表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/63

第20話 数字で見る二つの国 【ユリウス視点】

ご苦楽シティに来て、もうどのくらい経っただろう。


 日付の感覚は、だんだん曖昧になってきたけれど――代わりに、帳簿のページ数だけは、はっきり増えている。


 僕は、今日もアメリア様の執務室で、机一杯に帳簿を広げていた。


「ユリウス。その山は、そろそろ整理の段階に入りませんこと?」


 窓辺で紅茶を飲んでいたアメリア様が、ひらひらと扇でこちらをさした。


「は、はい。あの、その、整理っていうのは……」


「この半年で、この街がどう変わったか。数字でざっくり見せられるようにしなさい、ということですわ」


「ざ、ざっくり……」


 ざっくり、なんて言っているが、机の上に積まれているのは港記録、市場記録、預かり所の帳簿、移住者台帳――ざっくり、という単語から一番遠いものたちだ。


「アメリア様、ご自分でやろうとは……」


「嫌ですわ」


 即答だった。


「わたくしは方針決定という重要任務に専念いたします。数字を並べるのは、優秀な部下にお任せですわ」


「……僕、最近、“優秀な部下”って便利な言い換えじゃないかと思い始めてきました」


「気のせいですわ。さあ、総集編を書きなさいな。あなたの筆で」


 総集編。


 そう、この街での出来事を、数字で振り返る役目が、僕に回ってきたらしい。


 僕は深呼吸をして、ペンを取った。



 まず、港。


 僕は、港の出入り記録の束から、最初の頃のページをめくった。


 アメリア様が来て、自由都市構想が始まったばかりの頃。


「入港船、週に二〜三隻。荷主は、バルド商会と、あとは名もない行商船がぽつぽつ」


 それが、今。


「最近は、一日に平均二〜三隻。多い日は五隻。荷主も、前王国・ライシア・他国の小商会が混ざってる」


 横から、ヘルマン殿が覗き込んできた。


「増えましたね。数字にすると、よく分かる」


「はい。単純な数で言えば、入港回数は三倍以上、です」


 穀物、魚、塩、油、布、革。


 最初は穀物と魚がほとんどだったのが、今は加工前の原料と一緒に、加工された品も混じるようになっていた。


「ここ、燻製魚と干し肉って……」


「先日、加工工房を始めたヘンドリック殿たちの分ですな」


 セバスチャンが、茶を運びながら答える。


「原料で出て行くだけだったものが、ここで一度加工されてから出ていくようになりましたな」


「つまり、この街での付加価値が、少し増えている」


「そういうことでございますな」


 港の数字は、僕にも分かりやすく右肩上がりだった。


 でも――


「祖国のほうは、どうでしょうか」


 レオンさんの声に、僕は手を止めた。



 執務室の別の机には、「前王国」から回ってきた公表資料が積まれている。


 アメリア様とレオンさんが、たまにそれを見ながら、眉間に皺を寄せているのを、僕は何度も見てきた。


「前に見せていただいた内債の資料、もう一度拝見していいですか」


「どうぞ」


 レオンさんから紙束を受け取り、広げる。


 王国年次財政報告。


 そこには、去年と今年の歳入・歳出・内債発行額が並んでいた。


「歳入は……ほぼ横ばい。歳出は、じわりと増加」


 そして。


「内債発行額が、前年の倍」


 数字だけ見れば、それだけだ。


 でも、数字の横に、前回アメリア様が書き込んだ注釈が残っている。


『三年で、税収の三割が利払いに消えるペース』


『軍・官吏・民への支払いのどれかが、削られる未来』


 今、それがどこまで進んでいるのか。


 ――知ってしまった。



 数日前、前王国の知り合いから、こっそりと手紙が来たのだ。


 歳入局時代の先輩。


 小心者で、世渡りだけは上手いと思っていた人が、震える文字でこう書いてきた。


『内債が、本気で売れなくなっています』


『利率を上げても、買い手が増えません』


『軍への給金が、ひと月遅れました』


『地方の役所への送金も、半分に減らされました』


『王太子殿下とリリアーナ様は、今が辛抱のときだ。民の負担を軽くするために、神は見ていてくださると』


 僕は、その手紙を読んだ夜、なかなか眠れなかった。


「ユリウス」


