母と娘
「もう始まってるじゃないか。」
「仕方ないだろう。予定より家出るのが遅くなったんだから……」
「兄貴が悪いんだろう。…〝スーツはこれかなぁ?…ネクタイの色は?派手かなぁ″……なんていつ迄も迷っているから!」
「うっ…うるさい!
初めての参観だぞ。…変なの着て行って夢に恥じかかせられないだろ。」
俺と兄貴は小学校の長い廊下をスリッパをパタパタと音をたてながら肩を並べ競歩選手の様に歩いている。
今日は夢が小学校に入学して初めての参観日なので兄貴も気合いが入っていた。
そういう俺も、だらしない格好は出来ないので、スーツとはいかないがTシャツの上にジャケットを羽織って、髪もちゃんとクシを入れ、バレないとは思ったが一応黒縁の伊達メガネをかけて何時もよりだいぶ小ざっぱりとした格好をして来ている。
教室の前まで来た。
兄貴がゴクリと唾をのみ込む……
ワザと背中を押してみる…睨まれた。
深呼吸をして入って行くのかと思ったら、急に俺を前に押し出した。
「やっぱり航太が先に入れ。」
「えっ! 何で……父親なんだから兄貴が先入れよ。」
「いいから!」
「おい、 やめろって!」
突然教室のドアが開いた。
驚いて目を丸くしている俺と兄貴の前に、全体的に丸い、でも笑顔の優しそうな担任の先生が立っていた。
「……どうぞお入り下さい。
それと、授業が始まっていますのでお静かに願います。」
既に教室の中にいる父兄たちの目が俺たちに注がれバツが悪かった……子供達もクスクス笑っている。
その中でただ1人目を細め冷たい表情で見ている夢がいた。
……怒っている。
これは後で説教されるぞ……
「すっ…すいません。」
2人同時に謝った。
こんな風に目立った登場をしたものだから夢はカンカンに怒り、参観が終了し家までの帰り道、夢が前を歩きずっと説教された。
「夢…超恥ずかしかった。
時間には遅れて来るし、来たら来たで廊下で騒いで由美先生に注意されて……信じらんない!」
兄貴は夢の背後を大きな身体を小さくしてうな垂れ歩いている。
「もうぉ、夢に恥じかかせないで!」
「ごめんな……パパちょっと緊張してさ…」
目を丸くしてから呆れた様に首をガックリと落した。
「……パパが…緊張してどうすんのよ。
ホントに子供みたい。」
この親娘のこんな立場が逆転した会話や光景はよく見るが、今日は一段と兄貴が情けなく見えて、面白かった。
俺は一緒に反省しているフリをしながら顔を緩ませていた。でも、そんな態度を夢が見逃す筈もなく、此方を睨んでいた。
「航太も反省!」
おい! 犬でも躾けるみたいな言い方やめろ……俺は犬じゃない。
「わかってる?」
「…はい、すいません。」
……ここは素直に謝っておいた方がいいな。
夢が下から上へ値踏みする様に俺を見る。
また何を言われるのかと頬をヒクつかせながらぎこちない笑顔をした。
「……まぁ、今日の格好は合格。」
「えっ?……ども。」
「友達にパパの隣の人カッコいいねって言われたから……」
夢は顎を少しだけ上げ満足そうに頷いた。
「…パパは?」
「えっ?…パパは…………ふつう?」
やや斜め上に目を向けて口をすぼめて夢が言うと、兄貴は肩を落とす。
隣で笑っていると……嫉妬の目?……でにらまれてしまった。
女王様とその家来1と2の様に3人で歩いていると反対側の歩道から声を掛けられた。
「航太さん。」
声のする方へ顔を向けると、里中 修一が制服姿で手を振っていた。
「修一……」
驚いて立ち止まった俺たちの方へ走って来る。
「こんにちは。お久しぶりです。」
「……元気だった?
