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第22話 子どもたちの教室を開きますわ

午前の窓口がひと段落した頃、役所の前で奇妙な光景を目にしましたの。


 子どもが三人、預かり所の張り紙をじーっと見上げている。


「いち、にい、さん……?」


「ひゃくって、どのくらい?」


「知らね。いっぱいってことだろ?」


 ……不安しかありませんわね。


「ユリウス」


「はい?」


「あの子たち、預かり所に強盗を企てているようには見えませんわよね?」


「見えませんけど!? どんな発想ですか」


「では、ただの数字迷子ということですわ。どちらにせよ、放置はできませんわね」



 預かり所に入ると、ちょうどラルスが、荷役オルガンと一緒に大声で数を数えているところでした。


「いーち、にー、さーん……じゅう!」


「おう、きょうは十枚だな!」


 子どもたちは、その様子を口をあけて見ていました。


「あ、アメリア様」


 ラルスが慌てて背筋を伸ばします。


「ちゃんと、声に出して数えるをやってます!」


「聞こえておりますわ。元気がよろしいようで」


 わたくしは、入口近くの子どもたちに目を向けました。


「あなた方、何をそんなに真剣に見ていらして?」


 一番小柄な子が、びくっと肩を跳ねさせる。


「え……あの、ね。これ、なんて書いてあるのか、気になって」


 指さしたのは、手数料表の板札。


『金貨一枚につき 預け入れ・引き出し 手数料 銅貨二枚』


「ふむ。なんて書いてあるかが気になるのに、読めない、と」


「…………はい」


 素直さは評価いたしますわ。


「名前は?」


「リオ。魚屋の手伝い、してます」


 他の二人も、おずおずと名乗りました。


「サラ。干し魚屋」「トム。荷運び」


 いずれも、この街でよく見かける顔ですわね。


「字は?」


 三人とも、そろって首を横に振りました。


「数は?」


「ひとつ、ふたつ、みっつ……までは」


 トムが、どこか誇らしげに言います。かわいらしい自慢ですこと。


「十の次は?」


「……いっぱい」


 なるほど。予想どおりですわ。


「セバスチャン」


「はい。想定どおり三名でございますな」


「ええ。そろそろ潮時ですわね」


 わたくしは、扇で板札を軽く叩きました。


「読み書き計算のできない客は、カモにされますわ」


「かも?」


 リオが首を傾げる。


「ええ。ごく自然に損をさせられる側に、という意味ですわ」


 ユリウスが、少し眉をひそめました。


「アメリア様、ちょっと言い方が……」


「事実を柔らかく包んでも、損は減りませんもの」


 わたくしは、くるりと振り返りました。


「――そろそろ、ご苦楽シティに教室を開きますわ」



 午後、役所の一角を片づけ始めると、ユリウスが慌てて駆け寄ってきました。


「アメリア様、本当にここを教室にするんですか?」


「ここだけでは狭いですわ。広場脇の空き部屋も使います」


 書類の山を一部セバスチャンに押しつけ(重要な仕事ですわよ?)、机と椅子をいくつか並べ替える。


 壁には、板を打ち付けて「読み書き・計算教室 受講料無料(ただし真面目に受けること)」と大きく書かせました。


「無料って書いちゃっていいんですか?」


 ユリウスが、おそるおそる尋ねます。


「今はですわ。今は。将来は、少しばかりの月謝と、この街に税を払っている者の子は半額にいたします」


「最初から言うんですね、そういうことを」


「当然ですわ。タダだと思われると、勉強させてやっているという顔をされますもの」


 レオンが、肩をすくめました。


「教育も投資ですね」


「そう。街が払う先行投資ですわ。読み書き計算のできる子どもは、十年後には帳簿が読める大人になりますもの」


 ヘルマン殿が、珍しく口元をほころばせた。


「良いですね。帳簿が読める大人」


