化け猫の娘
――――現在、笹原きり江の私室
ママの両脇に控える二人の鬼。それに加え、今はそこにポルミスの姿もあった。
何があったのかは知らないけど、肌色はもとに戻り、顔の傷も服の汚れもキレイさっぱりなくなっている。
「あらあら、可愛らしいわね。アナタががんもの造ったモリサ?あの口先男、たまにはまともなものも造れるじゃない」
彼の表情から察するに、ママの餌食になったのは間違いない。岬の幹部らしい凄みは消え、風景の一部に溶け込むレベルの一般人に成り下がっている。
彼をそんな男にしてしまったママはといえば、鼠派の小さなお人形をすっかり気に入ってしまい、私を呼び出したことも忘れてご機嫌に撫で回している。
いつものモリサなら「バカにしないで!」と見事な金ツイを披露してくれてるところなんだろうけど、世間の悪評や派閥のトップという雲の上の肩書きがあるにも拘わらず、近所のおばさんみたいな馴れ馴れしさを見せるギャップに戸惑い、カチコチに固まってしまっている。
「ねえママ、私の報告聞く気あるの?」
「報告?…ああ、そうねえ……」
なんと、そこまで興味がないと仰る。それはさすがに私が可哀想ってもんでしょ?
「いやいや、『報告』だよ?そのために呼んだんじゃないの?」
「そのつもりではいたんだけど、聞きたいことは彼から聞けたし。正直、砂江子と私の持ってる情報量で言うなら圧倒的に私の方が多いのよね。だからここへ呼んだのはただ、労いの言葉でもかけてあげようと思っただけ」
なんでそんなわかりやすいウソを吐くの?今さらママが子どもの苦労を気にかけるなんて母親らしいことするなんてありえない。
「彼に何を聞いたの?」
「あら、気になるの?」
「そりゃあヘラクレスちゃんが関わってるなら多少はね。それに場合によっては次に岬に攫われた時、対処を変えなきゃかもでしょ?」
「あら、ワコが仕事に前向きな姿勢を見せるなんていつぶりかしら」
「茶化さないでよ。それとも私に知られたら何かマズいことでもあるの?」
少し大胆に踏み込んだ。……なんとなく、これもまたママの策略の内って気がしないでもないけれど。
それを仄めかすように、少しだけ意地悪な笑みが話の前置きとして現れた。
「あなたを砂江子の所にやった時、私が頼んだ伝言の内容は憶えてる?」
「森田さんが早まって岬に手を出さないようにって」
「整理がつき次第、私が直々に手を下すとも言ったわよね?」
「うん、言った」
言いながら、いまだモリサの頭を愛玩動物を言いつけるようにナデナデしている。私たち猫派の子でさえそこまで可愛がられたことなんかないのに。
「つまりそういうことよ。象牙の岬の黒幕は誰か。私が知りたかったのはそれだけ」
「じゃあ……」
だんだんとママの目つきは罠にかかった獲物を見るように厭らしくなり、それがナデナデにも表れ、モリサは別の意味で固まっている。
「そうよ、私はこれから戦争をしに行くわ。象牙の岬、そしてそれを匿う犬どもと」
「え、犬が岬を支持してるの?」
「そうよ。前々から怪しいとは思ってたけど、ベリスもバカじゃないからね。中々尻尾を掴ませてくれなかった。でも彼のお陰で裏が取れたわ」
口達者芸達者だったポルミスが一切口を挟んでこない。居並ぶ先輩たちに倣って口を閉ざし、直立不動を崩さず、視線は画鋲でピン止めされたかのように一点を見つめている。
アンドロイドの二人よりもよっぽどアンドロイドらしい。
「まあ、戦争っていうのは少し大袈裟だったかもしれないわね。少し躾をしてくる。それだけ」
獲物を笑う反面、ママの顔には「億劫」の文字が隠れていた。なぜならママは人を弄ぶのが好きなだけであって、暴力そのものは趣味の範囲外だから。
「そうね、ついでだからあなたに一つ質問しようかしら」
その聞き方からしてすでに嫌な予感がする。
「あなたはこのアニーとベッキー、どっちの方が好みかしら?」
