100年前の私と
犬派に向かうにあたり、特に用もないのに「家に帰らなきゃ」といういつもの予感ちゃんが囁いた。彼女はいつも通り優秀な働きをみせ、なんだか見覚えのある光景が私たちを待ち構えていた。
「柊和子さんですね。お迎えに上がりました」
「……アナタたちは?」
まぁ、聞かなくてもわかるんだけど。
「私たちは犬派総督ベリス・ベラーニャの遣いです」
私の家の前に居座る二匹のドーベルマン。彼らは、なんとか目立たないようにと壁に張り付いていた大杉たちとは真逆で、まったくもって犬らしい「お座り」で構ってちゃんアピをしまくっている。
その上で、さながら門番のように不動のお座りを決めたまま首だけを動かし、威圧的な眼差しを向けてきた。
「ママは、笹原きり江はこのことを知ってるの?」
「こちらから改まって連絡はしていませんが、『あの女であれば全てお見通しだろう』と」
未遂に終わったとはいえ、昨日ママにわからされたばかりなのに、こんなにも大胆に不法入国をかましてくるなんて。なんとも恐れ入る。
「お迎えって言うからには少なくとも私に酷いことをしようって訳じゃないのよね?」
「総督からはただ一言、『お前には知る権利がある』とだけ伺っております」
犬派のトップにまで……。こうまでされると、逆に自分が黒幕でないといけないような責任感みたいなものが芽生えてくる。それに……
「どうするの?行くの?」
「……まあ、行くけど」
お向かいさんの窓辺には遂に問題の長女が並んでしまっている。こうなってしまえば、余計な問題を起こす前にこの場を離れないと、別れを告げるのは悠々自適な生活だけじゃなくなるかもしれない。
「モリサ、本当について来るの?結構危ないと思うんだけど」
ママがあんな様子だから。岬の件はしばらくの間うやむやになるだろうし、そうなれば森田さんの所に帰るのもずっと先になってしまうかもしれない。もしくは……
そう思っての気遣いだったけど、どうやら余計なお節介だったらしい。
「ポルミスの治療が終わるまでまだ時間があるんでしょ?それにコイツら、地下を通ってきたに違いないわ。鼠派の私がそれを黙って見逃すと思う?」
そんな単純な言い分で終わらないのが私たちの愛するモリサ・セルヴェランコ。
「…そ、それに、アンタたちに借りをつくったままじゃ面白くないし、付き合ってあげるって言ってるのよ!」
芸術的なまでの金ツイ対応にこれまでのストレスも癒され、それだけでも積極性のない私をやる気にさせてた。
門番は大森、小森と名乗った。二匹は案内役に抜擢されただけあって猫派の裏路地を知り尽くし、私の同僚たちに見つかることもなく国境までやって来てみせた。
そして地下通路……ではなく、検閲所を通って堂々と猫派を出ていくのだ。
「我々の同志はどこにでもいる。お前たちのような視野の狭い連中ごときに我々の道は阻めんのだよ」
ママにしてやられたことに対する意趣返しのつもりか。それとも、私を小物と判断したのか。大森たちは急に、鬱陶しいくらいマウントを取り始めた。
さらには現地までざっと100kmの距離をエレベーターを使わず走っていくと言うのだ。
「なんだ、無理なのか?たった100kmだぞ?」
ガキのケンカを買うつもりはないけれど、私はあまり刺激しないように二匹の挑戦状を受け取った。
最近は飲んでばかりで訓練してないから心配ではあったけれど、今日は大気中のマタタビ濃度が高かったお陰でなんとか恥を掻かずにすんだ。
おおよそ時速100kmをキープして行き着いたのは、犬派某所の小さな丘。そこに建てられた何ともシンプルな一軒家。
「ふん、大森たちの足に付いてこれるだけの力はあるようだな」
門前で待っていた二匹の上官らしい人の口振りでは、どうやら二匹は私に恥を掻かせるために寄越された俊足の軍人らしかった。だけど私たちはそれを完膚なきまでにねじ伏せてやった。
プライドのため、任務のため。本気で走ったらしい二匹は今、声も出せないほどにバテている。舌を出し全身で激しく息をしながらこちらを恨めしく睨んでくる姿には、これまでの嫌味を帳消しにできる爽快感があった。
「こっちに来い」
