今の私たち
ベリスは私たちを家の外に連れ出すと、ミラの隣にいた時と変わらない威厳ある口調で私たちに警告した。
「ナッチェッロの奴は余計なことを言ったが、お前を愛していることに変わりはない。お前がアイツのためにしてやれることはアイツの忠告を真剣に考えることだけだ」
「しばらくは家で大人しくしてろってこと?」
「そう聞こえなかったのなら、もっと直接的な『言葉』を使うしかないな」
彼女は老齢に似合わない白く鋭い牙を覗かせ、地鳴りにも似た呻り声を上げた。
だけどママを知ってる私にはそんなの、仔犬の鳴き声とさして変わらない。
「そんな見せかけの脅しなんか、お互いなんの益もないよ?それより彼みたいに素直に話してくれた方が私も聞く耳を持ちやすいんだけどな」
「……お前は、すっかりあの女に毒されてしまったな」
ベリスはため息混じりに目を伏せた。そうしていくらか陰を残した顔で言い直す。
「じきにミラ様が帰ってこられる。ヘラクレスとかいう仮初の姿などではなくな」
その言い方に物申したい気持ちをグッと堪え、私は耳を傾け続けた。
「きり江も、ミラ様の言葉であれば船を明け渡す外あるまい。それがアンドロイドであろうと何であろうと、我々はあの方に従い、ここを出ていく。今のお前が何を考えているか知らんが、ナッチェッロの言うようにお前はここに残るべきだ」
「彼はそんなこと言わなかった。『好きに生きろ』って言ったのよ」
私は、そんな彼だから愛せた。ミラを諦めることができた。
なんとなく私の返事を予想していたのか。ベリスはまた溜め息を吐き、どうにか説得できないかと頭を巡らせる。
「あの時、お前は私たちの中で唯一、あの方の言葉を否定した。我々ですら主人の死に理性を奪われていたというのに。お前だけがあの方を本当に愛していた」
彼女は主人への忠誠心に縛られ、「側近」以上の存在でない自分を許せないでいる。
「あの男も、私が見張っていれば無茶をするまいと思って組織の勧誘に乗ってやったが。まさかあのバカ猫があの方を起こすとは思ってもみなかったんだ」
やり直しなんて都合のいいものはない。だからこそ、この星での身の振り方を彼女なりに真剣に考えてたんだ。
「二度もお前を裏切ることになってすまないと思う。だが、こればかりはどうしようもないことなんだ。許してくれ」
それを、あの子が全部無駄にしようとしている。
誰にも抗えないレールを敷いて、私たちを走らせようとしている。
「心配してくれてありがとう。それでも私はあの子に会いにいくわ」
「なぜだ……」
「大切な、友だちだからよ」
本音を打ち明けたにも拘らず理解を示さない私に、ベリスは落胆の表情を見せた。それでも私の気持ちは揺らがない。
あなたたちがあの子を一番に想っているように、私も……
帰り道、私たちはなんとはなしに歩いて帰った。三人が三人ともに言いたいこと、聞きたいことがあったから。
「一つ、まずはハッキリさせたいことがある」
「なによ」
切り込み隊長はパンダだった。
「お前は今でもあの男を愛しているのか?もしくはそういった記憶は残っているのか?」
あんなブ男を?パンダの目がそう言っていた。
……実を言うと、かなり思い出している。別れ際に見せた彼の無邪気な笑顔が、私に周回遅れの走馬灯を見せてくれたから。
そして、それを言い出したのがパンダだと言うのにも私は何か運命的なものを感じ、打ち明けずにはいられなくなっていた。
「アイツ、喫煙室でセクハラしてくるがんもからよく私を護ってくれてたのよ」
それだけじゃない。
私が体調不良でテストスーツの実験を先延ばしにした時、運動音痴のくせにアイツが私の代役をしてケガしたこともあった。しかも、私に合わせて作ったスーツだから、着るのに相当苦労したんだってボヤいてた。
失敗続きでイライラしてた時、なんの前置きもなく「なあ、ワインの飲み比べでもしないか!」とか意味不明なことを言って驚かせてきたし。
頭がいいくせに不器用だから、優しさが空回りしてドジばっかり踏んでた。
だけどある日、何気なく覗いた顕微鏡の先にラブレターがあって、振り返るとアイツが指輪を差し出しながら顔を赤らめてた時はさすがに可笑しくて、嬉しくて……
そんな彼だから、結婚式当日、会場にタキシードで乱入してきたがんもに本気で殴りかかってた。
「でもね、彼、あんなんでも家事は得意だったのよ?それに…電車オタクだった」
その一言で何か勘付いたパンダは一歩、二歩と後退り「おい…おいおい、おいおいおいおい!お前、いったい何が言いたいんだ?!」と声を震わせた。
そうだ、ママがパンダを紹介した時に言ってたっけな。私の好みに合わせてつくったんだって。その時はママの嫌味か何かだと思ってたけど。そうじゃなかったんだ。
そしてこの小高い丘に建てられたプレハブと言ってもいいシンプル過ぎる家も、素人の私たちが自分たちの手で初めて建てたマイホームそのままだってことも……
顔を青褪めさせたパンダはそのままふらりふらりと風に煽られ、薄っぺらな板みたくパタリと倒れてしまった。まあ、本人からしたらショックなのはわかるけど。仮にも私の旦那なのよ?そこまで露骨にしなくても良くない?
