天才たちの願い
翌日、まさかの事態が起きた。ママが不機嫌な顔で私を出迎えたのだ。
誰よりも小賢しく、人を小馬鹿にした顔が印象的な猫派の長は今、手入れの行き届いた綺麗な爪で肘掛けを苛立たしげに掻いている。いつからそうしているのか、精緻に彫り込んであった花柄も凹んでしまっている。
そして、ネコ缶史始まって以来の問題発言をする。
「誰かに裏を掻かれるなんて随分久しぶりだわ」
あのママが……躾に失敗したのだというのだ!?
犬派も象牙の岬もママの襲撃で大打撃を受けたものの健在で、さらに今後はママ自ら彼らの手助けをしなければならなくなったのだという。大袈裟に言い換えるなら、あのママが……傍若無人で天下無双の、魔王よりも魔王らしいあのママが他人の下に就いたのだ!!
しかもその原因をつくったのが……
「え、ベッキーさんが?!」
順調に二つの勢力を追い詰めていたママと紅鬼。ところが岬の首領にトドメを刺す直前、紅鬼がママの首に刀を突きつけた!
ママは反射的に紅鬼の腕を切り落した。それでも立ちはだかる彼女はあろうことか、ママに向かって撤退命令を下し、なぜかママもそれに従った。
「……信じられない」何もかも。
当たり前だけど、ママの体には傷一つない。つまりママは力でねじ伏せられたんじゃない。純粋に、彼女の意志を尊重したのだ。彼女たちのことをあんなにコケにしてたのに。
新手の悪戯かとも疑った。だけど実際に紅鬼は今、ママに切り落とされた右腕の修理のためにちりめんおじいちゃんの所を訪ねていて、蒼鬼も彼女に付き添っている。
「裏を掻かれたから」なんて言ってるけど、私の知る限り、同じように駆け引きで後れを取ってこんな顔になったママなんてまるで記憶にない。……これはイレギュラーなんだ。あのママでさえ不平不満を漏らしてしまうような。
「いったい何があったの?」
首を突っ込むとか突っ込まないとか関係なく。好奇心とか恐いもの見たさとかも関係なく。「私の知らないママ」がそこにいる。それが堪らなく気持ち悪かった。
「ねえ、ワコは一度死んだ人間が蘇るとしたらその魂はどこに宿ると思う?」
よほどショックだったのか。私の問いかけを無視して脈絡のないことを言い始めた。
「え、何?ホラー映画か何かの話をしてるの?」
「違うわよ。私が言ってるのは……いえ、もういいわ」
少し鬱陶しげに、だけどどこか悲しげに、ママは私の助言を諦めた。
「モリサちゃんだったわよね?アナタも、ポルミスの治療が終わったら彼を連れて砂江子の所に帰りなさい」
「は、はい……」
その声は借りてきた猫のように余所々々しい。
「ねえ、どうしちゃったの?なんかママらしくないよ!」
世間から性悪なんて揶揄されるママの方が良いとか言ってるんじゃない。ただ、「いつものママ」じゃないってことがひどく私を不安にさせるから。
けれどもママはそんな私の心配をさらに煽るように、育児に疲れた母親みたく「なんだか、もうどうでもよくなっちゃったのよ」と投げやりに窓の外を眺めた。
「おいワコ、アイツはいったい何者だ?!」
部屋を出るなり反ママ派だった式神まで落ち着かず、狼狽えていた。
「何言ってんのよ。あの人は猫派の長、笹原きり江。私や他の子ならまだしも、アンタがそれを見間違えるはずないでしょ?」
「わかってる。ああ、わかっているさ!だが……!」
「そんなに心配ならなんで傍にいて慰めてあげないのよ」
「俺が?アイツに?なんて?まさか『お体の調子はどうですか』とか『最近一段と冷えて参りましたがお風邪など召されおりませんか』などと甲斐甲斐しく寄り添えとでも?お前は俺をバカにしてるのか?!」
いまだかつて、こんなにもこのデブが面倒臭いと思ったことはない。
「だったら好きにすれば?」
盛りのついた猫を捨て置き、エレベーターの前に立って深呼吸をする。私だってママは心配だけど、まずは彼女を心配させないよう心の準備をしておかなきゃならない。
「私は、ポルミスの様子を見に行きたいんだけど……」
ママに、昨日みたいな過激な歓迎をされるものだと構えていたモリサは、違う意味で気疲れしていた。
「ごめんね、ママはあの通り迷惑な人だけど根っからの悪人ってわけでもないの。本当よ?」
気づけば私はなぜか必死にママのフォローしていた。
