徴税官の財布
「帳簿でしたら、すでにお部屋へお届けしておりますが」
ベルクはそう言って、額の汗を拭った。
地下牢には、まだ解放された領民たちが残っていた。開いた扉のそばで身を寄せ合い、俺たちのやり取りを見ている。
「あれは税の帳簿だろう」
「はい。ですから――」
「俺の領民を売った金は、どこに書いてある?」
ベルクの手が止まった。
「売るなどと、人聞きの悪い。納税できない者に、働き口を紹介しているだけでございます」
「ほう」
「商人が税を立て替え、その分を働いて返していただく。本人たちにとっても、牢にいるより良い話かと」
もっともらしい説明だった。
金を貸す側の話だけ聞けば、大抵の取引はまともに聞こえる。
俺は、最初に牢から出したパン職人を見た。
「お前、そんな話は聞いていたか」
男の肩が跳ねた。
「い、いえ」
「本当か」
「どこへ行くかは……明日になれば分かると」
「家族には?」
男は首を横に振った。
俺はベルクへ向き直った。
「働き口の紹介にしては、不親切だな」
「手続きを進めている最中でございまして。レオン様はご静養なさっておりましたし、細かなことまでお耳に入れるのは――」
「ここは臭い。続きは上で聞く」
俺は階段へ向かった。
「セバス。ベルクの執務室を閉めておけ。中の物は誰にも触らせるな」
背後で、靴底が石を擦る音がした。
「必要な書類なら、私が取ってまいります」
「座って待っていればいい」
「ですが」
振り返ると、ベルクは階段に足をかけた姿勢で固まっていた。
「俺に二度言わせる癖は、早めに直せ」
*
執務室の椅子は、座り心地が悪かった。
彫刻ばかり立派で、背中に硬い木が当たる。
前のレオンは、これでよく仕事ができたものだ。
いや、していなかったか。
机の上に置いた帳簿は、どこを開いても同じ字で埋まっている。確認した印も、別の筆跡による書き込みもない。
金の管理を、丸ごとベルクに預けていたらしい。
俺も前の人生で似たような失敗をしたが、ここまで手軽に任せてはいなかった。
「ベルク。何年、この仕事をしている」
「十七年になります。先代様の頃より、領地のために尽くしてまいりました」
部屋へ入ってから、少し落ち着きを取り戻していた。
領主は若い。
帳簿も読まず、金が欲しい時だけ呼びつけていた男だ。
多少機嫌が変わったところで、説明すれば丸め込める。そんなところだろう。
「随分と儲かったか」
「……何のお話でしょう」
「十七年働いて、今の給金で、その指輪が買えるのかと思ってな」
ベルクは右手を左手で覆った。
「妻の実家が、商売をしておりますので」
「そうか。それなら、金の出入りには詳しいな」
俺は帳簿の一ページを開いた。
地下牢にいた者たちの名前と、滞納額が並んでいる。
その中に、パン職人の名があった。
「ダン。銀貨八枚の滞納。これで合っているか」
「はい」
部屋の隅に立たせていた男が、恐る恐る顔を上げた。
「何だ」
「あの……十枚です」
ベルクが男を睨んだ。
「余計な口を挟むな。お前に分かることでは――」
「俺が聞いた」
俺はベルクを黙らせ、ダンに続きを促した。
「税の残りが八枚で……連れていかれる時、手数料が二枚かかると」
帳簿に、手数料の記載はない。
「その二枚はどこへ入る?」
「徴収には人手が要ります。兵の手当や、書類の費用などでございます」
「その記録を持ってこい」
ベルクの返事は、今度は少し遅かった。
*
セバスが運んできた書類は、思いのほか多かった。
兵の手当。荷車の借り賃。囚人の食費。
ベルクは一枚ずつ説明した。
この男、字も計算もできる。
嘘をつく時に声が裏返ることもない。領民を売る話も、道の修繕と同じ調子で話した。
使う相手を選べば、便利な男だっただろう。
「では、商人から受け取る金の記録は?」
「引き渡しが済んでから、記載いたします」
「先月も、その前も、誰も引き渡していないのか」
「……別の綴りに」
「取ってこさせろ」
セバスが扉の外の兵に指示を出す。
ベルクはその背中を目で追っていた。
俺は机の上で指を組んだ。
「先に言っておくが、領民を売ったことを責めているわけじゃない」
ダンが息を呑んだ。
構わず続ける。
「俺に黙って、俺の持ち物を売ったことを聞いている」
ベルクの目が、わずかに明るくなった。
話が通じると思ったらしい。
やがて運ばれてきた綴りから、男は一枚の契約書を抜き出した。
「こちらが、先月の分でございます」
俺は受け取った。
六人。
税の立て替えとして支払われた額は、銀貨二十四枚。
翌日の日付で、同じ額が領の収入に記載されていた。
表の数字は合っている。
「ダン一人で八枚だったな」
「この者は、滞納の期間が長いためです」
「なるほど」
俺は契約書を置いた。
「それで、お前はいくら受け取った」
「ですから、銀貨二十四枚を――」
「領の取り分は分かった。お前の分だ」
ベルクは黙った。
俺は椅子に座り直した。背中に彫刻が当たった。
やはり、あとで替えさせよう。
「商人は明日来るんだろう。その時に聞いてもいい」
「……商人というものは、都合のよいことを申します」
「お前もよく知っているな」
