家族
私は数日中に森田さんを連れてくることを約束し、盆栽を後にした。
「何か…考えがあるんだろうな?」
デブ猫は腕の中でグロッキーになってるくせに、私たちの前でだらしない姿を見せたからと鼻を鳴らして強がっている。
「考えというか、予感というか」
ささやかな狙い……というか希望というか。その中身を話そうと言葉を選んでいると、小さなツインテールが後ろ髪を引くように私たちを呼び止めた。
「ねえ、どうしてなの?」
「それは、私が森田さんを連れて行こうとするミラを止めなかったこと?」
「そうよ……当たり前でしょ。それ以外何があるっていうのよ!?」
肩を怒らせ、眉間にシワを寄せてるくせに握りしめた拳は不甲斐なさで震え、生真面目で真っ直ぐなツインテールも心なしかボサついているように見える。次の瞬間には目元を濡らし始めるかもしれない。
モリサは葛藤していた。ミラの前で、どうしてこの勇気が出せなかったのかと。
「どうして?どうしてワコは……お母様を連れて行くの?」
この金髪ツインテールは混じりっけのない純正品かと思いきや、とんだ悪女の気質を兼ね備えているのかもしれない。庇護欲をそそる声と眼差しのせいで、喉まで出かかった言い訳がつっかえて出てこなくなってしまった。
「小娘の分際で話の腰を折るんじゃない。今そのことについて話しているんだろうが」
同じく、ママに手も足も出なかったパンダはいつになく苛立っている。今までなら負けじと言い返してきたモリサも、収まらない葛藤に気疲れして言われるままに小さくなってしまう。その顔がまた、私の下心を刺激した。
「ふぐぅ!」
抱きかかえるパンダの腹を締め付けて黙らせると、私は改めてモリサに向き直った。
「安心して。森田さんは連れて行かせないから」
「ほ、本当?」
私は自信をもって頷いた。
「私はね、モリサが森田さんを心から信じてるように、私もママのことを信じてるの」
「……きり江さんがミラを裏切るってこと?」
「まあ、そういうことになるのかな」
岬を躾けようとして紅鬼ことミラに止められて帰ってきた時のママの不機嫌な様子。あれは嘘じゃない。ママが紅鬼の「利き腕」を斬り落したのはそのせいもあると思う。
ママも、本心ではミラに復讐なんかしてほしくない。だからミラの生まれ変わりだと信じていたヘラクレスちゃんから角を奪った。
私がママの悪巧みを見抜いて喜んだのは、ヘラクレスちゃんの友だちになった私が吉津みたいに誰かに利用されて彼女を不幸にさせない確信が持てたから。
ママは、ヘラクレスちゃんはヘラクレスちゃんのまま、柊和子は柊和子のままでいることを望んでる。
これまでの悪戯は全部そのためにしてきたこと。
「……なんだかもう、どうでもよくなっちゃったのよ」
あの時見せた落ち込みようは、そんな100年の努力を打ち砕かれてしまったから。
「私は、ワコを信じていいの?」
それでも私は信じている。
「大丈夫、私はモリサを裏切らない。お互いのママに賭けてね」
ママは絶対に私を裏切らないって。
気晴らしもかねて外で食事を取り、公園を散歩して帰ると、家の前に雨でもないのに迷彩柄のカッパを着た大柄な男が不気味に佇んでいた。
「最近思うんだが、どうしてどいつもこいつもゲームのNPCよろしく、フラグを立てれば律儀に家まで迎えにくるんだろうな」
そして、誰も彼もがわざとそうしているかのように目立たない「フリ」をしている。
いくら私たちの家が奥まったところにあるからといっても2m近いトーテムポールが突っ立ってたら嫌でも目に入る。頭も尻も曝け出しておいてドヤ顔でいる。
お向かいのラスボスもとうとう本領発揮したらしく、見える範囲のご近所さん全部の窓に好奇の目が整列してしまっている。
いよいよ私の「旅立ち」の日も秒読み段階に入ったという訳だ。
そう思った矢先、トーテムポールは私たちを見つけてズンズンと無警戒に近寄り、ことさらデカい声で挨拶をかましてきた。
「久しぶりだなぁ。柊さん、パンダの兄貴ぃ、それとモリサぁ!」
「う、右近、なんでアナタがここに?」
カッパから覗くドレッドヘアーとサングラスなんか確認しなくてもその姦しい声の持ち主を私は一人しか知らないし、その声のお陰でドミノのように窓辺に並ぶ視線をさらに増やしてくれた。
「気にしないで。ただの飲み友だちだから」
視線に向かってそう呼びかけても「お前の飲み仲間がまともだった試しがあるかよ」なんて失敬な言葉がチラホラと返ってきた。
右近に小声で話すよう言い聞かせても「これ以上は俺が俺自身の声を聞き取れねえよ」なんて言う始末。声だけじゃなく耳もイカれてるらしい。
