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第15話 ご苦楽シティ、本格オープン宣言ですわ

その日、わたくしは朝から街中を歩き回っておりました。


 港から市場、鍛冶屋通り、酒場の並ぶ横丁、そして新しく整えた広場。


 ――ようやく、並べた皿が埋まりつつありますわね。


「アメリア様、そんなに見回らなくても、自警団が――」


 隣を歩くユリウスが、腕に抱えた書類束を揺らしながら言いました。


「自警団は安全確認が仕事ですわ。わたくしのこれは、出来栄えチェック。料理人が、客を入れる前に皿の盛り付けを確かめるのと同じですのよ」


「料理人……」


「この街という名のレストラン、今日はいよいよ本格オープンですもの」


 わたくしは、広場の中央に立ち、ぐるりと見渡しました。


 石畳の上には、色とりどりの布で飾られた屋台が並び、簡素ながら花の飾りが風に揺れています。市場祭り――ご苦楽シティ本格オープン記念祭のために、皆に少しだけ無理をしてもらいましたの。


 「麦と陽だまりのパン屋」は、店先から溢れるほどの籠を用意している。新しくできた鍛冶屋は、磨いた包丁や釘をきれいに並べ、子ども向けの小さなおもちゃの剣まで用意している。


 安宿は、一階を簡易食堂に模様替えして、薄いが香りの良いスープを大鍋で煮込んでいる。酒場は昼から水で割った安酒と、祭り用のおつまみを大皿に山盛り。


 そして――


「アメリア様、腕章の具合はどうで?」


 胸を張って駆け寄ってきたのは、我らが自警団の若き団長ジルク。


 腕には赤茶の布で作った簡易な腕章。そこに、ご苦楽シティの紋章をあしらった布切れを縫い付けてあります。


「似合っておりますわよ。ようやく、うちの店のホール係らしくなってきましたわ」


「ホール……?」


「客席を見回って、揉め事があればすぐに駆けつける。あなた方の仕事は、店で言えばホール係ですわ。料理を運ぶのは商人や職人。お会計を見るのは役所。あなた方は、気持ちよく飲み食いできる空気を守る係」


「ほう……。難しそうだが、悪くねえ響きだな」


 ジルクはにやりと笑い、腕章を叩きました。


「団の連中も、これつけるとちょっと気が引き締まるって言ってます。ありがとうございます」


「礼は、きちんと役目を果たしてからになさいな」


 わたくしは、広場の端に目をやりました。


 そこには、簡単な木の台――即席の演台が組まれており、その前に人々がぽつりぽつりと集まり始めております。


「レオンは?」


「さっき、預かり所のほうを見て回ってました。もうすぐ――」


 ちょうどそのとき、背後から涼やかな声がしました。


「お待たせしました。準備は大体、整いましたよ」


 振り返れば、青いマントを肩にかけたレオンが立っておりました。いつもの文官服に、今日は少しだけ金糸の刺繍があしらわれています。


「まあ。今日は少しよそ行きですのね」


「一応、開店記念日ですから。あなたも、そのドレスは――」


「本棚の奥から引っ張り出してまいりましたの。どうかしら?」


 わたくしは、くるりと一回転してみせました。


 王都時代ほど派手ではありませんけれど、上質な紺色の布に、銀の糸でさりげなく波と麦の模様を刺したドレス。ご苦楽シティの色、というわけにはまだいきませんけれど、港町らしさくらいは意識しましたのよ。


