第29話 元取り巻き貴族商会、参上ですの
──数字が揃いだすと、次に寄ってくるのは、たいてい数字を読まない人たちですのよ。
港の荷揚げ状況を眺めて、そう確信いたしましたわ。
「……だいぶ、旗の種類が増えましたわね」
執務室の窓から港を見下ろしながら、わたくしは頬杖をつきました。以前はライシアの旗と、せいぜい数か国の商人旗くらいでしたのに、最近は色とりどりです。
ただ、一番見慣れた紋章が増え始めているのが、なんとも皮肉でしてよ。
「前王国の紋章旗、ですわね」
背後で書類を整理していたセバスチャンが、淡々と口にしました。
「増税の影響でしょう。ここ一週間ほどで、入港船の八隻に一隻の割合になっております」
「十分に“目立つノイズ”ですわね」
わたくしは指先で窓枠をとんとんと叩きました。
「真面目な悲鳴の人たちもいれば、先に抜け駆けして穴を探しにきた人たちも混ざっているでしょうし」
「お嬢様のお好きな種類の人々ですね」
「もちろん、論破と選別のしがいがございますもの」
そんなことを言っていると、扉が控えめに叩かれました。
「アメリア様、レオン様がお見えです」
ユリウスの声に、わたくしは顔を上げました。
「どうぞ。ちょうど退屈しかけておりましたの」
入ってきたレオンは、どこか面白がっているような、しかし僅かに眉をひそめた表情でした。
「港から、なかなか派手な客がいらっしゃいましたよ」
「派手な客?」
椅子をくるりと回し、レオンを見やりますと、彼は少し肩をすくめてから言いました。
「前王国の中堅〜上位貴族系商会を名乗る一団です。旧知のご縁により、ご挨拶に上がりましたとのこと」
「あらまあ」
口元が自然と吊り上がりましたわ。
「旧知のご縁ねえ。どの程度の旧知かしら」
「代表の名前は……」
レオンが手元のメモをめくり、確認します。
「ブロイエル公爵家・第二分家出身、ギルベルト・フォン・ブロイエル商会長」
一拍置いて、わたくしは鼻で笑いました。
「……ああ、あのわたくしを帳簿より軽く扱った方ですの」
「帳簿より、ですか」
ユリウスがペンを持ったまま固まります。わたくしはさらりと説明して差し上げました。
「財務卿補佐時代、うちの商会は代々王家に尽くしてきた。だから特別扱いは当然だろう?と、真顔でおっしゃった方ですわ。帳簿をお見せして『特別扱いを続けた結果、こうして赤字ですのよ』と申し上げても、そんな細かい数字は女の見るものだで一蹴なさった」
「……」
ユリウスが、目に見えてドン引きしました。可愛い部下ですこと。
「で、その数字は女の見るものだとおっしゃった方が、よりによって、数字で稼ぐ自由都市に?」
「ええ。数字の怪物の巣窟に、自ら飛び込んでこられたわけです」
レオンの口元も、わずかに笑みを含んでいました。
「おそらくは、向こうの営業税で尻に火がつき始めたのでしょう。新港の様子を見ておけと、本家からでも言われたのかもしれません」
「本人の性格からして、様子見で大人しく帰るとも思えませんけれど」
わたくしは椅子から立ち上がりました。
「せっかくですもの、ご苦楽シティのご利用案内を丁重にご説明して差し上げましょう」
「アメリア様、あまり楽しそうな顔をなさらない方がよろしいかと」
セバスチャンが、盆に茶器を載せながら釘を刺してきます。
「交渉相手の前で、おもちゃを見つけた子供の目をなさるのは、悪手でございます」
「わたくしの表情筋がそんなに正直だとは、存じませんでしたわ」
「そこそこ正直でいらっしゃいます」
いい加減なところばかり指摘してきますのね、この執事は。
「ユリウス」
「は、はい!」
「商会台帳から、ブロイエル商会周辺の情報をざっと洗って、会議室に持ってきなさい。過去五年分の輸出入品目と、王都港での倉庫利用状況も」
「了解しました!」
メガネ書記官が慌ただしく走り出て行きます。その背中を見送りつつ、レオンが小声で呟きました。
