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分岐点  作者: 有智 心
15/19

俺という分岐点

 このノートに導かれ昔の両親を知るマスターから、今まで知らなかった2人の事を教えられ、長い間持て余していた心の一部に光が射した。

 しかし、親父と母そして義母さんの3人の関係にはどうにもならない暗い影が覆っている。

 例えどんなに親父と母が愛し合っていたとしても、義母さんを苦しめた事実は許されない……俺が許してはいけない。


 ノートは《No.4》まできた。

 もう少しで親父の亡くなった日……果たして義母さんは書き記しているだろうか?

 ……ページをめくる。

 9月24日……あった。


 ∞∞∞∞∞9月24日∞∞∞∞∞


 通夜。

 1人になって航太から取り上げた写真を燃やした。


 ∞∞∞∞∞9月26日∞∞∞∞∞


 葬儀告別式も終わり家の中が静かだ。

 航太も無口になっている。

 骨になった主人を前にして後悔という2文字が私を悩ませた。

 航太、許して……


 ∞∞∞∞∞10月6日∞∞∞∞∞


 主人が亡くなって以来航太の態度が変わった。

 あからさまでは無いけど、この家に来た頃に逆戻りしたみたいに見える。


 ∞∞∞∞∞10月8日∞∞∞∞∞


 航太が仏壇の前に立っていたので声を掛けた。

 驚いて振り向いた顔は私があの写真を取り上げた時と同じ、怯えた顔。

 ……きっと、余程恐ろしい表情をあの時していたのだろう。

 ごめんね、航太。



 …………俺は確かに怯えていた。

 親父が亡くなった今、この家で血の繋がらない義母さんに面倒を見てもらっていいのか?

 愛されていると勘違いして一緒に暮らしていた自分に義母さんから何時出て行けと言われるかビクビクしていた。


 餓鬼だった俺は自分の事ばかりで、義母さんの本当の心の痛みに気付かず、その後も俺と義母さんの関係は平行線のまま年月を重ねてしまった。


 俺は許されない自分の存在に悩み、義母さんは写真の事で悩み……お互いが思い遣っているのに何も言えない。

 口にした途端なんとか保っていた関係が崩れてしまうのではと…踏み込む事を避けた。

 そして、沈めてしまった思いを言えぬまま義母さんは亡くなり、後悔ばかりの俺が残った。

 謝るのは俺の方だ義母さん……


 ……ノートから顔を上げ天井を仰ぎ見、大きく息を吐く。


 下へ降りてインスタントコーヒーにお湯を注ぎ立ち飲みしながら窓の外を見ると、いつの間にか雨が降り出していた。

 ……夢、傘持って行っただろうか?

 下校時間になっても止まなければ電話を寄こす筈……其れまで続きを読もう。



 ∞∞∞∞∞11月10日∞∞∞∞∞


 四十九日の法要、納骨式。

 手を合わせる航太の横顔を見て、迷っていた事に決心がついた。



 ……何を決心したのだろう?

 その後も其れについては書かれてない。


 一箇所気になる日付けと文章があった。



 ∞∞∞∞∞12月23日∞∞∞∞∞


 私の贖罪を形にして納め、手を合わせた。

 此れで許されるとは思ってないけれど……



 23日は親父の月命日……墓参り。

 親父の墓前に何を納めたと言うのだろう?

 この事を知っているのはおそらく誰もいない……兄貴は?

 いや、知らないだろう。

 誰に聞くことも出来ない……義母さんが命と一緒に持っていってしまった。


 ……そのまま読み進める。

 高校受験、大学進学しないと言った俺とのやり取りや義母さんの思い。

 折角入学した大学を勝手に辞めた時の事、そして、就職もせずバイトしては海外へ行ってしまう俺を心配する文章。

 全て愛情に満ちた文面が綴られていた。


 しかし……それも、義母さんが倒れる1ヶ月程前から書かれなくなっている……もしかして、此の頃から体調が思わしくなかったのだろうか?


