166 リオネルの問いと、言えない真実
「おお、やっているね。僕達も仲間に入れてくれるかな」
エルがいつもの明るい声で言う。
私の横で、エヴァ先輩がぴたりと動きを止めた。
エルの方を見つめて、ほんの一瞬だけ表情が柔らかくなる。
……いつもの鋭さが消えている。
私はぎこちなくうなずいた。
胸の奥がざわざわして、さっきから落ち着かない。
龍一郎君が行かなかったからじゃない。
——そうじゃない。
アナスタシアのお茶会……あれって、私のせいだったのかしら。
エルはその微妙な空気を察したのか、すぐに私のところへ来てしゃがみこんだ。
目線を合わせてきたエルの後ろで、エヴァ先輩が小さく息をのんだ気がした。
視線が、エルの背中に吸い寄せられている。
エルがまっすぐ目線を合わせてくる。
——その優しさに、思わず目をそらした。
「サァーシャ?どうした。ケーキが上手く膨らまなかったのかな?」
いけない、皆に心配をかけちゃうもの。
「えっと、抹茶と小豆を使ったから、エルのお口に合うかは分からなくて……」
エルの隣に立つ背の高い青年が口を開いた。
「抹茶か、眠気覚ましにはいいな」
——そう言いながら、周囲を一瞥してから、
背の高い青年はワゴンのケーキを一つつまみ、口へ放り込んだ。
手づかみ……?
そんなこと、言っている場合じゃないのに——と、なぜか引っかかった。
「おい、こらっ」エルが慌てて彼の手を掴んだ。
「僕もまだ食べていないんだからな」
えっと、この人がエヴァ先輩のお兄様?
私が不思議そうな顔をしていたのか、エヴァ先輩がお兄様を紹介してくれた。
「兄のリオネルよ」
「そうか、サァーシャは初対面だな。リオネルは幼馴染で大学でも専攻は一緒なんだよ。腐れ縁だな」
「ああ、いつも妹が世話になっている」
「……兄が来たのは、母が“危険”だと判断したからよ」
その一言で、場の空気がわずかに張りつめた。
エヴァ先輩の言葉を受け、リオネルは静かに頷くと、眼鏡を左手の中指で押し上げた。
「ところで、カデンツァ家で何があった。私の方までは話が来ていないな」
「お兄様が出ると大事になるからだわ。まだ子供のいざこざ段階だもの」
「子供のけんかに大人は出て来るなって言うことだな」
「ましてや、王家はね。でもけが人が出てからじゃ、手遅れだわ」
エヴァ先輩が口をとがらせて、お兄様をにらんだ。
けが人? そうよ、思い出したわ。敬君は階段から落ちたんだわ。あのけがはもう大丈夫なのかしら……。敬君の顔を見ると、彼は片目をつむって笑顔を向けてくれた。
良かった。もう大丈夫ね。心が少し温かくなる。
「深刻だな、で、何故アッシュフォード伯爵家が関わるんだ。国際問題なのか」
部屋の空気が、ぴんと張りつめた。
リオネルは、エルのほうへ視線を向けた。
「エル、お前から聞いた話は“概要”だけだ。
……詳しいことは、エルも知らないという理解でいいのか?」
エルは困ったように眉を寄せた。
「うん。サァーシャは……何も言ってくれなかったから」
その言葉に、胸がぎゅっと縮む。
だって、言えるわけがない。あんなもの──。
リオネルの視線が、今度は私へ向いた。
冷たいわけじゃない。でも、逃げ場のない目だった。
「……では、当事者に聞くしかないな」
レムが小さく息を呑む気配がした。
彼の指先が、ほんのわずかに震えている。
「アッシュフォード伯爵家の者が“気配”を感じているのなら、なおさらだ」
レムは顔を上げた。
その瞳は、怯えと決意が入り混じったように揺れていた。
「……あの赤い石から、嫌なものを感じました。
甘いのに……濁っていて。
“誰かの執着”が、石の奥に沈んでいるみたいで」
エヴァ先輩が息を呑む。
エルが私の前に一歩出る。
リオネルは静かに頷いた。
「赤い石? やはり“呪物”か。
……子どものいざこざでは済まない理由が、ようやく見えてきた。」
部屋の空気が張りつめたまま、
リオネルは静かに息を吸った。
「……大公殿下の周囲では、過去にも“似たようなこと”が起きている。
——表に出ていないだけでな。
今回の件が、それと無関係だとは思えない。」
エルが目を見開く。
「それは……過去の事だよな?」
「エル、お前は知らないほうがいい。
王家は“あの件”に深入りできない立場だ。」
エヴァ先輩が小さく震えた。
彼女は何かを知っている──けれど言えない。
リオネルの視線が、今度は私に向く。
「サァーシャ嬢。
……君は、何か“見てしまった”のではないか?」
私は息を呑んだ。胸の奥がざわつく。
「それとも──誰かから聞いたのか?」
胸がどくんと跳ねた。
美魔女?
赤い唇。
冷たい笑み。
そして──大公殿下の隣に立つ影。
言えるわけがない。
でも、言わなければ誰かがまた傷つく。
——どうすればいいの。
ふと、温かい手が肩にのった。
顔を上げると、龍一郎君と敬君が両脇に立っていた。
「大丈夫、僕たちがいる」
龍一郎君がそう言えば、敬君も頷いた。
胸が温かくなり頬が濡れる。
「サァーシャ!俺様に任せろ」
ローラントが2人をぐいっと押しのけて私の手を取った。
「ありがとう」
ちょっと泣き笑いだ。
「……落ち着いたところで、もう一つ確認したい」
低い声が、部屋の温度をまた一段下げる。
「その“赤い石”──最初に持っていたのは誰だ?」
最初に持っていた人──?
その瞬間、胸の奥がひゅっと冷たくなった。
思い当たる“影”が、ひとつだけあった。
——あの人しか、いない。