「嬉しそうですね、ヘルマンさん」


「数字の読める仲間は、多いに越したことはありませんから」



「でも、先生は誰が?」


 ユリウスの質問に、わたくしはさらりと答えました。


「あなたと、ヘルマン殿と、セバスチャンですわ」


「えっ」


 三人同時に固まる。実に見事なハーモニーですわ。


「な、なぜ僕が……!」


「あなた、この半年で一番、数字の怖さと便利さを身にしみて学んだ顔をしてますもの。経験者に語っていただくのが一番ですわ」


「顔で選ばれた……」


「ヘルマン殿は、数字の読み方。セバスチャンは、商売で使う計算。あなたは、実際に仕事でどう困るかを話しなさいな」


 ヘルマン殿は、軽くうなずいた。


「構いません。昔、若手官吏向けの研修を任されたこともありますし」


「わたくしは、先生としては評判がよろしくなかったですからな」


 セバスチャンが肩を竦める。


「分からん奴は置いていく方針でございまして」


「それはちょっと困りますね」


 ユリウスが青ざめる。


「ご安心なさい。子ども相手には、もう少し手加減していただきますわ」


「……努力はいたしましょう」



 子ども教室の開講を告知すると、初日から十人ほどが集まりました。


 先ほどのリオたちに加え、パン屋の子、鍛冶屋の見習い、移住者の子どもたち。


 そして、端のほうに、こっそり座る大人が二人。


「……おや」


 わたくしが目を留めると、女主人マリー(皮なめし工房のほうの)が視線を逸らした。


「なに、子どもに付き添いですの?」


「う、うるさいね。あたしだって、字くらい読めたほうがいいだろ」


「素直でよろしい」


 もう一人は、先日、財布ノートを渡されたオルガンだ。


「で、オルガン殿は?」


「お、俺は……その、数字とか、いっぱいとちょっとしか言えねえから……」


「ええ、知っておりますわ。座っていなさい」


 こういう素直な大人も、嫌いではありませんわ。



 最初の授業は、ヘルマン殿からだった。


 板に、大きく数字を書いていく。


「これは、いち。これは、に。これは、じゅう」


 子どもたちの目が、きらきらしている。


「ひとつ、ふたつ、みっつという数え方もありますが、一、二、三という書き方を覚えておくと、帳簿を読むときに楽になります」


「ちょうぼって?」


 リオが手を挙げた。


「商人の人たちが、今日、何をいくつ売って、いくら儲かったかを書いておくノートです」


 ユリウスが横から補足する。


「これをつけておかないと、儲かった気がしたけど、お金は残ってないってことになるんだよ」


「なったんですね、ユリウスさんは」


 わたくしが茶々を入れると、子どもたちがくすくす笑った。


「な、なりかけただけです!」



 二つ目の授業は、セバスチャンだ。


 机の上に、小さな木の駒を並べる。


「この駒が、パンだと思ってご覧なさい。一つ銅貨二枚」


「お腹が空きますわね、その授業」


「黙って聞きなさい、お嬢様」


 老執事は淡々と続ける。


「パンを五つ買うと、いくらだ?」


「ええと……十枚?」


 トムが首をひねりながら答える。


「そうです。では、友だちと二人で分ける場合、一人いくつずつだ?」


「……二つずつと、あとひとつ」


「その、あとひとつは、どうする?」


「けんかになる」


 即答したのは、マリーだった。


「妹とよくやったよ。どっちが多いって」


「けんかになる、は正しい答えですが、商売の場ではあまりよろしくないですな」


 セバスチャンは微かに笑った。


「ぴったり割れる数にする工夫を覚えると、喧嘩も減ります。四つだけ買う、六つにする」


 子どもたちが、真剣な顔で頷いた。


「こういう、ちょっとした工夫で、損をしないようにする的な話を、今後もいたします」


「……大人向けにも、やったほうが良さそうですわね」


 わたくしが小声で呟くと、オルガンが肩をすくめた。


「聞かれてますよ、それ」



