『躾』の時間
どれだけ時間が経ったんだろう。
また馬の鳴き声が聞こえたかと思えば、一度馬車が止められて扉が開く音がする。
私を縛る布を捕まれる感覚と浮遊感に、身体が持ち上げられているんだとなんとなくわかる。
しばらく揺られてから、また固い床の上に乗せられた。さっきまでの狭い感覚はしないから、多分別の広い馬車に乗り換えられたんだわ。
また馬の鳴き声が聞こえて、ごとごとと運ばれていく。
(………私、一体どこに連れていかれるの?)
お父さんは病気を治せって言ってたけど、本当に私は病院に連れていかれるの?
ここに来て不安が押し寄せてきてグルグルと思考していると、急に誰かが私の頭に触ってきてビクリと震える。
ゆっくりと頭の布が外されていくのが感覚でわかり、目元を覆っていた一枚を取り払われると視界が開ける
「やあ、カーミラ様」
最初に視界に写りこんできたのはやけに胡散臭い笑顔の男の人で、彼は私の顔を覗きこんでいる。
(あれ? こいつって…………ああそうだ!)
家に出入りしてた商人の……確かジョドゥンとかいう!
続いて口をふさいでいた布が外されてようやく喋れるようになった。
安堵と同時に沸き上がる苛立ちに、私は目の前の男に思いつく限りの文句を言おうとするけれど…
「なんなのよ! いいから早く下ろし」
バシンッ!!
「っ………え?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
破裂音みたいなのが聞こえたかと思えば、頬っぺたに焼けるような痛みが走る。
え……私…今、叩かれ、た?
「な、なにすん」
ゴッ!!
「ぶべぇ!?」
もう一度文句を言おうとするも今度は強く殴られた。それもグーで。
さっきと違う鈍い痛みにカヒュッカヒュッと呼吸が定まらなくて、今ので口の中が切れてしまったのか血の味が舌先に広がる。
(なに……? なんなの!?)
突然の暴力に私はただただ混乱するしかない。
だって、こんな仕打ちを受けるようなことなんて、何もしていないのに……!
「いや~、最初見た時からずっと思ってたんすよね……」
なのにジョドゥンは、たった今そんな暴力を奮ったのが嘘のようにニッコリと笑っていた。
「カーミラお嬢様って………殴りがいのある女だなって!!」
すごく楽しそうに笑っている顔は少年みたいに無邪気なのに、それが逆に狂気を感じさせて歪だ。
(なに!? なんなのこいつ!!)
怖い……!
怖い怖い怖い!
私は身じろいで逃げようとするけれど、それよりも素早い動きでジョドゥンが私の肩を引っ張ってきて、仰向けになった私の身体に馬乗りになって抑えこまれた。
「や~…生憎だけどさ、あんたは道中喋らないよう躾とけって命じられてるから。
だから、喋んないでね?」
ゾワリッ
小首を傾げて無邪気にお願いする、その笑顔に鳥肌が立った。
「あ、あんた! こんなことしてただですむとぶえ!!」
「喋るな」
ジョドゥンは笑顔のまま、ただ静かに命じる。
「わ、私は貴族なのよ!? 商人が貴族を殴ったら、死刑じゃすまなひぎぃ!?」
「喋るな」
ジョドゥンは同じ笑顔、同じ声のトーンで、同じ言葉だけを命じる。
「わ、わがったわ! お金が欲じいんでしょ!? いぐらでも用意するがら一旦待っごはぁ!!」
「喋るなって」
一切変わらず同じ命令だけを口にし、私が喋ることだけが許されない。
「ひっ……っ……!」
なんなの、こいつは何がしたいのよ!?
(に、逃げなきゃ!)
恐怖に震える中、私の中の生存本能が警鐘を鳴らす。
このままここにいたら、きっと私は殺される。
いやだ、また死ぬのはいや!
せめて本物のアルディードに会ってからじゃなきゃ、生まれ変わった意味がないじゃない!!
ふいに前世で階段から転落した時のことを思い出す。
あの時だって即死じゃなかったから、完全に死ぬまで頭が痛くて苦しくて怖かったのに、今度は死ぬまでじわじわと殴られ続けるんだ。
そんなの……もっと痛くて苦しいに決まっているじゃない!!
「やめで!! やめろクソやろう!!」
私は抑えつけられていた片腕をどうにか引っこ抜いて、咄嗟にジョドゥンの喉を殴る。
思いもよらぬ反撃に反応できなかったジョドゥンがぐえっと喉を抑えて呻くのを見て、さらに追撃をかけるべく股間を蹴り飛ばした。
「ーーーー!?」
よほど痛かったのか彼は声すら上げられずに悶絶する。
ざまあみろ!