「……ママ、いったい何を考えてるの?」
「ふふふ。さあ、何かしら」
「……」
ママの子になって11年目。いまだにこの人がどこまで残酷になれるのかわからない。だけど、方向性だけは一度だって曲げたことがない。
「私が指名した方に何か無茶をさせるとか?」
ママは追い詰めて現れた相手の本性を見て楽しむ。今回は鬼のどちらかが標的。私はあくまでついで。
「ええ、そうよ。でもそれだけじゃあ答えとしてはあまりに曖昧ね。ほら、答えてごらんなさい。あなたならわかるでしょ?あなたは他の子よりも私の性格をよく知っているはずよ?」
言ってる意味がよくわからない。
悪戯はよくされるけれど、腰を据えてお喋りをした記憶なんかアルバム一冊分もない。もしも、その悪戯がお互いを理解し合う要素だって言うのなら、それはあまりに一方的過ぎだよ。
「もしも言い当てられたら、この悪戯は止めてあげるわ」
それでもこの質問の主導権はママにある。
どちらを選んでも二人が悲惨な目に遭うのは間違いない。それどころか……
「さあ、早く答えて。でないと」
視線を移すと、ママの懐に抱かれた女の子が微かに痙攣し始めていた!
「そう言えば最近パンダの態度も―――」
「アニーさんとベッキーさん、どっちか一方を岬の側に付かせて、その上で完膚なきまでに捻じ伏せるとか?ママの次に強い二人を味方にしても敵わないならさすがに連中も反抗する気も失くすでしょ?」
ママの脅しに屈してしまい、思い浮かんだことを適当に並べてしまった。
するとママはそれでも不十分だと首を振る。
「私なら一人だろうと二人だろうと変わらないわ。どうしてどっちか一方なの?」
「そ、それは……」
「さあ、なんで?」
一応、答えに近づいているからか。ママは少し機嫌が良くなり、詰め寄り方も若干甘くなった。もしくは、これも私を油断させる罠なのかもしれない。
なんにしても、当てなきゃ意味なんかない。私は脳みそをフル回転させて質問の意図を考えた。
鬼……片方……。そういえばポルミスが紅鬼と対峙した時、紅鬼を討ち取れば夢が叶うとかなんとか言ってた。それってどういうこと?ヘラクレスちゃんを狙ってた理由と同じなの?シールドを破壊できるヘラクレスちゃんが必要なんじゃなくて、「ヘ型」そのものが何かの鍵を握ってるってこと?……そもそも、なんでママは岬に狙われるとわかってヘラクレスちゃんを弱体化させたままにしてるの?せめて紅鬼レベルくらいには……
疑問と疑問、プラスいろんな人の言動から見えてきたものをそのままママにぶつけた。
岬が狙っているのはヘラクレスちゃんじゃなくてヘ型、それも三人すべて。もっと言えば三人が一つだった、兵器だったころのヘラクレスちゃん。
そう、紅鬼と蒼鬼は武装解除したヘラクレスちゃんの力の欠片。
仮にヘラクレスちゃんが岬に捕らえられたとしても、鬼たちさえ手元にいれば彼らには何もできない。
弱体化させたヘラクレスちゃんは純粋な餌。ママの計画の邪魔になるものを排除するための。
根拠なんかない。がんもやポルミスの言葉だったり、ヘラクレスちゃん以降、ヘ型が二人しか製造されなかった理由だったりを無理やりくっつけただけ。
そしてママが鬼の一方を岬に渡そうとしているのは、黒幕を煽りたいから。「もう一歩」だと勘違いさせて油断させたいから。
私の答えを聞き届けるとママはモリサを放し、ゆっくり立ち上がった。その動作があまりに不穏で、部屋全体に強烈な緊張感が走った。近づいてくるママ以外の時が止まったかのように全員、立ち尽くしている。
遂に目の前までやって来ると、ママは私の目をじっくりと覗き込み……そして、生まれて初めて、優しく抱きしめてくれた。
「お前に期待した甲斐があったわ。やっぱりお前だけが正真正銘、私の子よ」
今まで聞いたことのない優しい声は逆に不気味で、それに追い打ちをかけるような意味深な言葉はすぐに私にある景色を連想させた。
