第41話 そしてその時は
「何の音かしら?」
けだるげな女の声がした。
ここは後宮にある館の一室。大きな窓からは丁寧に手入れをされた庭が見える。そこに競うように咲き誇っているのは大輪のバラだ。日の光を浴びて、誇らしげにこちらを向いていた。
「花火の音ですよ。ロレンシア様」
ワゴンを押しながら現れたのは一人の侍女だ。
「ミーナ、いたのね」
声を聞いただけで相手が分かったのか、ロレンシアはそちらを向こうともしない。窓の外を退屈そうに眺め、ほんの少し視線を上にした。抜けるような青空には雲一つなく、花火の音と言う割にはその空に煙の一つも見えなかった。
「祝いの花火は城の中庭で打ち上げるそうですよ」
ロレンシアが何を探しているのか察したのか、聞かれてもいないのにミーナが答えた。
「午後のお薬です」
ガラス製のポットには、茶葉が広がり踊る様に舞っている。それを美しいと思うのか、まずそうだと思うのかはその味を知っている者だけが思い浮かべる感想だろう。
「魔石で何とかならないの?」
「無理ですよ。ロレンシア様は大量に血を流されて、処置があと少し遅れたら死んでいたんですから」
そんな物騒なことを口にしながら、ミーナはカップに茶を注ぐ。
「造血効果のある薬茶ですから。残さず飲んでくださいね」
見るからにおいしくはなさそうな色をしたお茶は、美しい白磁のカップに注がれた。いつの間にかにロレンシアの前には細長いテーブルが出されていた。そこに慣れた手つきでミーナはカップを置いた。その隣には干した果物が乗せられた小さな皿があった。
「またこれ?」
不満そうな声を出し、それでもけだるい表情のままロレンシアは干した果物を口に運ぶ。この干した果物も造血効果があるといって、毎日午後の薬茶と一緒に出されるのだ。なんとも味気のないお茶の時間に、最初ロレンシアは癇癪を起したが、思うように動かない身体に初めて怯えた。カップを投げつけてやろうとしたのに、手に力が入らなかったのだ。あの時の恐怖と、無表情に自分を見つめるミーナの瞳が恐ろしかった。なぜ自分がこのようなことになってしまったのか、まるで思い出せなかったからだ。どうしていいのかわからず、そうなっているのかもわからないまま、ロレンシアは目の前にいる侍女ミーナの言うことに従ったのだ。ミーナの出す食事を食べ、薬を素直に飲んだ。そうしないとミーナが何もしてくれないからだ。ずっと誰かにかしずかれ、ずっと誰かの世話になることに慣れ切っていたロレンシアにっとって、世話をされないということは恐怖だった。
「それを食べないと夕食は上げられません」
ミーナは冷たい顔でそう告げる。だからロレンシアは仕方なく干した果物を口に運ぶ。べつにまずいわけではない。かんたんに言えば飽きたのだ。この一年、毎日食べ続けている。薬茶もそうだ。こんなに毎日同じものを食べ続けるなんて、以前のロレンシアには考えられないことである。
「わかってるわよ。それくらい」
干した果物を口にして、薬茶を流し込む。そうすると口の中で干した果物の甘みが薬茶のまずさをごまかしてくれるのだ。ロレンシアは変わり映えのしない青空を眺めながら薬茶を一気に飲み干した。憧れだったアインホルン王国の空は、なんと遠くになってしまったことか。
「ところで、それはなあぁに?」
カップを片付けるミーナにそれとなく聞いてみる。ガラスのケースに納められている白い物体。丸い形がかわいらしいが、なぜ故ガラスケースに大切に納められているのだろうか。そんなに大切な物には見えないが、何となく見覚えがないこともない。
「あら、お忘れですか?」
ミーナはなにやら楽し気に返事をした。それを聞いてロレンシアは若干眉根を寄せたが、反論するような言葉も何も見つからない。
「祝い菓子ですよ」
「祝い菓子……」
言われた言葉を口の中で反芻してみるが、まったくもって頭の中で何一つ情報が合致しない。
「ああ、今日の分ではありませんよ」
ミーナは違う方向に気が付いたらしく、慌てておかしな訂正をしてきた。
「今日?」
言われてロレンシアはふと空を見上げた。確か、花火が上がったと聞いたのに、綺麗な青空にはそれらしき煙など見当たらなかった。
「あら?もうお忘れですか?」
「忘れてなんかいないわ」
ロレンシアはほんの少し機嫌が悪くなったようだが、ミーナはまるで気にしてなどいない。
「そちらはアインホルン王国国王陛下アルベルト様が番を得た祝いのお菓子にございます」
「番……ああ、オメガね」
ロレンシアは思い出した。だがしかし、それは霞がかった記憶の向こうに見え隠れしている。
「本当に、馬鹿なロレンシア様」
そう言ってミーナはロレンシアのいる寝台のふちに腰かけた。
「お忘れですか?その祝い菓子をもって他の侍女たちが国に帰ってしまったことを」
「…………」
「寵姫だったレイミー様がめでたく側室となった祝いに後宮の侍女たちに特別給付金があったのですが、ここにいた侍女たちがレイミー様に直訴したんですよ。そうしたら、レイミー様は二つ返事で許可をくれたんです。祝い菓子をもって国に帰っていいって。おかげでここには私しかいないんですよ。思い出しましたか?」
ミーナにそう言われ、ロレンシアはおぼろげに思い出した。
「ここは、後宮?いつ?だって、私……」
ロレンシアは驚いてミーナを見た。
「ああ、ロレンシア様は移動の際眠っていらっしゃいましたものね。覚えていないのも無理はありませんわね。お忘れですか?ロレンシア様は恐れ多くもオメガのまねごとをしたんですよ?」