私を見上げるモリサが「そんなのどうでもいい、早くあの人の所に帰りたい」と言った時はひどくやる瀬ない気持ちになる一方で、そんなの当然の反応だと自分のバカさ加減を思い知った。
今さら取り繕ったってあのママを良いように見せることなんかできないのに、なぜか彼女には私のママを嫌いにならないでほしいと思ってしまっていた。
盆栽に併設された病院に赴くと、こちらもまたすっかり窶れてしまった元幹部の姿があった。
看護師さんに聞くと、多少目立ったケガこそあれ、二、三日の内に退院できるとのこと。それよりも、白というよりも青い彼の顔色の方がよっぽど重傷だというのは一目瞭然だった。
その様子を見るに、力の反動とかじゃなく単純に戦場に恐怖したという感じ。彼の鼠派帰還のためにあれこれ質問するモリサには何一つ答えず、ようやく喋ったかと思えば「あの女は本物の悪魔だ……」と言ったっきり、また黙り込んでしまった。
そこへモリサは幼いがゆえの何気ない疑問を彼にぶつけてしまう。
「アンタは…その……夢は諦めるつもりなの?」
途端に男の顔は凍りつき、次に引き笑いをし始めた。
「……ふ、ふふ、ふははは……」
「ご、ごめんなさい!」
すぐに自分の過ちに気づいて謝るけれど、男にはもう私たちの声は届いておらず、大きな手で顔を覆い、お化けに怯える子どものように小さく丸まって震え出した。
「母さん……ごめんよ……」
護るべき人を傷つけてしまったことに戸惑い、少女は堪えられずに病室を飛び出していく。
「俺は……ダメな子だ……」
「……」
もちろん私は彼女を追いかけた。
だけど少し、ほんの少しだけ。私は泣きじゃくる彼の傍にいて、何も言わずに抱きしめた。
街を駆けずり回り、何人もの人に尋ねてようやく、寂れた裏路地の物陰に小さな金色の鼠を見つけた。私が声をかけると鼠は肩をビクリと震わせ、怯える仔犬のような目で振り返る。
「ワコ…やっぱり私なんかが……アンドロイドが人間の家族になろうだなんて、バカげてるのかな?」
「……そんなことない」
がんもやちりめんおじいちゃんたち技術長がどうして彼女たちに涙を流す機能をつけたのか。それだけで十分な答えなのに。
「モリサはよくやってるよ。ヘラクレスちゃんも言ってたじゃない。アイツ、モリサに叱られて『お母さんに言われた気がした』って」
私たちは、その機能が当たり前過ぎてわからない。その感情が当たり前過ぎて信じられない。
でも、たとえ当たり前に気づけなくたって、こんな風に一人で抱え込まなきゃ解決できることなの。
ケンカして、温め合って……それだけで。
言葉も返せず意気消沈した鼠を、彼と同じように抱きしめた。
……しょせん私はママの子だけど、この体温はきっと二人が求めるものなんだと信じて。
森田さんに認められようと頑張ってきたからか。まだ子どもなのに立ち直るのがとても早かった。
「もう、いい……」
逆に、そう言って私を押し返し、離れていく彼女を私が物足りなく感じてしまうくらい。だから私は「家に帰るまでだから」と半ば強引に彼女と手を繋いで家路に就いた。
始めこそ嫌がったけど、それも馴染むとまんざらでもない顔になり、周りの景色を楽しむ余裕も生まれていた。
家に着くとまず、子猫たちの熱烈な視線が私たちを迎えた。
向かいのジョセフ君はやはり姉にチクったらしい。窓辺からコソコソとこちらを窺う二人の姿があった。ただ、それが生きた電話線こと長女バーバラでないだけましかもしれない。
万が一にでも彼女に知られてしまったなら、私の起こした迷惑行為は瞬く間に近隣住民に広がり、即日退居なんてこともあり得てしまう。なぜなら……
「なんでこんなに穴だらけなの?」
愛すべき我が家はもはや、文字通りハチの巣と呼ぶべき風通しの良い佇まいになっている。
「まぁ、これだけ見晴らしが良ければ入り口に誰が立ってるか一目瞭然。時代の先をいく防犯対策だと思わない?」
「……思わないわよ」
周りの家々も同じように岬の襲撃による被害を受けていて、騒動の発端を知らない彼らはただただ運が悪かったと思い込んでいるだけなのだ。
次女のポーラは読書好きで将来は作家になりたいと言っている。だからこそ、滅多にない経験を間近で見るために私たちを通報するような真似はしない、と勝手に思っている。
