今、此処に存在しているって事
寝ぐせを直しリビングに戻って来た夢は、テーブルの上に置かれたビールや一升瓶を見て顔を曇らせる。
「夢、お腹空いたなら今日は寿司でも頼もうか?」
「お寿司! 食べたい!」
兄貴が寿司屋に電話していると俺の方を見て言った。
「帰ってからずっと飲んでいたの?」
「まぁ……大人の…特権。」
呆れた表情で溜め息をつく……小姑みたいだ……
「あっ!パパ。夢はワサビ抜きだよ。で、特上でね。」
大声で言うと、電話をしていた兄貴は少し声をひっくり返した様に〝特上?″と、言い、その後何やらボソボソと寿司屋に話していた。
俺は耳元に顔を近づけてからかった。
「ワサビ抜き……お子ちゃまだな。」
両手で頬を叩かれた。力は無いがこれが結構痛いんだ。
両ほほをさする……
夢は膨らんだ風船みたいな顔をして睨んでいる。
……コワッ!
「30分位で届けるって……」
「勿論、特上だよね。」
「まさか…そんな贅沢しないよ……中だよ中。」
「ええぇ……財布の紐かたすぎぃ」
面白くなさそうに冷蔵庫へ行き、コップにジュースを入れて戻って来た。
「財布の紐って……そんな言葉意味わかって言っているのか?」
「パパぁ、馬鹿にしてる?当たり前だよ。使い方間違ってないでしょ……」
兄貴は首を横に振りさっき出したスルメを口にくわえた。
寿司は、ほぼ時間通りに届き、特上じゃない事にしつこく文句言いながら、ワサビ抜きかしっかり確認してから寿司を頬張った。
俺と兄貴は酒を飲みながらダラダラと寿司と乾き物をつまんだ。
時折り夢が俺たちの寿司を見る……多分、さっさと食べないので生ものが悪くなりはしないかと心配なのだろう……それとも、食べたいのか?
美味しそうに食べている夢を見ながら初めてこの家に来た日の事を思い出した。
今の夢と同じ6歳……いや、学年でいえば1つ下になるか……まだ幼稚園の年長組だったな……
「……兄貴、俺がこの家に初めて来た時の事憶えてる?」
母が亡くなり、親父に初めて折出家に連れて来られた俺は、小さなリュックを背負って手にはミニカーを握りしめていた。
口を固く閉じて、暗く沈んだ大きな瞳でこれから一緒に暮らす事になる見知らぬ女性と男の子を睨む様に見ていた。
義母さんと兄、隼人との初対面。
兄貴はニッコリと笑い〝いらっしゃい″と、声を掛けてくれた。
義母さんは……何故かよく憶えてない、どんな表情をしていたのだろうか?
……〝疲れてない?″
その言葉が第一声だったと思う。
俺はこもった声で名乗った。
「島村 航太…です。」
クスリと笑った義母さんの口元を思い出した。
「……今日から、折出 航太になるのよ……慣れるまでは…仕方ないわね。」
そう言われた時、6歳の俺の身体が一瞬にして熱くなった。……違う!僕は島村 航太で折出なんかじゃない。
なんでママが死んだら名前を変えなくちゃいけないの?
……心の中でそう叫んでいた。
親父に説明はされていたが理解なんて出来るわけがない……母と暮らしていたアパートに直ぐにでも帰りたかった。
……不安でしかたない俺はこの場から走って逃げ出したかった為か、少しずつ無意識に後ずさっていた。
その時突然義母さんが俺を抱きしめた。
「……怖いよね。でも安心していいのよ。」
驚いて更に身体をかたくしたが、強く抱きしめる義母さんはとても温かった……それでも逃れようともがいてみたが、絶対に離そうとはしなかった。
諦めて優しいぬくもりに少しずつ身を委ねていくと、何故か涙が出てきた。
母が亡くなった時にも信じられなくて…いや、信じたくなくて泣かずに奥歯を噛みしめ我慢していた俺が初めて泣いた。
唇を震わせ押し殺した泣き方から、次第にしゃくり上げながらワンワン泣いた……身体中の水分が無くなってしまうのではと言うくらい涙が溢れた。
あの日の事は鮮明に憶えている……俺の人生で最初の分岐点であり、余りに幼くて大人達の言われるまま折出家で暮らす事を選択した日。
コップを両手で持って黙り込んでいる俺に兄貴が酒をつぎ、自分のコップにも注いで一口飲んだ。
…………今日はペースが早いな。
「あの時の航太…玄関で泣き出して可愛かったな……」
あの日の自分を思い出して身体中の水分が無くなっていく様な感覚に囚われて、酒を一気に飲み干した。
大量のアルコールが喉と胃の中を熱くした。
「あの日の親父と兄貴の表情は憶えているけど、義母さんがどんな表情をしていたのか分からない。……憶えてないんだ。
ただ、口元だけは……」
「口元?」
「あぁ。そこだけは憶えている。」
口角が上がっていて……今で言うあひる口?…なんだろうか、その横に笑うとエクボが出るんだ。
…………あぁ。
似ていたんだ。エクボは無かったけど、母もそんな口の形だった。……なんで今思い出したのだろう?