私はクソ野郎の身体を押し退けて立ち上がろうとするけれど……
「ぎゃ!?」
右足が何かに引っ掛かって前のめりに転んでしまい、後ろを見ればジョドゥンが私の右足を掴んでいる。
「は、はなじで!! はなぜえ!!」
私はもう無我夢中でもう片方の足で何度も彼の腕を蹴るけど、握る力が強くて離れてくれない。
「ははは……俺も色んなクソ女を殴ってきたけど、ここまで抵抗されたのは初めてだなあ」
大抵は5・6回殴られた時点で大人しくなるものなんだけど……と小さく呟くジョドゥンは、先ほどまでの笑顔が鳴りを潜め無表情になっていた。
それはさっきの笑顔よりも一層不気味で…
「これはいつもより、『躾』を厳しめにしてもよさそうだな」
「だ、だれがぁ!! だれがだずげてぇ!! ごろざれるぅ!!」
私は逃げたい一心で大声で叫んだり、馬車の壁を力の限りガンガンと殴ったりして外へ助けを求めた。
その時に手の甲が擦りむけたりあざが出来たりするけれど、こいつの暴力に比べたら全然痛くない。
「無駄だって。この馬車は特別製で、内側からの音は外に全く聞こえないから」
「ひぎいぃっ!!」
「あ、やべ」
バタリと床に倒れてビクビク痙攣する私を見て、さすがにやり過ぎたとジョドゥンは無表情が崩れてオロオロしだし、慌てて近くの壁に備えてあった小窓をノックする。
「悪いロベルト、回復任せた!」
「なんだ、もう壊したのか? まだ出発したばかりだろう」
小窓から男の人の呆れたような返事が聞こえたかと思えば、壁の一部が開いて誰かが屈んだ姿勢で入ってきた。
それは、あの時のお医者さんだった。
彼は冷めた眼差しで私を一瞥すると、呟くような声色で呪文を唱えていく。
すると私の身体が淡く光ってジョドゥンから受けた傷が消えていった。顔の傷も治っていくけれど、足の骨折はそのままだ。
(痛いっ………まだ痛いよぉ……!)
どうせなら全部治しなさいよと心の中で悪態をつく私を他所に、二人はまるで世間話でもしているかのような態度で会話している。
「ジョドゥン、加減はしろよ。回復するにしても殺してはもとも子もないからな」
「わかってるって~、ロベルト!」
呆れ顔で注意するお医者さんに困ったように笑うジョドゥンが、また無邪気な笑顔を浮かべて手を伸ばしてきた。私はその手に対する恐怖から顔をひきつらせる。
「ひっ! いやあ! 来ないでごへえ!!」
「君が静かになるまで、殴るのをやめないから」
そしてまた彼の暴力が始まる。
私が一言でも喋れば、その度に一回殴られる。
「いや………」
殴る、殴る。
ただひたすらに、笑顔で殴る。
「やめっ…」
死にかければ治されて、また殴られたら治されて。
「いや……いやあ……!」
殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
「いやあああああああああ!!!!」
終わりのない地獄に、私はただ苦痛と恐怖から泣き叫ぶしかなかった。
「お待たせしました。ご注文の品をお届けに参りました」
エスティオス公爵家の直轄領の中でも、クヴェニラの国土に隣接する小さな屋敷前。予定通り『商品』の引き渡しに現れたファイグに、ジョドゥンはいつもの営業スマイルで礼儀正しく一礼する。
「やあ、いつもご苦労」
軽く微笑んで挨拶するファイグは、馬車の扉に手をかけてガチャリと開け、まず中身を確認する。薄暗い内部が外から入り込む光に照らされ、黒い布で覆い被された大きな塊が目に入る。
「………殺してはいないだろうね?」
彼に限ってないとは思いたいファイグだったが、『商品』の梱包がいかにも な状態に見えたためにどうしても気になってしまう。
「大丈夫ですよ。ロベルトがついていますから」
ニコニコ笑うジョドゥンに対し、ロベルトがうんざりしたようにため息をつく。
「お前はもう少し加減を学べ。行きだけで何回これ が死にかけたか忘れたのか?」
「だってさ~、喋るなって言っても全然言うこと聞かないし、おまけに何度手足へし折ってもすぐ逃げようとするんだぞ? むしろ物覚え悪いの向こうじゃん」
「まあ………確かにいつになく強情なやつではあったな」
ロベルトの言葉にファイグは意外そうに目を見開く。
「ほう、お前の暴力にも屈さなかったか」
「ええまあ。ただ、さすがに途中から反応がワンパターンになってきたもので、いい加減飽きてしまいまして」
肩を竦めて苦笑しているジョドゥンだが、本当は飽きてなどいないのだろう。むしろ何度いたぶっても反抗する玩具に、さぞ長く楽しんだことだろうとファイグは長い付き合いから悟る。
撲殺死体と言っても過言ではない無惨な少女の身体は、上下する胸だけがそれが生きていることを証明している。
彼女は暗闇に差し込む光に気づくと、唯一開いている目がファイグに焦点を合わせる。
「……だず、げて……」
おそらく手を伸ばしているつもりなのだろう。
折れた右腕を力なく上げてファイグに懇願する。
「ふむ、ちなみにどう助けてほしいんだい?」
「じに……だぐない……!」
死にたくない。
生きたい。
壊れた笛のようなダミ声で必死に訴える彼女を見て、ファイグは目を見開く。
(ほう、これだけの暴力を受けてまだ生に縋り付くか……)
エスティオス式の『躾』を受けた者達の大半は、目的地に到着する頃には喋らなくなるどころか、並みの精神ならば殺してくれと頼みこむくらいにまで心が折れてしまっている。
しかしこの女はまだ死を望んでいるわけではなく、それどころかきっとまだ自分は助かると信じてすらいる。これはまた恐ろしい精神力の持ち主である。
ただある意味では、それは不運なことだったかもしれない。
「………大丈夫、ここからは好きに喋ってもいい」
優しい声色でそう告げれば、彼女の目が歓喜の涙を流す。
しかし、懐から取り出した愛用のペンチで彼女の指先を軽く摘まめば、ファイグはニコリと喜悦に満ちた笑みを見せる。
「その代わり……知っていることを教えてくれないかい?」
その笑顔が先ほどまで自分に苦痛を与えていた男のものと同じであると気づいた瞬間、彼女はまだ地獄が終わっていないのだと理解してしまった。
……いや、そもそもまだ始まってすらいなかったのだと、絶望から目を見開いて震えるのだった。
よく護送中にギャンギャン文句を言う転生ヒドインを見かけますけど、『だったらいっそ喋る気力を削ぐくらいボコ殴りにしたらどうなるかな?』という疑問から生まれました。




