今まで、そしてこれから
猫派に戻り、検閲所を潜る時、どこか「テッテレー」という効果音とプラカードを持ったスタッフに囲まれること期待している自分がいた。だけど現実はそんなこともなく「俺たちの邪魔はしてくれるなよ」と、堂々と岬を名乗る猫から警告を受けるだけ。
けれど、検閲所を離れるとそんな岬からの視線もなくなり、適度に汚れたカフェややる気のない生鮮市、ちょっと怪しげな臭いのするビル、酔い潰れたちが累々と行倒れる裏路地。そして、通い慣れたカレー屋。
10年間慣れ親しんできた猫派の空気が私を労うように迎え入れてくれた。
道中、何人かの飲み仲間に会い、誘れたけれど「今は仕事中だから」そう言って断ると間髪入れず「ウソつき」呼ばわりされた上に、あれよあれよと言う間に次の飲みでは私がおごる羽目になってしまった。
「なんで?仕事だって言ってんのになんであんなに責められなきゃいけないわけ?」
「自分の胸に聞いてみろ。それでわからないなら俺が記憶喪失の急患として病院にブチ込んでやる外ないな」
そのセリフにはほんのりと悪意が込められていた。
「普段からあんな連中とつるんでるの?」
さらに運が悪いことに、モリサが目にした「あんな連中」は俗にいうルンペンたちで、どうやって生活しているかも怪しい身なりをしている。
モリサの言いたいことはよくわかるけど、
「見た目よりはいい奴らだよ。『お前は悪くない。悪いのはお前に働かせる世の中だ』って、いつも私のこと励ましてくれるし」
「そうしてきっちり俺が働いた分だけ飲み散らかして道端に倒れるお前を回収するのが俺の役目って訳だ」
「……そういうことらしいね」
モリサは良い子だから、偏見やたまたま目にしたもので物事を判断しないよう心掛けているみたいだけど、当事者の証言に関してはその範疇じゃなかった。
まぁ、間違いなく私への好感度は下がったんだろうけど。
「猫派の犯罪率が三大派閥の中でダントツトップな理由がわかったきがするな」
「何でもかんでも猫のせいにしないでよ。岬や鼠もわざわざここで面倒事起こすからそう見えるだけで―――」
パアンッ!
突然、町中に響き渡る銃声。建物から転がり出てくる男たち。彼らはドスを構え、ドスの利いた声で怒鳴り合う。
「なに言いがかりつけてくれてんだコルァァ!騙される奴が悪ぃ!きり江様がいつも言ってんだろうが!」
「あぁあぁ、そうだな。だがなぁ、きり江様はこうも言ってるぜ?やられたらやり返せってな!覚悟しろよ、ジジイ!」
飛び交う罵倒と銃弾。すると、騒ぎを聞きつけた野次馬たちが遠巻きに見物し、彼らを囃し立てる。その光景はあまりに日常的過ぎて、完全に町に馴染み切っていた。
モリサは訴えるような視線でチラリと私を見やる。
「こ、こんなのただのケンカじゃない。知ってる?猫派では死人が出て初めて『犯罪』になるのよ?」
「まあ、あの女ならそんな風に言いかねないな」
私の苦し紛れの言い訳に対し、モリサは「ふぅん」と相槌を打つだけ。そして、見かねたパンダはこれまた慣れた様子で彼らに近寄り、声を掛けた。
「テメエら、今日のところはその辺にしておけ」
すると、賭場のヤクザたちはパンダを見るや否や、血相を変えて頭を下げた。
「パ、パンダさん、お勤めご苦労様ですっ!!」
私に代わって「散歩」の日課を欠かさないパンダは自然とこういう連中と交流を深め、気づけば元締め的な立ち位置に就いていたという。
両者はパンダが本気になる前にと、迷惑料を置いて蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの巣穴へと帰っていった。
「……迷惑料これも合法なの?」
「ゴ、ゴホン、言ったでしょ?死人がでなきゃ犯罪じゃないって」
「やっぱり猫とは仲良くなれそうにないな」
そうボヤくと、モリサはさっさと勝手知ったる私の家へと歩き出していた。
翌朝、もはや私に抱かれることに抵抗を失くした金髪美少女の高めの体温と、穴だらけの壁から漏れる朝露を含んだしっとりめの朝日が全身を撫で、私は目を覚ました。
普段ならこんな贅沢な目覚めを神様に感謝していたかもしれないけど、今の私にはいろんな下地があり過ぎてとてもそんな気分にはなれない。
「……熱い」
気温は15℃。普通、肌寒いと言うべきところなのに。とても贅沢な待遇を受けている私の口からはそんな文句がこぼれ出ていた。……ううん、私が悪いんじゃない。「下地」が悪いんだ。
沸々と心の底で煮える衝動を抑え、私は静かにベッドを抜け出した。
「おっと」
