持ち主が変わった
人間は、金のためなら平気で恩人を売る。
俺はそのことを、よく知っていた。
知っていたはずなのだが。
「悪く思わないでください、黒瀬さん」
机を挟んで立つ男の手には、拳銃が握られていた。
そいつを拾ったのは十年前だった。
借金取りに追われ、寝る場所もなかった若造に、仕事と住まいを与えた。使えると分かってからは、組織の金も扱わせていた。
その結果がこれだ。
「いくらだ」
「……何がです」
「俺を売った値段だよ」
男の目が、ほんの少し動いた。
やはり買い手がいたか。
「お前一人で俺を消しても、金庫は開かねえ。上の連中と話がついてるんだろう」
「もう終わりなんです。あんたの時代は」
答えになっていない。
だが、聞き直す暇はなかった。
乾いた音がして、胸の奥が熱くなった。
椅子ごと後ろに倒れる。机の端をつかもうとした手が、何もない場所を引っかいた。
男は何か言っていたが、もう聞こえなかった。
悔い改めるつもりはない。
他人の弱みを握り、金を奪い、邪魔者を潰してきた。その生き方が間違っていたとも思わない。
失敗したのは、最後の詰めだ。
俺を裏切れば得をする。
そんな隙を残したのが悪かった。
次があるなら、そこは直そう。
まあ、あるわけがないが。
*
目を開けると、布が垂れ下がっていた。
白い布だ。縁には金色の刺繍が入っている。
ずいぶん趣味のいい棺桶だと思ったが、どうやら寝台の天井らしい。
「……生きてるのか」
声を出して、違和感を覚えた。
若い。
喉を触る。胸を触る。銃弾が当たったはずの場所に、傷がない。
両手を目の前に持ち上げると、見覚えのない細い指が並んでいた。
「レオン様!」
扉が開き、老人が入ってきた。
銀色の髪を後ろに流し、黒い上着を着ている。俺を見るなり、手にしていた水差しを落としかけた。
「お目覚めになったのですね……!」
「鏡はあるか」
「え?」
「顔を見たい」
老人は戸惑いながらも、寝台の脇にあった手鏡を差し出した。
銀髪の若造が、こちらを見ていた。
二十歳前後だろう。顔立ちは悪くない。だが、どこを探しても俺の顔ではなかった。
夢にしては、鏡の重みも、喉の渇きも、妙にはっきりしている。
老人の胸元に目を向けた、その時だった。
知らないはずの名前が浮かんだ。
「……セバス」
「はい。何でございましょう」
答えと一緒に、頭の奥が痛んだ。
この老人を知っている。
この部屋も、この屋敷も。
知らない記憶が、引き出しをひっくり返したように流れ込んできた。
レオン・ヴァルディス。十九歳。
父親は三か月前に死んだ。今はこいつがヴァルディス男爵家の当主で、小さな領地を治めている。
昨夜は酒を飲み、風呂場で倒れた。
そこから先の記憶はない。
「医師を呼んでまいります」
「待て」
俺は老人を呼び止めた。
「水をくれ。あと、少し考えたい」
セバスは頷くと、卓上の石に指を触れた。
淡い光が浮かび、水差しの中へ細い水が流れ落ちる。
蛇口も管もない。
俺はそれを、黙って見ていた。
どうやら、顔が変わっただけでは済まないらしい。
*
半日ほどかけて、分かったことがある。
ここは日本ではない。
魔法があり、貴族がいて、王様がいる。
そして俺は、土地と屋敷と使用人を持つ若い領主になっていた。
死んだあと、別の人間として目覚めた。
転生、というやつだろうか。
仕組みは分からない。だが、使える体があって、金と土地までついているなら、文句を言う理由はなかった。
前の人生では、警察にも同業者にも気を配る必要があった。
ところが、領主は税という名前で堂々と金を集められるらしい。
随分と恵まれた立場じゃないか。
俺は寝台を下り、窓を開けた。
丘の下に、町が見える。
赤茶けた屋根。狭い通り。荷車を押す人影。
思っていたより、小さい。
「セバス。あそこまでが俺の土地か」
「町の先の森と、川向こうの三つの村もございます」
「住んでる連中は?」
「レオン様の領民にございます」
俺は窓枠に手を置いた。
土地だけではない。
商売をする場所も、働く人間も、最初から揃っている。
もう一度やるには、十分すぎる元手だった。
「さっそくだが、帳簿を見せろ」
セバスの顔から、少しだけ血の気が引いた。
*
元手は、思っていたより傷んでいた。
机の上に並んだ帳簿をめくるたびに、嫌な数字が出てくる。
税収は減少。
商店は閉店。
逃げた領民の数だけは、律儀に増えていた。
