商人の使い道
俺は、ガルド子爵の手紙をもう一度読んだ。
去年の冬に引き渡された職人たちを、確かに受け取った。
書いてあるのは、それだけだ。
礼儀正しい文章だったが、領民を返すとも、会って話すとも書いていない。そもそも、俺に宛てた手紙ではなかった。
モルドが子爵から受け取った、取引の証拠だ。
わざわざ先に読ませた理由も分かる。
買い手は貴族だ。それでも口を出すつもりか。
そう聞いているのだろう。
「モルドは、まだいるか」
帳簿を運んできた兵に聞いた。
「はい。商会で待つようにと申しつけております」
「連れてこい。話の続きだ」
俺は手紙を机へ置いた。
脅しに使った紙で、逆に働いてもらおう。
*
戻ってきたモルドは、最初から困った顔をしていた。
商人の困り顔ほど、当てにならないものはない。
「お渡しした記録に、不備がございましたでしょうか」
「まだ全部は見ていない。座れ」
モルドは腰を下ろすと、俺の手元を見た。
子爵の手紙に気づき、わずかに姿勢を正す。
「ご覧いただけましたか」
「ああ。随分といい客を持っているな」
「長く、お付き合いいただいております」
「俺のところから、何人渡した」
モルドは、机の上の帳簿を開いた。
今度は調べるふりをしなかった。
「昨年の秋から冬にかけて、十一名でございます」
「全員、職人か」
「大工が四名、石工が三名。鍛冶が二名と、あとはその手伝いを」
俺はセバスを見た。
老人が、手元の紙に人数を書き込む。
「何を作らせてる」
「お城の増築とうかがっております」
「工事は、まだ続いているのか」
「春までの予定が延びまして。今も人手を求めておいでです」
なるほど。
屋敷の裏門を直した大工まで、買っていくわけだ。
俺は椅子にもたれた。
「十一人を、戻すにはいくら要る」
モルドの顔から、少しだけ困った様子が消えた。
金の話になれば、自分の出番だと思ったらしい。
「交渉次第ではございますが、お納めいただいた代金に加えて、これまでの食事や衣服、今後の工事の遅れなども考えますと――」
「お前の見積もりはいい。子爵はいくら払った」
モルドは口を閉じた。
「帳簿のどこだ」
指を置いたページを、商人が二枚めくる。
俺は、その数字を見た。
十一人で、銀貨八百八十枚。
領の帳簿に入った税の立て替え分は、百三十二枚。
ベルクの懐を通り、モルドの手を通るたび、人間の値段が上がっている。
俺の取り分だけが、安いままだった。
「いい商売だな」
「移送には、危険も伴いますので」
「半日の道でか」
モルドは、今度こそ黙った。
*
俺は帳簿を手元へ引き寄せた。
職人たちの名前の下に、小さな文字が並んでいる。
年齢。仕事。持病の有無。
その中に、気になる欄があった。
「これは何だ」
「最低就労期間でございます」
名前の横には、三年と書かれていた。
どの職人も同じだ。
「三年働けば、帰れるのか」
「原則としては」
「原則以外もあるのか」
「道具の破損や、病による休業があれば、その費用を加える場合がございます」
なるほど。
返し終わる頃に、借金が増える仕組みか。
よくできている。
もっとも、褒めるつもりはなかった。
俺の町で使うはずの腕を、よその領地で何年も使われては困る。
「三年というのは、誰が決めた」
「私どもで、標準の契約を用意しております」
「元の滞納額が違っても、全員三年か」
モルドの視線が動いた。
俺はセバスに、領の税台帳を持ってこさせた。
パン屋のダンから聞いた弟の名前を探す。
ロイ。
滞納額は銀貨六枚。
一方、商会の記録には、八十枚とある。
「この男は、何枚返せば自由になる」
「お引き受け先の取り決めによります」
「六枚じゃないのか」
「そこへ、仲介や移送の費用が――」