コイツもまた、精神的ダメージが尾を引いているのか。いつもなら椅子の上でとぐろを巻いてる白ツチノコが、酒瓶を抱き枕にしてベッド脇に転がっていた。
二人を起こさないように渇いた喉も無視して外に出る。
扉一枚隔てた世界は、女々しさを感じさせる陽の光と、朝日が流した涙が空気に混じっていて、ますます憂鬱な気分にさせられた。
「……なんでこんなことになっちゃったんだろうね」
「地球」という名の自分の王国で大人しくしていればこんなことにはならなかった。
政権を握り、弟たちに後継者を産ませて独身を謳いながら陰で彼とイチャつくことだってできたのに。私だってそれなりに関係を深められたかもしれない。
宇宙に夢を見てしまったばっかりに……
夢に罪を擦りつけようとする自分が情けなくなってきて、私は巣穴へすごすごと逃げ帰った。
扉を閉じ、まだ辛うじて薄暗い部屋の中を見渡す。穏やかな寝息を立てる二人を見ていると、なんとなく朝食を作りたくなってコンロに火を入れる。
徐々に熱を持ち始めたフライパンから油の跳ねる音が鳴ると、危機管理能力の高いツチノコが飛び起きた。ツチノコはキッチンに立つ私を見つけるなり失言をかますから、もう一度深く眠らせておいた。
カリカリになっていくベーコンを見つめながら、同じ轍を踏もうとしている自分を見つめた。
今さら100年前のことを持ち出すのは果たして子ども染みているんだろうか。それともそれは「信念」と同様に価値ある感情なんだろうか。
私は彼女になんて声をかけるべきなんだろうか。
それがわからないまま会いに行くのは間が抜けているんだろうか。
「……」
それでもママなら――私はいまだにあの人のことをママだと思っている――絶対に会いに行く。その相手とどんな関係だったとしても。
ママは一人でいじけてるような女々しいのが大っ嫌いだから。
「柊和子巡査、パンタグラフ殿、おはようございます。本日はどちらに向かわれますか?」
盆栽のエレベーターを利用し始めて5年。初めてヘラクレスちゃん以外のオペレーターに出会った。おそらく新人らしい彼女からは、そこはかとない初々しさが感じられた。そんな子に向かってこんなことを言うのはやはり気が引けるんだけど……
「私、柊和子はアナタよりも可愛い女です」
三度目になるモリサはもう動じることもなく、むしろ「それ、どうにかならないの?」としかめっ面をする余裕があった。
けれども新人さんはと言えば「会社の決まり事」に対し、口をポカリと開けるだけで待てど暮らせどいつもの事務的な受け答えが返ってこない。
「どうしたの?」
挙句の果てには「お許しください」などと頭を下げ始めてしまった。
「私はまだユーモアに関する研修を受けていないのでジョークやエンターテイメントに関する知識が浅く、お使いの文言への適切な返答ができません。大変申し訳ありません」
「えっと、あの、笹原きり江の部屋に行きたいんだけど」
「はい、笹原きり江の階ですね。畏まりました」
……これは新手の悪戯なのか。
本来なら、くだらない合言葉の撤廃に諸手を上げて喜ぶべきところなのに。無駄に恥を晒したことへの屈辱と、このタイミングで合言葉を取り下げたママの心情を勘繰ると、とてもそんな気持ちにはなれなかった。
新人らしい機械的な会釈に見送られ、私たちはママの部屋の前までやって来た。
そこにいつもの扉がある。だけどそこに、表札の意味も兼ねていたあの鉄製の黒い尻尾はない。
「大丈夫?」
顔色を窺うモリサに苦笑いで返し、息を整え、私は自分の手で扉を叩いた。
「どうぞ」
間を置かずママの声が返ってきた時は正直胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
だけどいざ入室すると、ネコ缶の玉座だったママお気に入りの椅子には職務放棄したエレベーターガールの姿があった。
そして、本来そこにいるべき人はまるでメイドのように彼女の背後に控えている。
「お帰りなさい、和子。旦那の様子はどうだったかしら?」
尋ねられても黙り込んでいる私に、玉座の彼女は見た目とは裏腹な冷たい声で聞き直した。
「どうしたの、何をそんなに驚いた顔をしているの?私と貴方は初めましてじゃないでしょう?」
意味深な言い回しだ。それに、若干不快でもある。
私の知る、人を癒やしてやまない素敵な笑顔の美少女は今、品の良さを残しつつも高慢で独善的な目をこちらに向けている。
溶鉱炉のように燃える金色の瞳。後頭部から額までを貫くように生える三日月状の角が、かつてのエレベーターガールを完全に否定した。
その角の、かつての持ち主の安否を聞く気にもなれない。