「……だいぶ逞しくなりましたね、ユリウス君」
「ええ、ご苦楽シティの地獄に慣れてきた証拠ですわ」
わたくしたちは顔を見合わせ、同時に少しだけ笑いました。
◇
応接兼会議室の扉を開けた瞬間、空気が一段階、重くなった気がいたしましたわ。
「ほう。これが、例の自由都市の、実質の主というわけかね」
真ん中の豪奢な椅子にふんぞり返っていた男が、こちらを値踏みするように見てきます。
四十代半ば。小太り。指には金の指輪がこれでもかと光っていました。
お金は、もっと別のところに使った方が利回りがいいのですけれど。
「ご紹介にあずかりました、アメリア・フォン・ラグランジュと申しますわ。ようこそ、ご苦楽シティへ」
完璧な笑顔を貼りつけてお辞儀をいたしますと、彼──ギルベルト・フォン・ブロイエルは、鼻を鳴らしました。
「へえ。本当に、あのラグランジュ家の令嬢が、こんな辺境で帳簿でもつけておられるとはな」
「ええ、こんな辺境のおかげで、国庫は黒字ギリギリで回っておりますのよ」
さらりと返しますと、彼は一瞬だけ眉をひそめましたが、すぐに興味を失ったように視線をそらしました。
周囲には、取り巻きらしき若手や文官風の男たちが数人。みな、どことなく「王都育ち」の匂いをまとっておりますわ。空気と態度で分かるのは、長年の実務経験の賜物ですわね。
「本日は、旧知のよしみでご挨拶に、と伺っております」
レオンが一歩前に出て、公式の口上を述べました。宰相補佐の肩書きがあるだけに、こういう場の空気の握り方は、わたくしよりも洗練されています。
「おお、これはこれは。ライシアの宰相補佐殿までお揃いとは、賑やかなことだ」
ギルベルトはにやりと笑いましたが、その目はまるで笑っておりません。
「わがブロイエル商会、前王国ではそれなりに名の通ったものでしてな。陛下からのご下命もあり、この新港の様子を見させていただきに参った次第です」
陛下からのご下命。ふうん。
わたくしの脳内で、いくつかの数字と人物相関が、ぴたりと噛み合いました。
(つまり、前王国王家公認の使節のつもり、というわけですわね。正式な外交文書も持たずに)
レオンも同じことを思ったのでしょう。表情こそ崩しませんが、わずかに目の奥が冷えました。
「これは恐れ入ります。ですが、ご存じの通り、ここはライシア王国領内の自由都市。正式な国交案件がございましたら、まずは王都を通していただくのが筋かと」
やんわりと釘を刺すレオンに、ギルベルトは「そんな細かいことは」とでも言いたげに手をひらひらさせました。
「なに、固いことは言うまい。今回はあくまで商人としての視察よ。陛下のお名を出したのは、無用な誤解を避けるためだ。こちらも、怪しい連中ではないと示さねばならんでな」
(陛下の名を盾に使えるときは使い、都合が悪くなったら、ただの商人に戻る。相変わらず、便利な看板ですこと)
心の中でため息をつきながら、わたくしはにこやかに頷きました。
「まあまあ、遠路はるばるお越しくださったのですもの。ご案内くらいは喜んでさせていただきますわ。ご滞在中の宿や、港のご利用も、通常の規約に沿って手配いたします」
「うむ、うむ」
ギルベルトは満足げに頷き、そして満を持したように、余計な一言を足しました。
「旧知のよしみで、多少は通常より融通が利くと期待しておるが、そこはどうかね?」
ええ、出ましたわ。特別扱い前提の一言。
レオンが一瞬だけこちらを見ましたので、わたくしは「任せなさい」の意を込めて小さく頷きました。
「もちろん、旧知のよしみは忘れておりませんわ」
わたくしはにっこりと笑い、卓上の紅茶ポットからカップに注ぎながら続けます。
「ですので、ブロイエル商会様には、特に丁寧にご説明させていただきますの」 「ご説明?」
「ええ。ご苦楽シティ市場規約について、ですわ」