「……ママ、まさかとは思うけど他の子たちを処分したりしないよね?」
言うや否や、耳元でクツクツとシチューの煮えたぎる音が聞こえてきた。
「最高、最高よワコ。ママは今とてもいい気分だわ!」
ママはこの領地で一番偉い人。どんなに優しくてもそれは変わらない。そして、ママにとって私たちは「そういう対象」でしかない。
つまるところ、ママと私たちの間に本物の「家族」はないのだとこの時はっきりと実感してしまった。
結果的に、私の言ったことはすべて的中していた。最後の指摘に関しては、私が言うと同時に思いついたことらしかった。
「安心なさい。約束通りこの意地悪は止めるし、あなたに特別何かをさせるつもりもない。それじゃあ不公平だものね」
果たしてママの頭の中に「公平」なんて文字があるのかも疑わしい。
「それじゃあ、私たちは犬っころたちを躾けてくるから。また明日ね」
ママは紅鬼とポルミスだけを連れ、まるでショッピングにでも行くかのような軽快な足取りで部屋を後にした。
「付き合いきれんな。今の内にあの女をどうにかする方法を考えんと取り返しのつかん事態になるぞ」
ママに可愛がられ過ぎたモリサの背中をポンポンと叩きながらパンダは言った。
「ありがとう、さっきは我慢してくれてたんだよね」
これまでの反ママ派の彼なら確実にあそこで言い返していた。それも、きちんと言葉を選んで。
だけど今回のはシャレにならない。だから我慢してくれた。皆にとっての「大惨事」を引き起こさないように。
「確かに俺は強いしカッコいい。だが慢心したことは一度もない。俺は俺の使命を忘れたことなんかないんだよ」
「……ありがとう」
いつぶりだろうか。この饅頭猫の頭を撫でてたのは。
性悪な母による突発的な罰ゲームを乗り越え、皆がようやく落ち着きを取り戻し始めた頃、鬼の片割れが私たちに向かって深々と頭を下げた。
「和子、ありがとう。姉に代わって礼を言わせてくれ」
「……アニーさんは、ママのことを憎いと思ってたりするの?」
アンドロイドにだって心はある。彼女とのケンカで痛感したことだ。
私はママの居ぬ間に鬼たちの本音を聞いてみた。そうして返ってきたアンドロイドらしい答えはさて置き、二人の心境が微妙に食い違っているのは意外だった。
「私たちはあの人に反旗を翻すほどの感情を抱いたことはない。関心もない。ただ、ベッキーは今の状況にフラストレーションを覚えているのは確かだ」
「ママにじゃななくて?岬?それとも、ちりめんおじいちゃんに?」
「さあ。知っての通り彼女は多くを語らない。表情も常にあんな感じだしな。ただ、もう一つだけ彼女について確かなことがあるとすればそれは、私と同じように無防備な姉の未来を案じているということだろう」
なんと、蒼鬼の言う「姉」は紅鬼のことじゃなかった。
「お前も言っていたように私たちは彼女の力の一部だ。……厳密にいえばこの角が、だが」
二人の頭にそれぞれ一つずつある角。それこそがヘラクレスちゃんの武装解除した力の源だと言う。
驚いたことに、紅鬼のクロワッサンサイズの角にはマタタビ数千トンに及ぶエネルギーが凝縮されていて、彼女の体はそれを引き出すための「装置」に過ぎないのだと言う。彼女が感情に乏しいのはスペックの大部分を「装置」に割いているかららしい。
「それでポルミスは彼女の角を狙おうとしたのね」
それだけ高濃度のエネルギーさえあればシールドに対抗できる宇宙船だって造れるかもしれないから。
むしろ、二人分の角がもともとあの小さなエレベーターガールに収まっていたかと思うと、がんもが彼女を設計したおじいちゃんを「妖怪だ」と揶揄したのにも納得がいく。
「それじゃあポルミスと戦った時、ベッキーさんの目が金色に光ったのも何か関係があるの?」
尋ねると、蒼鬼はこの世に二人しか例がないとされる現象を説明してくれた。