倒れて動かなくなったデブの尻尾を掴み、引きずりながら私たちはまた歩き始めた。
「それで、アンタはあのエレベーターガールだか鬼の王女だか訳わかんない奴に会ってどんな話をするつもりなの?」
「さあ。……モリサはどう思う?」
するとモリサは聞き返す私を睨み、私を問い詰めた。
「ウソつき」
「え?」
「アンタは私なんかにアドバイスを求めるほど悩んでないでしょ?」
たった数日の付き合いでしかないのに、モリサは私の性格をすっかり見抜いていた。
そして、それが当たりだとわかると口をすぼめ、なぜか眉間にシワを寄せて顔を赤らめた。かと思えば不意に飛びかかってきた!?
「きゃ、な、なに?!あは、あはははっ!」
厄介事を避けるために人気のない道を選んでるとはいえ、大胆にも屋外で私を押し倒し、問答無用で脇腹をくすぐってくる彼女を、狂ってしまったんじゃないかと疑ってしまった。
引き剥がそうにもアンドロイドは伊達じゃなく、スッポンのようにひっついて離れない。笑い転げる拍子にパンダを放り投げてしまってたけど、それはどうでもいい。
モリサもまた飛んでいくパンダには目もくれず、そういう妖怪だとでも言わんばかりにくすぐるのを止めない。
「わかった、わかったから!やめよ、一旦やめよ!?」
必死にギブアップを叫ぶ頃には彼女の意図にも気づけていた。それが彼女なりの励まし方。気持ちと態度が噛み合わない金ツイの本領だということに。
「私にあんなことまで言わせておいて、私には相談の一つもさせないつもり?!」
何の補足もないから確信はないけど、「あんなこと」というのは多分、ベッドの中で私に抱かれながら言った「ありがとう」のことだと思う。
一般人にとっては大したことない言葉でも、彼女は特別な人種だから。プロポーズに近い覚悟だったのかもしれない。
「だからって、こんな所で……えっ?!」
突如、幾人もの犬派の市民たちが待ち望んだ食事を前にするかのように私たちに覆いかぶさってきた。
「ちょ、ちょっと、なんなのよアンタたちは!?」
堅苦しく、高慢なのは軍人だけで、犬派の人は基本的に人情味に溢れている。どれくらいかと言えば、道のど真ん中で笑い転げる人を見つけたらそれがどんな催しであろうと参加せずにはいられないくらい。言い換えるなら、欲望を抑えられないピエロ集団のよう。
「なんだなんだ?」「祭りか?」「今日って何の日だっけ?」「僕たちも混ぜてよ!」
大小見ず知らずの犬に襲われ、私たちはルール無用の拷問を受けた。
悲鳴に近い笑い声が他の犬を呼び、最終的に彼らが満足する頃には視界一杯にキラキラと無数のお星さまが流れ、気絶してしまっていた。
私は、普段使ってるボディソープと同じ匂いのする雲の上で目を覚ました。雲はプリプリと文句を垂れていた。
「まったく、助け合いが家族の基本じゃないのか?なんで傷心中の俺が笑い転げて気絶したガキ二人を負ぶってやらにゃならんのだ」
口では言うけど彼は器が大きく、言うほど怒ってはいない。
私が小さかった頃、他の子とのケンカで泣かされた時も、初めてのお遣いで道に迷った時も、私はこの不機嫌な白い熊の背中に抱かれて家に帰った。
だからなのか、ひどく安心する。
「……ねえ」
すると、昔を懐かしもうと声をかけようとする私よりも早く、同じく大きな背中にしがみ付くモリサが彼に尋ねていた。
「アンタはワコのこと、どう思ってるの?」
「……なんだ藪から棒に」
「私は大奥様のアンドロイドだったから。初めから何の疑いもなくあの人のお役に立ちたいって考えたた。でも、今は少し違う。もしも許されるのなら……」
