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本屋さんと尺八

 ある日、読子は幼馴染みの勧めで尺八を習うことにした。

 彼女が言うにその講師は読子好みの美形だという。

 誘われるままに呼び出した講師の顔を見て、読子はすぐにその意味を知る。


「ヒカルちゃんってば、意地悪なんだから」


 講師の名は雲井火男と言うらしい。

 雲井の顔は憧れだったお兄さんの学生時代に雰囲気が似ており、美形と言うのはその事だろう。

 ただ読子としてはその男性は「幼馴染みへの叶わぬ恋を引きずっている憂いを帯びている」からこそ好きなので、顔が似ているだけだとむしろ嫌いなタイプだった。

 それでも友人の勧めを無碍には出来ないと、読子は雲井との挨拶を軽く済ませて彼を座敷に上げた。


「それでは本屋さん、これを」

「どうも」


 授業を始める前の準備として雲井は手製の尺八を読子に手渡す。

 握った瞬間に妙な生温かさを感じたが、読子はまだ雲井の手の熱が残っていただけだろうと流す。


「では初歩から始めましょうか。歯はくっつけずに、唇を軽く開いて、こんな風に」

「こうですか? ふ、ふぅ~」


 ずぶの素人である読子は上手く音を出せない。

 ふうふうと息を吹き付けるだけになってしまう。


「焦らないで、上手ですよ」

「ほうれふか?」


 綺麗に音が出せていないのに雲井は読子を褒める。

 最初は出張講師なので褒めて伸ばす方針なのだろうかと読子は思っていたのだが、次第に雲井の口数が減ってくる。

 小首を傾げながら練習を続ける読子に対して雲井は中座の断りを入れてきた。


「ごめんなさい。ちょっとお手洗いをお借りしますよ。練習を続けてください」


 雲井が席を外して五分、尺八から唇を離した読子はふと気付いてしまった。

 練習に熱中していたにしては熱を帯びすぎている中継ぎに、唾液が貯まったにしては潤い過ぎている管頭。試しにチロチロと先端を舐めてみると、舌先には久しく味わっていない雄のフェロモンが広がってくる。

 読子は慌ててヒカルに電話を入れた。


「ちょっとヒカルちゃん! 尺八の先生のことなんだけれど───」


 勧めの真意を問いただした読子は少しむっとしたが、最近ご無沙汰なので少しくらいは相手してから懲らしめる方針でも良いかなと考えた。

 ヒカルが言うに、この雲井は道具と自分の体をリンクさせる力を身につけた特殊能力者だという。

 魔女になるまで読子は知らなかったが、世間にはこういう異能を身につけた人がいるらしい。

 そういった人たちの中でも犯罪行為に走る迷惑者への相談を受け付けるフリーランサーであるヒカルは、別の依頼人からこの雲井による迷惑行為の裏取りを頼まれていたらしい。

 だがヒカルはそっちの方面では顔が広くて雲井も尻尾を出さなかったため、読子をダシに使ったのだという。

 目をこらせば尺八からトイレにいる雲井まで伸びるラインが見える。これが件のリンクなのだろう。


「お待たせしました。今度は私が手本を見せますので、本屋さんは休んでください」

「わかりました。ところで、私の尺八はそんなに上手でしたか?」

「初心者としては上出来ですよ」

「初心者ねえ……私、こっちの尺八なら自信があるのだけれど、先生もお試しになります?」


 読子は雲井に寄り添うと、そっと太股に手を当てた。

 不埒者だという雲井は懲らしめたいが、どうせ懲らしめるのなら二度とこういう悪戯をしたくなくなるように搾り取ってやろうと読子は思いついたのだ。

 先日相談に来た少年の件でも良い雰囲気になりかけたが興醒めしたのもあり、この頃の読子は欲求不満だった。

 出会いが無ければバイトの子はパワハラになるので手を出さない取り決めにしているので、雲井は格好の餌食だった。


「本屋……さん?」

「私も独り身ですから、貯まっているのよ」


 雲井は生唾をごくりと飲んだ。

 顔を真っ赤にさせていて、尺八を使って生徒に擬似的な尺八をさせていたにしては初心な反応に読子も唸る。

 手で雲井をさすりながらさて懲らしめようかと思ったところで、座敷の戸が開いた。


「雲井さん、わたしも教えてもらって良いですか?」

「葵ちゃん!? お店の方は? それにその尺八……」

「店番はイチローくんと交代したので、今日は早引きして雲井さんに教わろうかなと。さっきくれた尺八も結構いい音がして楽しいし」

「勝手に早引きなんてダメじゃない」

「そういう店長も年甲斐も無く雲井さんに変なことをしようとして。雲井さん、困っているじゃない」

「えっと、それは……」


 葵に指摘されてピンク色に染まっていた頭脳が戻る。

 よく見れば自分の尺八よりも葵のモノの方がラインが太い。この男は自分だけでなくかわいい店員にまで手を出す気だったのかと、自分のことを棚に上げて読子は怒った。


「とにかく、葵ちゃんはあと一時間仕事に戻りなさい! 戻らなきゃ今日のお給料はナシよ」

「は、はい!」


 お金を盾に葵を追い出すと読子は改めて雲井を責める。これ以上はさすがに一回遊んでからなんて言っていられそうにないと。


「仕切り直しますか、雲井さん。アナタのやっていることは全部お見通しですよ」


 読子は雲井に二択を迫った。このまま能力の悪用を続けるか、心を入れ替えて真面目な講師になるかを。

 最初は白を切る雲井だったが、読子はあえて魔女のトリックを彼に種も仕掛けも含めて明かすことでそれを囮に使った。

 悪用を続けるという問いにイエスと答えるならば、それ即ち願いとして代償を強要すると。

 仮にこの場でイエスと答えても相手の方からバッチコイな読子と一回良いことをしただけでその後の代償は計り知れないし、誤魔化してノーと答えても嘘を引き金に何が起きるかは彼女の力の規模を考えると恐ろしい。

 なまじ異能者であるが故に雲井は読子の言葉に素直に従った。


「ではまた来週、お願いしますね」

「先生、またね」


 二時間後、バイトを上がった葵を含めた一時間のレッスンを終えて雲井は帰っていった。


「そういえば店長、さっきのアレって……」

「わ、忘れてちょうだい」

「店長も男日照りだからって、あんまり雲井さんを虐めちゃダメですよ」

「わかっています!」


 ヒカルに担がれる形でまんまと彼女の狙い通りに雲井を更正させた読子だったが、葵に発情した姿を見られた失敗で今月の出費が増えてしまった。

 またムラッ気のせいで失敗したかなと、先日のモテモテ少年のことを思い出しながら読子は自分を戒めた。

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