ポーラたちの熱い視線を無視して中に入り、私たちは出会って初めてまともに向かい合ってお喋りをした。森田さんの誕生日パーティーや朝掃除にやって来る子どもたちのこと。彼女を散歩に誘う右近左近。地下でも咲く庭園の花……
てっきり森田さんの話題しか出てこないかと思いきや、モリサは他の家族にも目を向け、彼女たちの輪に入ろうと努力していた。
その後も一緒に温かいものを食べて、同じベッドで寝て、たくさん話をした。
いくらモリサが小柄でも一人用のベッドに二人は狭く、抱き枕のように密着していないと片方がズリ落ちてしまう。
驚いたことに、たった数時間お喋りをしただけで彼女は私が近づくのを拒まなくなった。決してチョロいとか言うつもりはなく、逆に受け入れてくれたことがとても嬉しかった。あまりに嬉しくてつい抱きしめる腕に力が入るとさすがに苦しかったのか、私の顔をソッと叩いた。
「ちょ、ちょっと…やめてよ……」
怒った顔はある意味、彼女らしくてとてもチャーミングだ。……泣いているよりはずっと、ずっと。
でも、もっと可愛くなる方法を私は知っている。
「ワコ……」
「なに?」
「……あ、ありがとう」
ママも、こんな経験をすれば絶対今よりもっと良い趣味が見つかるのに。私はそう願わずにはいられなかった。
翌朝、青空の下にいるかのような陽射しが部屋を満たし、控えめなアラームが胸元から聞こえてきて目を覚ます。
「……お、おはよう」
白い肌も金髪も陽射しに溶け、あるはずのない輪っかが見えた気がした。
「うん、おはよう」
私を起こしたのは、腕の中で窮屈そうに顔を赤らめる一羽の、可愛いらしい女の子だった。
「これが…猫派の工場……」
表面上は元気を取り戻したらしいモリサを連れ、私たちは技術部にやって来た。すると……
「ねえっ、もしかしてあのマタタビ配合機って全自動なの?!それにあの機械はなに?!もしかしてシュミレーションホログラム?!っていうか、こんなに精密機器があって床に配線が一本もないってどういうことなのっ?!」
工場に着いた瞬間から、別世界のような猫派の設備と環境に疑問と驚きのマシンガンが火を吹いて止まらなくなってしまった。
「がんもはいつも『成功も失敗も出たとこ勝負だから』とか言って設計図すらまともに描かないのよ?!」
それは設備うんぬんっていうよりも、がんも自身の問題なんじゃ?
「おや、ワコちゃんとパンダじゃないか。こんな所に来るなんて珍しいね!」
そこへ、髪の毛ボサボサの陽気なおじいちゃんが現れ、容姿とは裏腹にしっかりとした足取りでやって来た。
「ようやくアンドロイド化への決心でもついたのかな?」
背筋は真っ直ぐで筋肉もそれなりにある。夜な夜な飲み歩いている私なんかよりよっぽど健康的な肌はアンドロイド化が原因という訳じゃない。
「私は太く短く生きたい派だから。おじいちゃんみたく100年も200年も生きてたって余計な悩み事が増えるだけでしょ?」
「はっはっはっ、その口振りますますきり江ちゃんに似てきたね!でもね、時代を跨ぐって言うのはなかなかこれで感慨深いものがあるんだよ?」
「ワコ、この人、まさか……」
そう、何を隠そうこの元気で剽軽な、どこかの誰かを彷彿とさせるようなおじいちゃんこそ、猫派の技術長ビルフォルト・ロメオことちりめんその人なのだ。
「初めまして、君はがんもの所のモリサちゃんだね?きり江ちゃんの言った通り、可愛くて良い子のようだ。本当に、アイツが造ったとは思えないなあ」
皆して彼を貶すから。なんだか彼に造られたモリサが気の毒にも思えてきた。
「そんなことより、どうしたんだい?もしかしてこの子をここでチューンナップさせたいのかい?そうなるともうウチの子になってもらうしかないけれど。それでもいいのかい?」
「違う違う。まだ何も言ってないのにどうしてそんな話になるの?」
ママもおじいちゃんもモリサがいたく気に入り、あの手この手で可愛がろうとする。その気持ちはわからんでもないけど、今の私にはそんな行動が逆に怪しく見えてしまう。
「なんだ、違うのかぁ」
おじいちゃんの言葉にママの陰がチラつく。私はモリサへの褒め言葉が止まらないおじいちゃんの口に人差し指を押し当ててそれを封じた。
「私たち、ベッキーさんに会いに来たの。今って都合いいかな?」
