第24話 祖国からの嫌がらせその一 〜検問強化ですって?〜
朝いちばん、港から戻ってきたジルクの顔が、見事に不機嫌でしたの。
「アメリア様、ちょいと向こう側がケンカ売ってきやしたぜ」
「それは魚の値段のことで揉めたレベルの喧嘩かしら? それとも国家規模かしら?」
「後者寄りですね」
レオンが、書類を捲りながら顔を上げる。
「前王国側の国境検問が、今朝から急に厳しくなったそうです」
「まあ。どのくらい急に?」
ジルクが両手を広げた。
「いつもなら、荷車見て、ちゃちゃっと印押して終わりだったのがよ。今日は一台ごとに積み荷全部開けさせて、紙切れ山ほど書かせて、ご苦楽シティ行きってだけで、妙な質問まで」
「妙な質問?」
「その荷は本当にライシア向けか、税逃れではないか、王都の港を通さない理由は――」
……あらあら。
「そして、関税もほんの少し上がってました」
ヘルマン殿が、別の机から顔を出した。
「ご苦楽シティ行き荷物に限り、ですが」
「ほんの少しとは、どの程度?」
「これまでの一・五倍、ですな」
「一・五倍。紙の上ではたいした差ではないと言い張れる、絶妙なラインですわね」
レオンが、眉をひそめる。
「表向きは安全確認のための検査強化でしょうね。本音は、ご苦楽シティへの流れを絞りたい」
「はい。嫌がらせその一ですわね」
わたくしは、扇で机を軽く叩きました。
「だるま落としの最初の一撃にしては、悪くありませんわ」
「アメリア様、悪くありませんって褒めてる場合じゃ……」
ユリウスが不安そうに口を挟む。
「だるま落とし?」
「ええ。下の段から順に叩き落としていけば、上がぐらつくゲームですわ」
わたくしは、国境の地図を引き寄せた。
「向こうは、最初に国境の荷物を叩いてきた。さて、こちらは、どこを叩き返しましょうか」
◇
ひとまず、現場の声を聞く必要がありますわね。
港の広場に出ると、すでに何人かの商人が、苛立った顔で集まっていた。
「アメリア嬢!」
最初に手を振ったのは、バルド・グランデル。
「聞いたぜ。向こうが渋り始めたってな」
「ええ。さっそく朝から、検問の厳格化だそうですわ」
「うちの荷も、国境で一時間以上足止め食らいましたよ」
そう言ったのは、前回視察団と一緒に来ていたローデン商会の男だ。
「書類が足りないとかなんとか言われて、ライシア向け荷物のリストを二重三重に書かされた」
別の商人も続く。
「いつもなら関税これこれで済んでたのに、ご苦楽シティに持ち込む荷物はって、わざわざ言われました」
「なるほど」
わたくしは、彼らの顔をひと通り見渡した。
「嫌がらせと呼ぶには、まだ可愛いレベルですわね」
「可愛い!?」
ユリウスが、素で叫んだ。
「一・五倍ですよ!? しかも待ち時間まで――」
「一日でどうにかなる程度の差額は、実験費用としては安いものですわ」
わたくしは、さらりと言った。
「問題は、これが続くつもりかどうかですの」
ヘルマン殿が、地図の上に小さな石を置いた。
「今、ご苦楽シティ経由で動いている主要ルートは、ここ――前王国南部の関所を抜ける街道一本」
「ええ」
レオンがうなずく。
「それが渋滞と追加関税で細くされれば、短期的には打撃です」
バルドが腕を組んだ。
「じゃあ、どうすんだ? 前王国を通らないルートでも探すか?」
「探す、ではありませんわ。作るのですのよ」
◇
わたくしは、地図の東側――ライシア国内の別の港を指さした。
「ここ。ライシア東岸の小港。まだ本格的な貿易港ではありませんけれど、船の出入りはありますわね?」
「ええ。漁船と、小さな沿岸商船が主ですけど」
レオンが答える。
「税収も規模も、王都港に比べれば雀の涙です」
「ならば、雀の涙を少し増やして差し上げましょう」
わたくしは、そこに丸を描いた。
「前王国を経由せずに、ライシアの東岸から北岸を回る沿岸航路。ちょっと遠回りだけれど、検問も関税もシンプルな航路ですわ」
ユリウスが、ひぃ、と小さく声を上げた。
「そ、そんな遠回りしたら、時間も費用も……」
「前王国経由でかかる時間+検問待ち+追加関税と、沿岸を回る時間+追加の船賃――ヘルマン殿、ざっくり比較していただけます?」
「少々お待ちを」
ヘルマン殿は、すでに用意してあった計算メモを開いた。
「前提条件をいくつか置きますが――前王国経由のルートが一・〇だとすると、沿岸航路は距離的には一・三倍。船足と天候の条件を加味して、一・五倍と見ましょう」
「時間も費用も、一・五倍」
ユリウスが呟く。
「しかし、今朝の検問+関税増を加えると、前王国ルートは実質、一・四〜一・六倍になりかねません」
ヘルマン殿が続ける。
「しかも、今後さらに締めつけが強くなるリスク込みで考えると――」
「少し高くても、確実に通れる道の価値が、急に上がりますわね」
わたくしは、にっこり笑いました。
「そこで、ご苦楽シティとライシア東岸小港の間の専用航路を、試験的に走らせますの」
「専用航路、だと?」
バルドが目を見開いた。
「ライシア側の小さい港と、うちを、船で直接つなぐってことか」
「ええ。前王国の関所を通らず、ライシアの中だけで完結するルートですわ」
レオンが、腕を組んで考え込む。