初めて会った時その口から発せられた優しい言葉に泣いてしまった……それはおそらく逝ってしまった母に言われた様に感じた為なのだろう……か?
自分の事なのにはっきり言い切れないのがもどかしい。
軍艦巻を口の中に放り込む……じっと見ている夢と目が合う。
「……何?」
「航太は、マザコン?」
「はぁ?」
「だって話し聞いててそう思ったんだもん。」
……マ、マザコンって。
んんん〜そうなのか?
自分では自覚がないけど……でも言われてみればこの歳になっても義母さんの事引きずっているのは、マザコンに分類されるのか?
……かもしれない。
投げかけられた思いもよらない言葉に戸惑ってしまった。
……マザコンかぁ……ショックだな……
兄貴は酒を飲みながらニヤニヤしている。
……なんかムカつくその顔。
「でも、夢知らなかったおばあちゃんが航太の本当のママじゃないって事。」
少し不満そうに口を突き出して上目遣いで俺を見てる。
「この話し夢には言ってなかったか……」
「聞いてないよ……じゃあ、パパとも本当の兄弟じゃないの?」
「それは違うよ夢。パパと航太はちゃんと血の繋がった兄弟だ。」
眉を寄せ、口を横に曲げて考え込む夢。
まだ理解するのは難しいかもしれないな……
もっとかみ砕いて説明してやらないと。
「……つまり、」
「あぁ、おじいちゃんには2人奥さんがいたって事だ!…………でもそれっていいの?」
案外早く答えを見つけ出した夢に驚いて兄貴と顔を見合わす。
「……良くない事だよ。
おじいちゃんの奥さんはパパの母親である折出 文江だけだ。」
「じゃあ、航太のママは……何?」
「何でもない…何者にもなれないのに俺を産んだ人だ。……只の愚かな女性だよ。」
「航太!そんな言い方よせ。」
兄貴がいつになく怖い顔でこっちを睨んだ……本当の事だ。
とても愚かで哀しい女性。
それが俺の母。
「……なんか冷たい。
そんな風に自分のママの事言う航太は夢……嫌い。
そんな事言われたら哀し過ぎて涙も凍っちゃう。」
何故か泣きそうな顔の夢。
でも、その瞳は俺の心を刺すように、痛いくらい厳しかった。
「……自分の存在意義が見つからないからそう思ってしまうんだ……」
「そんざい……いぎ?」
「難しいか……な」
「……よくわかんないけど、ここに夢達と一緒に居れるって事じゃ駄目なの?
それでいいじゃん。」
KOパンチをくらった。
6歳の少女の言葉に身体が宙に浮く位のアッパーを見事に心にくらった。
「ごめん夢……」
……何がどうであれ産んでくれた事に感謝しなきゃな…母がどんな気持ちだったのかは聞けないが、そこには確かに愛情があったのだから……そして此の世に生を受けた事に意義があって、こうして此処に居る。
それが今の存在意義なのかもしれない。
「ごめん……」
もう1度謝った。
「ごめんなさいするのは航太のママにだよ。
夢にしなくていいの。」
「あぁ…そっか、そうだね。」
少し泣きそうになった。
夢のなんの駆け引きも、打算も無い無垢な言葉が心に沁みた。
◆◆◆
昼過ぎから飲み始めて気がつくと外は随分暗くなっていた。
一体何時間飲んでいるんだ?
……考えるのはよしておこう……まだ先は長いだろうしな。
「ねぇパパ。航太の子供の頃の話しして。」
「いいよ。」
俺は酒を吹き出しそうになった。
「何言い出すんだよ……」
「だつて知りたいもん。」
「面白エピソードなんかないから……餓鬼の頃なんて。」
「いいから。……パパお願い。」
やめてくれ!