二匹の無様な姿から目を逸らすように、上官はやはり高圧的に私たちを中へと迎え入れる。
真四角の平屋。一世帯サイズで遊び心のない真っ白な角砂糖みたいな家。
「ねえ、パンダ。アタシたちって前にもここに来たことあったっけ?」
「もしも俺がまだボケてないのなら、こんなユーモアを履き違えたお宅にお邪魔した覚えはないな」
何かある時は常に傍にいるパンダがそう言うんだから間違いないんだろうけど。それでも私はなんとも言えないノスタルジックな感覚を拭えずにいた。
そんな簡素な4LDKの一室に入ると、ベッドに横たわる男が渋い声でナンパな挨拶をしてきた。
「よう、和子。久しぶりだな。とはいってもお前は俺のことなんか憶えてないだろうけどね」
「……誰?」
……ううん、私は知ってるはず。全身がピーマン色に染まっているけど、その大きく突き出したお腹。少し取っつきにくく固い表情。体に比して太い腕に大きな鼻。笑うと唇の右側が上がる癖。
そしてその太々しい目つき。私は知ってるはず。……でも、思い出せば辛いだけだってことも心のどこかで感じてる。
そんな私が見せる顔が彼を傷つけたのか、それともママの付けた傷のせいか。ピーマン男はひどく辛そうな表情をしていた。
沈黙が部屋を満たし、次第に居心地の悪さだけが濾過されていくと、隣で看病していた犬派の年配の黒人女性があっさりとピーマン男の素性を明かしてしまった。
「彼が象牙の岬のボス、ナッチェッロ・ニコラオス。かつての君の夫だよ」
「……え?ちょ、ちょっと、なんの冗談?私が?結婚?誰と?」
私は焦っていた。それがウソじゃないってなんとなくわかってたから。
別に今、誰かに恋してる訳じゃないけど……だからって、こんな「立派な骨格ですね」ぐらいしか褒めるところのなさそうなずんぐりむっくりのピーマンと……
「おいおい、ベリス。お前がそれを言うか、普通?」
「私を責められた口か?奥手なお前のことだ。今の彼女を想ってシコリを残したまま帰したかもしれない。話す気がないなら会わない方がいい。何度も言ったはずだ」
「なんだよ、今日はえらく饒舌じゃないか。本当はお前も彼女に会えて嬉しいんだろ?」
「人の話を聞け。これも何度となく言ったぞ」
私を放ったらかしにして二人は会話を弾ませていた。
私はというと、自分が魔女に呪われてもいない野菜の妻なんだと知ったショックからか。だんだんと女の方にも見覚えがある気がしてきた。
褐色の肌で銀髪、私よりも少し背が低いスレンダーな年配の女性。青く鋭い瞳に濃いアイラインのせいで目力が激しいけど、とても誠実で人の言葉によく耳を傾けてくれる人……のような気がする。
「ほら、順を追って話さねえから彼女、混乱しちまったじゃねえか」
すると唐突に、岬のボスは私に真実を受け留めるための時間を与える傍ら、義務教育では教わらない「ネコ缶の誕生の裏側」を語り始めた。
太陽系第三惑星地球。そこは猿から進化した人類と、あらゆる生物の突然変異種、きり江やベリスのような俗にいう妖怪たちが席巻する星だった。
一応の共生関係を築いていた彼らだが、妖怪の影響力は強く、いつしかタルタラという鬼の一族が地球を君臨する構図ができ始めていた。
そうしていつの日か起こる人間との「大きな食い違い」を避けるため、一つのプロジェクトが生まれる。
「タルタラの王女ミラ率いる探査チーム、通称”開拓者”はそこで結成されたんだ」
タルタラ族の第一後継者ミラ・タルタラはいずれ地球の頂点に立つ身でありながら、地球の未来を憂う学者でもあった。さらに彼女は研究を進める過程で運命の友人と出会う。
吉津満彦と、とある女。三人は可能性が波打つ海に抱いた夢を日々語り合った。
そうして三人が世界に提案したプロジェクト”海の開拓”は、地球人の活動範囲を宇宙へと拡張しようという途方もないものだった。研究員が実際に宇宙に出て、プロジェクトの足掛かりを探すという危険な仕事。それを王女自ら行うというのだから、一族や側近たちは必死に彼女を説得しにかかった。
それでも彼女は「地球は弟たちにでもくれてやる。その代わり、私は宇宙をもらおう」と一族の飛躍を約束して譲らなかった。
「まあ、それも方便の一つだった訳なんだがな」