その後身体方は何でもないか?」
「はい。……平気です。
おじさんも夢ちゃんも、こんにちは。」
「……こんにちは修一君。」
「こんにちは。」
夢はさっきまでの膨れっ面を引っ込め、可愛い笑顔で挨拶している。
そんなに月日が経った訳じゃないのに、とても懐かしく4人で顔を確かめ合うみたいに見合った。
「……航太、俺と夢は先帰ってるから……」
夢は少し修一と話しをしたそうな顔をしていたが、兄貴に手を引かれ名残惜しそうに帰って行った。
「……今日は土曜日だから塾の帰り…でも無い感じだな。」
制服を着た修一の肩にはスポーツバックとバットケースがさげられていた。
「僕、野球部に入部したんです。今日は練習があってその帰りで……」
「おぉ!両親許してくれだんだ。」
「はい。」
はにかむ様に笑う。
「良かったな……ご両親は…元気?」
亮が亡くなって1ヶ月程しか経ってないのに、元気かと聞くのは躊躇いがあったが如何しても気になり聞いてしまった。
「えぇ……元気になりました。」
「そう。なら安心だ。」
お互い何を考えているのか……数秒の沈黙。
「……僕、将来……医者になるって決めたんです。」
「それは…」
「自分で決めたんです……専門は脳外科にするつもりです。」
しっかりとした強い意志が伝わってくる瞳で言い切る修一は少し見ない間、また大人になった様だった。
「……修一ならいい医者になれるよ。応援してる。」
「有難うございます。
ちゃんと自分らしく生きないと亮に怒られるから……頑張ります。」
「そうだな……お互いに。」
白い歯を見せて笑う顔が亡くなった亮と重なり、目の前に立っているのではないかと錯覚してしまった。
「じゃあ…引き止めてすいません。失礼します。」
「会えて良かった……元気でな。」
一礼し反対側へ走って道路を渡る後ろ姿は、ただヒョロリと背が高い少し前の修一とは違い、身長も伸び身体つきもしっかりして、頼もしく見えた。
◆◆◆
家の前まで来ると玄関前で兄貴が携帯電話で誰かと話していた。
……外で電話?
表情が固くどうやら楽しい内容では無いみたいだ……仕事の用件か?
兄貴の前を通り過ぎ中へ入ろうとした瞬間襟足を掴まれた。
「…あぁ、兎に角聞いてみる。じゃあ……」
「なんだよ、急に!」
「いいから…話がある。」
そう言って玄関のドアを開け中を伺いまた閉めると、固い表情そのままで今話していた相手の事を話し始めた。
「……あゆみからだ。」
「へぇ……よく連絡とっているの?」
「いや、そうでも無いんだが……夢に会いたいって言って来た。」
「ふうん……離婚決まった時、月に1度は会う機会を作るって約束だから仕方ないんじゃない。母親だ…会いたいだろ?」
「そうなんだけどなぁ……」
……歯切れの悪い言い方がまどろっこしい。
「何か問題でも有るのかよ。」
「……あゆみの奴、編集長になってから忙しくて、会う日決めてもことごとくすっぽかしてな……其れで夢もヘソ曲げて、随分前に……〝もうママには会いたくない″…って言ったんだ。」
……成る程其れで義母さんの七回忌の時あんな態度だったのか……どれだけドタキャンされたのか分からないが夢が怒るのも無理はないか。
でも、気にはなっているんだな其れでも……じゃ無ければ母親の帰る姿あんな切なそうに盗み見しないよな……夢も自分の事となると素直じゃないから……誰に似たんだか。
「兎に角…夢が如何するか、どうしたいか……聞くしかないだろ……兄貴。」
「だよな……」
頭を掻きながら難しい表情をして家の中へ入っていった。
……さて夢は何て言うか。
会いたくない訳じゃないだろうから…でも、これまでの様に期待していたのにドタキャンされたらと思ったら不安だよな。
兄貴は夕食の席であゆみさんが会いたがっていると夢に伝えた。
夢は瞳を大きくして口を開きかけたが直ぐに閉じて下を向いてしまい、俺と兄貴は目があうと思った通りの態度の夢を見てお互い頷いた。
俺は飯を口の中にかき込み夢の方を見ないで言った。
「……会いたくなきゃ、会わなくてもいい。」
当然兄貴は顔をしかめる。
しかし、そんな表情など気にしないで更に続けた。
「夢が…どうしたいかだよ。」
目を合わせないで言う俺を見上げてから持っていた箸を置いて考えている。
「……本当に来る?」
不安気な小さな声。
「…ママが会いたいって言っているんだから……来るさ。」
……そんな断言していいのかよ兄貴。
そうやって今までに何度もドタキャンされたんだろ……でも、〝来るさ″の所は少し自信なさそうだな……半信半疑か。
夢はそれ以上何も言わず、食事も半分残して〝ご馳走様″と言って立ち上がった。
「夢……」
「……考えておく。」
そう言って顔に戸惑いの影を落として2階へ上って行った。
緊張を解く様に大きく息を吐くと箸を置き眉を寄せ首の後ろを摩る兄貴。
俺の悩みには何時も適確に答えを出すのに、やっぱり娘の事となるとそうもいかないみたいだ。……当たり前か。いくらしっかりして大人びた所のある夢でもまだ6歳の子供だし、母親の事だ……簡単にはいかない。
……俺は何をしてあげられるだろう?