「とても、似合っています」


 レオンは、ほんの一瞬だけ目を細めてから、いつもの真面目な顔に戻りました。


「では――そろそろ始めましょうか」



 広場に人が集まりきるまで、そう時間はかかりませんでした。


 港から帰ってきた荷役たち、店先にひと段落ついた商人や職人、子どもたち。簡易宿の住人に、移住希望者らしき見慣れない顔もちらほら。


 役所の窓口を一時的に閉めて、ユリウスやヘルマン殿、それにセバスチャンも前の方に出てきております。


 わたくしは、演台の端に立ち、人々のざわめきを耳に収めました。


「こんなに集まったの、初めてじゃねえか?」


「本当にオープン宣言なんてするのかね」


「税が変わるんじゃねえだろうな……」


 ふふ。心配性なこと。


「静粛に」


 レオンが一歩前に出て、声を張りました。人々の視線が、一斉にこちらへ向きます。


「本日は、お忙しい中、こうしてお集まりいただき、ありがとうございます」


 彼は、少しだけ緊張した面持ちで続けました。


「私はライシア王国宰相補佐、レオン・ハルトマン。このご苦楽シティの設立に関わった者のひとりです」


 ざわ、と小さな波が走りました。未だに「王都の偉い人」がここにいるのが、半信半疑の者も多いのでしょう。


「この港町が、ただの寂れた港から、税の安い自由都市へと変わりつつあるのを、皆さんは肌で感じておられると思います」


 レオンは、広場の端から端まで、ゆっくりと視線を滑らせました。


「新しい店ができ、人が増え、荷も増えた。そのぶん、仕事も増え、面倒ごとも増えました」


 そこに、くすりと笑いが起こる。


「ですが――それは、この街が生きている証拠です」


 レオンの声に、少し熱がこもりました。


「ライシア王都は、このご苦楽シティをただの港のひとつとしてではなく、新しい稼ぎ方を試す場所として見ています。だからこそ、税の権限を任せ、この街独自の仕組みづくりを、アメリア殿に託しました」