そして、エレベーターガールだった頃の欲求不満が爆発したかのように豪奢な純白のドレスで身を包んでいる。
それは王女としての威厳を取り戻すためなのか。それとも……
「私はアナタをなんて呼べばいい?ヘラクレスちゃん?ミラ?それとも……」
小柄な頭を包み、流れ落ちる溶けた飴のような金髪が蓮の花をあしらった椅子の手足に絡み、ドレスの裾に施された金糸の刺繍にまた溶けていく。
まるでそういう宗教画を意識しているかのような完璧な構図を前にして、私はその金色のヴェールを捲って誓いのキスをするよう迫られているように感じた。
「好きに呼んでくれて構わないわ。そんなこと、もうどうだっていいもの。私が貴方の口から聞きたい言葉は一つだけよ」
その時、ミラの瞳に言葉通りの光が宿った。断られないとわかっていながら、それでも抱く強く、儚い期待の眼差し。
「私と一緒に来て」
私たち三人は、隠し事の多い真っ黒な空を眺めてはあれやこれやと語り合った。いつかあの黒い宝石箱と私たちの立つ大地が一つになるような生活がやって来ることを夢見て、沢山の意見を交わし、沢山ケンカした。
「私も貴方も頑固なところは変わらない。でも、この気持ちだけは、ずっと傍にいてくれた貴方ならわかってくれるわよね?」
金色に燃える復讐心は優しく、そして力強く私の喉元に手を伸ばした。
「……いいわ、協力してあげる」
「ワコ!?」
今まで私を信じて見守っていてくれたパンダは、体罰で私を更生させんばかりの勢いで声を荒げた。
「俺は許さんぞ!復讐なんぞ、この世で最も落ちぶれた人間のすることだ!」
「決めたのは彼女よ。それに、自由を奪うお前のその言動も復讐を誘発する行為なんじゃないかしら?」
「自由?言うに事欠いて自由だと!?100年経っても自己欺瞞さえ直せないガキは黙っ―――うっ!」
「パンダっ!?」
怒り狂ったパンダの殺気が部屋の空気を震わせたかと思えば、ママが静かに出しゃばる彼の鼻をへし折った。彼女がひと睨みすれば獰猛な白熊も、手も足もない白い毛糸玉に変えて床にコロリと転がしてしまえる。
「パンダ、お前は何を勘違いしているの?お前は今日という日まで和子様をお護りするためだけにつくった私の式神でしょう?」
「ママやめて!私、協力するっていってるでしょ?!」
玉座から離れた「ただのきり江」はもう私たちをからかって笑い転げる「性悪女」なんかじゃない。今のママはただただ主人に忠実な従者。
私を見つめる目もどこかよそよそしく、「おママゴトはこれまで」そう言われている気がした。
「和子様、たった今、申しましたようにそれは私の私物でございます。ミラ様の障害となるものを私が放置する訳にはいきません」
「ちょ、ちょっと!」
ママが手を差し伸べれば、たちまち毛糸玉がほつれていく。一ミリでも残そうと自分の体で覆っても、隙間という隙間から抜けていき、みるみる間に温もりがなくなっていく。
堪らず花瓶も割れるような金切り声を上げるとミラが顔をしかめ、従者に言って聞かせた。
「いいわ、きり江。誰かに罵倒されるのには慣れているし、和子もああ言っているのだから。そのままにしておいてあげなさい」
言われるや、両手を前に揃え「畏まりました」と頭を垂れる。その姿に、私は寒気を覚えずにはいられなかった。
「それで、早速で悪いのだけれど。和子には森田とナッチェッロたちを招集してきてほしいの」
そんなつもりはなかった。だけど、あわや大事な人を失いかけた私は無意識に彼女を睨みつけていた。
自分を差し置いて「家族」に浸っていた私への感情なのか。ミラは私にほんの少し、侮蔑の目をくれた。
それでも彼女が最も憎んでいるものは変わらない。
「実はね、もうすぐ船の準備が整うの。あの子たちが揃い次第、この星を出ていくつもり。だから、よろしくね」
「…いいけど、そういうことなら手分けした方がよくない?私は森田さんを呼びに行くから。ナッチェッロはママ…きり江さんに頼んでくれる?」
ミラは私を勘繰った。だけど私の隣で体を強張らせている子鼠を見て納得したように頷いた。
「相変わらず面倒見がいいのね。いいわ、貴方の言う通りにしてあげる」
元に戻った毛糸玉を抱え、私たちは敗残兵のような気持ちで踵を返した。
それでも、もう一度だけ。思い切って振り返り、呼びかけてみる。
「ママ、お願いだからそんなにつまらなさそうな顔しないでよ。いつもみたいにとは言わないけど、ちょっとくらい笑っててくれないと、なんだかこっちまで気が変になっちゃうわ」
こんなにお願いしても、ママは眉一つ動かしてくれなかった。王女の従者に恥じない礼儀正しさで、私たちを見送るだけ。




