城の値段
モルドたちを送り出してから、俺は領内の地図を広げた。
紙の端が丸まり、押さえなければ町の半分が見えなくなる。
「工房に使えそうな建物は、この三つでございます」
セバスが、小さな木片を地図の上に置いた。
町の外れにある古い倉庫。
川沿いの、使われなくなった粉挽き小屋。
それから、屋敷に近い厩。
「厩には、馬がいるだろう」
「以前より頭数が減っておりますので、半分ほど空いてございます」
「馬の隣で鉄を叩かせる気か」
セバスは少し考え、木片を一つ取り除いた。
「倉庫から見る」
「子爵様のお返事を、お待ちにならなくても?」
「断られても、直すものはいくらでもある」
窓の外へ目を向ける。
裏門の扉は、閉めるたびに石畳を擦っていた。
屋敷ですらこれだ。
町を歩けば、仕事の種には困らないだろう。
*
倉庫は、町の西側にあった。
周りには空き地があり、荷車も横づけできる。
広さは十分。
だが、屋根に穴があった。
「雨が降ったら、中の物が濡れるな」
「現在は、石材を保管しております」
中へ入ると、確かに石が積まれていた。
梁の下に鳥の巣もある。
床は土がむき出しで、壁際には黒い染みが広がっていた。
工房を作る前に、大工が要る。
その大工を戻すために、工房を作ろうとしている。
俺は天井を見上げた。
「先に直せる奴は、町にいないのか」
案内役の男が、隣のセバスを見た。
倉庫を管理している役人だ。名はオルド。
「板を打つ程度でしたら、おります。ただ、梁まで傷んでおりますと……」
「そこは、見ないと分からないか」
「はい」
「見られる奴は」
オルドは、少し迷ってから答えた。
「ダンの親父さんでしたら、昔、家を建てる仕事も」
「パン屋の父親か」
「今は腰を悪くされておりますが」
俺は屋根から目を戻した。
「登らせなくていい。下からでも分かるなら、話を聞きたい」
*
ダンの父親は、息子よりも目つきが悪かった。
杖をつき、腰を曲げている。
俺の姿を見ると頭を下げたが、そのあと倉庫へ向けた顔は、明らかに不機嫌だった。
「ここを、仕事場にするんですかい」
「使えるか」
「何人で」
「今のところ、十一人だ」
老人は鼻から息を吐いた。
「人数より、何をやるかです。木を削るのと、石を割るのと、鉄を焼くのを一緒にゃできません」
俺はセバスを見た。
セバスも俺を見た。
どちらも、そこまでは考えていなかったらしい。
「分ければいいのか」
「火を使う場所は、離した方が。木屑に火の粉が飛びますんで」
老人は杖の先で、倉庫の奥を示した。
「あっちの壁は、まだ使えそうです。屋根は穴の辺りをめくってみねえと。あと、床」
「床?」
「湿ってる。材を直に置いたら、傷みます」
俺は足元を見た。
土の色が、入口近くと違っている。
ただ人と道具を集めれば、仕事が始まるわけではないらしい。
面倒だが、先に分かっただけましだった。
「必要なものを書き出せるか」
老人は、杖を握った手を見せた。
「字は、あまり」
「聞き取る奴を付ける。お前は見て、話せばいい」
老人が、初めて俺の顔をまともに見た。
「俺に、ですかい」
「ただでとは言わん。働いた分は払う」
「……どのくらい」
俺はセバスへ目を向けた。
老人を連れてくる時、そこまでは決めていなかった。
「相場を調べて、本日中にお伝えいたします」
セバスが答える。
老人は一度だけ頷き、また天井を見た。
「あの梁は、先に誰か乗せちゃいけません」
「分かった」
「領主様もです」
「俺が登るように見えるか」
老人は俺の服を見て、少し考えた。
「見えませんな」
ようやく、話の通じる奴が見つかった気がした。
*
モルドたちが戻ってきたのは、翌日の昼だった。
商人は、出発した時より疲れた顔をしていた。
同行させた兵にも、怪我はない。
まずは、悪い出迎えではなかった。
「子爵様から、条件をお預かりしました」
差し出された書状を、俺は開いた。
十一人を戻す話について、検討の余地はある。
ただし、進めている工事を止めるわけにはいかない。
そこで、こちらの工房が仕事を引き継げるか、一度確かめたい。
内容自体は、予想の範囲だった。
俺は次の行を読んだ。
「窓枠、十二組。十日以内か」
「はい」
「職人は?」
モルドが黙った。