「収穫の七割を取ってるのか」
「はい」
「それ以外に通行料、出店料、井戸の使用料……。祭りの協賛金まであるのか」
「昨年より、新設されました」
レオンの記憶にも、薄っすらと覚えがあった。
酒の席で金が足りないとこぼしたら、徴税官が用意すると言ったのだ。
その方法には、興味を持たなかったらしい。
他人の金で飲む酒は、さぞうまかっただろう。
もっとも、そのせいで今の俺が困っている。
「払えない奴はどうしてる」
「地下牢へ」
「何人いる」
「二十三人でございます」
俺は帳簿から顔を上げた。
「そいつら、牢で何をしてる?」
セバスは質問の意味が分からない様子だった。
「何、と申されますと」
「働かせてるのか、と聞いてる」
「いいえ。納税までの拘留でございますので」
「牢から、どうやって金を稼ぐんだ」
返事はなかった。
俺は帳簿を閉じた。
「見に行くぞ」
*
地下牢は臭かった。
湿った藁と、汚れた水と、長く洗っていない人間の臭いだ。
灯りを持ったセバスの後ろを歩くと、鉄格子の向こうで人影が動いた。
男だけではない。老人も、女もいる。
俺の姿を見た途端、全員が顔を伏せた。
この体の持ち主は、随分と嫌われていたらしい。
「こいつらが滞納者か」
「はい」
牢番が背筋を伸ばす。
俺は一番手前にいた男を指した。
「お前、仕事は」
「ひっ……」
「仕事を聞いてる」
「ぱ、パンを……焼いておりました」
「店は?」
「女房が、一人で……」
男は震えながら答えた。
両手には、古い火傷の痕があった。
なるほど。こいつを閉じ込めている間、パンを焼く手が一人分減っているわけだ。
そのうえ牢番を置いて、飯まで食わせている。
金を取るために、金を失っている。
どうすればここまで下手にやれるのか、逆に聞いてみたかった。
「開けろ」
牢番が俺を見た。
「しかし、まだ納税が」
「聞こえなかったか」
「い、いえ!」
鍵が鳴った。
男は開いた扉を見ても、動かなかった。
「出ていいんで……?」
「店へ戻れ」
「税は……」
「今までの滞納分は取り消す」
男の口が、半開きになった。
後ろでセバスまで息を呑んでいた。
どうせ取れない金だ。
帳簿に残したところで、腹の足しにもならない。
「その代わり、明日から働け。店を閉めるな。逃げるのも許さん」
「はい……はい!」
男は何度も頭を下げた。
俺は牢番へ向き直る。
「残りも出せ。盗みや人殺しで捕まった奴は別だ。税を払えないだけなら、全員だ」
「かしこまりました!」
牢の中が、にわかに騒がしくなった。
泣いている女がいる。
手を合わせている老人もいた。
その様子を眺めながら、俺は考えた。
金を取る仕組みは、最初から作り直しだ。
町を出る方が損になるようにする。ここで暮らし、働き、稼ぎ続ける方が楽になるようにする。
そうすれば、壁も鍵も必要ない。
誰も出ていかない牢獄ができる。
悪くない。
「……レオン様」
隣で、セバスが目元を拭っていた。
「どうした」
「いえ。皆をお救いくださるとは……。お父上にも、お見せしたかったと」
救う?
俺は開いた牢を見た。
働き手を、無駄な場所から出しただけだ。
だが、いちいち訂正することもない。
感謝している人間は、安く使える。
「礼は働いて返させろ」
「はい。きっと皆も、喜んで励むことでしょう」
セバスは深々と頭を下げた。
その時、階段から慌ただしい足音が聞こえた。
太った男が、息を切らして下りてくる。
この顔にも覚えがあった。
徴税官のベルクだ。
「レオン様! 滞納者を解放するとは、どういうことでございますか!」
男は開いた牢を見て、顔をこわばらせた。
「この者たちは、明日、引き渡す手筈になっております!」
「誰に」
ベルクの口が止まった。
「納税までの拘留じゃなかったのか」
「それは、その……回収の難しい税を、代わりに納めてくださる商人が」
俺は男を眺めた。
仕立てのいい服。
丸く膨れた腹。
両手には、趣味の悪い指輪が三つ。
減り続ける税収と、痩せた囚人たち。
その間に、こいつがいる。
なるほど。
こっちには、まだ取れそうな金が残っていた。
「セバス」
「はい」
「帳簿を、もう一冊用意させろ」
俺が笑うと、ベルクは一歩下がった。
前世では、警察に見つからないようにやる必要があった。
今度は俺が、取り調べる側らしい。
領主というのは、つくづく便利な商売だった。




