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第14話 祖国からの見学者たち 〜ようこそ、ご苦楽シティへ〜

朝の港は、妙によそ行き顔をしておりましたわ。


 潮と麦と、鉄と……それに、香水。


「……ユリウス。今日は、風向きが少し違いますわね」


「え? あの、潮風の話ですよね?」


「ええ。陸側から、妙な匂いが混ざってきておりますもの」


 わたくしは窓辺から目を細めました。


 港へ続く石畳の道を、見慣れない一団が進んで来ております。


 上等な布をこれ見よがしに使った外套。金糸の刺繍。荷物は従者に持たせ、自分たちは日傘と扇だけ。


 その後ろに、粗末ながら頑丈そうな荷車を引いた商人たちが数名。


 ええ、見覚えのある絵面ですわ。


「前王国からの一行ですわね。商人団と……ついでに、貴族」


「ついで、なんですか」


「ええ。あの程度の家紋では、主役にはなりえませんもの」


 扇をぱちりと開きながら、わたくしは踵を返しました。


「ジルクに港の出迎えを頼んでありますわ。わたくしたちは、少し時間をおいてから、ご案内に参りましょう」


「すぐには行かないんですか?」


「ええ。わたくしたちが忙しいという演出も、時には大事ですのよ」


 追われる店より、待たせる店のほうが、よく繁盛しているように見えますでしょう?



 少し間を置いてから、役所を出て港に向かうと、ちょうど良い具合に場が温まっておりました。


「こちらが、例の自由都市というところかね」


「ふん……思ったよりは、人の気配があるが。まだまだ田舎町の域を出ん」


「しかし、税が安いとなれば話は別でしてな。わたくしどもとしては、ぜひ条件を――」


 ジルクが、苦笑いを浮かべながらその間に立っております。


 その前にいるのは、ふくよかな体をぎゅうぎゅうに詰め込んだ濃紺の上着に、やたら目立つ金の飾りをつけた男。そして、その脇に、帳簿らしき革張りの冊子を抱えた小太りの商人たち。