「よお、久しぶりだな」
「一緒に来てるならなんでアンタが迎えに来ないのよ」
誘われるままについて行くと、前回大杉たちに突き落とされたマンホールの前に左近の姿があった。
「コイツにエレベーターの番なんかさせたらオペレーターが可哀想だろうがよ」
「アタシのプライベートはどうなってもいいってわけ?」
「まあ、そんなに怒るなよ。前回パンダの兄貴に殴り飛ばされたお礼だとでも思ってくれれば安いもんだろ?」
「どこがよ。アタシはただのとばっちりでしょ?」
不満を押し殺してマンホールを潜ると左近の言う通り、小枝と名乗る気の弱そうなオペレーターが私たちを待っていた。
「それにアンタたち、動くにしても早過ぎでしょ。どこから情報を仕入れてるのよ」
私たちが鼠派に向かうことは数時間前に決まったばかり。森田さんがこうなることを予測していたか、特別な情報屋でもいないとこんな絶妙なタイミングは計れっこない。
「がんもだ。アイツが白状した」
彼はミラの完全復活の連絡がちりめんおじいちゃんから入るなり、森田さんに意味深な言葉を残しつつ姿をくらました。
彼はこう言った。「俺たちのモーセが目を覚ました」と。
自分よりも遥かに付き合いの長い「モーセ」に母を会わせることになるかと思うと、モリサはやはり不安を覚えずにはいられず俯いてしまった。そんな心配性な妹にスキンヘッドは言った。
「安心しろ、モリサ。ママは俺たちを見捨てない。このことをわざわざ俺たちに打ち明けたのが何よりの証拠だ。違うか?」
「そ、そうだよね」
「まあ、ママがそれを望んでるってんならぁ、俺たちもポルミスみたく全力でそれをサポートするのが筋なんだけどなぁ」
「それは……」
バキッ!
右近の横槍でモリサの顔がまた萎むと唐突に、左近は彼を思い切り殴り飛ばした。右近も獣の本能とでも言うべき反射神経で一歩後退って衝撃を逃がすと、素早く重たい一撃を左近に返した。
「きゃあっ!」
唯一、戦闘経験のない小枝の悲鳴が二人に「待った」をかけ、兄は睨みながら弟の不可解な行動の理由を問いただした。
「おい左近……テメエいったいなんのつもりだぁ・」
右近の渾身の右ストレートを、左近は無防備に正面から受け留めていた。
兄よりも体格がいいとはいえ、顎に命中した彼の大きな額にはビー玉のような脂汗がコロコロと転がり、ガン〇ムのような頑強な膝は濡れた折り鶴(足付き)のようにプルプルと震えていた。
避けようと思えば避けられたはず。それでも左近は一歩も退かなかった。頬が切れて血が飛び散り、自慢のスーツにいくつものシミをつくりながら、緩んだネジを閉める気軽さで顎を戻すと兄を鼻で笑った。
「深い意味はねえよ。周りから『兄』なんて呼ばれてる奴のパンチがどれほどのもんなのか改めて知っておこうと思っただけさ」
「ああ?」
「なんのことはねえ。テメエのパンチじゃあ俺に膝もつかせられねえ。ベビーのビンタと同レベルってことだ」
「あんだとぉ!?もう一発もらいてえのかぁ!!」
「……恥ずかしくねえのかよ?あれこれ偉そうに語って妹を不安にさせてよ」
「うっ」
やがて震えていた膝も収まり、額をびっしょりと濡らした一匹の鼠は意地と見栄だけで背筋を伸ばした。
「俺たちは皆、ママの力になりたいと思ってる。当然だ。だがそれと同じだけ、ママも俺たちに『兄弟らしく』振舞ってほしいと思ってるだろうよ」
口に付いた血を拭い、乱れた襟を整え、いまだに身構えている兄を彼は真っすぐに睨み返した。
「だったら今、俺たちがモリサにしてやれることはなんだ?今まで溜めてきたアルバムを見せることか?それとも、しょせん人は皆他人だとアルバムを暖炉に放ることか?」
彼の言葉に聞き入る妹にぎこちない笑みを見せ、その姿を兄に見せつけた。
「妹をイイ女に育てる。それが俺たちにできる最高の親孝行ってもんだろうよ。……なあ兄貴、俺は何か間違ってるか?」
「…いいや、何一つ間違っちゃあいねえ……」
あの、口を開けばギャアギャアと騒ぎ立てるしか能のないチンパンジーが弟の説教にじっと耳を傾けたばかりか、想いを残した亡霊のようにガクリとうな垂れて「うぅ、うぅ」と不気味な嗚咽を漏らし始めた。
「あぁあぁ、その通りだぁ兄弟……俺が間違ってたぁ。モリサも……すまねえぇ」
園児と格闘家ほどの体格差のある男がガシリと少女を抱き寄せ耳元で「おんおん」と泣き出すと、少女は堪らず彼を慰めるけれど、堪らずもらい泣きもしてしまっていた。
「私は大丈夫、大丈夫だから!……それよりも私は、私を家族の一人として真剣に考えてくれたことだけで……すごく嬉しいよぉ……お、お兄ちゃん……」