「東岸小港の税収が増える分、ライシアとしても悪くない話です。宰相にも通しやすい」
「でも、距離が……」
ユリウスがまだ不安そうだ。
「確かに、今すぐ全部の荷をそのルートに切り替えるのは無理ですわ」
わたくしは指を振った。
「ですから、まずは一部」
バルドに向き直る。
「バルド殿。あなたの荷の、一〜二割だけ、前王国を通らない便に切り替えてみませんこと?」
「また実験かよ」
バルドは、どこか楽しそうに笑った。
「条件は?」
「ご苦楽シティからライシア東岸小港までの航路を、我が方で指定した船で走る。関税はライシア側の通常税。ご苦楽シティ側の港使用料は、最初の半年半額。」
「船の手配は?」
「東岸側の小商会に、共同出資の話を持ちかけますわ。船を一隻、このルート専用に回さないかと」
レオンが頷く。
「そこは僕が話します。地方港の活性化という名目なら、王都にも通しやすいですから」
「おいおい」
バルドが、口の端を上げた。
「うちの荷の一部が、前王国を完全に素通りするってことになるぜ」
「ええ。前王国を経由しないで金が動く線を一本引けますわね」
ヘルマン殿が、ぽつりと漏らした。
「これは、祖国の税収の足元をじわじわ削る一手になります」
ユリウスが、ぞくりとした顔をした。
「アメリア様、今、ちょっと怖かったです」
「何かしら?」
「いえ、その、嫌がらせを利用して倍返しっていうか……」
「倍返しなどと大げさな」
わたくしは肩をすくめた。
「ちょっとした仕入れ先変更に過ぎませんわよ?」
「言い方の問題ではないと思います」
◇
とはいえ、新航路の立ち上げは、口で言うほど簡単ではありません。
船を一隻買うか借りるか。船員を集める。航路の安全確認。天候と季節のリスク。港の出入り枠。
レオンが、現実的な懸念を口にした。
「アメリア。ライシア東岸小港は、今まで大きな商船を受け入れたことがほとんどない。水深や岸壁の強度、倉庫の容量……調べないといけません」
「ええ。ですから、今すぐ全部ではなく、小さめの船から始めるのですわ」
わたくしは、地図の海岸線を指でなぞった。
「最初は、前王国の検問で渋滞している荷の中から、腐りにくいものだけを回す。穀物、塩、干物、布」
「生鮮は?」
「まだですわ。安全に運べると確信できるまで、実験しない勇気も必要ですもの」
ユリウスが、少し驚いたように目を丸くした。
「アメリア様が、実験しない勇気なんて言うなんて」
「失礼ですわね。わたくしだって、何でもかんでも試せばいいとは思っておりませんのよ?」
「そうなんですか?」
「当然ですわ。昔、新税を同時に三つも試したら、老財務卿に三日三晩叱られましたもの」
「……そんなことが」
「一つずつにしろ。影響を見てから次を決めろ。と」
懐かしくも苦い記憶ですわ。
「だから、今回は一つずつ。前王国検問回避ルートという料理を、一皿ずつ味見してから増やします」
◇
午後、バルドと一緒に、港の端に停泊している小さな船を見に行った。
「こいつなら、浅瀬でもある程度動ける」
バルドが、船体をぽんと叩く。
「積める量は少ねえが、そのぶん小回りは利く。嵐が続かなきゃ、東岸の小港くらいまでなら何とかなるだろう」
「船主は?」
「知り合いの小商会の親父さんだ。王都港の枠がきつくなってきたってボヤいてた」
「好都合ですわ」
わたくしは、船の甲板を見上げた。
「王都港の枠がきつくなっているなら、ご苦楽シティと東岸小港の枠を広げて差し上げればよろしい」
「枠商売だな」
バルドが、ニヤリと笑う。
「向こうが締めれば、こっちが広げる。嫌いじゃねえ」
「わたくしもですわ」
◇
その晩、執務室でレオンと向かい合う。
「……正直に言いますとね、アメリア」
「何かしら?」
「今日のあなたを見て、ちょっと怖いと思いました」
「まあ。あなたまで?」
ユリウスだけでなく、レオンまでそんなことを言うなんて。
「前王国の嫌がらせを、前王国を迂回する新航路で返す。その発想は、僕の中にはありませんでした」
「そうかしら?」
「僕なら、王都に苦情を上げるとか、外交ルートで抗議するとか、そういう発想になります」
レオンは、少し肩をすくめた。
「殴られたら、上に報告。規則の枠内で解決しようとする。役人の悪い癖です」
「悪いとは限りませんわ。役人の仕事としては、正しい一手でしょう」
わたくしは、微笑んだ。
「でも、自由都市の財務卿としては、それだけでは足りませんの」
「……別の枠を作る」
「ええ。殴られた場所から、一歩横にずれる」
扇で机の上の駒を軽く弾く。
「そこでは殴れない場所を、自分たちで作る。それができるのは、新しい店の特権ですわ」
レオンは、しばらく黙ってから、ふっと笑った。
「やっぱり、あなたと仕事をしていると退屈しませんね」
「退屈は人生最大の損失ですもの」
わたくしたちの間に、少しだけ、以前よりも柔らかい空気が流れた気がした。
◇
夜。
窓の外の海は、静かに光っていた。
遠くに見える前王国側の灯りは、相変わらずまばらだ。
「……嫌がらせその一は、始まったばかり、ですわね」
囁くように呟いて、窓を閉める。
ご苦楽シティという店に、また一つ新しい裏口ができようとしている。
さてさて。次に殴ってくるのは、どの皿かしら。




