過去の逆行
「名前はアオイ・タカナシ。……十六歳。い、一応これでも男です。好きな食べ物は寿司……で、嫌いなものは長い虫。
………あれ?」
精一杯背筋を伸ばしたアオイは、およそ決まり文句のフレーズを述べたはずだった。
しかし、席に着く大勢の少年少女は皆一様に、その顔に驚愕と疑惑の表情を浮かべていた。
前にも一度、似たようなことがあったかもしれない。
曖昧な記憶だが、思い出した。
五年前、転校先の小学校で、自己紹介の時に大失敗したのだった。具体的には"好きなこと"のところで物凄く変なことを述べたのだったか。それが何だったかなど忘れたし、趣味も当時とは違う。第一、今回は、食べ物というジャンルから攻めた。
転校生の自己紹介。アオイは、転校生が学校で一、二番目に緊張するであろうイベントを行ったのだった。しかしこれはどういうことか。過去の経験を踏まえ、自己紹介の失敗ルートは辿らなかったはずだが。
学校の苦痛から逃れられたというのに、学校でしか有り得ない"自己紹介"。しかも、早くも何かを踏み違えた。
あまつさえ、クラスメイトの前に立つ自分の衣装までが酷い状態だ。制服であるコートから露出するシャツは、ニーズヘッグの血と鼻血で染まった赤色のままなのだから。
最悪という言葉は無暗に使わないほうがいいらしいが、状況がここまで酷ければ使ってもいいだろう。
最悪だ。
なぜ自分がこんな状況に陥らねばならないのか。
事の発端は、二時間前に遡る。
「お待たせしました、団長。――それと、アオイ君」
「お、待ってたよリンジー。ナイスタイミング!」
待合室のドアが開き、男性が颯爽と入ってきた。
彼はアオイより相当身長が高い。百八十センチ台後半はあるだろうか。程良く締まった、すらりとした体格。眩しい赤色の短髪に、現実世界では黄色い声援を浴びそうな精悍な顔立ち。
赤い髪で、すらりとしてて、イケメンなの――ユノから教えられた特徴は全て当てはまった。羨ましすぎる。彼は持っている人間だ。アオイはぐぬぬと唇を噛む。
二日前までの"小鳥遊蒼生"は酷い風体だった。凡庸で残念すぎた。
「俺のことは団長から紹介があったと思うけど、もう一度。
俺はリンジー・グラウト。帝国騎士団の副団長をやっている者だ。よろしく!」
フェネリー団長の次は、グラウト副団長ときた。ここまで高位の人物達を風来坊一人のために動かしてくれると、誰が予想できただろう。もう気を抜けないではないか。
「アオイ・タカナシです、よろしくお願いします………それでリンジーさんは、何を案内してくださるんですか?」
リンジーの爽やかな笑顔が硬直する。
「あれ………団長、大まかに説明してくださっているはずでは?」
「ごめん忘れてた!!」
彼女をトップに置く帝国騎士団は、本当に大丈夫なのだろうか。
「――最後に。ここが、魔栄帝国立騎士道専門学校……通称、養成施設。帝国騎士団に入団希望の若者達を育成する施設だ。午前十二時から午後八時までの八時間で様々な授業が行われていて――ここに通う人達のことを"学生"と呼んでいるんだが、授業後、学生達はさっき見た寮に戻って夜を明かす。よし、これで全部回れたかな」
リンジーの説明を聞き、アオイは肩を落としていた。
学生。授業。それに寮。突如押し寄せてきた現実感が彼を苛む。要は、この底知れない雰囲気をかもし出す古めの館は"学校"ということ。
これはあくまで紹介である。自分には関係のないことだ。
「ということで、君は今日からここの学生だ」
笑顔の男性は、アオイの肩にぽんと大きな手を置く。
「へぇ、俺がっすか。――ってええええぇぇぇぇ!?」
「報告書の内容から、君の体に起きた異変は、少々特殊な対応を必要とする"呪い"である可能性が浮上してね。その対応を速やかに行うために、この施設に編入してもらいたいというわけだ」
全ては、右腕にかかった、呪いのようなもののせいだろう。
「――それに、君の力は未知数で、今は観察を続けるしかない状況だ。当然だが行動は制限されてしまうだろう。それなら、制限された中で有意義な時間を過ごしたいとは思わないかい?」
「ぅぐ……」
確かに無駄な時間を過ごしたくはないが、だからといって学校は無い。
"有意義な時間"は過ごしたい。しかし、異世界に来てまで、勉学に勤しむ時間を有意義なものだとは認めたくない。
「君に利益があるかどうかは分かりかねるが、養成施設内で君の監視役を受け持つのはアルス=イーズデイル君だ。彼女は一応ここの学生だから、君のおおまかな行動範囲が施設内に絞られるなら、だいたいの場所は君と一緒に行動できる。また、君も知っているように、騎士団員も兼任しているから、同時に監視させることもできる。もし君が、例えば毎日のように都心を離れて行動したいということになれば、新しい監視役をつけることになるが――」
「はい!はいッ!!入ります!!」
アルスと出会えたのは数億分の一の"当たり"だ。彼女を監視役にあてがってくれるのであれば、そのチャンスを棄てられるわけがない。
だから半ば強制的に、アオイは養成施設に編入させられたのだった。