第16話 倉庫が足りませんわ 〜物流拠点への第一歩〜
朝いちばん、港の方角から聞こえてくる怒鳴り声で、嫌な予感がいたしましたの。
「おい、そこはうちの分だって言ってんだろうが!」
「勝手に印もらってんじゃねえ!その倉庫、うちが昨日まで――」
窓を開ければ、潮と麦と鉄の匂いに混じって、喧噪がいつもより一段高い。
「……ユリウス。今日は、いつもよりうるさいですわね」
「は、はい。ええと……ば、バルド商会の便が予定より一本多くて、それから別の商会も……」
机の上の書類を抱えたまま、ユリウスがあたふたしております。眼鏡がまたずり下がっておりますわよ。
「深呼吸なさいな。一度に喋ると、言葉も数字も詰まりますわ」
「す、すみません……。でも、本当に倉庫が――」
「足りていない、と」
わたくしは窓から港を見下ろしました。
桟橋は、ほとんど隙間なく船で埋まっております。バルド商会の中型船が二隻、その向こうに見慣れない帆印の小型船が三隻。荷を積んだ荷車の列が、倉庫街の前で渋滞を起こしていました。
石造りの古い倉庫は、どれも入り口に「満」の札がぶらさがっている。それでも荷主たちは、「あと樽三つくらい押し込めねえか」と叫び合っている始末。
「結構」
思わず、笑みがこぼれました。
「……結構なんですか?」
「ええ。困るくらい客が来たのですもの。これほど嬉しい悲鳴もございませんわ」
とはいえ、悲鳴は悲鳴。放っておけば、荷も商人も他所の港へ逃げてしまいます。
「ジルクは港に?」
「はい。自警団で揉め事を抑えてくれてますけど、どの樽をどの倉庫に入れるかでもめてて……」
「ならば、わたくしたちの出番ですわね」
わたくしは扇を手に取り、立ち上がりました。
「セバスチャン、港で倉庫番をしている者の名簿を。ついでに、空き地の地図も用意なさい」
「すでに、こちらに」
老執事は、何の不思議もなさそうに一枚の紙束を差し出しました。さすがですわね。
「助かりますわ。では――行きますわよ、ユリウス。冷蔵庫整理の時間ですわ」
「れ、冷蔵庫……?」
「この街というレストランで、一番大きな冷蔵庫が倉庫街ですのよ」
◇
港に着くと、想像以上のてんやわんやでした。
「そこは塩漬け肉の樽だ! 魚を積むんじゃねえ!」
「しょうがねえだろ、空いてるのはそこしか――」
「喧嘩はあとにしなさいな。荷が腐りますわよ」
わたくしが割って入ると、怒鳴り合っていた男たちがそろってこちらを振り向きました。
「アメリア様!」
ジルクが汗を拭いながら駆け寄ってきます。
「すみません、どうにもこうにも……。倉庫がどこも一杯だって、みんな押しつけ合いで」
「いいえ。押しつけ合いではなく、押し込み合いですわね」
わたくしは、倉庫の扉のひとつを開けさせました。
中は、確かにぎゅうぎゅう。樽と麻袋が、天井近くまで積み上がっています。けれど――
「……積み方が酷いですわね」
細い通路もなく、種類もバラバラに突っ込まれておりました。
「これでは、荷主ごとにどれがどれだけ、誰のものかさえ怪しくなりますわ」
「い、一応、入り口のほうに印はあるんですが……」
と、近くにいた倉庫番の男が頭を掻きました。
「アメリア様。こんなに荷が増えるとは思ってなかったもんで」
「それは、あなたひとりの罪ではありませんわ。想定が甘かっただけ」
わたくしは港全体を見渡しました。
「問題は三つですわね。倉庫の数が足りない。倉庫の中身が整理されていない。そして、誰がどの分をどれくらい使っているか、はっきりしない」
ユリウスが、慌てて手帳に書き込みます。
「倉庫の数は、すぐには増やせません。建物を立てるには時間がかかりますもの」
しかし――わたくしは地図を開きました。