「……そうね」
「オメガのまねごとをしたのに、何もお勉強しなかったんですものね。身近にオメガの方がいらしたでしょうになぜ何も教わらなかったのでしょう?少しでも知識があればこんなことにはならなかったでしょうに」
ミーナは行儀悪く足を組み、そうして意地悪そうな笑みを浮かべた。
「本日の祝いの花火は五発。つまり生まれたのはアルファなんですって。オメガだったら三発なんだそうです。なんで生まれたてなのに第二性がわかるかご存じですか?判定の魔石があるからです。たいていの貴族、まして王族なら生まれてすぐに第二性を判定するのは世界の常識です。それにね、ロレンシア様、アルファとオメガの間には絶対にベータは生まれないんですよ?」
ミーナに言われ、ロレンシアは今更ながらに驚いた。だが、声には出さないし、顔にも出さない。
「不思議ですね。どうしてロレンシア様はベータなんでしょう?お父様はアルファで、お兄様方もアルファなのに。ねぇ」
ロレンシアは何も答えられなかった。答えられないことがすなわち肯定なのだ。
「あの日、ロレンシア様はオメガの発情期を偽造してアルファの国王を寝所に招き入れましたでしょ?本命の番とやっていた国王陛下は興奮状態のままロレンシア様の寝所にやってきました。そして、番うための行為として、ロレンシア様に己のモノを突っ込み、胎内に吐き出して項を噛んだのです。興奮状態のアルファですから、加減がなかったのでしょうね。ロレンシア様の噛まれた項からは出血が止まらず興奮したアルファのモノを突っ込まれた下半身は大惨事。慌てて呼びつけた医師が処置を施したものの、出血量が多すぎてロレンシア様は一か月ほど意識が戻りませんでした。ようやく意識を取り戻されたロレンシア様、ですが容態はよろしくなく、今に至る。というわけなんですけど、思い出されました?」
もちろんロレンシアは思い出した。だがしかし、発情期の偽造を提案したのは目の前にいるミーナなのだ。もちろん、アルファの国王アルベルトの妃となりたくてそれにのっかったのは紛れもなくロレンシアなのではあるが。
「でもご安心ください。世間は疑ってなどいません。アルファは番のオメガを大切に囲いたいのです。大切に奥にしまって、誰の目にもさらしたくないんですって、わかりますか?ロレンシア様が後宮の奥深くに隠れて出てこなくても、誰も疑わないどころか、それがアルファの当たり前なんです」
「そう」
短く答え、ロレンシアは視界の端にある祝い菓子を改めて見た。
「どうして、それが私のところにもあるのかしら?」
なんとなく覚えている。あの砂糖の塊のような祝い菓子は、アルファが番を得た時に祝いとして周りに配るもので、番となったオメガと共に食べるものでもある。自分は番になれていないのに。
「いやだわ、ロレンシア様。さっきの話聞いていました?ロレンシア様は国王陛下の妃、そして発情期を迎えて番となってこの後宮に入られたのですよ?」
「……そう、だったわね」
そうしてそっと指先で項を探れば、ぼこぼことしたものに触れた。
「抜糸は済んでいますからご安心ください」
そう言ってミーナはロレンシアの髪をひと房持った。
「ロレンシア様のお世話は私が責任をもってずーっとしますから、ご安心くださいね」
その残虐な微笑みにロレンシアの心臓が締め付けられる。なぜあの時自分はオメガだと言ってしまったのだろう。遠くから聞こえる赤子の泣き声に、ロレンシアはほんの少しだけ後悔したのだった。
「陛下、陛下」
生まれた赤子を胸に抱き。レイミーは駆けつけた国王陛下アルベルトを手招きした。
「どうした?」
世継ぎが生れた喜びで胸がいっぱいなアルベルトは、言われるままにレイミーの傍に来た。
「見てください。僕の胸から母乳が出るんです。すごいんですよ」
そういってレイミーは自分の手のひらに母乳を出して見せた。手のひらのくぼみに薄い白い液体が溜まる。
「ちょっと甘いんです。陛下も舐めてみてください」
そういって手のひらを押し付けられて、アルベルトはレイミーの手のひらをぺろりと舐めた。本音は直接飲みたいのだが。
「うむ。確かに甘いな」
アルベルトがそう感想を口にした途端、レイミーの腕の中の赤子が泣き出した。
「えええ、もうお腹が空いたの?さっき飲んだばかりなのに」
レイミーはおぼつかない手つきで腕の中にいる赤子の口にそっと先端を含ませた。途端、赤子は嬉しそうに吸い付いたのだが、見えないはずのその目がアルベルトを見ていた。もちろん、そんなことレイミーは気がついてはいない。生まれた赤子はアルファだと判定の魔石が示している。だが、そんなことなどせずとも、アルファの国王アルベルトは一目見た瞬間に我が子がアルファだと悟っていた。そして、これから長い年月オメガのレイミーをはさんで熾烈な父子の争いが勃発することもわかってしまった。
「うわぁ、すごい吸い付き。お腹が空いてたんだね。いっぱい飲んでね」
レイミーがそう声をかければ、赤子は嬉しそうに吸い付いた。平らなレイミーの胸に吸い付く赤子の姿はなんとも微笑ましいのだが、ひっそり密かにアルファのフェロモンを出し合っていた。もちろん、そんなことレイミーは気付いてなどいない。
「陛下、見てください。僕のお胸からいっぱい母乳が出ています」
そう言ってレイミーはふんすっと鼻を鳴らすのであった。