「八十枚を払った子爵は、こいつが六枚の税を払えずに捕まったと知っているのか」
モルドは答えなかった。
俺は帳簿を閉じた。
ようやく、使えそうな話が出てきた。
*
「モルド。お前、子爵に何を売った?」
「働き手でございます」
「三年間、文句を言わずに働く職人だろう」
「……契約に従っていただく、という意味では」
「その契約の元になった税が、間違っていたらどうなる」
商人の眉が動いた。
「間違い、でございますか」
「調べている途中だ。ベルクは、俺に断らず金を取っていた。帳簿にない手数料まである。誰がいくら滞納していたのか、全部確かめる」
俺は、机に積まれた書類を指した。
「一人ずつな」
それは、やるつもりだった。
正しい金額が分からなければ、どこまで回収できるかも分からない。
「調べ終わるまで、子爵には契約の確認を頼む」
「レオン様。それは、慎重になさった方が」
「なぜだ」
「子爵様は、ご自分の取引に疑いを向けられることを、お好みになりません」
「なら、お前から説明しろ」
モルドが顔を上げた。
俺は続けた。
「俺が調べると言った。だから、その前に契約を整理しておきたい。そう話せばいい」
「それでは、私の信用が」
「今なら、ベルクに騙されたで済むかもしれん」
部屋が静かになった。
モルドは、子爵の手紙へ目を落とした。
これまで、領民は声を上げても取り合ってもらえなかったのだろう。
ベルクが捕まえ、商人が運び、貴族が使う。
文句を言う相手が、どこにもいない。
だが、今度は領主の俺が、自分の印章を使った取引について聞く。
何も変わらないと思われては、困る。
「……私に、何をしろと」
モルドが聞いた。
俺は笑った。
「ようやく、話が早くなったな」
*
子爵は今も、職人を探している。
城の工事が遅れ、人手を増やしている。
そこで十一人を返せと言っても、素直に頷くとは思えない。
なら、手放した方が得になる物を用意すればいい。
「子爵の工事は、誰が取りまとめてる」
「石造りの部分は、領内の職人頭が。木工や金具は、いくつかの工房へ分けております」
「工房への支払いは」
「出来高に応じて、と聞いております」
「職人を買って働かせるのと、工房に仕事を頼むのと、両方やってるわけか」
モルドは頷いた。
俺は白紙を一枚引き寄せた。
「十一人を、こちらへ戻す」
モルドが何か言いかけたが、手を上げて止めた。
「その代わり、こちらで工房を作る。子爵の工事に使う扉や、窓枠、金具をまとめて請け負う」
セバスが、ペンを持つ手を止めた。
「材料は向こうに出させろ。職人の飯と寝床も、こっちで持つ。子爵は出来上がった物にだけ金を払う。工事のたびに人間を買う必要はなくなる」
「ですが、職人を戻してしまえば、子爵様がすでに支払われた代金は」
「工房への前払いに替える」
俺は紙に、八百八十と書いた。
「この分だけ、最初の仕事で値引く」
モルドは、その数字を見つめた。
「それでは、レオン様の負担が」
「お前とベルクが持っていった分は、先に返してもらう」
俺は別の欄を指した。
「そのうえで、工房の取り分は俺が取る。次の工事も、ほかの客の注文もな」
町へ戻った職人を、ただ元の暮らしに返すつもりはない。
腕のある連中が十一人。
工房の場所と道具をこちらで揃え、仕事も持ってきてやる。
その代わり、稼ぎの中から、長く払ってもらう。
人間を一度売るより、よほど儲かりそうだった。
*
「……工房を取りまとめる者が必要でございます」
モルドが言った。
「職人は、仕事ができても、納期や材料の手配に詳しいとは限りません」
「ああ」
「子爵様と直接やり取りをするのであれば、なおさら――」
「お前にやらせる」
モルドは言葉を止めた。