俺は書状の先を読む。
職人たちの引き渡しは、品物の出来を見てから。
俺は紙を机に置いた。
「窓を作れるか見たい。だから、窓を作れる奴は渡さない、と」
「まずは、そちらの手配する工房の力を見たいとのお話で」
「うちに職人がいないから、お前から取り戻そうとしてるんだが」
モルドは、額の汗を拭った。
知っていて出してきた条件だろう。
できなければ、こちらに仕事を任せられないと言える。
よそから職人を呼んで仕上げても、十一人を戻す頃には、雇い賃と運賃がかかっている。
子爵は、金を使わせるのが好きらしい。
「代金は」
「元の買い入れ代金から、差し引かれます」
「値段は向こうが決めたのか」
「はい」
俺は書状に書かれた額を見た。
安いのか高いのか、まだ分からない。
分からない金額に、返事をするつもりはなかった。
「窓の図面を出せ」
*
図面は、なかった。
あるのは、縦と横の長さだけだった。
俺はモルドを見た。
「これで作るのか」
「詳しい者が見れば、分かるかと」
「詳しい者を、向こうが持ってるんだろう」
モルドは、返事をしなかった。
俺はセバスを呼んだ。
「ダンの父親を、もう一度連れてきてくれ」
*
老人は紙を見るなり、眉を寄せた。
「これじゃ、作れませんな」
俺はモルドへ顔を向けた。
商人は、老人の手元を見ていた。
「何が足りない」
「壁の厚さ。取り付ける場所。開く窓なのか、嵌め殺しなのか。戸を付けるのか、硝子を入れるのか」
老人は紙を裏返した。
裏には何もない。
「材は」
「子爵が出す話だ」
「乾いた材ですかい」
俺はモルドを見た。
モルドは首を振った。
知らないらしい。
「湿った木で作ると、あとで動きます。合わなくなったら、誰のせいになるんで?」
俺は椅子へ座り直した。
なるほど。
十日以内というだけではない。
出来上がったあとにも、値段を下げる場所があるわけだ。
「子爵の城では、誰が寸法を取ってる」
モルドに聞いた。
「現場の職人頭が」
「ロイは、その下で働いてるのか」
「木工を任されている者の一人ではございます」
「なら、本人に取らせろ」
俺は紙を引き寄せた。
「試しの仕事は受ける。ただし、ロイと、木工のできる者をもう一人、先にこちらへ寄越す。寸法を取り、必要な材料を自分たちで選ばせる」
セバスが、すぐに書き始めた。
「十日は、二人と材料が揃った翌日からだ。値段と、合格の条件も先に決める。こちらで完成を確認したあと、城へ運んで、取り付けまでやる」
「そこまで細かく、お求めになるので?」
「足りないところがあれば、今言え」
モルドは書きかけの紙を見つめた。
それから、老人を見た。
「……取り付けには、別に人手が要るかと」
「荷車と一緒に手配しろ。お前の仕事だ」
モルドが、小さく息を吐いた。
だが、嫌そうな顔だけではなかった。
「子爵様には、二人を一時的に工事の外へ出す形で、お話しすれば通りやすいでしょう」
「戻す約束はするな」
「承知しております」
老人が、そこで口を挟んだ。
「ロイを、先に戻せるんですかい」
俺は答える前に、老人を見た。
ダンの父親。
つまり、ロイの父親でもある。
倉庫の屋根の話ばかりしていて、すっかり抜けていた。
「向こうが、この条件を飲めばな」
老人は紙を見下ろした。
「……あいつなら、材は選べます」
「ああ」
「寸法も、間違えません」
「なら、そう書いておく」
セバスが、静かにペンを動かした。
*
話が終わると、老人は頭を下げて出ていった。
杖の音が、廊下の向こうへ遠ざかる。
俺はモルドを部屋に残した。
「子爵の工事は、どれくらい遅れてる」
商人の目が、こちらへ戻った。
「昨日は、現場をご覧になりました」
同行した兵が答えた。
俺は兵を見た。
「どうだった」
「大きな足場が組まれておりました。石は運び込まれておりましたが、作業をしている者は、それほど多くは」
モルドが、口を開いた。
「秋までには、使えるようにしたいとお考えです」
「なぜだ」
「近隣の方々を招く予定がございます」
俺は書状へ目を落とした。
職人を次々と買い足す。
それでも工事は遅れている。
こちらから工房の話を出すと、断らずに試しの仕事をよこす。
子爵も、少しは困っているらしい。
「最初に言え」