彼女がそうまでして頑なにプロジェクトを推し進めた本当の理由。それは耳にタコができるくらい使い古されたシナリオだった。
鬼の純血を守る一族の王女ミラは、脆弱な人間を愛していたのだ。
吉津満彦、”開拓者”の中では特に目立つ能力を見せない彼だが、不思議と仲間の士気を高めるのが上手く、何よりミラたちとは馬が合った。
プロジェクトには真剣に打ち込んでいたものの、二人の熱は旅立ちが近づくほどに燃え上がった。
……少なくともミラはそう感じていた。
「妖怪の王が自ら地球から出て行くんだ。野心を持つ人間が動かない訳ないだろ?」
人類こそが神より約束された地球の支配者だと謳う組織が、吉津に宇宙船を難破させるよう誘惑したのだ。
吉津は「これは地球人のためなのだ」とこれを拒んだが、彼らはなんとか穏便に済ませようとする吉津にこう囁く。
「この世に、愛が悲劇を招く台本がどれだけあるか。お前は想像したことがあるか?」
彼らは二人の関係を見抜いていた。彼らのようなつまらない連中に利用されて自滅しないよう細心の注意を払っていたにも拘わらず。
それほどまでに鼻の利く人間たちの周到さと狂気を、吉津はよく知っている。彼らは「戦争」と書いて「悲劇」と読む。殺し合うことでしか欲求を満たせず、相手を破滅に追い込まなければ心を落ち着かせられない。
かつて、宇宙からの啓示を受けたという反社会組織が「地球の癌だ」と妖怪たちを葬るため、凶悪な生物兵器を用いた時のように。
……彼らの過ちが人類に思い知らせた。この世に、地球全土を治めるのに相応しい力を持つ一人の少女が存在することを。
吉津は自分に言い聞かせた。何をしたところでタルタラ族に敵わないことを彼らにも知らしめなきゃならない。そして、自分たちもまたこんな小さな悪に屈しない。きっとこの試練を乗り越えてまたここに帰ってくる。
そう、これは「試練」なのだと。
吉津は航行中、事故に見せかけて船のエンジンを爆破した。愛を信じ、悲劇を避ける未来を信じることができなかった。
船はネコ缶に墜落し、吉津は爆破の余波に巻き込まれて死んでしまう。彼の残した持ち物から真相を知ったミラは一人、船外に飛び出して墜落する船を安全に不時着させるために船体を支えた。そして、持てる怪力と妖術のすべてを船を護るためだけに使った少女は大気圏との摩擦で焼死した。
「彼女は今わの際になんて言ってたと思う?」
ナッチェッロは大気圏に焼かれる彼女を真似るかのように笑いながら答えた。
―――今、お前たちが感じているすべてで地球人に報復しろ……それで対等だ
自慢だった金髪は導火線となって彼女を貪り、澄んだ碧眼は燃えるタンパク質で白く濁っていく。
それでも彼女は笑っていた。
よくできた台本だと褒め称えた。
だが、身を挺して船を護ったミラ・タルタラの静かな激昂が友人たちを操り人形にすることはなかった。
彼女の献身は確かに彼らの心を揺さぶった。しかし、為政者のスピーチをよく心得ている友人の一人が彼らの目を覚まさせた。
「ミラは、そんな人じゃないわ」
失意、憤怒、悲愴……。彼女は一時の激情でミラという愛すべき人を捻じ曲げないでほしいと語った。
ミラは美しく、聡明な王女。吉津への愛も裏切りへの憎悪も彼女の一面でしかない。私たちは愛すべき人が本当に望むものを理解しなきゃならない。愛したことを後悔しないように。
「続けましょう。私たちのすべきことを」
ミラの親友である「とある女」は歯を食い縛りながら空を見上げた。
護衛として同乗していたミラの側近、きり江、ベリス、森田が最初に彼女の言葉に頷いた。続いて技師の三人が受け入れた。だが研究員の一人はついに最後まで首を縦に振らなかった。
「そうして俺たちが苦労して見つけたものを、仲間を殺した連中に渡すつもりか?!なんでそんな胸糞悪いことができる!それが人間のすることか!?」
それでも当時、不毛の地だったネコ缶で生き残るためには団結するしかなく、彼らはマタタビを掘り当て、その利用法まで確立した。
ところが不慮の事故で女が被爆し、命を落としてしまう。いよいよ彼らを言葉で抑えることが難しくなったきり江は彼女の意志を汲み、ネコ缶に「シールド」を張って報復の火が消えるまで辛抱強く待つことを選んだ。