 …………ドアをノックする音。

 夢が中を伺う様に細く開け〝ただいま″と言った。


「おかえり……雨、大丈夫だった?」


 ホッとした表情をして部屋へ入って来た。


 ……なんか…気を遣わせているな。


「うん。もうやんでる。」


 手にしているノートに視線を落とし、横に置いてある残りの4冊にも目を向けている。


「……ちょうど今、全部読み終わった所。

 なんのノートか聞いてた?」

「うん……パパに暫く邪魔しちゃいけないって言われてた。」

「そっか……ごめん、気を遣わせてたんだな……でも、読みきったから。」

「……航太、平気?」

「えっ?……あぁ、大丈夫。

 このノートが読めて良かったと思っているよ。」


 其れでも心配そうに見つめる夢に、これでもかって位の笑顔を見せた。


「……そうだ。ケーキ買ってあるから下で一緒に食べようか。」


 頷いて笑顔を見せる夢の頭を撫でて下へ降りて行く。


 ノートは1度兄貴に渡した方がいいだろう。




 ◆◆◆




 兄貴が風呂から上がるのを待っている……目の前のテーブルには読み終えた5冊のノート。


 トアが開き頭をタオルで拭きながら冷蔵庫の麦茶を一杯飲む。


「兄貴、ちょっといいか?」


 髪を拭いている手を止めて、ソファに座っている俺とテーブルのノートを見てから、向い側に腰を下ろした。


「全部読んだのか……」

「読み終わって……今まで知らなかった事が色々わかった。

 特に……親父と母の出会いから、母が亡くなるまでの事。」

「お袋、そんな事も書いてたのか?」

「まさか……でもこのノートに導かれる様にあの喫茶店行き、当時の2人を知る人物に会えたのは、此れを残してくれた義母さんのお陰かもしれない。」


 穏やかな瞳が真っ直ぐに俺を見てる。


「其れで……航太の中で何か変わった?」

「……そうだな、不器用で何考えているかわからない親父だったけど、そこには……深い愛情があったと…愚かで哀しい女性だとばかり思っていたけど、純粋に人を愛し、罪を背負って必死に生きていた。

 今までとは違う見方や感じ方が出来るよ」


 小さく頷きなから優しく微笑んでいる兄貴。


「……そして何より義母さんの思いが一文字一文字に込められたノートを読んで、俺は愛されていた……血の繋がりなんか関係なくて、義母さんの深い心で見守られていたと…嬉しかった。」

「……良かった。」

「……でも、そう思うと同時にやり切れなくて、切なくなる。」


 俺の曇った表情を見て兄貴が不安の色を顔に表した。


「…それぞれ精一杯の愛を注いでくれた人達なのに、どんなに俺という子供を足しても、掛けても……イコール、ハッピーエンドにはならない。

 義母さんを苦しめた事は許されない。」


 左手で唇を弄りながら目を細めテーブルのノートを見つめた。

 兄貴も色褪せたノートに視線を落とし唇を引き締めていた。…少しの静寂。


「…………じゃあ、引いてみれば?」

「ひく?」

「そう……3人から航太を引いたら?

 お前が産まれていなかったら、お袋は親父の浮気をただ恨むだけの哀しい女性になっていたかも知れない。

 でも、子供を託された事でお袋の人生は豊かな物に成ったと俺は思っている。」

「それは……」

「では、お前を3人で割ってみたら?

 ……割り切れない。

 人の感情なんてそう割り切れるものじゃ無い……割り切れなくて良いんだよ。

 許すとか、許されないとか……もう、いいじゃないか。

 3人がそれぞれの思いや願いを胸に生きた。その事実だけで……むしろ其れが〝イコール″ 答えになると思うけどな。」


「ハッ…ハハハ……」


 今俺はもの凄く情けない表情をしながら笑っていると思う。

 余りにも淡々とまるで初めから分かっていた様に答えを出す兄貴。

 悩んでいた事が馬鹿みたいで……でも、楽になって……そんな自分が可笑しかった。


 笑い過ぎて涙が出てきた。

 ……腹筋を鍛えているみたいに痛い……兄貴はやっぱり凄いよ。

 叶わない。


「……なんか、馬鹿だ…俺。女々しいって…言うのか?…こういうの……ほんと馬鹿だ。

 ……凄いよ兄貴は…ありがとう。」


 肩を揺らし笑いながら言ったので言葉が途切れ途切れになった。

 そんな俺を見て兄貴も笑い出した。


「……このノート、兄貴に返すよ。」

「何故?」

「何故って……兄貴もどんな事が書かれてあるか知りたいだろ?」

「俺はいいよ。航太が持っていた方がお袋も嬉しいと思うから。」

「……いいの兄貴。」

「いいの?……じゃない。

 お前が持っているのが自然なんだよ。」


 ノートを手に取ってその重さを感じる……人の思いの重さだ。


「……じゃあ、そうするよ。」




 ◆◆◆




 長い坂を花を手にして夢とゆっくり歩いている。

 景色は8年前と同じ様で、所々変わってしまっている所もあった。……何だか過去と現在を行き来しているみたいで不思議な感覚になる。


 寺の門をくぐり本堂の前ではたと足を止める。そう広い敷地ではないが母の墓の場所がうる覚えだ……困ってしまった。

 でも、行けば思い出すかも知れないな……


「……どちらの墓参りですかな?」


 本堂の中から寺の住職であろう人物が声を掛けてきた。


「あの……島村家の……島村 智美です。」

「島村……おぉ…はいはい、ご案内しましょう。」


 住職は草履を履いてニコニコと近付き、先頭に立って案内をしてくれた。


「……此方で間違いないと思いますが。」

「そうです。有難う御座います。」


 直ぐに立ち去るのかと思ったが、少し不躾なくらい俺の顔をじっと見つめている。

 ……何なんだ?