さっさと食べ終えた俺は食器を下げて洗い始めた。夕食の後片付けは何時も兄貴がするので俺の行動は兄貴を驚かせた。
「……2階で夢とちゃんと話した方がいいんじゃない?……ここはやっとくから。」
兄貴は口角を上げ小さく頷いた。
「そうだな……悪い、頼むよ。」
「了解。」
口を引き締め、ポンと自分の両膝を叩いて立ち上がり階段を登って行った。
◆◆◆
1時間後…………
自室で本を読んでいた所にノックの音。
兄貴が顔を覗かせる……少し疲れた表情だ。
……話し合いは難航したのが伺える。
「いいか?」
「あぁ。……終わったの?」
ベットから起き上がり小ぶりのテーブルを挟んで座った。
「まぁ…な。」
歯切れの悪い言い方をして黙ってしまう…ここに来たという事は聞いて欲しいのだと解釈し、口を開き易くなる様に俺から喋り始めた。
「……あゆみさんとはどれ位会ってないの?
七回忌の時を別にして。」
「えっ?…あぁ……あゆみ?
そうだな…1年とまではいかないが、それに近い位俺も夢も会ってなかった。
……半年前までは月に1度会うセッティングをしていたんだが…全てキャンセル。」
「……編集長ってそんなに忙しいの?」
「まぁ……忙しいんだろうな。
なんでも新しいファション誌の編集長に抜擢されたらしく、あいつも必死なんだと思う。」
「…ふん。
そんなの夢には関係無いだろ…この状況どう思っているんだろ?」
「……電話で話す度、〝今度は必ず″……〝どうにかするから″…とね、言うけど……」
本当にそう思っているのだろうか?……だったらもっと早く何か解決策を考え出していると思うが……
俺はあゆみさんが娘が大切なのかどうか疑問に思ってしまう。
「……夢が、可哀想だよ。
……生きて会えるのに……」
ふっと、沈んだ顔をしてしまい慌てて笑顔を見せた。
「…で夢は如何するって?」
「……又キャンセルになったらと思うと不安なんだろう……会いたいとは言わないんだ。」
「傷付くのが怖いんだよ……」
「あぁ……今すぐ答え出せないって……」
「そうか…だな。時間が必要だね……」
……2人が離婚したのは確か夢が3歳の頃だったな…俺は東南アジア辺りをまわっていた。
電話で兄貴が離婚したと聞いた時信じられなくて絶句した…俺の知っている2人はとても仲の良い夫婦に見えていたから、何かの冗談かと思った位だ。
離婚の理由はあゆみさんの仕事。
子供を育てながらの雑誌編集の仕事は大変だったらしい…兄貴も育児は手伝っていたみたいだけど、やはり母親の方にどうしても負担がかかる様だ。
帰国後に聞いたのだが、あゆみさんに離婚を決意させる出来事があったと言う。
それは、当時保育園に預けていた夢が高熱を出し、あゆみさんに園の方から何度も電話を入れたが通じず、兄貴の方に電話した。でも、その時仕事で東北の方へ出張中で直ぐには戻る事が出来ず、兄貴もあゆみさんに電話をしたがやはり駄目で、結局兄貴が同行していた上司に頭を下げ許可を貰い急いで戻って、夢を病院に連れて行った。
……何故あゆみさんに連絡がつかなかったか……どうも仕事でミスをしその為あちこち奔走していたそうだ……〆切りもその日だったのでかなり焦っていたらしい……
間が悪いと言えばそうなのだが、まだ幼い子供の母親、いつ緊急の連絡が来るか分からない…携帯のチェックを怠ってはならないと思ってしまうのは、厳し過ぎるだろうか?
まぁ、それがきっかけで夫婦喧嘩になり暫くギクシャクした期間を過ごし、あゆみさんの方から離婚を申し出たらしい……
〝仕事に集中したい。子育てしながらではどちらも中途半端になって納得が出来ないから別れて欲しい。″……つまり、夢より仕事を取った。
娘を育てる事を放棄したのだ。
なんて自分勝手な人だ…理解が出来なくて当時頭の中であゆみさんの事を罵倒していた……本当は直接言ってやりたかったけどね……
兄貴は離婚届を目の前に出され、既に署名捺印されてある紙を見て〝自分達夫婦の決して長くはなかったが、重ねた年月がこんな薄っぺらい紙切れ一枚で終るのかと思ったら、虚しくなった″と言っていた。
そして、こうも言っていた…〝婚姻届も印刷が違うだけで同じ紙、人生をこの一枚で左右されてなんだか今度は笑ってしまった。″と……
それを聞いて俺には分からない心にヒダの様なものが深く存在しているのだろうと思った。
離婚する事に成って2人の間で交わされた約束は、あゆみさんから提案された月に1度娘と会う事の許可だった。
……其れなのに今は娘の事など二の次で仕事を優先している。
一体あゆみさんはどう考えているのか?
「航太……聞いてくれてありがとう。何かと迷惑掛けるかも知れないが頼むわ。」
「みずくさい事言うなよ。俺たち家族だろ。」
「そうだな……」
笑ってこたえた兄貴の顔は少し老けてしまった様に疲れて見えた。
……夢が母親と会ってみると言ったのは其れから2日後だった。
夢が出した答えに反対はしないが心配で堪らなかった。