ユリウスが持ち込んだ書類束から、一枚の紙を取り出させます。そこには、先日整備したばかりの市場利用規約の骨子が、簡潔にまとめてありました。
ギルベルトは紙をひったくるようにして目を通し──すぐに顔をしかめました。
「ふん。屋台一等地は抽選制。倉庫利用は入港順に割り当て。取引記録は預かり所を通じて提出……」
「ご覧の通りですわ。身分や出自にかかわらず、先に来た方から順番に」
「ばかばかしい」
彼は紙を机に投げ出しました。
「我らのように、王家に長年仕えてきた一流商会と、そこらの流れ者の行商人が、同じ列に並べというのかね?」
「ええ。その通りでございますわ」
わたくしは紅茶を一口含み、上品に微笑みました。
「この街では、誰の旗を振ってきたかより、どれだけきちんと税と手数料を払ってくださるかの方が大事ですもの」
「税など、払ってきたに決まっておろう!」
ギルベルトは机をどんと叩きました。ティーカップがかすかに揺れます。
「わがブロイエル家は、何代にもわたって前王国に莫大な献金と税を納めてきた!その功績を、貴殿も知らぬわけではあるまい、ラグランジュ嬢!」
「ええ、存じておりますわ」
わたくしはこてん、と首を傾げました。
「税を納めているからこそ、さらに優遇しろとおっしゃっていた頃から、なにもお変わりになっておりませんのね」
「……なんだと?」
ギルベルトの額に、みるみる赤みが差していきます。楽しくなってまいりましたわ。
「わたくし、財務卿補佐だった頃に、あなた様の商会の帳簿を拝見した記憶がございますの」
ユリウスが「あ」と小さく声を漏らしました。そう、今日は少し“嫌なアメリア様”をお見せして差し上げますのよ。
「年間売上の三割近くを、王家への献金と貴族社交費として計上なさっていましたわね」
「それがどうした!それこそが、わが国の社交と信用を支えておる!」
「ええ。そのおかげで、商売の原資に回すはずのお金が、ことごとく王都の宴会場と舞踏会の花代に消えておりましたもの」
わたくしは、指先を揃えてことん、と机に置きました。
「その結果、同業他社にじわじわとシェアを奪われていたのも、帳簿にきちんと現れておりましたわ。税は払っているのだから、もっと特権を寄越せと仰る前に、なににお金を使っているかをご覧になっていれば、もう少し違った未来もあったかもしれませんこと」
「なんだー貴様あー!」
さすがに立ち上がりかけたギルベルトを、取り巻きが慌てて押しとどめました。
「商会長、ここは……」 「ぐ、ぐぬぬ……」
レオンが小さく咳払いをしました。
「アメリア、ほどほどに」
「あら、まだ宵の口のつもりですわよ?」
わたくしは肩をすくめてみせました。
「わたくし、ただ過去の数字の事実を申し上げただけですもの。事実を指摘されて怒る方は、商売には向いておられませんわ」
ユリウスが、机の端で「ひぇ」とでも言いたげな顔をしているのが視界の端に入ります。かわいい悲鳴ですこと。
「ともあれ」
わたくしは、わざと一度、話を切り替えるように手を打ちました。
「ここは前王国とは別の国、別の街。こちらのルールは、王宮の舞踏会ではなく、市場で決まりますの」
「市場で、だと?」
「ええ。誰がどれだけ稼ぎ、どれだけ税を納め、この街のルールを守るか。それだけが物を言いますわ」
わたくしはレオンの方に視線を送ります。彼は小さく頷き、後を継いでくれました。
「ブロイエル商会殿。もしご貴商が真っ当な取引を望まれるのであれば、我々は歓迎します。旗も肩書も関係なく、規約通りに港と市場をお使いください」
「だが──!」
「ただし、王家からの下命を盾に、特別優遇や規約外の特権を求められるなら、お引き取り願うことになります」
レオンの声は静かでしたが、その静けさの底に、ライシア王国としての強い意思が透けていました。
ギルベルトは、しばらく唸るように黙り込んでいましたが、やがて舌打ちを一つ。