 ふくよかな男の胸元には、小さな銀の紋章。


 ――あらまあ。


「これはこれは。お懐かしいお顔ですこと」


 わたくしが声をかけると、男はわずかに振り返り、目を細めました。


「……誰かと思えば。ラグランジュ公爵家のご令嬢ではないか」


「ご紹介にあずかりましたのに、もう元でございますわ。今はただのアメリアとお呼びくださいませ、オルテンシア子爵」


 そう、彼は前王国でも中堅どころの貴族、オルテンシア子爵。


 商会をいくつか抱え、港町の利権をちまちまと食い散らかしていた、あの方ですわ。


「ふん。追放された身に、いまさら公爵令嬢を名乗る資格はあるまいな」


 子爵は、鼻で笑いました。


「それで? こんな辺境で、小銭を数える仕事がお気に召しているのかね」


「ええ。毎日とっても充実しておりますのよ。小銭も積もれば国ひとつくらい買えますもの」


「なに?」


「いえ、独り言ですわ」


 さらりと受け流してから、わたくしは子爵の後ろに控える商人たちに視線を向けました。


「そして、そちらが前王国からお越しの商人団の皆さま、ですわね?」


「は、はっ。○○商会のローデンと申します。こちらは××商会、△△商会の――」


 彼らは慌てて頭を下げました。子爵と違い、目つきに緊張と好奇心が混じっておりますわ。


「ようこそ、ご苦楽シティへ。わたくしは、この街の財務と雑事を担当しております、アメリア・フォン・ラグランジュと申します」


 一応、正式な肩書きも言っておきませんとね。


「財務と雑事……ずいぶんと安売りしているのだな」


 子爵が嘲るように笑いました。


「王太子殿下の婚約者の座を追われて、行きついた先がこんな小さな港町とは。人の運命とは、実にわからぬものだ」


「本当に。人の運命は、わかりませんことよ」


 わたくしは微笑みました。


「まさか、王都の華やかな舞踏会で威張っておられたオルテンシア子爵が、国境の小さな港町までお越しになる日が来るなんて、当時は夢にも思いませんでしたもの」


「……」


 子爵の額に、一瞬だけピクリと青筋が浮かびました。ええ、気のせいではありませんわね。


 その空気を読み取ったのか、レオンが一歩前に出ました。


「皆さま、ようこそ。我がライシア王国公認自由都市、ご苦楽シティへ」


 レオンは実に丁寧に一礼し、柔らかい笑みを浮かべました。


「私は宰相補佐、レオン・ハルトマン。この都市計画の責任者のひとりです。本日は、視察と取引先調査とのこと、お手数をおかけいたします」


「ライシアの……宰相補佐?」


 子爵が、わずかに目を見開きました。


「こんな場所になぜ、そのような者が」


「こんな場所だからこそ、ですわ」


 わたくしが代わりに答えました。


「ここはまだ、真っ白な帳簿のようなものですもの。どの項目にどんな数字を書き込むか、最初が肝心ですわ」


 子爵は鼻を鳴らしました。


「ふん……。まあいい。わざわざ足を運んでやったのだ。どの程度のものか、見せてもらおう」


「喜んで」


 わたくしは、扇をひらりと振りました。


「ではまず、港と倉庫、それから市場を。ジルク、自警団から数名を案内役に回しなさいな」


「へい!」


 ジルクは、子爵一行の後ろにつきながら、ちらりとこちらを振り返りました。目が「……大丈夫ですかね、アメリア様」と言っておりますわ。


 大丈夫ですわよ。むしろ、ここからが本番ですもの。



 最初の案内は、港。


 桟橋では、ちょうどバルド商会の船が荷を下ろしているところでした。


「おう、アメリア嬢!」


 バルド本人がこちらに気づき、片手を上げます。


「今日はいつもより、派手な客を連れてるじゃねえか」


「ええ。見学者ですの。港の賑わいを、ぜひご覧いただきたくて」


 わたくしが答えると、子爵はバルドを頭からつま先まで値踏みするように眺めました。


「……あれは」


「ライシアと前王国の間を行き来する穀物商ですわ。ご苦楽シティ設立前から、このあたりで活動していらした方。今では、この港の常連客ですのよ」


「常連客、ね」


 子爵の唇が、軽く歪みました。


「大したことのない顔ぶれだな。うちの港でも見かけるような連中ばかりだ」


「ええ。今はそうかもしれませんわね」


 わたくしはさらりと受け流します。


「ご覧くださいませ。こちらが、当港の関税と港湾使用料の一覧ですわ」


 ユリウスが、用意しておいた板張りの表を広げました。


「船の大きさと積み荷の種類で、だいたいこのくらいの額に」


「ふむ」


 子爵は、表を一瞥しただけで鼻を鳴らします。


「いくらか安いようだが、大した差ではないな。うちの港と同じように、書類の山と待ち時間で帳尻を合わせているのだろう」


「まあ、ひどい」


 わたくしは、ひとつ大げさに肩をすくめました。


「オルテンシア子爵。あなた、本当にこの港をご覧になっていらっしゃいますの?」


「何?」


「書類の山も、待ち時間も、ここにはございませんわよ」


 わたくしは、荷役場の窓口を指さしました。


 木のカウンターの前には、数人の商人が列を作っていますが、その列はさくさくと進んでおります。窓口には、ジルクの弟分である真面目そうな若者と、ヘルマン殿から数字講義を受けたばかりの係が、手際よく印を押していました。