俺は紙を向こうへ押した。
「お前が連れていった連中だ。誰が何をできるか、よく知ってるだろう」
「私を、お使いになるのですか」
「働かせなければ、取られた金が戻らん」
捕まえて牢に入れるだけなら簡単だ。
だが、こいつは道を知っている。
買い手も、値段も、子爵の機嫌の取り方も知っている。
全部吐かせて終わりでは、少しもったいない。
「帳簿はエドに付けさせる。金も、直接お前には持たせない」
モルドの顔が、わずかに曇った。
「その代わり、仕事を取ってくれば手当を出す」
「……いかほど」
聞くのが早い。
俺は笑った。
「まず十一人を戻してからだ」
*
モルドが帰る頃には、外が暗くなっていた。
今日は商会へ戻してやった。
ただし、兵を一人付けた。
明日の朝には出立し、子爵へ話を持っていく。書類の写しも、俺の使いが同行して渡す。
一人で行かせては、都合のいい話に作り替えるだろう。
「よろしいのでございますか」
扉が閉まったあと、セバスが聞いた。
「あの者に、お任せして」
「任せきりにはしない。お前も聞いていただろう」
「はい。ただ、ご領民を売った者でございます」
「だから、連れ戻す仕事をさせる」
セバスは、しばらく黙っていた。
俺は机の上の紙を見直した。
工房の場所が要る。
道具も要る。
仕事が来るまでの間、職人に何を作らせるかも考えなければならない。
初めから、全部がうまくいくとは思っていない。
子爵が断ることもある。
その時は、モルドに次の使い道を考えるだけだ。
「明日、空いている建物を調べろ。鍛冶場は火を使う。家が密集している場所は避けろ」
「承知いたしました」
「それと、ダンに聞いておけ。弟が使っていた道具は残っているか」
セバスが顔を上げた。
「ロイの、でございますね」
「ああ。買わずに済む物は、使う」
老人は、深く頭を下げた。
*
翌朝、屋敷の入り口にダンがいた。
昨日よりも大きな籠を抱え、その足元には古い木箱が置かれている。
「何だ、その荷物は」
「弟の道具です」
箱の蓋を開けると、鉋や鑿が、布に包まれて並んでいた。
きれいに油が引かれている。
「売らなかったのか」
「いつ戻ってもいいように、女房と手入れだけは」
俺は箱の中を見た。
使えるかどうかは分からない。
だが、錆びてはいなかった。
「預かっておく」
「はい」
ダンは頷いてから、言いにくそうに続けた。
「セバス様から、聞きました。弟たちが戻ってからの仕事まで、お考えだと」
「ああ。暇にさせておく気はない」
「ありがとうございます」
また、それか。
「まだ子爵が承知したわけじゃない。礼は早い」
「それでも」
ダンは、道具箱を見下ろした。
「戻ってきた時、仕事があると言ってやれます」
俺は答えず、兵に箱を運ばせた。
働く場所がある。
それで家族ごと落ち着くなら、こちらも助かる。
ダンは籠からパンを取り出した。
「今日の分です。代金は、昨日と同じで」
「覚えたな」
「はい」
セバスが金を渡す。
ダンはそれを受け取り、何度も頭を下げて帰っていった。
俺はパンを一つ取った。
温かい。
まだ、この領地に来てから二日も経っていない。
その間に、牢を空にし、徴税官を捕まえ、商人に仕事をさせ、工房を一つ作る話まで決まった。
ずいぶん働いている。
俺が楽をするために、もう少し働く奴を増やさなければならない。
「レオン様」
出立の支度を終えたセバスが、一枚の紙を差し出した。
「使いに持たせる書状でございます。最後に、ご確認を」
俺は読み終え、署名した。
机の端にある印章を取り、蝋へ押しつける。
今度は、俺が決めた取引だ。
「いい返事を待ってると伝えろ」
俺は封じた書状を渡した。
「城を建てるのは、一度きりじゃないだろうからな」




