら、下には締め付けを強めるでしょうから」
そうなればなるほど、こちら側に流れてくる真っ当な人たちは増える。
──前王国にとっては、じわじわと骨を抜かれていくようなものですわね。
「アメリア」
レオンが、少しだけ真面目な声で呼んだ。
「こうやって下を受け入れていくとき、一つだけ気をつけないといけないことがある」
「こちらが、前王国と同じにならないように、でしょう?」
わたくしも、さすがに分かっておりますわ。
「うちに従ってくれるから特別扱い。苦しいからといって期日をあいまいにする。それをやり始めたら、王都の財務卿室と変わりませんもの」
「うん」
レオンが、安心したように笑った。
「だから、条件は同じ、ルールも同じで通す。今日あなたが繰り返していたことですね」
「ええ。前王国と同じ条件、でも書いてある通りしかやらない。それが、いちばん効きますもの」
ユリウスが、ノートに何かを書き込みながら小さく頷いた。
「甘い顔をしないで、甘い言葉も言わないで、それでも人が来るのって、すごいなと思いました」
「甘い言葉は、疲れますもの」
わたくしは、うんざりしたように肩をすくめる。
「民の味方ですわって顔をし続けるのは、趣味ではありませんの。わたくしは、稼ぎたい人の味方ですわ”と正直に言っていた方が楽」
三人で、少しだけ笑った。
窓の外、港の一角で、新しい馬車が荷を積み替えているのが見えた。
その荷の一部は、もう前王国港には戻らない。
かわりに、この街の倉庫を経由して、別の国へ、別の町へ流れていく。
──数字にすれば、まだ小さな一歩。
でも、真っ当にやりたい人たちが、この街を選び始めたという意味では、なかなか良い一日でしたわ。
「さあ、ユリウス」
「は、はい!」
「本日の乗り換え組の台帳整理と、前王国側の減少分の試算ですわ。ヘルマンに持っていけば、きっと嬉々としてグラフにしてくださいますもの」
「うわあ……でも、やります!」
メガネ書記官が、半分うめきながらも笑顔で帳簿を抱えて部屋を出ていく。
わたくしは、紅茶のカップを手に取り、窓越しの港を眺めました。
「──大きな石が崩れる前に、その下のまともな土だけ、こっそりこちらへいただいておきましょうか」
ご苦楽シティは、大歓迎ですのよ。真っ当に稼ぎたい方なら、誰であっても。