碧色しかないと思っていた活性化したマタタビの発色は、実はエネルギー転化率によって三つの色に変色するらしく、50~70%で碧、80~90%で黄、100%で赤色になるのだと。
あの時の紅鬼はほぼ100%に近い状態だったらしい。
「あの時、私は妙な胸騒ぎを覚えた」
ポルミスごときが紅鬼をどうこうできるはずもない。それなのに蒼鬼はアンドロイドらしからぬ「予感」で紅鬼のささやかな憂さ晴らしに水を差した。
「私が割って入らなければ、あの瞬間に彼女は何かとんでもないことを仕出かしていた。そんな風に思えてならない」
「……自分で聞いておいて何なんだけど、どうしてそんなことまで教えてくれるの?」
私は純粋に、二人がママをどう思ってるのか知りたかっただけ。
それなのに、彼女が曝したのはどちらかと言えば私みたいな下っ端が知るべきじゃないことのように思える。
実はママの悪戯はまだ続いていた。なんて言われても違和感のない流れだった。
すると蒼鬼はまるで今回の騒動すべての黒幕が他ならぬ私だと言いたげな、戸惑った表情を見せた。
「知りたかったんじゃないのか?」
「私が?どうして?」
「……いいや、どうやら私の勘違いだったらしい。忘れてくれ」
一瞬、私は迷った。このまま彼女から聞き出せるだけ聞き出すべきなんじゃないかと。
でも私は思い止まった。
私は柊和子。ママのお気に入りに登録された娘ではあるけれど、地球人でも何でもない。それに、私がこの騒動で気にかけてるのはヘラクレスちゃんの安否だけであって、ママや紅鬼たちがどうにかなるなんて少しも心配してない。
明日になれば、嫌でもママの口からご機嫌な話を聞くことになるってわかってるんだから。
私は柊和子。余計なことに首を突っ込むような正義漢じゃない。
帰りのエレベーター。とても彼女の笑顔を堪能する気分にはなれなかった。それでも彼女を心配させるまいとそれなりに平常心を保ったつもりだったけど、他の何よりも利用客を大事にする彼女の目は欺けなかった。
「顔色があまり優れませんね。……手を、握らせて頂いても?」
蒼鬼いわく、ヘラクレスちゃんは私と同じくらい何も知らない。そこにママのどんな意図があるかわからないのに、迂闊に口を滑らすまいと意識しすぎたのが仇になってしまった。
「体温、脈拍も正常の範囲内ですが、やはり少し疲れが溜まっているようですね。今日はお酒は控えてゆっくり休んでください」
けれども彼女はよくできたエレベーターガールだから。私の軽率な態度まで察して気を遣ってくれたように思える。
肌触りのいい小さな手がソッと離れ、つぶらな碧眼が私の目を覗き込んだ時、申し訳なさで少し胸の締め付けられる思いがした。
蒼鬼の言った「予感」。それはもしかすると最近になって急に見せ始めた彼女の物憂げな表情にも関係しているのかもしれない。
「ありがとう。ヘラクレスちゃんもあまり無理しないでね」
ヘラクレスちゃんは今日も今日とて絶世の美少女に相応しい、愛おしい笑顔で私たちを見送ってくれた。
そんな笑顔を見ていると、私は自分が何をすべきかわからなくなってきた。
帰り道、どうしたものかとぼんやりと考えていると、不意にモリサが私の裾を引っ張った。
「ねえ、私はどうすればいい?」
ママが直々に出向いたからにはもう事件は解決したようなもの。犬派がどういう態度に出るかはわからないけれど、少なくとも象牙の岬の足腰は二度と使い物にならない。もしくはママの反感を買って完全にすり潰されてしまうかもしれない。
ポルミスも、この件が終われば森田さんの所に帰るチャンスをもらえるはず。だからハッキリ言ってしまえば、一足先にお帰り頂いても一向に問題ない。だけど……
「モリサはどうしたい?」
気がつけば私は、なんだかんだ言ってやっぱり「ママの子」なんだなという自己嫌悪に陥りそうな質問を投げかけていた。