「……まあよい。最初から大盤振る舞いを期待していたわけではない。ひとまずは様子見だ」
そう言いつつ、その目には明らかに「そのうち穴を見つけてやる」という色が宿っておりましたわ。
「うちの部下に、荷の一部を回させよう。どれほどのご苦楽とやらか、試してやろうではないか」
「それはご親切に。ご利用、心よりお待ちしておりますわ」
にこりと笑って見せると、ギルベルトは不快そうに顔をそむけました。
「商会長。市場の下見に参りましょう」
取り巻きの一人が耳打ちし、一行はどやどやと部屋を出て行きました。扉が閉まった瞬間、ユリウスが大きく息を吐き出します。
「つ、つかれました……」
「あなた、ほとんど喋っていらっしゃらなかったでしょうに」
「でも、空気が……!胃に悪いです、ああいう人……!」
メガネ越しの目がうるみかけているのを見て、わたくしは思わず笑ってしまいました。
「慣れなさいな、ユリウス。あれでもまだ、言葉が通じる方ですわよ」
「通じてましたか、今の……?」
「刺さっているからこそあれだけ怒ったのですわ。まったく外れていれば、笑って流されておりますもの」
レオンが腕を組み、少しだけ真面目な顔に戻りました。
「……さて。とりあえず荷の一部を回すと言っていましたが、どう見ますか、アメリア」
「ええ、とりあえずのはずがございませんわ」
わたくしは口元に指をやり、少し考え込みました。
「彼の性格からして、最初から特別扱いを取れると思って来て、思い通りにならなかった。その鬱憤を、ルールの抜け道探しに向けるのは、火を見るより明らかですもの」
「……つまり?」
ユリウスが不安げに尋ねてきます。
「市場規約+預かり所の仕組みを、意図的に揺さぶってくるでしょうね」
わたくしは応接机に置かれていた市場規約案を指でとんとんと叩きました。
「たとえば、名義を分散させて一等地の屋台を独占しようとするとか。帳簿上の所有者を小分けにして、税の累進をすり抜けようとするとか」
「うわ……ありそうです……!」
ユリウスが顔をしかめました。良い反応ですわ。
「こちらがルールで縛れば縛るほど、ああいう人たちはその網の目をくぐる方法を考えつきますわ。それ自体は、ある意味で才能ですの」
「才能、ですか」
「ええ。悪用しなければ大変有用な才能ですわね」
レオンが小さく頷きました。
「つまり、こっちの宿題はひとつ増えた。悪用される前提で、規約と記録の連携を強化する」
「ええ。こちらが抜け道を探しきる必要はございませんわ。ただ、抜け道を使った痕跡を、あとからでもきちんと辿れるようにしておけばよろしい」
わたくしはユリウスに向き直りました。
「ユリウス。ブロイエル商会の今回の取引、最初から教材にするつもりで記録なさい」
「教材、ですか」
「ええ。ズルをしようとする人は、どこから揺さぶってくるか。生きたサンプルになりますわ」
メガネ書記官はゴクリと唾を飲み込みましたが、やがて真剣な顔で頷きました。
「わかりました。変な動きがあったら、すぐ報告します」
「よろしくてよ」
そのとき、窓の外から、にぎやかな声が聞こえてまいりました。ちらりと覗くと、ギルベルト一行が市場に向かう途中らしく、どんと肩で風を切って歩いております。
「……さて、元取り巻き貴族商会が、この街のルールにどう噛みついてくるか」
わたくしは、ほんの少しだけ胸が高鳴るのを自覚しました。
「せいぜい、上品に暴れてくださることを願いますわ。論破と数字のお仕置きのしがいがございますもの」
レオンが呆れたように、しかしどこか楽しげに笑いました。
「本当に、あなたは退屈知らずですね、アメリア」
「退屈は人生最大の損失ですもの。さあ、次は市場側の防波堤を固めますわよ」
わたくしたちは再び机を囲み、ブロイエル商会・第一便に備えて、数字とルールを武器にした小さな戦の準備を始めたのでした。