「……商売相手のご事情ですので」
「今、お前の目の前にいるのも商売相手だ」
モルドは、ゆっくりと頭を下げた。
俺は窓枠の数が書かれた紙を指で叩いた。
「十二組だけ、先に要る理由を調べろ」
城の窓が、それで全部とは思えない。
客を入れる部屋か。
目立つ正面の窓か。
何であれ、間に合わないと困る場所なのだろう。
そこが分かれば、次の仕事の値段を決めやすい。
*
その夜、エドを呼んだ。
窓枠十二組に、いくらかかるのか。
材木は子爵が出す。
こちらが出すのは、人の手と、道具と、場所だ。
だが、運ぶ金も、取り付ける金も要る。
倉庫の修繕費を全部載せれば、最初の仕事から赤字になる。
「建物を直す金は、別に記録しろ。今回だけで取り返そうとするな」
「では、こちらには実際に使った日数と、道具の補修などを」
「ああ。あと、失敗した時の分も少し見ておけ」
俺は、紙の端に余白を作らせた。
予定どおりに進む仕事など、そうはない。
特に、俺たちはまだ工房すら持っていない。
「職人の方々への支払いは、どういたしましょう」
エドが聞いた。
俺は顔を上げた。
「働いた日で払う。まともに仕上がれば、上乗せする」
「戻るための費用から、差し引く形ではなく?」
俺は考えた。
八百八十枚。
その一部はベルクとモルドから回収する。
残りを職人に払わせれば、俺の負担は減る。
だが、それでは仕事の前に、本人たちの借金を数えるところから始まる。
道具を壊せば、また増える。
病気で寝ても、増える。
それでは、さっきまでの商売と同じだった。
「差し引かない。子爵に返す分は、工房の取り分から出す」
エドのペンが止まった。
「よろしいのですか」
「腕のいい職人は、よそも欲しがるんだろう」
「はい」
「なら、ここで働いた方が得にしておく」
給金は払う。
いい仕事には、余分に払う。
その分を売値に載せられる仕事を、こちらが取ってくればいい。
俺は明細の一番下に、自分の取り分を書く場所を作った。
ここを太らせるために、全員に働いてもらうのだ。
*
三日後の夕方、門番が駆け込んできた。
「子爵領から、荷車が参りました!」
俺は机から顔を上げた。
「材木か」
「はい。それと、職人が二名」
隣で書類を揃えていたセバスの手が止まった。
俺は立ち上がり、上着を取った。
「ダンの店へ、人をやれ。父親も呼んでこい」
「承知いたしました」
「道具箱も、忘れるな」
門へ出ると、荷車の上に木材が積まれていた。
その脇に、二人の男が立っている。
どちらも痩せていた。
一人は右手の指に布を巻き、もう一人は、何も入っていないような小さな袋を抱えている。
モルドが俺に気づき、頭を下げた。
「条件を、お認めいただけました」
「書面は」
「こちらに」
受け取った紙を、俺は先に読んだ。
二人を送り出したこと。
材料の内訳。
十日の数え方。
取り付けと確認の手順。
こちらが書かせた条件は、残っている。
ようやく、顔を上げた。
「どっちがロイだ」
指に布を巻いた男が、一歩前へ出た。
「私です」
「手は使えるか」
「はい。これは、古傷で」
男は慌てて右手を下ろした。
「仕事はできます。どうか、父と兄には――」
「もう呼んだ」
ロイが口を閉じた。
通りの向こうから、走る足音が聞こえる。
ダンだった。
その後ろを、父親が杖をついて歩いてくる。セバスが横に付き、何か言っていたが、老人は歩みを緩めなかった。
ロイの持っていた袋が、地面へ落ちた。
「……親父」
老人は、息を切らして立ち止まった。
しばらく、息子の顔を見ていた。
それから、杖を握り直した。
「お前、道具を置いていきやがって」
ロイは何も言わなかった。
ただ、顔をくしゃくしゃにした。
ダンが弟の肩をつかむ。
人が集まり始めたので、俺はモルドへ荷車を倉庫に回すよう命じた。
まだ、二人だ。
残りは九人いる。
しかも十日後には、窓枠を十二組仕上げて納めなければならない。
喜んでばかりもいられなかった。
「レオン様」
ロイに呼び止められた。
振り返ると、男は深く頭を下げていた。
「必ず、仕上げます」
「ああ。値切られるような物は作るな」
「はい」
俺は、古い倉庫の方へ向き直った。
最初の儲けが出るまでは、まだ少しかかりそうだった。