そういうことは事前にアポイントメントを取って……っていう事務的な指摘をされるのは百も承知だけど、なんとなくそれも憚られた。そういう規則に従えば、なんだか煙に巻かれる気がしたから。
そこまで気を払っておきながら、最後の最後で小さい頃から遊び相手になってくれたおじいちゃんならと気を許してしまった自分がバカだった。
「ごめんねワコちゃん。ヘ型は一応、機密事項に分類されるんだ。だから修理中はきり江ちゃん以外の面会はできないんだよ」
一見、不自然なところはない。だけどおじいちゃんはいつもなら「ベッキー」と呼ぶ彼女のことを「ヘ型」と呼んだ。そもそも蒼鬼が「付き添い」にっていうのもおかしいと思ってたんだ。
「ヘラクレスちゃんは無事なんだよね?」
おじいちゃんは「機密事項」の一点張りだったけれど、今度は答えた後に私を安心させようと私のよく知る顔で笑った。
「ありがとう、あの子のことを気にかけてくれているんだよね。だけど安心していいよ。あの子の嫌がることは、それが例えきり江ちゃんの命令でも僕が絶対に許さないからね」
今までおじいちゃんがウソを言ったことは一度もない。おじいちゃんの狙い通り、私はその言葉を信用し、安心した。
「僕はね、昔、がんもの奴が嫌いだったんだ」
すると今度は「もうワコちゃんは勉強をするって年でもないけれど」と何かを伝えたいらしく昔語りをし始めた。それも、意外な人物が主人公の。
「アイツはいつも自分の頭の中だけで物事を考えようとする癖があってね。だからアイツの造るものも、ほとんどが『機能性』でしか評価できなかった。僕はそういう数値化されるような遣り取りが嫌いでね」
がんもはおじいちゃんに認めてもらえなかったって言ってた。「恋愛の経験もないノータリン」に造った子たちのことなんか理解できるもんかって。
「僕たち科学に携わる者ははもちろん役に立つものを造らなきゃならない。だけど、造ったものを理解し僕たちの生活に馴染ませることも一つの役目なんだよ。でもアイツは自分が特別な立場にあることを鼻にかけ、僕の教えの上辺ばかりを真似して良い気になってたんだ」
「だからレンチで頭を殴ったの?」
私にそんな一面を見せたことのないおじいちゃんは照れ臭そうに頷いた。
「少し宗教的な言い方になるけれど、僕たちはこの世界そのものなんだ。それを理解してない人たちからすれば、宇宙の秘密はごく少数の科学者の手で解き明かされているように見えるかもしれない。だけどそれは違う。実際には僕たちが皆で考え、夢を追い求める過程で宇宙の形を決めていくんだ」
まるでファンタジーを語っているようにも聞こえるおじいちゃんの「宇宙」は、私の習った「宇宙」とはまるで別物のように聞こえた。
「つまり、僕たちはただの機械人形を造っているんじゃない。僕たちは世界を創造しているんだよ。その理解さえあれば、僕たちはなんだって造れる。戦争兵器も、タイムマシンも」
おじいちゃんの世界観に私はついていけなかった。今なら、おじいちゃんのことを「妖怪だ」と言った彼の言葉にも共感できる気がする。
「それを拒絶している節さえあったアイツだけど、この星に降り立ったばかりの過酷な環境に触れてようやく何かに気づき始めたみたいでさ」
おじいちゃんはモリサを見つめながら「君のような人間らしいアンドロイドがその証拠だよ。本当にありがとう」と礼を言った。
いまいち誰に何を伝えたいのかわからないおじいちゃんの話にモリサも「わ、私は別に何も……」と曖昧に返すことしかできない。
ただ、次におじいちゃんが言い直した言葉は私の遠回しな慰めよりも彼女の心の中のモヤモヤをキレイに晴らしてくれた。
「僕はね、アンドロイドにも家族を持ってほしいんだ。愛し合って、傷つけ合って、もっと僕らを近くに感じられるようになってほしい。そうしていつか人間と妖怪とアンドロイドの血が一つになれたら最高だね。僕らにとって、その疑似モデルがこのネコ缶なんだよ」
だからアイツの家族になってくれて、本当にありがとう、と。
私はおじいちゃんの想いに感動した。だけど、モリサみたいに純粋には受け止められなかった。だって、その言葉には明らかな矛盾があるって知ってるから。