「うちの港では、三枚の書類で足りるようにしてありますの」


「三枚だけ、ですか?」


 商人の一人が驚いて口を挟みました。子爵の一行の誰かでしょう。


「はい。船の情報、積み荷の種類と量、支払い方法。この三つが分かれば、税も使用料も計算できますもの」


 ユリウスが補足します。


「前王国だと、誰と誰が紹介しているか。とか、過去にどこで何を仕入れたか。とか、王都の貴族との縁故。とか、山ほど書かされるんですが……」


「それは税ではなく、派閥のメモですわね」


 わたくしは、さらりと言い切りました。


「ご苦楽シティで大事なのは、何をどれだけ運び込むか。と、いくら払うか。だけ。誰と仲が良いかは、税率には関係ありませんの」


 商人たちの目が、一斉に輝きました。


「それは……ありがたい」


「うちみたいな田舎商会でも、条件は同じってことですか」


「もちろんですわ。出す金と売る品が同じなら、貴族でも行商でも、同じ列に並んでいただきます」


 子爵の顔が、わずかに引きつりました。


「貴族を、平民と同じ列に?」


「ええ。ここは自由都市ですもの」


 わたくしは、にこりとしました。


「もちろん、貴族の方々に特別扱いをしないわけではありませんわよ」


「ほう?」


「たっぷりとお金をお持ちでしょうから、より高価なサービスをご用意しておりますの」


 たとえば、とわたくしは指を折りました。


「港の倉庫の最も安全で便利な場所を借りられる上客枠とか。街の中心近くに、広い屋敷を構えられる特別区画とか」


「それはつまり……高い金を払えば、ということか」


「ええ。貴族であること自体は、何の割引にもなりませんわ。割増になる場合はございますけれど」


 子爵は、ぐっと言葉を飲み込みました。その肩越しに見える商人たちの顔が、一瞬だけ緩みます。



 次は市場。


 朝よりも人が増え、通りには屋台と露店がぎっしり。先日決めたばかりの抽選制一等地には、見栄えの良い看板と派手な売り声が並んでいます。


「ここが……あの市場ですか」


 商人のひとりが、感嘆の声を漏らしました。


「あの、とは?」


「前王国でも噂になっておりまして。税が安いだけでなく、市場の場所取りや価格競争が妙にうまく回っていると」


「妙に、とは失礼ですこと」


 わたくしは笑いながら、広場の中央に掲げられた板を指し示しました。


 そこには、簡潔な文字で市場のルールが書かれております。


「一等地は抽選。出店料は三段階。談合禁止。日替わりセール歓迎……ふむ」


 ヘルマン殿がそっと近づき、板を読み上げました。


「かなり分かりやすいですね。これなら、字が読めない者にも口頭で説明しやすい」


「ヘルマン殿、補足説明を」


「はい」


 彼は、子爵一行に向き直りました。


「通りに面した一等地は、出店料三倍。その代わり、人通りは他の三倍以上。固定枠は一・五倍。安い枠はそのまま。前からこの街で店を出していた者には、一度だけ抽選に無料で参加できる優先券を」