……兄貴も大概酔っぱらってきてるから何話し出すか……話し盛りそうだし、勘弁して欲しい。
兄貴は何から話そうかと、にやけながら考えている。
……考えるな!
「そうだなぁ……。
じゃあ、初めて会った日の事にしよう。」
あぁ……。
顔を手で覆って溜め息をついた。
「……兎に角可愛かった……女の子みたいな顔して。
初めて見た時弟だと聞いていたけど、妹の間違いじゃないかと思った位だ。」
「へぇ〜それなのに……今は、こんなんなっちゃったのぉ」
「こんなんって言うな!」
人差し指で額を押すと舌を少し出して肩をすくめる夢。
「でも、慣れるのに時間かかったな……1番早く懐いたのはパパにだ。」
……なに自慢気に言っているんだよ。
でも確かに最初に懐いたのは兄貴だった。
きっかけは……札幌の伯母が俺の事で親父に意見を言う為、家に押し掛けてきた時だった。
リビングから聞こえる伯母の容赦無い言葉に怯え、自室の隅で震えていた時兄貴が入って来てずっと肩を抱きしめ、その夜一緒の布団の中で寝た。
朝起きた時も俺の手を握ってくれていて、寝ている兄貴に初めて〝お兄ちゃん″と呼んでみた。
聞こえてないのに何だか恥ずかしくて、1人で照れ笑いをし布団に潜った。
そしてまた自分の手を兄貴の手に添えて目を閉じた……
折出家に来てやっと深い眠りにつけた最初の日だったな。
「…なっ、航太。」
「へっ?」
頭の中の引き出しから取り出した記憶が懐かしくて、兄貴の話しを聞いてなかった。
急に呼ばれ変な声だった様な……
「バレンタインの話だよ。」
「あぁ……よく兄貴に無理矢理チョコ交換させられたな……こっちの方が美味しそうだって。」
「ええぇ、パパ酷い!」
「航太は、女子にもてたから種類が豊富でついな……」
「モテたんだぁ……」
「まぁ……小学生までな。」
得意げにピースをしてみせた。
「……パパは…2、3個がいいところかなぁ」
「もっと貰ってたさ、馬鹿にするなよ。」
「えぇ…本当ぉ?」
「本当。……そうだなぁ、10個位かな。」
「はいはい。……見栄張らないの。」
小さな子供でもあやすみたいに父親に言う夢に、大きな餓鬼が必死になっている姿が可笑しくて腹筋がヒクヒクと動いて苦しかった。
そういえば、こんな風に苦しくなる位笑った時があったな……
あれは、小学1年の時だ。
家に帰ると近所の噂好きのおばさんが来ていて、玄関で義母さんに色々探る様に話してた時だ。
「文江さん……どうなの?……引き取った子。」
「どうって?」
「いえね……私じゃないのよ。……聞いた話なんだけどぉ…その……ご主人の…ねェ」
義母さんの表情が微かに曇ったが、それを悟られない様に微笑んで言った。
「何を仰りたいのか分かりませんが、引き取ったからには私どもの子供です。
何か問題でも有りますか?」
義母さんの毅然とした態度に一瞬たじろぐが、好奇心の方が勝るのか引こうとせずしつこく聞いている。
……そのやり取りを俺は玄関の外で身を潜めて聞いていた。
「そりゃぁそうよね…でも、ほら、どういった素性の子なのかな……って、変な噂している人もいるし……もし教えてくれれば私がねっ……」
その時兄貴が帰って来てそのおばさんの背中をそっと触れて何かを貼った。
そして俺を見て口に人差し指を立ててニッと笑った。
「……こんにちは。」
「あっ、あら隼人君お帰り……早いのね。」
「はい。試験が近いので部活無いんです。
……それより、背中にシール貼ってありますよ。」
「えっ!」
小肥りのおばさんは背に手を回してシールを剥がそうと奇妙に身体をくねらせるが全く届かず真っ赤な顔をしている。
義母さんは口に手を当て笑いたいのを我慢していた。
俺も玄関の外で肩を震わせて声が出ないよう必死に堪えていたな。
「取ってあげますよ。……はい。」
兄貴は100%OFFのシールをおばさんの手にペタリと貼ってニッコリとした。
「あ、ありがとう。…まっ!100%OFFって……」
おばさんの顔がピクピク動いて可笑しかった。
「……あっ、さっき美希ちゃんとすれ違いましたよ。……そろそろ家に着くんじゃないですか?」
「あら、まぁ……じゃ…じゃあ失礼するわ。」
玄関を出たところで俺の存在に気付いてバツの悪そうな顔に無理矢理笑顔を貼り付け、何だかとても滑稽な表情だった。
最初に声を出して笑ったのは義母さんだった……その後に兄貴。そして俺も声を出して笑った。
「……航太、入って来いよ。」
お腹を抱えて笑っている俺の頭をクシャクシャに撫でて3人で大笑いした。
「……隼人でしょ、シール貼ったの。」
「うん。友達から貰ってたの貼った。……おばさんの顔……面白かったぁ。」
「あぁスッキリしたわ……ねっ、航太。」
義母さんも俺の頭をクシャクシャに撫でた。
……また、兄貴に助けて貰った。
何時も見守ってさり気なく助けてくれるが兄貴は突然半分血の繋がった弟がいると聞かされてどう思ったのだろうか?