「だったら、どうしておじいちゃんたちはヘラクレスちゃんをあの箱から出してあげないの?」
「それは……」
私たちの脳裏には、箱の中で一人佇む彼女がいた。
すぐ傍に盆栽の職員がいるのに、彼女には扉を見つめ、彼らがやって来るのを待つことしか許されていない。
精一杯愛想を振りまいて次も利用してもらえるよう願うことしか。
「ヘラクレスちゃん、言ってたよ。誰も居ない箱の中はすごく億劫なんだって」
「……」
その沈黙が、私の中のおじいちゃんへの信頼を生まれて初めて揺らがせた。
鼠派から地上に戻る時、薄っすらと見えた炎と少女の画。
どうしてそんなものが見えたのかわからない。でも、あれがヘラクレスちゃんとまったく関係ないはずがない。
――――報復しろ、それで対等だ
憎み、妬む顔はあの子には似合わない。でもそこに心があるというのなら、そんな時は来ないとは言い切れない。
きっと、おじいちゃんはそんなあの子の姿を知っている。だけど私たちには決して明かそうとしない。
そしておじいちゃんを口止めしているのはママじゃなく、他の誰か。ネコ缶の頂点にいるママよりも優先される誰か。
「ごめんね、今の僕にはワコちゃんを満足させられるような答えは返せない。僕にも守らなきゃならない約束があるんだ。でもヒントくらいならあげられる」
おじいちゃんは懐から何かの鍵を取り出した。「これは?」そう聞いてもおじいちゃんは答えない。
「これを持って、ベリス・ベラーニャに会いに行ってごらん」
ベリスは先日、ママにコテンパンにされた犬派のトップのこと。でも、このタイミングで私が訪ねるのは果たして安全なの?
「回りくどいな。要は象牙の岬のボスに会えと言いたいんだろう?」
数少ない飲み仲間相手に、パンダは語気を荒げて聞き返した。それでもおじいちゃんは歯に食べカスの詰まったもどかしい言い方しかしない。
「パンダ、僕らはしょせん第三者なんだよ。ケンカと仲直りは当人同士でするのがベスト。君もそう思うだろ?」
「どうやらお前も、ワコが黒幕だと言いたげだな」
おじいちゃんは苦笑いを浮かべ、「このタイミングでこんなことを言ってもなんの助けにもならないだろうけど、夢は常に現実の延長線上にあるんだよ」そう言って私たちを技術部から追い出した。
「お前、まさか行く気じゃないだろうな?」
珍しく、パンダは本気で怒っていた。
おじいちゃんとパンダはよくお互いの「上司」の悪口を肴にして飲み明かす親友のような間柄だったから。
「逆になんで行かないなんて思うわけ?」
「お前な……俺の言葉を聞いてなかったのか?俺たちが今まで何人の岬を葬ってきたと思う?なぜアイツの不可解な言葉を警戒しない」
パンダの言う通り、私たちはこれでも警察だから。直接的に、間接的に、彼らを捕まえ適切な処罰を下してきた。何をされても文句は言えない。
それに、私が「第三者」じゃないなら、お喋りだけで済むはずがないっていうのもわかってる。だけど……
「なによ、アンタらしくないわね。ビルフォルト技術長の話を聞いてなかったの?」
意外にも、そう切り返したのはモリサだった。そして彼女は口八丁なパンダに対し鶴の一声をかます。
「本心がどうあれ、あんなに熱っぽく家族を語った人がいきなりワコを危険な目に遭わせると思う?それこそ意味わかんないじゃない」
「……」
モリサの指摘でパンダは思い返していた。上司のいない気楽な酒の場で二人が語り明かした、娘たちの理想の未来を。
パンダは二の句が継げずクルリと背を向け、何かをごまかすようにポツリと溢した。
「……今さら、『そんなつもりで言ったんじゃないんだ』とか言ったら、俺はカッコ悪いか?」
「そうね、右近が大杉たち相手に兄貴風吹かせて怒鳴り散らすくらいダサいわ」
「ふん、ダサい……そうか……」
空を仰いで言葉を噛み締めたかと思いきや、今度は自分をごまかすように勢いよく振り返った。
「ダサい上等っ、俺はそんなつもりで言ったんじゃないんだ!許せ!」
「うわ、キモい」
「おい、それは後出しだろ!」
理不尽な罵倒に躍りかかるバレーボールは金髪ツインテールの妖精に華麗なスパイクを決められていた。
なにはともあれ二人の即興コントのお陰でパンダも私の選択を承諾し、私たちはヘラクレスちゃんを辛い目に遭わせる元凶の下へ向かうことになった。