「空き地なら、ある」
港の少し奥。古い倉庫と倉庫の間に、ぽっかりと使われていない区画がいくつもあります。
「ここを、共同倉庫区画にいたしますわ」
「共同倉庫?」
ジルクが首を傾げます。
「ええ。誰かの倉庫ではなく、ご苦楽シティの倉庫。そこを、荷主ごとに枠として貸し出すのですわ」
わたくしは、周囲の商人たちに聞こえるよう、わざと声を張りました。
「バルド殿は、いらして?」
「おう、ここだ!」
樽の山の向こうから、バルド・グランデル本人が顔を出しました。
「今日は大漁でな。悪いな、アメリア嬢。ちと張り切りすぎたかもしれねえ」
「張り切っていただくのは大歓迎ですわ。ただ――」
わたくしは、彼に歩み寄りました。
「今のままでは、バルド商会の荷も、他の商会の荷も、どこの何がどれだけあるかが分かりません。これでは、積み戻しも売り先への出荷も、無駄が多すぎますわ」
「へえ、確かにな」
「ですので、ご苦楽シティ共同倉庫を作りますの」
「共同倉庫、だと?」
「ええ。港に入る大きな荷は、まずそこに一旦集めていただきます。倉庫の中は区画ごとに番号を振り、荷主ごと・品目ごとにきっちり分ける。その代わり、保管料をいただきますわ」
ざわ、と空気が揺れました。
「ほ、保管料ってことは……今までより高くなるってことか?」
「倉庫使うたびに金取られちゃ、儲けが減っちまうんじゃ……」
あらあら。
「勘違いなさらないで」
わたくしは扇をぱちんと鳴らしました。
「これまで、あなた方は安いが使い勝手の悪い倉庫を使っていたのですのよ」
「……?」
「荷を取り出すたびに探し回り、間違えて別の荷を崩し、積み直しに時間を取られる。積み直しに余計な人手と馬車代を払ってきたでしょう?」
幾人もの顔に、心当たりの色が浮かびました。
「ご苦楽シティ共同倉庫では、出し入れの順番、荷の並べ方まで、わたくしたちが管理しますわ。荷主が多くなるほど効率は上がる。つまり――」
わたくしはバルドを見据えました。
「多少の保管料を払っても、全体のコストは下がる仕組みにいたします」
「……そう来たか」
バルドは、大きく鼻から息を吐きました。
「で、その保管料ってのは、どのくらいだ?」
「積み荷の量と、預ける日数で決めましょう。今まで無料で置きっぱなしにされていた時間分も、きっちりいただきますわ」
「うっ」
どこかで誰かが呻きました。図星ですわね。
「ご安心なさい。無料は終わりですが、ぼったくりにするつもりもございませんわ」
わたくしは、ユリウスに目で合図しました。
「ユリウス。先月までの港の滞在日数と実際の出し入れ回数の記録を」
「は、はいっ!」
彼が慌てて帳簿を繰り、数字を読み上げます。
「ええと……バルド商会さんの穀物樽は、平均滞在日数が五日。実際の出し入れは、その間に二回……。他の商会さんも、だいたい三〜七日ですね」
「それを踏まえまして」
わたくしは、その場にいた商人たちが見えるように、地面に線を引きました。
「一日目は搬入日として無料。二日目から、一樽につき銅貨一枚。十日以上置く場合は、日数に応じて割増」
「一樽、銅貨一枚……?」
と、誰かが呟きます。
「ふん、ちょっと高えんじゃねえか」
「……一樽あたりの儲けが金貨ひとまわりもある荷で、銅貨一枚を惜しみますの?」
わたくしは、わざと不思議そうに首を傾げました。
「銅貨一枚で、荷を探す時間と人足の無駄を削れるのですわよ。商人というものは、そこを投資と呼ぶのではなくて?」
バルドが、がははと笑いました。
「いいぜ。うちは乗った。どうせ今のままじゃ、勝手に自分の荷動かされちまうしな」
「ありがとうございますわ」
「ただし、一つ条件がある」
「条件?」