1度も聞いた事がなかったし、語られる事もなかった。……聞いてみようか?
……夢の前で?
恐る事はないか……どんな言葉を聞いても大丈夫。
さっき夢が言ったように、こうして3人で一緒に笑っていれるって事が今まで費やしてきた時間の結果なのだから、ためらう必要はない。
「兄貴。」
「ん?」
「……初めて弟がいると聞かされてどう思った?」
突然の質問に面食らった様に驚いている。
「なんだよ急に……」
「いや……どう思ったのか聞いた事なかったし、正直な気持ち教えて欲しい。」
「……んん、結論から言えば、嬉しかった。
ひとりっ子だったし弟が欲しいとも思っていたしね。」
余りにも簡単に…気軽に答えるので、今度は俺の方が面食らってしまった。
「……母親が違う弟だぜ、色々思っただろ?」
「あぁ、親父に対してはね。
腹が立ったさ……でも、お袋も言ってたけど、子供には関係ないだろ?
好きで2人の間に産まれてきたわけじゃないんだし、親父に対する腹だたしさみたいな感情は、航太に対して1度も無いよ。
……そりゃあ、驚いたけどな。」
コップの酒を一口飲んだ。目尻に少し皺が寄り白い歯を見せてニッと笑っている。
「…………」
考え込む俺を何だか面白がっている様に見ている。
「……なんだ、信じられないのか?」
「そうじゃないけど……簡単に言うからさ、もっと…こう、複雑だったんじゃないかと思ってたから……ちょっとスカされた感じがするよ。」
「もっと詳しく聞きたいって事か……」
「できれば。」
「いいよ。じゃあ話そう。」
兄貴は酔った頭をスッキリさせる為なのか、リラックスする為なのか、大量の酸素を身体の中に取り込みそして吐いた。
「その日俺は2階の自室でためていた宿題を片付けるのに必死だった。次の日提出しないと先生に怒られそうだったからね。
そんな時下から呼ぶ声がした。
少しイラッとしながら降りていくと親父とお袋がリビングに緊張した顔で座っていて、俺は、なんか何時もと雰囲気が違うと感じて不安になった。」
そこまで言うと一口酒を飲んだ。
俺は顎の辺りが痺れ強張っていくのを感じながら話しの続きをまった。
「座る様に言われ腰を下ろすと……親父は頻りに口を噛んだり舐めたり、話しずらそうだったよ。……仕方ないから俺から話しをさそった。」
………………「話しって何?」
「今から言う事……隼人はきっと怒ると思う。……でも、受け入れて欲しい。」
「だから…どんな話しなんだよ。」
「……んん、母さんには、わかって貰ったが隼人にもきちんと説明しなくてはならないから……」
「回りくどいな。…早く言って。」
「実は……6歳になる男の子を引き取る事になったんだ。」
「えっ⁈」
「……隼人とは半分血の繋がった…弟になる。」
「ちょっ…ちょっと待って!どういう事?