力できり江に敵う者はいない。彼らの怒りは再び鎮圧され、翼を手に入れたはずの人類は今一度、猫に睨まれながら地べたを駆け回る生き方を余儀なくされた。
そうして100年が経った今現在、主役たちは思わぬ形で帰ってきた。
「とある女、それが――」
「……私」
眉間にシワをよせ、碧色の首がゆっくりと頷いた。
「和子・ニコラオス。旧姓、笹原和子だ」
「笹原……」
「先に言っておくが、お前ときり江の間に血縁関係はない。なんであの女がその姓を名乗ってるのか俺たちも知らないが、自分の子として蘇らせるくらいだ。お前を気に入ってたことは確かだろうな」
ママに気に入られてる。それ自体は純粋に嬉しい。だけど……
「和子、悪いが俺はこの恨みを故郷に持ち帰ってみせる。お前やあの化け猫に首を落とされても化け物として蘇ってやる。何度だってな」
ミラと同じ瞳の色の男は、私を睨みつけた。
「あの時…いいや、今まで俺がどんな気持ちで生き延びてきたと思う?」
ナッチェッロは採掘中、突発的に活性化したマタタビが爆発し、私を庇って死んだ……はずだった。
それが、どんな運命が彼に味方したのか。彼はマタタビの汚染が原因で劇的な突然変異を起こし、息を吹き返した。
そうして目を覚ました彼は、被爆から逃れられなかった笹原和子の死を知り、それでも動かない仲間と決別し、象牙の岬をつくった。
唯一、シールドを解除できる探査船の奪取を試み続けるけれど、ママはそれを決して許さない。
「アイツはなぜか実行犯を捕えるばかりで俺を探さなかった。だが俺にはわかっていた。それがあの化け猫の小賢しい罠だってな」
ママとの付き合いは100年以上。時間だけで言えば長年連れ添った老夫婦さえも凌ぐ。だから彼はママのやり方よく知っていた。
自分が永遠に叶わない夢を抱いていることも。
「だが10年前、あの女が造ったアンドロイドの噂を耳にして俺は驚いたよ」
ママはちりめんおじいちゃんと協力して一体の兵器を生み出した。
「ヘラクレスちゃん……」
「その素体が何か。もうわかるよな?」
紅鬼と蒼鬼の角が力の源だというヘ型一号機。
ママたちは保管していた主人の遺体を蘇らせた。
「同じくしてお前まで造ったとなると、もはやあの化け猫が何か企んでるとしか思えんだろう?」
……違う。ママは私たちを利用して特別な何かを起こそうとしているんじゃない。
……なんとなく。本当になんとなく、私は「性悪なママ」の本当の目的がわかったような気がした。
なんで吉津を蘇らせず、私が先日の無茶振りの裏を読んだ時にあんなにも喜んだのか。そして、紅鬼に「裏を掻かれた」時にあんなにも不機嫌で、自暴自棄になったのか。
「これがこの星と、俺たちが歩んできた歴史の裏側だよ」
重傷を負っているのにナッチェッロは興奮して息を荒くし、広い額に玉の汗をかいていた。
「俺は……マタタビに侵されて、少しバカになった。毎日、人として何か大事なものがなくなっていくような感覚に襲われる。だからこそ、俺たちをコケにした地球人を憎む気持ちだけは忘れちゃならないんだ」
もとは色白だったナッチェッロの肌は血までマタタビに侵され、興奮するほどに目の痛くなるような碧色に発光する。
「今のお前にとってはもう関心のない話だろう。今の俺を醜い怪物と思うかもしれない。だが安心しろよ。もう二度とお前の前にゃ現れねえ。ただ、最後にお前の声を聞いておきたかったんだ」
「……え、まさか、それだけのために私をここに呼んだの?」
「そうだと言ったら、笑うか?」
彼の目は白目も黒目も判別できないくらい碧色に濁っている。鼻も唇も手も……ずっと昔、私が愛した何もかもが……
「夢は常に現実の延長線上にある。俺たちは100年をかけてようやくそこにたどり着いた。だけどお前は俺の愛した笹原和子じゃない。好きなように生きればいいさ」
臭い立つ脂汗を浮かべ、苦痛に顔を歪めながらも、彼は誕生日を向かえた子どものように無邪気な笑顔を私に見せた。
※時速100km
動物でたとえると、チーターの最高時速が約120km、カジキが100km、マグロが80kmくらいだそうです。