「あのぉ……」

「おぉ…此れは失礼しました。

 もしかして、小学生位の時お父上に連れられて毎年命日に来ていたお子さんではないかと思いましてね。」


 驚いた……そんな昔の事を……その時の俺を憶えているのか。


「そう…そうです。」


 住職の小さな瞳が糸の様に細くなり微笑んでいる。


「……面影が残ってます。

 今日はお子さんと一緒に、お参りですか……。」

「子の娘は姪っ子です。」

「此れは失礼した。

 ……お嬢ちゃん、長い坂は大変ではなかったかい?」

「平気…………です。」


「お父上は元気ですかな?」

「12歳の時亡くなりました。」

「何と……」


 住職は親父が亡くなったと聞くと神妙な顔で考え込んでしまった。

 ……何故だか俺の心臓の鼓動が微妙に乱れていく。


「……ふむ。

 この話……して良いのか迷いますが……」


 そして住職は思いもよらない話しを始めた。


「もう……15〜6年前に成りますかな…ある女性にお願いされまして……

 島村 智美さんのお墓の中に骨壷を納めたいと……」

「えっ!」

「ご家族でも無い方の頼みで困りましたが、島村さんの大切な人の一部なので一緒にしてやりたいと……何度も何度も頭を下げられるので、最後は此方も折れてしまいました。」

「あの、その女性の名前は何と言うのですか?」


 住職は申し訳けなさそうに首を横に振った。


「……でも、それから毎年命日に貴方とお父上の代わりに手を合わせにいらっしゃいました。

 ……その方が誰なのか本当は見当が付いているのではないですか?」

「おそらく…いえ、間違いなく育ての母です。……そうですか、知りませんでした。

 住職、教えて下さって有難う御座います。」

「今日ここで貴方に会えお話しする事が出来たのも、仏様の御導きでしょう。」


 母の墓前に手を合わせ住職は本堂へ戻って行った。


 母のノートに書かれてあった12月23日の墓参りは親父ではなく母の所だったのか……納めたのは親父の骨……

 俺は母の墓をじっと見つめ俺の代わりに毎年花を添え、線香をあげ手を合わせている義母さんを想像した。

 この下に眠る母と何を話していたのだろうか?…俺の成長の報告……そうかも知れない。

 海外に行き家に寄り付かなくなった辺りからは、心配しながら、愚痴を言ってたりして……

 ……何だか義母さんが苦笑いしながら母の墓に向かって長い時間語り掛けている姿が浮かんだ。


「航太?」


 夢が黙り込んでしまった俺の顔を心配そうに覗き込み腕を引っ張った。


「あ、あぁ…ごめん、なんでもないよ。」

「ねぇ、お花あげよ。」

「そうだな……あげよう。」


 2人で花と線香をあげ、此処へ来る前に立ち寄り、特別に淹れてもらったスペシャルブレンドを、小ぶりの水筒から3つの紙コップに注ぎ、2つは墓前にもう1つは俺が手にし、2人に乾杯する動作をして飲んだ。


 ……そして、夢と手を合わせ目を閉じる。


 湿気を含んだ風も、それに揺れる草木の音も、車の走行する音、人の声……何も耳に入ってこない。

 ただ自分の心臓の…トクントクン…と身体に響く音だけが聞こえる。

 その規則正しい音は、まるで母の胎内にでもいる様に心が落ち着き、守られている感じがした。


 3人がそれぞれの分かれ道に立った時、選択した道を色んな思いを秘めて歩き……

 俺という分岐点で交わった時、共通の守るべき者の為、又前を向いて選んだ方向に歩いて行った。

 ……全てを知れた訳じゃない。

 でも、残された3人の親の思いは心の内に重なりあい、俺という人間を育てあげてくれた。

 ……感謝します。


 静かに目を開けて立ち上がる。

 少し遅れて夢も目を開けて立ち上がり俺の顔を見上げた。


「……航太は…もし会えるとしたら本当のママに……会いたい?」

「……いや、出来るなら育ててくれた母。

 夢のおばあちゃんに会いたいな……

 言えてない事があるからね。」

「どんな事?」

「ごめんね……そして、愛してくれて有難う……って。」


 空に浮かぶ白い雲を目で追う…ゆっくりと流れていってる。


「……なぁ、夢。

 ……おじいちゃんとおばあちゃんの墓に行かないか?」

「えっ!…今から?」

「ダメ?」

「……しょうがないなぁ、付き合ってあげる。」


 夢は、姉が小さな弟の我儘を聞いてあげるみたいに少し大人びた言い方をした。


 2人で寺を出て、長い坂を来た時より速い足どりで下って行った。


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