返してもらう
商人は、空の荷車を三台連れてきた。
二十三人を運ぶには、ずいぶん小さい荷車だった。
窓から門の方を見下ろしながら、俺は隣のセバスに聞いた。
「荷台に椅子はあるか」
「見当たりません」
「屋根は」
「ございません」
働き口の紹介とやらは、送迎にも金をかけないらしい。
もっとも、こちらには好都合だった。
「まだ門の中には入れるな。先に、客の顔を見よう」
*
案内されてきたのは、細身の男だった。
四十歳前後。濃い茶色の上着に、よく磨かれた靴。
ベルクのように指輪をいくつも着けてはいない。部屋へ入ると、俺より先に、机の上の書類へ目をやった。
「お初にお目にかかります。商会を営んでおります、モルドと申します」
「レオンだ。座れ」
モルドは勧められた椅子に腰を下ろした。
扉の脇に立つ兵を一度見て、それから穏やかに笑った。
「ベルク殿と、行き違いがございましたでしょうか」
「今、仕事を休ませている」
「それは、それは」
驚かなかった。
やはり、何か聞いて来たな。
「本日はお約束の確認に参りました。お引き渡しいただく方々の支度が整いましたら、出発を早められればと」
「明日じゃなかったのか」
「天候が崩れそうですので」
窓の向こうは、雲一つない青空だった。
俺はその話には触れず、机の上へ手を置いた。
「二十三人は渡さない」
モルドの笑みが薄くなった。
「……何か、不手際でも」
「必要になった」
「農作業でしたら、別の働き手をご用意することもできます」
「俺の領民を持っていって、代わりを俺に売るのか」
「もちろん、相応の便宜は図らせていただきます」
よく口が回る。
こういう男は、話を長くさせると、いつの間にか自分の都合のいい場所へ連れていく。
俺は手を差し出した。
「契約書を出せ」
*
モルドは、革の鞄から書類を取り出した。
俺はそれを受け取り、目を通す。
引き渡す人数は二十三人。
立て替える税の総額は、銀貨七十六枚。
領の印章が押され、その下にベルクの署名があった。
「契約は成立しております」
モルドは、俺が読み終えるのを待って言った。
「こちらも、その後の受け入れ先を手配済みでして。今さらお取りやめとなりますと、損失が生じます」
「金は払ったのか」
「銀貨三十枚を、前金として」
俺はセバスを見た。
老人は、別の帳簿を開いた。
「領の会計には、記録がございません」
「ベルク殿に、お渡ししております」
モルドが答える。
「領主様の代理として受領されましたので、そちらでご確認いただければ」
俺は書類を机に置いた。
ベルクが金を受け取った以上、知らないでは済まないらしい。
領の印章まで使われている。
ここで大声を出して追い返すのは簡単だ。だが、それでは商人が何を握っているか分からない。
俺は椅子にもたれた。
「取引をやめるには、いくら要る」
セバスが、わずかにこちらを見た。
モルドは困ったように眉を下げた。
「前金の返還と、手配にかかった費用を合わせまして……銀貨九十枚であれば」
「三十枚が、九十枚か」
「急な変更ですので」
「内訳は」
「移送の人員、荷車、それから受け入れ先への補償などでございます」
すらすらと出てきた。
最初から、その値段で売り直すつもりだったのだろう。
俺は窓の方へ目を向けた。
あの荷車三台で、随分と稼ぐものだ。
「考えておく」
モルドは、ようやく少し肩の力を抜いた。
俺は続けた。
「その間に、去年の取引について聞こう」
*
セバスが、小さな冊子を机へ置いた。
ベルクの執務室から見つかった、あの記録だ。
モルドは表紙を見ても、表情を変えなかった。
ただ、膝の上に置いていた両手が、動かなくなった。
「去年の冬。大工のロイという男を引き取っているな」
「すべてを覚えているわけではございませんが」
「パン屋のダンの弟だ」
「……確認すれば、分かるかと」
「確認してこい」
俺は冊子を閉じた。
「ほかの連中もだ。今どこで、誰のために働いている。税の立て替え分は、あといくら残っている」
「各地へ紹介しておりますので、お時間をいただきます」
「そうか。では、お前の商会の帳簿を見せろ。紹介先くらい書いてあるだろう」
「それは、商売上の秘密に関わります」
「俺の領民が返す金額も、秘密なのか」
モルドは初めて、口を閉じた。
俺は待った。
少しの沈黙で自分から口を開くと、相手はそこへ逃げ込む。
前の人生で、何度もやった。
窓の外から、馬のいななきが聞こえた。
「……レオン様」
モルドが、声を低くした。
「今回の件だけでしたら、もう少し柔軟に対応できます」
「九十枚をまけるのか」
「先ほどは、突然のお話でしたので」
「さっきから、突然のことが多いな」
俺は笑った。
モルドは笑わなかった。
*
扉が叩かれた。
入ってきた兵が、セバスへ布袋を差し出す。
「ベルク殿の屋敷からです。奥様が、こちらをお渡しするようにと」
俺は手を伸ばした。
袋の中には、金と手紙が入っていた。
銀貨が何枚か。それから、封の切られた短い手紙。
読み始めると、向かいで椅子が小さく鳴った。
「何か」
モルドに聞く。
「いえ」
手紙には、明日引き渡す二十三人のことが書かれていた。
職人が少ないため、前回と同じ額は出せない。
前金三十枚に、残り百十枚。
それで了承してほしい。
末尾には、モルドの署名があった。
俺は契約書を見た。
七十六枚。
手紙では、百四十枚。
この二人、領の印章を使った契約と、自分たちの商談を、きれいに分けていたらしい。