セバスが、机の横へ小さな冊子を置いた。
「執務室の引き出しにございました。こちらも、ご確認を」
ベルクが立ち上がりかけた。
扉の脇にいた兵が、一歩前に出る。
俺は冊子を開いた。
税の帳簿とは違い、人名の横に年齢や職業が書き込まれていた。
鍛冶職人。大工。薬草採り。
その隣には、別の金額。
さっき見た六人の名前もある。
合計は、銀貨百八十枚だった。
俺は契約書と冊子を並べた。
「随分、差があるな」
「それは、見積もりでございます」
「何の」
「労働力の……」
ベルクの口が閉じた。
俺は最後のページをめくった。
ダンの名前があった。
銀貨三十二枚。
なるほど。パンを焼く腕は、それなりに買われていたらしい。
「八枚の借金で捕まえて、三十二枚で売るのか」
「食事や衣服、移送の費用がかかりますので――」
「その費用を払う商人が、三十二枚出すんだろう」
部屋が静かになった。
俺はベルクの指輪を見た。
銀貨一枚の価値は、まだ正確には分からない。
だが、こいつの指で光っている石が、領民の食事より高そうなことは分かった。
*
「レオン様」
ベルクが、声を落とした。
「少々、二人でお話しできませんでしょうか」
「ここでいい」
「ですが、内々のご相談が」
「ここで話せない相談なら、聞かん」
男は唇を湿らせた。
それから、ゆっくりと頭を下げた。
「配慮が足りませんでした」
謝る場所を、間違えている。
「今後は、レオン様にも相応の謝礼を――」
俺は笑った。
ベルクも、引きつった笑みを浮かべた。
「お前、俺から何を盗んだか分かっているか」
「盗んだなどと。そのようなつもりは」
「ダン」
名前を呼ぶと、パン職人は身を縮めた。
「お前の店は、年にいくら税を払っていた」
「豊作の年でしたら……銀貨十二枚ほどです」
「何年、店をやってる」
「親父から継いで、十八年になります」
俺はベルクに目を戻した。
「毎年金を払う人間を、一度きりの小遣いに替えた。その金まで懐に入れた。お前は俺に何を残すつもりだったんだ」
ベルクの笑みが消えた。
こいつを放っておけば、土地と屋敷だけが残る。
人の消えた町に立派な椅子を置いても、誰も金は運んでこない。
「印章と鍵を出せ」
「レオン様」
「屋敷と執務室を調べる。お前名義で預けた金もだ。説明したいことがあるなら、調べ終わってから聞く」
ベルクは胸元を押さえた。
鍵でも隠しているのだろう。
兵に目を向けると、二人が男の両脇に立った。
「私は十七年も、この家に――」
「それなら、長く楽しんだな」
俺は冊子を閉じた。
「ここから先は、俺の番だ」
*
ベルクが連れていかれると、部屋が少し広くなった。
セバスは深く頭を下げていた。
「気づけず、申し訳ございません」
「お前は税の仕事をしていたのか」
「いいえ。屋敷の管理を任されておりました」
「なら、今日から金の出入りも見ろ。一人に全部持たせるな」
「承知いたしました」
俺は小さな冊子をセバスに渡した。
「名前を調べろ。誰が、どこへ連れていかれたか。商人にも記録を出させる」
ベルクだけで終わる話ではない。
買い手がいる。
そいつがいくら払っていたのか、他にも手を組んでいる奴がいるのか。
俺の取り分を減らしていた連中は、まとめて調べる必要がある。
「あの……」
ダンが、戸口から声をかけてきた。
まだ帰っていなかったのか。
「何だ」
「弟が、去年の冬に連れていかれまして」
冊子を持ったセバスの手が止まった。
「大工をやっていたんです。税が払えなくなって……それから、どこにいるのかも」
俺は、さっき見た名前を思い出そうとした。
大工は二人いた。
「名前をセバスに伝えておけ」
「探して、いただけるんでしょうか」
「職人を勝手に持っていかれたままで済ませる気はない」
ダンは顔を歪めた。
そして床に膝をついた。
「ありがとうございます……!」
「いいから帰れ。店があるんだろう」
「はい。明日、必ずパンをお届けします。代金なんて要りませんから」
俺は顔を上げた。
「代金は取れ」
ダンが目を丸くした。
「ただで配って、また店を潰すつもりか」
「……はい!」
ようやく男は出ていった。
何度も振り返り、頭を下げながら。
セバスが、それを見送っていた。
「どうした」
「いえ。明日の朝食が、楽しみになったと思いまして」
パン一つで、随分と嬉しそうな顔をする。
俺は机の上の帳簿に目を落とした。
ベルクから回収できる金は、まだ分からない。
だが、当座の足しにはなるだろう。
その間に、領地の稼ぎ方を変える。
まずは人が逃げなくなる程度に、暮らしを楽にしてやる必要があった。
手間はかかる。
しかし、毎年金を払ってくれる相手だ。少しくらい世話を焼いても、元は取れる。
俺は新しい紙を一枚引き寄せた。
その時、扉が叩かれた。
「失礼いたします。門のところに、商人が」
セバスが振り返る。
「明日の予定ではなかったか?」
「そのはずなのですが。ベルク殿に、急ぎ会いたいと」
俺はペンを置いた。
予定を早めて来たのか。
それとも、誰かが知らせたのか。
どちらでも構わない。
「通せ」
取り立て先が、自分から来てくれたらしい。