無遠慮なコイツのことだから。てっきり傷口を抉ってくるのかと思ったが――いや、少なからず指は突っ込んでいるな――。なんてことはない、遠回しに自分の悩みへのアドバイスを求めているだけだ。
「俺に限ったことじゃない。それが誰であろうと、家族に求めるものは大して変わらない。ただそれぞれの家庭環境が違っているだけでな。そして俺はどちらかと言えば親の立場に近い」
「お父さんってこと?」
「なんだっていい。コイツを護れるならな」
「大事?」
「ああ、大事だ。早くまっとうな家庭を持てと神に願うくらいにはな」
この子は懸命に母親の気を引こうと努力してきた。俺がなんのためにつくられたのか……もとい、それがどれだけ報われないことか、とっくに気づいているくせに。
「……」
モリサは俺の答えを自分の場合に照らし合わせ、妄想し、一喜一憂している。
「くだらん心配は逆に森田を傷つけるだけだぞ」
「な、なによ、何も言ってないでしょ?!」
心配することはない。お前は恵まれている方さ。
「俺も『何が』とは言ってない。だから浮浪者の独り言のように聞き流せばいい」
「……じゃあ、きり江さんも家族のように想ってる?」
独り言だと言っているだろうが。なぜ尋ねてくるんだ、とツッコミつつ、その質問にだけは応えない訳にはいかない。それが俺とアイツの唯一と言ってもいい「約束」だからだ。
「お前はなんて人間音痴な奴なんだ。あんな目に遭っておきながらまだアレがどんなに救いようのない女なのかわからないのか?」
「……」
背中越しでもコイツが今、何を考えて黙り込んでるのか手に取るようにわかる。
「それに、アイツに俺たちなんか必要ない。アイツにとって大事な人間はいつだってたった一人だけなんだからな」
素直で、優しい奴なんだ。あんな大悪党に同情してしまうほど。
「それって、あのアンドロイドのこと?」
「……さあな」
対して俺は、あの女を語る時、一言でも多く罵らなきゃ気がすまない。
虫唾が走るんだ。他を顧みないあのひた向きな姿を見ていると。
自分に欠ける優しさを持つモリサへの嫉妬なのかもしれない。答えを濁したパンダの歩幅が少しだけ大きくなった。
揺れる背中からなんとなく察したモリサは「もう自分で歩けるから」とバツが悪そうに言うけれど、パンダはそれを無視して歩き続ける。
「……」
「悪かったな。俺自身、アレを何もかも理解している訳じゃない。単に気に食わないというだけだ。だから、その、あまり気にするな」
「……うん」
二人の会話はそこで途切れた。互いに自分のデリカシーのなさを悔やみながら。
「一つ思い出したんだけどさ」
そんな折、沈黙に気まずさを覚えたモリサがポツリと溢した。
「ビルフォルト技術長から預かった鍵、あの人たちに渡さなくて良かったの?」
「あ……」
思わず声を上げてしまった。
不意に現れた登場人物にパンダは足を止め、二人の首がぐるりと回って私を見つめた。
「お前、いつから起きていた」
「…あは、はは、今、かな……」
私は、盗み聞きをしたことへの謝罪を苦笑いに乗せ、口では精一杯ごまかした。
そんなしょうもないウソにパンダに溜め息を吐き、モリサは気にせず聞き直した。
「どうするの?戻って渡してくる?」
「……別に、いいんじゃない?本当に必要なら向こうから来るでしょ」
「まさかそのまま隠し持っておくつもりか?」
パンダは素早く私の企みを見抜いた。だけど多分……
「それで何かが解決するなら、それでもいいかな」
ううん、きっとそんなことにはならない。ただ、これを持ってればまだ私の関わる余地があるってことだけは保証されている。
私のあまり賢くないやり方にまた溜め息を吐き、パンダは歩き出した。
遠い、遠い私たちのお家まで。