「共同倉庫の中で、穀物樽の湿気とネズミ対策をちゃんとしてくれ。今のあの倉庫、壁の隙間からネズミが入り放題だ」
「あら、それは……」
セバスチャンが、ため息まじりに頷きました。
「事実でございますな。何年も修繕されておらず、床も緩い。いっそ中身を空にして、一棟ごと手を入れたほうがよろしい」
「ええ。共同倉庫を作るついでに、古い倉庫の一部閉鎖・改修をいたしましょう」
わたくしは、倉庫街の並びを指さしました。
「この三棟を一旦空にして、天井と床をやり直し。代わりに、空き地に仮設共同倉庫を急造しますわ」
「急造、って……どのくらいで?」
「三日」
「み、三日!?」
ユリウスが素っ頓狂な声を上げました。
「アメリア様、さすがにそれは……」
「枠だけなら、三日で足りますわ。四方を板壁で囲い、屋根をかける。中の仕切りは簡易な木枠で十分。どうせ長くても一年以内に本設に建て替えますもの」
わたくしは指を折りました。
「大工を何人、確保できます?」
「港と町内合わせて、十人ほどですな」
セバスチャンが即答します。
「そのうち、五人を共同倉庫に、残り五人を古倉庫の改修に。材料は――」
「その話なら、俺にも一枚噛ませろよ」
いつの間にか近くまで来ていた鍛冶屋の親父が口を挟みました。
「うちで釘と金具を出す。祭りのときに稼がせてもらった礼もあるしな」
「ありがたいお申し出ですわ。“地元優先価格”でお願いできます?」
「へっ。どうせここで飯食ってるんだ。ちょっとは安くしたって潰れやしねえさ」
わたくしは、にっこりと笑いました。
「よろしい。では、今日をもって“共同倉庫構想”を正式に動かしましょう」
ざわめきが、今度は期待の色を帯びて広がりました。
◇
役所に戻ると、すぐに「共同倉庫利用規約案」の作成に取りかかりました。
「ええと……第一条、共同倉庫はご苦楽シティが管理し、荷主に区画を貸し出すものとする」
ユリウスが、ペンを走らせながら読み上げます。
「第二条、保管料は品目と量、日数に応じて別表の通りとする」
「別表はあとでよろしいですわ。品目ごとの回転の早さを見て決めますもの」
わたくしは、港の記録をざっとめくりました。
「腐りやすい生鮮は短期勝負。長く置くなら、きちんと高く取りますわよ」
「はい……。第三条、倉庫区画内の積み方と出し入れの順番は、倉庫管理人の指示に従うこと」
「ただし、荷主が追加の管理料を払えば、優先出し入れも可能と付け加えなさい」
「優先出し入れ……ですか?」
「ええ。急ぎの荷をすぐ出したい方には、その分多く払ってもらえばよろしい。列に割り込むには、金か信用が必要ですの」
ユリウスは、少しだけ苦笑いを浮かべながら書き込みました。
「第四条、倉庫内での無断の積み替え・他人の荷への干渉を禁じる」
「それは特に太字で書きなさい。違反の場合は利用停止も」
「は、はい」
彼が書き進める横で、セバスチャンが静かに口を開きました。
「預かり所との連携も必要になりますな」
「ええ、もちろん」
わたくしは頷きました。
「共同倉庫に入る荷は、預かり所の帳簿にも数字を残しますわ。誰が何を何樽、何袋預けたか。その記録があれば、万が一倉庫で何かあっても、補償の話がしやすい」
「補償まで、考えるんですか?」
「絶対に事故が起きないと約束できるほど、わたくしたちは万能ではありませんもの」
わたくしは、ペン先で帳簿を軽く叩きました。
「だからこそ、何がどれだけあったかの記録だけは、誰よりも正確に握っておきますのよ」
「……なるほど」
レオンが、興味深そうにこちらを見ていました。
「つまり、倉庫と預かり所を合わせて、この街に入るモノとカネの流れを一元的に把握する、というわけですね」
