100 ほーほーほたる来い
夕焼けが綺麗。
しんみりと、黄昏時を楽しんでいたら。
コンコンと隣のバルコニーから仕切りを叩く音がした。
ぎょっとして仕切りの方を見る。
1人でいるときに謎の物音なんて勘弁して欲しい。
も、もしやポルターガイスト……
おそるおそる近寄ってみれば声がする。
「愛梨花ちゃん、起きた?」
なんだ龍一郎君だ。お隣だったんだ。
ほっと胸をなで下ろした。ホラーは苦手なんだ。
「うん」
「そちらの部屋に行っても良い?」
「うん」
急いでベランダから出ると部屋のドアを開けた。龍一郎君と神馬君のお兄様がたっていた。
龍一郎君が私を見るなり手を伸ばして私の頬を撫でると手の甲を額にあてた。
「顔が赤いよ。少し熱があるかな」
神馬君のお兄様が私の肩を掴むと、コツッと自分のおでこを私のおでこにあててくる。
ちっ、近いんですけど……
「たしかに、熱いな」
「お布団に潜っていたから……」
「中に入って、医務室に電話を入れるから」
龍一郎君がそう言うと私の肩に手をやり部屋の奥へと誘導する。
何故か龍一郎君の雰囲気が怒っている。怒られながら部屋の中へ入った。
龍一郎君が医務室に電話を入れている間に部屋のソファーに座っていると、神馬君のお兄様が部屋の冷蔵庫からお水を出してくれた。
お兄様達は本当に面倒見が良い。感心してしまう。(注:我が家のお兄様を除く)
「さっきは大丈夫だった?イヤな思いさせてごめんね」
龍一郎君が頭を下げたので驚いて止めた。
「龍一郎様は関係ないです。私が悪いので、多分」
「それは、どうしてそう思うんだ」
神馬君のお兄様が私の顔を覗き込む。さっきからやたらと距離が近いのです。龍一郎君が神馬君のお兄様の肩を掴んで引きはがしてくれた。
「こら、あまり愛梨花ちゃんに近づくな」
「あ、悪い悪い」
その様子から無意識なのがわかる。神馬君の家は家族の距離が近いのかもしれないな。なんて考えていると
「で、何を言われたの」
神馬君のお兄様が真剣な眼差しを向けてくる。なんて言おう……
「あの、幼稚園で、さっきの人の弟さんに何かしたのか、していないのか……」
覚えていないからはっきりとわからない。弟さんが誰かも知らないんだ。
「わからないんだね」
私が俯いていると、龍一郎君がため息をついた。
「わからない?何故だ?」
不思議そうに神馬君のお兄様が詰め寄ってくる。
まっ、普通はそう思うよね。龍一郎君が言っても良い?と、目配せをしてきたので頷いた。
「愛梨花ちゃんは去年の9月以前の記憶がないんだ」
実は幼稚園では皆知っている事だから、今さら隠すこともないんだけど。
「記憶喪失?」
んんっ?その言い方はおしゃれだぞ。何だかミステリアスな雰囲気だし。
「ああ、そう言うことだ。僕達も出会ったのはその後だから以前の事を知っているのは……」
「虎太郎君なら、何か知っているかも。お祖父様にも以前はお目にかかっていなかったから……」
私が言うと、神馬君のお兄様は少しあきれたように顔をしかめた。
「それも凄い話だな。記憶もなくて、それを誰も知らないなんて。皆一緒に住んでいるんだろう?」
それを言われると元も子もないです。おしゃっる通りなので。
「ごめんなさい。覚えていなくて」
何だか申し訳なくて、今日は色々いっぱいで込み上げてくるものがあった。
「敬、お前もう帰れ!」
低い声で龍一郎君が言う。席から立ち上がると神馬君のお兄様の肩を小突いた。いつにない龍一郎君の態度に驚いた。
こんな風に感情をあらわに出すのは見た事がなかった。かばってくれているんだ。
責められるよりも優しくされる方が、涙腺が弱い。我慢できなくて視界が曇ってきた。やっぱりお布団かぶろう。
立ち上がってベッドにいこうとしたら、神馬君のお兄様に腕を取られてクルリと向きが変わってポスッと胸の中に抱きかかえられた。
「ごめん。悪かった。責めるつもりはないんだ」
ぎゅうっとされれば余計に涙が止まらない。
「おい、敬、愛梨花ちゃんを離せ」
あせったような龍一郎君の声が聞こえた。それから耳元で龍一郎君が言う。
「愛梨花ちゃん。こっちの水は甘いぞ」
んっ?ほたるか?
顔を上げると龍一郎君が微笑みながら両手を広げていた。
神馬君のお兄様が手を下ろすとふら~~っと龍一郎君の腕の中へ飛んでいく。また耳元で
「愛梨花ちゃん。そっちの水は苦いぞ。こっちの水の方がもっと甘いぞ」
また神馬君のお兄様の腕の中にふら~~っと飛んでいく。
そんな事を繰り返していたらいつの間にか胸の中のモヤモヤは消えてなくなった。
涙が引っ込んだ頃、お祖父様がいつものお医者様を伴ってお部屋に戻られた。
「顔が赤いな。目も赤いぞ」
お祖父様が私を抱き上げると椅子に腰掛けた。私はお祖父様の膝の上だ。
そのまま、お医者様が私の手首で脈を取る。
龍一郎君達は”後でね”と言うと、お祖父様にご挨拶をして部屋を出て行った。
診察は簡単に終わった。
「風邪の初期症状ですね。疲れが出たのでしょう。お薬を出しておきましょう」
先生はいくつかのお薬を千鶴に指示すると、お祖父様が私をベッドまで運んでくれた。
「夕飯はルームサービスにするからゆっくりしなさい」
私の頭を撫でてからお医者様とリビングへ行かれた。
お医者様とお祖父様は少しお話しになっていたみたいだった。