 アメリア様の声が飛んで、現実に引き戻された。


「あなた、難しい顔がますます板についてきましたわね」


「す、すみません」


「謝るところではありませんわ。顔の筋肉も訓練次第でどうにかなりますもの」


「ええと、その励まし方はどうなんでしょう……」


 思わずツッコミながら、僕は手紙を机の端にそっと置いた。


 アメリア様とレオンさんは、すでに内容を知っている。


 手紙が届いた夜、二人は黙って数字を計算して、そして静かにため息をついていたから。


「本当に、始まったって感じですね」


 思わず、口から出ていた。


「何が?」


「祖国の、崩れ方が、です」


 アメリア様は、少しだけ目を細めた。


「あなたの口から、そういう言い方が出てくるようになりましたのね」


「……嫌な意味で、ですけど」


「嫌な意味でも、現実ですわ」


 アメリア様は、器用にペンを回しながら続ける。


「内債が売れない。利率を上げる。利払いが増える。歳出を削る。削り方を間違えれば、最初に困るのは兵と官吏と地方」


「僕の先輩は、まさに地方の官吏で……」


「そうでしょうね」


 レオンさんが、紙束から目を上げた。


「王都に近ければ近いほど、最後まで守られる可能性は上がります。逆に、離れれば離れるほど、真っ先に切り捨てられる」


「でも、そこで税を集めているのは、地方の官吏たちで……」


「ええ」


 アメリア様は、あっさりと言った。


「税を集める人の生活を危うくするのですもの。取りこぼしが増えるに決まっていますわ」


「……」


 数字で見ると、祖国は確かに沈んでいる。


 今のところはゆっくり。でも、確実に。



 一方で。


 ご苦楽シティの数字は、やっぱり浮かんでいる。


 移住者台帳。


 最初のページには、ヘルマン殿の名前がある。


『ヘルマン・クライス 前王国歳入局第三課 職:会計・統計』


 そのあとに続くのは――


『元徴税官』『元軍需商人』『靴職人』『皮なめし職人』『未亡人(洗濯・縫製)』『元兵士』……


 名前の横に、小さく書かれた、今この街でしたいこと。


『借金を返したい』『子どもをここで育てたい』『いつか自分の店を持ちたい』


 ページをめくるたびに、その行が増えていく。


「……これ、全部、誰かがこの街に賭けた未来なんですよね」


 ぼそっとこぼした言葉に、ヘルマン殿が頷いた。


「そうですね。祖国で先がないと感じた者たちの、もう一度の場所でもあります」


「ヘルマンさんは、今、祖国に戻りたいと思いますか?」


 自分でも、少し驚く質問が口から出た。


 ヘルマン殿は、しばらく窓の外を見てから、ゆっくり首を横に振った。


「今のままなら、戻りたいとは思いません」


「今のままなら?」


「誰かが、数字を数字として扱えるようになれば。王太子殿下が、紙の上の都合ではなく現実の数字を見るようになれば。――そのときは、手伝いたいと思うかもしれません」


 ヘルマン殿の目には、まだ祖国への未練が、かすかに残っているように見えた。


 それは、きっとアメリア様も同じだ。


 彼女は、祖国の話をするとき、いつも楽しそうではないが、完全に興味を失っているわけでもない。


 むしろ、どう崩れていくのかを冷静に観察している。


「ユリウス」


「はい」


「あなたは、どうですの?」


「どう、とは」


「いつか祖国に戻りたいと思います?」


 アメリア様の問いに、僕は言葉を失った。


 考えたことが、なかった。


 正確には――考えるのが怖くて、避けていた。


「正直に答えなさい」


 アメリア様は、いつものように逃げ道を塞いでくる。


「こう答えたほうが良さそうとかは、いりませんわよ」


「……分かりました」


 僕は、一度だけ深呼吸をしてから、言った。


「今は、戻りたいとは思いません」


 アメリア様の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


「理由を」


「祖国の数字を見ると、怖いからです」


 と、気づいたら続けていた。


「内債が増えて、給金が遅れて、税が重くなって。現場にいる人が、一番最初に潰れるのを、僕は歳入局で見てきました」


 地方出張のとき、疲れた顔の徴税官たちが、「上からは取れと言われ、下からは絞るなと言われ」と苦笑していたのを思い出す。