 視線が、自然とわたくしに集まりました。


「本日をもって――この街をご苦楽シティとして、正式に本格オープンといたします」


 ざわめきが、ひときわ大きくなりました。


「これから先、この街はもっと賑やかになります。もっと忙しくなります。そしてきっと、問題も増えます」


 レオンは、少しだけ笑いました。


「ですが、そのたびに皆さんと一緒に考え、決めていきたいと思っています。どうすれば、もっと稼げるか。どうすれば、もっと暮らしやすくなるか」


 一拍置いてから、彼は振り返り、わたくしに視線を投げました。


「あとは、この街の財務卿殿に、お任せします」


「まあ。人聞きの悪い」


 わたくしは、軽く肩をすくめながら前へ出ました。


 広場の空気が、ぴんと張り詰めます。


「皆さま」


 扇を開き、軽く掲げました。


「ようこそ、ご苦楽シティへ」


 いくつもの瞬きが、一斉に走る。


「わたくしは、アメリア・フォン・ラグランジュ。この街の税と帳簿と、少しばかりの面倒ごとを引き受けている者ですわ」


 まずは、素直に名乗るところから。


「本格オープンなどと言われても、皆さまにはいつもと何が違うんだと思われるかもしれませんわね」


 笑いが、ぽつぽつと起こります。


「税がいきなり上がるわけではございません。出店料が急に三倍になるわけでもございません」


 それでほっとする顔が、何人も見えました。


「では、何が変わるのか」


 わたくしは、ひとつ指を立てました。


「覚悟が変わりますわ」


「覚悟……?」


 誰かが呟きました。


「今までは、試しに店を出してみようか。様子を見てから決めようか。という方も、多かったでしょう。船も荷も、ついでに寄ってみたものがほとんど」


 港を眺める船乗りたちが、少しばつの悪そうな顔をする。


「ですが、これからは――」


 わたくしは、広場を見渡しました。


「ここで店を構える方には、ご苦楽シティの住人として覚悟を決めていただきます」


 ユリウスが、わずかに背筋を伸ばしました。ヘルマン殿も、真剣な目でこちらを見ています。


「税を納める覚悟。記録を残す覚悟。揉め事が起きたとき、誰かではなく、自分も一緒に解決に動く覚悟」


 ジルクたち自警団が、腕章にそっと手を触れました。


「ご苦楽シティは、安い税を餌に楽をしたい人を集めるつもりはありませんの。よく働き、よく稼ぎ、よく食べてよく眠りたい人を歓迎する街ですわ」


 その言葉に、どこからともなく笑い声が起こりました。腹の底から、というほどではありませんけれど、悪くない反応。


「今日のこの祭りは、その最初の乾杯ですの」


 わたくしは、広場に並ぶ屋台と店先を指し示しました。


「パン屋は、いつもより少し凝ったパンを。鍛冶屋は、いつもより光る包丁を。宿屋と酒場は、いつもより少しだけ贅沢な一皿を」


 皆が、誇らしげな顔をしました。ええ、ちゃんと用意してくださっておりますもの。


「もちろん、祭りだから赤字でいいとは申しませんわ。きちんと儲けてくださいませ」


 笑いが広がる。


「そのために、今日は市場税と屋台の出店料を、一日分だけ半分にいたします。その代わり――」


 わたくしは、扇を閉じて、ぐっと掲げました。


「今日、この場でご苦楽シティに腰を据えると決めた方。後で役所のテントにいらして、本格オープン住民登録をなさいませ」


 広場の隅に、簡易テントが立っている。机と椅子が並び、住民登録受付と書かれた板がぶらさがっております。


「名前と、今の仕事と、これからここで何をしたいか。三つだけ、書いていただきます」


 ユリウスが、緊張と興奮が入り混じった顔で、台帳を抱えて立っているのが見えました。


「その代わり――」


 わたくしは、もう一度広場を見渡しました。


「本格オープン登録をしてくださった方には、三つの約束をいたします」


 人々の視線が、わずかに鋭くなる。


「ひとつ。三年間、税を約束以上に上げない」


「ふたつ。この街で稼いだ金を、この街のために使う」


「みっつ。問題が起きたとき、数字と話し合いでまず解決を試みる」


 その三つを、ひとつひとつ噛み締めるように言葉にしました。


「血を見る前に、帳簿を開く。それが、この街の流儀ですわ」


 静かなざわめきが広がっていきます。


「もちろん、いまの暮らしを続けつつ、様子見をなさる方を責めるつもりはありません。ただ――」


 わたくしは、ほんの少しだけ意地悪く笑いました。


「一番おいしい料理は、最初に注文した方から運ばれますのよ」


 広場のあちこちから、ふっと笑いが漏れました。


 わたくしは、そこでようやく息を吐きます。


「以上。長々と、失礼いたしましたわ」


 演台から一歩下がりかけたとき、ふと思い出して、もう一度だけ前に出ました。


「ああ、そうでした」


 扇で、預かり所のほうを指し示します。


「最近始めました、預かり所も本日限り、預け入れの手数料を半分にいたします。稼いだ金を抱えて眠るのが怖い方は、ぜひそちらもご利用くださいませ」


 それを聞いた誰かが、思わず叫びました。


「お、おい! だったら昼のうちに一回出して、また預け直したほうが得じゃねえか!」


「考えることは皆同じですわね。まあ、今日はそれでも結構。明日からは、きちんと通常料金に戻しますもの」


 笑い声が、今度こそ本当に広場を満たしました。



 スピーチが終わると、あとはもう祭りです。


 音楽好きの若者たちが、簡易な笛と太鼓で陽気な曲を奏で始め、子どもたちがその回りを跳ね回る。


 麦と陽だまりの店主が、焼き立てのパンをかごごと抱えて通りを練り歩き、「本日限定! 干し果物二倍入り!」と叫ぶ。鍛冶屋は、包丁の刃で光を跳ね返しながら、「今日だけ研ぎ一回サービスだ!」と呼び込む。