半分血が繋がってるって……」
「……私と他の…女性との間に出来た子供なんだ……すまん。軽蔑も怒りも全て受け入れる覚悟はできている。だから、その子を弟として迎える事を許して欲しい。」
…………兄貴が煙草に火を点けよライターを手にすると、夢の渋い表情に気付いて吸うのを止めた。
「親父……12歳の息子に頭下げてさ……
まぁ、俺も天と地がひっくり返る位驚いたよ。まさか親父がね……そういう事には縁遠い人だと思ってたし、だからショックは大きかったし、許せないと思った。」
「……苦しませて、ごめん。」
「ばーか。やめろ、謝るな。
……お袋言ってた。
親父の事許せないけど、子供には関係ない。
……覚悟を決めたの、だから俺にも快く迎えてやって欲しいってね。」
……義母さんの覚悟。
そこに辿り着くまでどれだけ悩み苦しみ、涙を流したのだろうか……
「……覚悟を決めたお袋の顔ちゃんと憶えている。とても穏やかで……こんな言い方恥ずかしいが聖母マリアみたいに見えた。」
「…………」
「俺はというと……直ぐには弟が出来て嬉しいとかは無かった。
まず、親父に腹立ってたし……でも、航太が憎いとか存在が許せないという感情はなかった。……これ本音。」
「そう?」
「ああ。……航太が来るまで、頭の中で整理をした…お袋とも話し合った。そうしている内……何だろう少しずつ航太に対して愛情……みたいな感情が生まれて、不思議だよ…まだ会ってもいないのに。
で、お前が来るのが段々待ち遠しくなって、前日なんかソワソワして眠れなかったのを憶えている。」
照れ笑いを浮かべて寿司をつまむ兄貴。
義母さんと兄貴の寛容さ思慮深さのお陰で今俺はここに生かされている。
人は生まれる時も死ぬ時もたった1人で迎えるけど、その間の人生は決して1人では生きて行けない。
周りにいる人達によって生きて……生かされているのだと、改めて気付かされた。
兄貴が一升瓶の注ぎ口を俺に向けたので注いでもらった……勿論俺からも注いだ。
……2人で胃の中に流し込む。
「……1つ、不安があった。」
「なに?」
「航太が……俺を兄と認めてくれるかどうかって事。」
「そっち⁉︎」
「1番大事な事だろ。
でも、玄関で強張った顔で立っているのを見て……〝可愛いじゃん″って、思ったんだよなぁ……俺の半分しか生きてないのに、いろんな事が一変に変わって、ちゃんと理解出来ないままでいるんだろうなって……〝守ってやらなきゃいけない″……そう思った。」
「……実際守って貰った。
凄く感謝してる。おそらく兄貴がいなければ、此処にこうして居ない。」
煙草に火を点ける兄貴を横目で見る夢は、諦めたのか溜め息を吐きながら立ち上がり縁側のガラス戸を開けた。
「雨が……降って来た。」
その言葉に俺と兄貴も立ち上がり、夢を挟むように立ち目を凝らして暗い外を眺めた。……よく見えない。
目を閉じて耳をすますと雨音が心地良く心に響いた。
◆◆◆
もともと一升瓶の3分の1位しかなかった日本酒も底をついたので、他がないかストックを見てみたが焼酎が少ししか残ってなかった。
仕方ないので俺が買いに行く事にした。
夢はまだ飲むのかと驚いていたが、何か食べたい物があったらついでに買ってきてあげると言うと、〝アイス″と言って機嫌を直した。
……現金な奴だ。
歩いて5分程のコンビニで焼酎を2本、つまみ、それと忘れずにアイスを……取り敢えず3個買って家に戻った。
リビングのテーブルは綺麗に片付けられていた。どうやら買い物に行っている間、コップや寿司桶等洗ったみたいだ。
「……あれ、夢は?」
「また眠くなる前に風呂に入れって言ったんだ。」
「そっか……。
兄貴どうする?俺、ロックで飲むけど……」
「あぁ、同じでいいぞ。…氷まにあうか?」
「んん〜大丈夫……かな。」
リビングに焼酎の瓶、ロックグラス2個と山盛りに氷を入れたアイスピッチャー、それとつまみを並べて、夢が風呂から上がる前に飲み始めようと2人でソファに座り2度目の乾杯をした。
微かに聞こえる雨音をBGMに暫く無言だった。
俺は、色々語り合った事を巡らしている……おそらく兄貴も同じだろう。
……グラスの氷が溶けて小さな音がした。
「……俺も兄貴も親父とこうしてサシで飲んだ事なかったな。」
「航太が12歳で俺が…18歳だったな……
成人する前に亡くなったから、出来なかった……」
「一緒に飲みたかった?」
「んん〜多分。2人で飲んで、航太が20歳なったらきっと3人で飲んでお互い言いたい事言い合い、酔っ払ってお袋に叱られて……なんて…少し悔しいよ。
それが出来なかった事が……」
……兄貴は長い年月を掛けて親父を許しているのだと思った。
許したというより、〝しょうがねぇな″ みたいな…心の中で苦笑いしているのだろう。
「……俺も一緒に酒……飲みたかった。」
また、グラスの氷が溶ける音が聞こえた。
兄貴とグラスを合わせる……なんの為に?