「今、そこに戻ったら……きっと、前よりもっと責任だけ増えた現場になります」


「ええ。おそらく」


「それに――」


 僕は、机の上のもう一冊の帳簿に目を落とした。


 ご苦楽シティ預かり所の帳簿。


 そこには、誰がいつ、いくら預けたかが、びっしりと記録されている。


「ここでは、預かり所のミスも、荷役の財布のいい加減さも、その場でみんなで確認して、直せる。それが、すごく、安心します」


「安心」


「はい。祖国の歳入局では、上の指示だからで数字をいじることがあって、それでも、これは正しいことだって言い聞かせないと仕事が続けられなかった」


 声が、少し震えた。


「でも、ここでは――」


 アメリア様は、数字を数字として扱ってくれる。


 ミスをしたらちゃんと怒られるけれど、それはミスを認めたあとでどうするかのための怒りだ。


 誰かの機嫌のための怒りじゃない。


「ここでは、赤字は赤字と言っていい。それが、すごく楽なんです」


 レオンさんが、静かに頷いた。


「それは、大事なことですね」


「ですから」


 僕は、ようやく言葉を締めくくった。


「今は、この街に賭けたいと思っています」


 ご苦楽シティに、だ。


 祖国が沈みつつあるのを知ったうえで、僕はこの小さな港町に、自分の時間と労力を使いたいと思っている。



 夜。


 アメリア様は、窓辺で帳簿をぱらぱらとめくっていた。


「で。まとめはできまして?」


「はい。一応、この半年のご苦楽シティと祖国の比較を、簡単に」


 僕は、自分で作った一覧表を差し出した。


 左に「ご苦楽シティ」、右に「前王国」。


・港の入港回数 : 二倍→三倍に増加 / 微増〜頭打ち

・移住者数   : 毎月じわじわ増加 / 公表なし(“流出”は噂で)

・内債     : 発行なし     / 発行額・利率とも増加

・軍・官吏給与 : 支払い滞りなし  / 一部遅配発生

・税制     : 三年低税+記録重視/ 人気取り減税と増税の繰り返し


「ざっくりですが」


「ええ、十分ですわ」


 アメリア様は、満足そうに頷いた。


「こうして並べてみると、どちらに長くいたほうが、ご飯に困らなさそうかは、一目瞭然ですもの」


「ご飯基準なんですね、やっぱり」


「最重要指標ですわよ」


 レオンさんが笑う。


「あなたらしいですね」


「ところで、ユリウス」


「はい」


「この一覧表、たいへんよくできておりますわ」


「ほんとですか?」


「ええ。ですから――」


 アメリア様は、さらりと言った。


「明日から一週間、これをもとに子ども教室で講義をしなさい」


「えっ」


「数字がわからないと、どれだけ損をするか。――あなたの言葉で、子どもたちに話して差し上げなさいな」


「ちょ、ちょっと待ってください、僕が、ですか!?」


「当然ですわ。わたくしがやると、議論が白熱しすぎて子どもが泣く可能性が高いですもの」


「自覚あったんですね……」


「もちろん。ですから、少しは徳のありそうなあなたの出番ですわ」


「徳ってなんですか、徳って」


 思わず頭を抱えたけれど、そのとき、少しだけ胸が温かくなっているのに気づいた。


 アメリア様は、僕を、この街で数字を教えられる人間として見てくれている。


 それは――悪くない。



 夜更け。


 一人になってから、僕はもう一度、一覧表を見直した。


 ご苦楽シティと、前王国。


 数字だけ見れば、どちらが未来がありそうかは、もうはっきりしている。


 でも、僕の胸の中には、まだ祖国への複雑な感情が残っていた。


 育ててもらった場所。


 友人たちがいる場所。


 それでも。


「今は、ここに賭ける」


 小さく呟いて、ペンを置いた。


 ご苦楽シティに来た頃、悪役令嬢財務卿なんて、正直怖くて仕方なかった。


 でも今は――


「……この人に、ついていってみたい」


 そう思っている自分がいる。


 数字で見ても、感情で見ても。


 この街と、この人たちの未来が、見てみたいのだ。


 ユリウス・フォン・ノートン。


 ご苦楽シティの一書記官として。


 ――僕はこの街に、しばらく腰を据えることにした。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