俺は手紙を机の中央へ滑らせた。
「残りの六十四枚は、何の金だ」
モルドは手紙に目を落とした。
「ベルク殿への、手配の謝礼でございます」
「領の役人が、領の仕事をして、個人で受け取るのか」
「慣例となっておりまして」
「俺には入らないのにか」
思わず本音が出た。
セバスが、隣で静かに息を吐いた。
モルドは、俺の顔をじっと見た。
ようやく、話す相手が変わったと分かったらしい。
「……その点についても、今後は見直しを」
「今後の話はしていない」
俺は手紙を指で押さえた。
「前の取引も、同じように払っていたんだな」
*
話が終わるまで、少しかかった。
モルドは何度も言い方を変えた。
謝礼。仲介料。付き合いの費用。
俺はそのたび、額と支払った日を聞いた。
やがてセバスの前に、紙が一枚増えた。
ベルクの記録と照合するためのものだ。
「本日中に、商会の帳簿をお持ちします」
モルドは、最初より深く腰を曲げていた。
「去年からの引き受け分についても、行き先を調べさせます」
「戻せる奴は戻せ」
「すでに別の商会へ移った者もおりますので、一存では」
「なら、そいつの名前も持ってこい」
俺は契約書を返さなかった。
モルドの視線が、その上に残った。
「本日の二十三名については」
「前金の三十枚は返す」
セバスが顔を上げた。
俺は布袋を持ち上げた。
「ベルクの金からな。領の金庫には、一度も入っていないんだろう」
「はい」
「余計な費用は払わない。荷車は、帰りも空で使える」
モルドの頬が、わずかに動いた。
まだ何か言いたそうだったが、手紙へ目をやり、結局、頭を下げた。
俺は最後に付け加えた。
「勝手に出ていくなよ。帳簿を待っている」
*
扉が閉まってから、セバスが口を開いた。
「商会まで兵を付けますか」
「ああ。二人でいい。運んでくる書類を、途中で落とされても困る」
「承知いたしました」
老人は、扉の外の兵へ指示を出した。
その間に、俺は冊子をもう一度開いた。
名前の隣に並ぶ、職業。
鍛冶職人。大工。石工。
金になる人間から、順に持っていかれている。
町が寂れるはずだった。
「買い戻す金が要るかもしれんな」
独り言のつもりだったが、セバスには聞こえたらしい。
「ベルクからの回収分を、そちらへ充てるのでございますね」
「額による。帰ってきて働かせる方が得ならな」
大工が戻れば、空き家を直せる。
鍛冶職人が戻れば、農具が作れる。
そのために毎回、よその町から人を呼んでいては高くつく。
何より、ベルクと商人が儲け、俺だけが損をしたままでは気が済まなかった。
「ダンの弟も、見つかるとよいのですが」
「腕はいいのか」
「屋敷の裏門を直したことがございます。丁寧な仕事でした」
「それなら、戻ったら椅子を見させろ」
「椅子、でございますか」
俺は背中に当たる彫刻を指で叩いた。
「邪魔だ」
セバスは少し目を丸くしてから、頷いた。
「必ず、お伝えいたします」
まだ戻るかどうかも分からないだろう。
妙に力の入った返事だった。
*
昼を過ぎると、門の外が騒がしくなった。
モルドの荷車は、まだ停まっている。
その向こうに、人が集まっていた。
十人、二十人。
仕事を抜けてきたのか、前掛け姿の女や、土の付いた服の男もいた。
「何だ、あれは」
戻ってきたセバスに聞く。
「連れていかれた方々の、ご家族だそうです」
「何をしに来た」
「レオン様が、行き先を調べてくださっていると聞いたようで」
俺は窓辺に立った。
門番と話していた女が、こちらに気づいた。
女が頭を下げる。
それにつられるように、隣の男も、その後ろの老人も頭を下げた。
聞こえない距離だというのに、何か言っている。
俺は窓を閉めた。
「まだ見つかってもいない」
「それでも、でございましょう」
セバスは、門の方を見ていた。
「これまでは、どこへ尋ねればよいかも分からなかったのでございます」
俺は机へ戻った。
感謝は、仕事が済んでからにしてほしい。
先に喜ばれると、うまくいかなかった時が面倒だ。
もっとも、集まった連中を見て、一つ分かった。
家族がここにいるなら、帰ってきた職人は逃げにくい。
取り戻す価値は、思ったよりありそうだった。
「セバス。家族の名前と、連れていかれた時期も聞いておけ。商人の記録と比べる」
「かしこまりました」
セバスは早足で部屋を出た。
俺は白紙を引き寄せる。
戻ってきた人間を、どこで働かせるか。
その前に、今いる連中まで逃げ出す理由を潰さなければならない。
七割の税に、通行料と井戸代。
俺は税目を書き出し、線を引いた。
削れるものは多そうだった。
そこへ、兵が戻ってきた。
「モルドの商会から、帳簿を持参いたしました」
「置け」
重たい帳簿が、机に載った。
兵は、もう一枚、折り畳まれた紙を差し出した。
「それと、商会主から。先にこちらをご覧いただきたいと」
広げると、手紙だった。
見慣れない紋章の下に、丁寧な字が並んでいる。
去年の冬に買い入れた職人たちの、受領の知らせ。
送り主の名には、覚えがあった。
レオンの記憶の中で、父親が何度も悪態をついていた相手だ。
隣の領地を治める、ガルド子爵。
俺は手紙を裏返し、それからもう一度、署名を見た。
商人がわざわざ先に読ませた意味も、分かった。
相手は貴族だ。
それでも返せと言うのか。
そう聞きたいらしい。
「……なるほどな」
俺は机の端に、手紙を置いた。
取り立て先が、一軒増えた。