「話が早い方は助かりますわ」
わたくしは、ニヤリと笑いました。
「モノとカネの流れさえ押さえておけば、誰がこの街でどれだけ本気かが見えてきますもの」
「本気、ですか」
「ええ。長く倉庫を借りる者。預かり所にまとまった額を預ける者。彼らは、ご苦楽シティに腰を据える覚悟を決めている証拠ですわ」
レオンは少し黙ってから、小さく頷きました。
「……確かに。それに、そういう本気の客を優先的に守れば、この街の土台も安定する」
「そういうことですわ」
わたくしは、窓の外の港を見やりました。
さっきまでの騒ぎは、少しずつ収まりつつあります。ジルクたちが荷車を誘導し、古い倉庫から順に荷を出し始めているのが見えました。
「アメリア様」
ユリウスが、控えめに声をかけてきました。
「はい?」
「その……こうやって、無料だったものに値段をつけるのって、やっぱり怖くないですか?」
「怖い?」
「だって、今までタダで使えてたものにお金が必要になると、もういいやって思って離れる人もいるんじゃないかって」
わたくしは、少しだけ考えてから答えました。
「離れる人は、離れますわ」
「えっ」
「タダだから使っていた”だけの人は、タダではなくなった瞬間に、もっと安い場所を探しますもの」
ユリウスが、不安そうに眉をひそめました。
「でも、それじゃあ……」
「構いませんわよ」
わたくしは、はっきりと言いました。
「わたくしたちが欲しいのは、この街を使い捨ての踏み台にする人ではなく、この街を育てながら自分も育つ人ですもの」
彼は、はっとしたように目を見開きました。
「……」
「もちろん、最初から全部に値段をつけるのは、わたくしも避けますわ。開店準備中に、お試し無料をしていたのは、そういう意味ですもの」
わたくしは続けました。
「でも、ずっと無料では、いずれ誰かが潰れます。倉庫番か、大工か、この街そのものが」
「だから……今なんですね」
「ええ。少し賑わい始めた今」
窓の外の港では、古い倉庫の前に閉鎖準備の札が掲げられていました。その横で、大工たちが新しい板壁を運んでいます。
「厨房が忙しくなってきたら、冷蔵庫の整理と、仕入れの見直しが必要でしょう?」
わたくしは、ユリウスに微笑みかけました。
「ご苦楽シティという店も、同じですわ」
◇
夕刻。
港の隅に、簡易な四角い建物が骨組みまで立ち上がっておりました。
「三日と言いましたわね、アメリア様」
レオンが、少し呆れたように笑います。
「一日目で骨組みができるなら、三日もあれば中の仕切りまで終わりますわよ」
ジルクたち自警団が、見回りついでに大工に水を運び、大工は汗を拭いながら壁板を打ち付けている。
その光景を眺めながら、バルドがぼそりと呟きました。
「……思ったより、本気だな。あんたら」
「思ったよりとは失礼ですこと」
わたくしは、軽く肩をすくめました。
「でも、そう感じていただけたなら上出来ですわ。ただの安い港ではなく、本気で稼ぐための港だと」
バルドは、にやりと笑いました。
「分かったよ。だったらうちも、本気で荷を回してやる。腹くくってな」
「歓迎いたしますわ。ご苦楽シティ共同倉庫は、腹をくくってくださる方には、いつでも扉を開けておりますもの」
港に、少し冷たい風が吹き抜けました。
遠くで、別の国の港の灯りがかすかに滲んで見えます。
そこから、これからどれだけの荷と人が、この街に流れてくるのか。
想像すると、胸が少し高鳴りました。
「さあ。冷蔵庫は少しずつ整い始めましたわ」
わたくしは、港を一望しながら呟きました。
「次は、厨房を増やしていきませんとね」
ご苦楽シティ、物流拠点への第一歩。
――この店、まだまだ大きくなりますわよ。