「……そんなことをすれば、古参が怒るのではないかね」


 子爵が眉をひそめます。


「ええ。最初は少し、不満もありました」


 ヘルマン殿は、さらりと言いました。


「ですが、抽選で一等地を引き当てた古参の魚屋が、その日の売り上げを見て言ったんですよ。三倍払っても、悪くねえな。と」


 周囲から、くすりと笑いが漏れました。


「一等地に立つ覚悟と腕のある者は、喜んで三倍を払う。そうでない者は、安い枠で自分なりの工夫をする。どちらも自分で選べるようにしてあります」


 わたくしは追加しました。


「そして、選んだ結果は、税と帳簿にきっちり記録されますわ。頑張っても損をする仕組みほど、商人を腐らせるものはありませんもの」


 商人たちの表情が、目に見えて変わりました。


「……なるほど」


「うちの港でも、こういう仕組みがあれば」


「だが」


 そこで子爵が口を挟みました。


「いくら仕組みを整えようと、この程度の規模なら、まだ遊び場のようなものだ。真に金が集まるのは、王都だよ」


 ええ、そう来ると思っておりましたわ。


「もちろん、王都の規模にはまだ遠く及びませんわ」


 わたくしは素直に認めました。


「ですが――」


 そこで、わざと少し声を落とします。


「王都の金が、いつまで今の王都に集まり続けるかしら」


「何?」


「いえ、独り言ですわ。おや、あちらをご覧になって」


 わたくしは、広場の端を指さしました。


 そこには、最近出来たばかりの小さな看板。


『ご苦楽シティ預かり所 預ける・受け取る・支払う お気軽にどうぞ』


 その窓口には、数人の商人が列を作り、証票らしき紙を受け取っております。


「あれは?」


「最近始めたばかりの簡易預かり所ですわ。金貨や銀貨を預けていただく代わりに、この街の中だけで使える証票を発行しておりますの」


「銀行、のようなものか」


「ええ。規模は小さいですけれど」


 レオンが補足しました。


「安全と便利さを、少しずつ商品にしているところです。皆さんも、視察のついでに、いくらか預けてみてはいかがです?」


「ば、馬鹿を言うな」


 子爵が即座に拒絶しました。


「こんな、いつ潰れるとも知れぬ小さな港町に、我が家の金を預けろと?」


「いつ潰れるとも知れない、ですって?」


 わたくしは、目を細めました。


「まあ。そう思っていらっしゃるなら、どうぞそのままお帰りになっても構いませんのよ」


「……何だと?」


「ご心配なく。ご苦楽シティは、お金を預けたい方を優先してお迎えいたしますもの。預けたら逃げられそうだと疑っている方の金など、こちらもお断りですわ」


 空気が、少しだけ張り詰めました。


 商人たちが、子爵とわたくしたちの間で視線を揺らします。


「アメリア」


 レオンが、小さな声で囁きました。


「挑発しすぎでは?」


「ええ。少し辛口すぎましたかしら」


 まあ、たまにはスパイスも必要ですもの。



 案内はその後も続きました。


 簡易宿――ヘルマン殿が一時的に滞在している建物を見せ、鍛冶屋とパン屋と酒場を回り、自警団の詰所ものぞかせます。


 そのたびに、わたくしは「彼らが絶対に聞きたがる情報」だけを、丁寧に選んで差し出しました。


 たとえば――


「この街の税率は?」


 と聞かれれば、


「三年間はほとんど税を取らない代わりに、固定資産と売上の記録だけはきっちり取らせていただきますわ。その後は、記録を元に無理のない範囲で丁寧に上げていきます」


 と答えます。


「いま、この街の人口は?」


 と問われれば、


「公式には千数百。ですが、港に出入りする者や、短期滞在者まで含めれば、もっと多いでしょうね」


 と、わざと曖昧に。


「この投資は、どこまでライシア王国が出しているのか」


 と探られれば、


「ライシアからの初期投資は、港の整備と自警団の装備、それから最低限の役所建物まで。あとは、ほとんどご苦楽シティの収入で回しております」


 と、自立している印象だけを強調する。


 逆に、こちらが聞きたいことは、さりげなく会話の端々に紛れ込ませます。


「王都の景気はいかがですの?」


「最近、港の荷は増えております? それとも、減って?」


「内債の売れ行きは。あら、難しい話でしたかしら。最近、王国が国民から借りているお金の紙のことですわ」


 子爵は、わざとらしく大きく笑いました。


「そんな細かいこと、私が知るものか。財務卿どもが勝手にやっておる」


 ですが、後ろにいた商人のひとりが、ぽろりと漏らします。


「最近は、内債を買ってくれる連中も減ってきまして……。利回りがよくなってくれりゃいいんですが」


「ほう?」


 レオンが、興味深そうに眉を上げました。


「利回りを上げれば、利払いも増えますね。財務省は、何か手を打って?」


「さあ。詳しいことは……」


 商人は慌てて口をつぐみましたが、もう十分ですわ。


 内債が売れなくなり、利率を上げざるをえない。つまり、前王国の財政の火は、確実に大きくなっている。


 老財務卿、お困りでしょうねえ。



 日が傾き始める頃、一行は再び港へ戻ってきました。


「本日はお忙しい中、案内いただき、ありがとうございました」


 ローデンと名乗った商人が、深々と頭を下げます。


「とんでもございませんわ。こちらこそ、遠路はるばるお越しいただき、感謝いたします」


 わたくしも、にこやかに礼を返します。


「この街はまだ、ようやく扉を開けたところ。ご覧いただいた通り、空き地も問題も山ほどございます」


「しかし……」


 ローデンは、少し迷ってから言いました。


「正直、驚きました。税も安いですが、それ以上に扱いが早い」


「書類も、手続きも、値段の決まり方も、すべてどうすれば分かりやすいかで決めているように見えました」