 最後に、ユリウスの番だ。


 なぜか、彼が一番緊張していた。


「え、ええと……僕は、数字を間違えると、どれだけ怒られるかのお話をします」


「自虐から入るんですの?」


「だって、事実ですし!」


 子どもたちがくすくす笑い、大人たちもどこか和んだ。


「でもね、怒られたあとで、なにがいけなかったかをちゃんと直すと、次はあまり怒られません」


「ふーん」


「ひとつもふたつも、数え方が分かっていれば怖くない。分からないままにしておくと、どんどん怖くなる」


 彼は、黒板の隅に小さく、赤字と黒字の字を書いた。


「この二つ、どっちがいいかは、分かる?」


「黒!」


 即答したのは、リオだ。魚屋の子どもらしい。


「どうして?」


「だって、赤はマグロのとこで、黒はイカのとこだから」


 ……比喩が漁師町ですわね。


「黒は、財布にちゃんと残ってるほう。赤は、本当はないお金を使ってるほう」


「赤はこわいんだな」


 トムが、真剣な顔で言った。


「こわいけど、見ないふりをするともっとこわくなる」


 ユリウスは、微笑んだ。


「だから、この教室では、こわい赤も、こわくないようにするための話をします」


 ――おや。


 なかなか良いことを言うではありませんの。


 わたくしは、少しだけ見直しましたわ。



 授業が終わる頃には、子どもたちの顔は少し疲れながらも、どこか誇らしげだった。


「いち、に、さん……」


 リオが、板の数字を指でなぞりながら復唱している。


「パン、にこ、なら……銅貨、よんまい」


 トムが、指で数えながら呟いている。


「赤は、こわい」


 サラが、ぽつりと言った。


「でも、見ればこわくない”んでしょ?」


「そう。それが大事ですわ」


 わたくしは、そっと頭を撫でた。


「見ない赤字が一番怖いのですもの」



 片づけの途中、ユリウスがため息をついた。


「……疲れました」


「お疲れさまでしたわ。なかなか良い先生顔でしたわよ?」


「ほんとですか?」


「ほんとに怒られた経験が滲み出ていて、説得力がありましたもの」


「……褒められてる気がしない」


 レオンが笑った。


「でも、子どもたち、ちゃんと聞いてましたよ」


「ええ。大人も、ですわね」


 隅で黙っていたマリーが、小さく手を挙げた。


「字の教え方は、もう少しゆっくり頼むよ。あたし、半分ついていけなかった」


「素直でよろしい」


 オルガンは、ノートらしき紙を握りしめていた。


「きょうのぎゅうきん:きんかさんまい、ごうかじゅうごまい」


「“牛金”ではありませんわ。“給金”ですのよ」


「ひぃっ」


 まあ、最初の一歩はこんなものですわね。



 夕刻、ヘルマン殿が、新しい帳簿を机の上に置いた。


「これは?」


「教室出席簿です」


 表紙には、子ども教室出席台帳と書かれている。


「誰がどの日に来て、どこまで覚えたかを記録しておきます」


「まあ。さすが元・歳入局、記録がお好きですこと」


「習慣ですので」


 レオンが、感心したように頷いた。


「これがあれば、十年後にこの街の読み書き率も見えるわけですね」


「ええ。それに、この子たちの中から、誰をどこで拾うかも見えてきますわ」


 わたくしは、出席簿の最初のページに目を落とした。


リオ、サラ、トム、オルガン、マリー。


「この中から、十年後に預かり所の係になっている子がいるかもしれませんわね」


「あるいは、財務卿とか」


 レオンが軽口を叩いた。


「そのときは、わたくしが隠居してふかふかベッドに寝転ぶ係になりますわ」


「そんな係はありません」


 ユリウスの即ツッコミが、今日も冴えております。



 ご苦楽シティに、子ども教室という新しい皿が一つ。


 さて。この子たちがどんな料理になってくれるのか、楽しみですわね。

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