小さなアンドロイドの顔は真っ赤に染まり、目尻からボロボロと零れ出る冷却水をいつまでも止めることができなかった。
森田さんは屋敷の門前で私たちを待っていた。その様子からてっきりまた家族ドラマの見所的ワンシーンが展開されるのかと思いきや、彼女はただ一言「お帰りなさい」と言うだけでその場から一歩たりとも動かなかった。
でもその涼しい表情はどこか薄氷のようで、らしくない落ち着きのなさをごまかしているように見える。誰よりも長く彼女の傍にいたモリサがそれに気づかないわけがない。
けれど、期待されればされるほど表に出しにくいのも金ツイという属性の良くもあり悪くもある部分なわけで。
「た、ただ今帰りました、大奥様……」
鼠派の外へと旅立ったその時からこの瞬間を幾度も描いてきたはずなのに。つい今しがた予行演習を済ませたはずなのに。
臆病なツインテールは本番でその成果を見せらず、もじもじしている。
「……そう」
すると森田さんの表情に厚みが増し、ほんの少し間を置いて踵を返した。これからも変わらない「日常」が続くでしょう、と宣言するように。
私たちの関係を壊すものは何一つないのだと、そういう背中を見せた。
「お、大奥様!」
女の子は弾かれるように白髪の主人を呼び止めた。彼女は半身で応え、「アンドロイド」を横目で見つめる。
――――私はただ、いつまでも傍にいて欲しくて……
「た、ただいま帰りました……お、お、お母…様……」
どうしてこんな何でもない一言がこんなにも恐いんだろう?
どうしてこんな何でもない一言にこんなにも勇気がいるんだろう?
「お帰りなさい、私の可愛いモリサ」
貴方の言いつけも守れず、ポルミス兄さんに悲しい想いをさせたから?兄さんを置き去りにして自分だけ帰ってきてしまったから?
「私はずっと、ずっとアナタにそう呼んでもらいたかったのよ?」
…なんとなく、そんな気がしてた。だけど……
「お、母…お母様……お母様っ!!」
不出来な子どもなんて貴方には相応しくないって思ってたから……っ!……恐かった……恐かったの!!
なんでもっと早くこうしていなかったんだろう?今は無駄に怯えていた自分が情けなく思えて仕方がない。
もしも一分でも昔の自分に伝えられるなら、私は大きな声で言ってやるわ。
「お前のツインテールは伊達じゃないのよ!!」
赤ちゃんみたく大泣きしたモリサは、すっかり気まずくなって森田さんの背後霊みたく背中に隠れて顔を見せなくなってしまった。
「見苦しいところを見せてしまってごめんなさい」
薄氷の顔を見せながら言うけれど、唇だけは薄っすらと弧を描いている。そんな関係がとても羨ましく思えた。
そんな私の表情に気づいたのか。唇さえも薄氷の下に隠し、彼女は私の用件に迅速に応えた。
「明日、盆栽に伺います。そこでミラ様にお暇を頂くよう申し出たいと思っています。ここに私を『母』と呼んでくれる子どもたちがいる限り。100年でも、200年でも……」
心の底では私も、誰かがそう答えてくれることを期待していた。
「ママぁ、本当に俺たちが一緒に行かなくていいのかぁ?」
「そうです。何も起きないと言うのならモリサを連れて行っても何の問題もないでしょう?」
翌日、森田さんは色黒兄弟はおろかモリサも付けずに盆栽に向かうと言うので、彼女を慕う子どもたちはそんな無謀はさせられないとあれやこれやと案を出しては森田さんにすっぱりとあしらわれていた。
「安心なさい。これでも長の端くれ。長く戦場から離れていたとしても他の二人に遅れをとるほど衰えてはいませんから」
「そ、そうかもしれねえけどよぉ……」
「それに、和子さんもパンタグラフさんもいるのですから」
母の口調には子どもたちに魔法をかける不思議な力があって、不思議とすべてが彼女の言う通りになる全知全能の威厳を感じさせた。
まるで、昨日までのあの人のように。
「ワコ、お母様のこと、頼んだわよ。……絶対、無事に連れて帰ってきてよ?いい?」
ここまでの「家族アピール」で散々欲求不満にさせてくれたからか。心なしか私の心配もしてくれているようなその一言がひどく嬉しかった。
「では行ってまいります。帰ったら、久しぶりに皆で食卓を囲みたいから。準備をお願いしておきます」
森田さんは最後まで子どもたちのことを想い、待たされる人間が不安に駆られないよう仕事を言い渡して家を出た。
子どもたちも、森田さんの遺伝子を直接受け継いだ「実子」という訳でもないのに、心から母親に応えようと努力してる。
そんないじらしい姿が、私を心から嫉妬させた。