 別の商人が続けます。


「うちの港で同じことをしようとしたら、前例がないって一蹴されますよ」


「でしたら、その前例を、ここで稼いでからお持ち帰りになればよろしいですわ」


 わたくしは、さらりと言いました。


「前王国の港を動かすのは大変でしょう? でしたらまず、動かせる場所で試して、儲かった数字をお土産に帰ればいい」


 商人たちの目が、一斉に輝きました。


「……なるほど」


「そりゃ、確かに説得しやすい」


「もちろん、最初から大きな荷をすべてこちらに、とは申しませんわ。五分の一でも、一割でも。実験のつもりで回してみてくださいませ」


 そう、最初の一人さえ捕まえれば、あとは雪だるま。


 そこへ、子爵が水を差しました。


「おい、貴様ら」


 彼は、不機嫌そうに商人たちを睨みつけます。


「このような成り上がりの港に、そうそう大事な荷を回されては困るぞ。我が国の港の税収にも影響が出る」


「も、もちろん、その、そこは慎重に――」


 商人たちが、慌てて口を濁しました。


 ええ。ここが、彼らの立場の難しいところ。


 しかし――わたくしは、あえて一歩、前に出ました。


「オルテンシア子爵」


「何だ」


「本日は、前王国からの視察団として、お越しくださいましたのよね」


「そうだ」


「でしたらぜひ、国へお戻りになったあと、正確な報告を書いてくださいませ」


「……正確な、報告?」


「ええ。ご苦楽シティは、想像よりは賑わっていたが、まだまだ小さな港である」


 子爵の眉がぴくりと動きました。


「税は安いが、取引額はまだ少ない。今すぐ脅威になる規模ではない」


「……」


「だが、商人たちがここでは稼げそうだ。と口々に言っていた」


 そこで、わたくしはにこりと笑いました。


「どうぞ、そのあたりを盛らずにお書きくださいな」


 子爵は、何かを悟ったように、目を細めました。


「……貴様」


「貴様ではありませんわ。悪役令嬢財務卿とお呼びくださいませ」


 わたくしは、あえて肩をすくめてみせました。


「前王国がこの街を脅威ではないと判断してくれるなら、それはそれで結構。本気で潰しに来るのは、もう少し後でしょうし」


「そして、その頃には――」


 レオンが、静かに言葉を継ぎました。


「この街は、もっと大きく、もっと稼げる港になっている。そういうことですね」


「ええ。準備期間は長いほど助かりますもの」


 子爵の表情からは、怒りとも警戒ともつかぬ色が消えませんでしたが、やがてふんと鼻を鳴らしました。


「好きに言っているがいい。私は王都に戻り、見たままを報告するだけだ」


「ぜひ、そうなさってくださいませ」


 商人たちは、そのやり取りを聞きながら、どこか複雑そうな顔をしておりました。


 ですが、その目の奥には――はっきりと、計算と期待が宿っております。


 ええ、見えていますわよ。



 一行が乗ってきた馬車が、街道の向こうに小さくなっていくのを見届けてから、レオンがため息をつきました。


「……なかなか、疲れる相手でしたね」


「そうかしら? 程よい運動でしたわ」


 わたくしは扇で首元に風を送りながら、港を振り返りました。


「どうでした? 視察の結果は」


「彼らがどう受け取ったか、ですか」


 レオンは、少しだけ考え込みました。


「子爵は、まだ脅威ではないと高をくくっている。商人たちは、ここは本当に稼げそうだと内心思いながらも、すぐには大きく動けない」


「ええ。わたくしの目にも、そう映りましたわ」


「そして、前王国の内債は、やはり売れ行きが悪く、利回りを上げざるをえない。つまり、財政は前に聞いていた以上に、じわじわと追い詰められている」


「じわじわというのが、実に美味しいですわね」


 急な崩壊より、ゆっくりと煮詰まっていく方が、素材の味もよく出ますもの。


「アメリア様」


 隣で黙っていたユリウスが、そっと口を開きました。


「さっきの、正確な報告を書いてくださいって言葉……」


「あら、気になりました?」


「はい。あれってつまり――」


「こちらにとって都合の悪いところも、隠さなくていいですよ。という意味ですわ」


 わたくしは、さらりと答えました。


「ご苦楽シティの税が安いことも、手続きが早いことも、商人たちが好意的なことも。全部、隠さなくていい。むしろ、しっかり書いていただきたいのです」


「そんなことをしたら、余計に警戒されるんじゃ……」


「ええ。ですから、まだ脅威ではないという一文も、きちんと添えていただきたい」


 ユリウスは、ようやく合点がいったらしく、目を見開きました。


「……今はまだ小さいが、将来は分からない。だから、今のうちに軽んじておこうって、思わせる?」


「ええ。警戒心を過小評価に誘導しておけば、そのぶんこちらは自由に動けますもの」


 レオンが、半ば呆れたように笑いました。


「あなたと仕事をしていると、やはり退屈する暇がありませんね」


「退屈は人生最大の損失ですもの」


 わたくしは、再び港と市場を見渡しました。


 今日一日で、この街はまた少し、外に対して顔を売った。


 前王国の商人たちの帳簿にも、ご苦楽シティという名が、確かに書き込まれた。


 そこから先をどう動かすかは――もう、彼ら次第ですわ。


「さあ。今日の記録をまとめておきましょう」


 わたくしは踵を返しました。


「ユリウス、視察団応対記録を一冊、作りなさい。誰が何を見て、何を聞きたがり、何を口にしたか。できるだけ正確に」


「は、はい!」


「情報戦は、こちらの記録から始まりますのよ」


 ご苦楽シティと前王国の間で、静かな情報戦が、今まさに幕を開けましたわ。


 ――さあ、次は本格オープンの準備ですわね。

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