 酒場の前には、早くも昼間から酔いが回り始めた船乗りたちが、笑い声を上げていた。


 広場の端、役所テントの前には、ぽつぽつと列ができ始めています。


「本格オープン住民登録、お願いします」


 最初に声をかけてきたのは、“麦と陽だまり”の店主でした。


「ここで店を続けたいって気持ちは、前から決めてましたから」


「ようこそ、正式な常連へ」


 ユリウスが笑顔で台帳を開き、ペンを差し出す。


「次の方どうぞ」


 鍛冶屋の親方、簡易宿の女主人、酒場の親父、港で働く荷役たち。顔見知りばかりの名が、一行一行と台帳に刻まれていきます。


 ヘルマン殿は、その横で目を細めていました。


「……いいものですね」


「何がですの?」


「ここで何をしたいかという欄です」


 彼は、書き込まれていく文字を見ながら言いました。


「借金を返したい。子どもをこの街で育てたい。いつか自分の店を持ちたい……。いろいろありますが、どれも、この街で生きる前提の言葉だ」


「ええ。その前提を、きちんと数字にして残しておくのが、わたくしたちの仕事ですわ」


 わたくしは、台帳を覗き込みながら答えました。


 ページの端には、さっそく何人もの名前が並んでいます。


 ――これでようやく、店の扉がきちんと開いた、というところですわね。



 夕刻。


 日が傾き、港の水面が金色に染まり始めた頃、わたくしはレオンと並んで広場の端に立っていました。


 屋台の灯りがぽつぽつとともり、笑い声と歌声が、波音に混じって街を包んでいる。


「……にぎやかになりましたね」


 レオンがぽつりと言いました。


「ええ。ようやく、客席に人が入ってきた感じですわ」


 わたくしは、広場の光景を眺めながら言いました。


「でも、まだ満席ではありませんわよ」


「そうですね。空き地も、空き家も、まだまだ多い」


「ええ。厨房も足りませんし、メニューも少ない。人手も資金も、やるべきことも山ほど」


 けれど――。


「それでも、開店していない店よりは、ずっと良い」


 レオンが、静かに微笑みました。


「あなたは、本当にこの街を店として見ているんですね」


「店ほど正直なものはありませんもの。美味しければ客は来るし、不味ければ離れる。高ければ払える範囲までしか使ってもらえない」


 そして、とわたくしは続けました。


「サービスを良くすれば、また来てくれる。それだけですわ」


 レオンは、しばし黙ってから、ふと真面目な顔になりました。


「アメリア」


「何かしら?」


「この街はあなたにとって、何ですか」


 少し、意外な質問でした。


「何、とは?」


「復讐の手段とか、避難先とか、おもちゃ箱とか。あなたはいろいろな言い方をしてきましたけど」


 レオンは、視線を広場に向けたまま続けました。


「今日、あらためて思ったんです。あなたは、たぶん自分の居場所をここに作ろうとしているんだと」


「……」


 居場所。


 王都では、わたくしの居場所は“帳簿の上”にしかなかった。


 宴の場でも、舞踏会でも、誰も本気でこの国をどう回すかを語らなかった。


 ここでは――


「そうですわね」


 わたくしは、少しだけ息を吸いました。


「この街は、きっとわたくしの店であり、わたくしの家”であり、わたくしの机でもありますわ」


 レオンが、こちらを見ました。


「ですから、あなたも勝手に倒産させないでくださいませね、宰相補佐殿」


「僕、ですか?」


「ええ。あなたが潰れたら、この店の看板がひとつ減りますもの」


 レオンは、一瞬だけ驚いた顔をして――小さく笑いました。


「それは困りますね。じゃあ、せいぜい長生きして、この店の行く末を見届けるとしましょう」


「お願いですわ」


 波の音と笑い声の中で、ほんのわずかに、心が軽くなるのを感じました。



 夜。


 祭りの喧噪が少し落ち着いた頃、わたくしは役所の執務室で、静かに帳簿を開きました。


「本格オープン登録者数、第一日目……四十七名」


 ユリウスが読み上げます。


「内訳は、商人十二、職人九、港湾労働者十三、宿・飲食関係八、自警団・雑役五」


「悪くありませんわね。初日としては上々ですわ」


「はい。みんな、これからここで何をしたいかを、真剣な顔で書いてました」


 ユリウスは、少し目を潤ませながら言いました。


「なんだか、本当に街が動き出したって感じがして……」


「ええ。ようやく、スタートラインですのよ」


 わたくしは、最後の一行を書き込み、ペンを置きました。


 ご苦楽シティ、本格オープン。


 これでようやく、店の扉が開きましたわ。


 ――さて。次は。


 わたくしは、窓の外の夜空を見上げました。


 遠く、国境の向こうには、まだ火の手の見えない暗闇が広がっている。


 その向こうの祖国で、財政の火は確実に燃え広がっているはず。


「次は、満席にする準備ですわね」


 呟きが、静かな部屋に溶けていきました。


 ご苦楽シティの巨大なレストランは、今、ようやく扉を開けたばかり。


 さて。ここから先は、もっと忙しく、もっと騒がしくなりますわよ。

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