それは、お互いの心の中にいる誰かに……
「……小学1年の…いつ頃か忘れたけど、航太、親父と毎月1度必ず2人だけで出掛けてたよな……憶えているか?」
「……よく憶えている。」
「どこ行っていたんだ?」
「駅前の喫茶店。場所わかる?」
「……そんな所にあったか?」
「少し路地に入った所だからわからないかも……」
そう必ず毎月1度、土曜か日曜のどちらか親父が俺を連れて行った。
カウンターの1番奥が指定席で、注文もしないのに親父の前にスペシャルブレンドが出される。
俺は大体オレンジジュースだった。
親父は、最近学校はどうだとか、友達とは何して遊んでいるのか、そんな何でもない事を質問してくる。
…………そんな事家でも聞けるのに何故ここに来て聞くのか不思議だった。
未だにわからない。
ありきたりの会話が尽きると2人共無言になり、ただ時が過ぎるのを待っていた。
そして小一時間もするとマスターに〝また来るよ。ご馳走様。″と、言って帰る。
小学生の息子を連れて来て何が楽しいのだろう……何をどうしたいのか理解に苦しんだな…ホント、最後まで掴み所のない親父だった。
「なんで…2人で喫茶店なんだろう……」
「何故そこなのかは分からないけど、2人で行く理由は知っている。」
「えっ⁈」
「お袋が教えてくれた……多分そうじゃないかって。」
「知りたい。」
勿体ぶるように煙草へ火を点けて吹かす。
「……お袋が言うには、ヤキモチじゃないかって……」
「ヤキモチ?…誰に?」
「…お袋と俺。」
「はぁ?……どうして。」
「航太……最初俺に懐いてそれからお袋にも徐々に懐いていっただろ……でも、親父には何時までたっても懐こうとしない。
それが面白くなかったみたいだよ。」
兄貴が肩を揺らして低く笑った。
「餓鬼みたいだろ……そういう所のある人だったけど……ウケるよな。」
「……そんな理由。」
「そう!そんな理由……可笑しいよなっ……」
「なんか……少しズレてる感じがする。」
「あの頃親父も働き盛りで仕事が忙しくて必ず土日家に居るわけじゃなかったし、平日も帰りが遅い事が多かったから、航太が懐かないのも分かるけどね。
……不器用な人だったな……
聞いた時、俺、呆れたよ。」
義母さんと兄貴抜きで距離を縮めたかったって事か……ホント、呆れる位不器用でしょうがない親父だ。
「……改めて親父の事思い出すと、お前似てるな親父に……」
「どっ、どこがだよ。」
ニヤニヤしながら俺の顔を見ている。
「顔は……亡くなった母親似なんだろうけど……性格は、親父だな。」
「なっ!…いや、んん〜」
反論しようとしたが、あながち間違ってない様な気がして、口だけ魚の様にパクつかせ上手く言葉がでてこなかった。
その内ゲラゲラと大口を開けて笑いだす兄貴を横目に焼酎を飲み干し、2杯目をグラスに注いだ。
…………笑い過ぎだ。
そこへ風呂から上がった夢が来て、大笑い……いや、バカ笑いしている自分の父親を見て、目を見開きそれから鼻で笑う様な表情をしてから、冷蔵庫にある麦茶を出して喉を潤していた。
「兄貴……夢が冷たい目で見てたよ。」
「えっ?……あぁ、夢、上がったのかぁ
今、今な……おじいちゃんの話ししてたんだけど……」
……呆れる。
いくら何でも笑いのツボにハマり過ぎだろ……そこまで可笑しい話か?
「……パパ、お酒に…のまれちゃった感じ?」
「そうだな……意外と笑い上戸なのかも」
「ハァ……全く。」
夢はウンザリした様に身体の力を抜いて頭を垂れた。
義母さんの7回忌の夜はこんな風に、しんみり語り合ったり、バカみたいに笑ったり、今まで知らなかった親父や義母さんの話しをして遅くまで飲んだ。
絡まっていた糸がほつれていく様に、自分自身で雁字搦めにしていた見えない糸が少しずつ緩み心を開放していく…いい夜だった。




