8.「なってやってもいい」とは?
ほとんど会ったこともない男に、どうしてそこまで想いを寄せることができるのか……。コーデルはむにゃむにゃと何か言いながらそのまま眠ってしまった。
慣れない環境、恐怖と緊張から、酒に飲まれたのだろう。その細い身体を自分の胸に乗せながら、男は大きなため息をついて天井を仰ぎ見た。そのまま、片手で目元を覆う。
完全な子供の癇癪だ。
そう、判断するには十分。
「……閣下。いかがなさいますか?」
衝立の向こうからかけられた抑えた小声に、男は頭を戻した。自分の胸の上で気持ち良さそうに眠る泣き腫らした目元にそっと指先を沿わせる。
「……放っておくこともできんだろう。連れて帰るぞ」
仮面をもう一度眠るコーデルに付けると、男はその身体を軽々と抱き上げて立ち上がった。
「代わりましょうか?」
そう言って衝立から姿を現したのはアドルフだ。閣下と呼ばれた男……ウルスロアンは、視線だけで必要ないと答える。
泣き疲れて眠ってしまった婚約者を抱き上げたまま、会場を出る。もの言いたげな視線を背後から感じるが、反応してやるつもりもない。
腕の中で寝息をたてるあまりにも軽く、か弱い存在に、苛立ちが募る。
政略結婚でやってきた妻となるべき女性。だが、すぐにこの環境に音をあげて逃げ帰ると考えていた。
この領地は豊かとは言い難い。貴族ですら働かざる者食うべからずという信念がある。領民たちは共にこの地を守る仲間であり、家族だ。
そういった考えは、中央の貴族は持ち合わせていない。
贅沢をすることだけが、経済を回し、民のためになると本気で思っている。あまりにも視野が狭く愚鈍な奴らを相手にするのが嫌で、王城への出仕も無視してきた。
中央で自分が何と言われているかも知っている。
野蛮で、熊のような大男。
だから年若い娘など、この環境含めて耐えられるものではない。
とはいえ、王命の婚約だ。家格からいっても、伯爵家から破棄することは叶わないだろう。
自分にすでに相手がいるという設定も考えたが、元々この国は第二夫人、第三夫人、愛人を許容する風土もある。
いたところで、破棄になりえる理由にはならない。
だが、女性側は貞淑を求められる。
父親が誰かわからぬ子を跡継ぎとしないために、厳格にその操は見張られる。だからこそ、不貞が致命的な問題となる。
アドルフを傍につけることにしたのは、見目がよく優しい男の献身に、落ちない女はいないだろうと考えたからだ。
この男に想う相手や特別な相手がいないことは確認済みだし、日頃接していても誠実な人格だ。本当に愛し合う結果になった場合、それはそれで彼女の幸せになる。
(だが……)
やってきた婚約者は、自分の想像の範疇を超えていた。
贅沢もせず、まず使用人の名簿を見せろと要求し、さらに毎日のように城内を動き回った。それだけでは飽き足らず、街に降りて教会の孤児院を慰問したかと思えば、市街にまで足を運び、領民と世間話をするという。
毎日戦場に届くその奇怪な行動力に、何も思わなかったわけじゃない。
そして、流させたアドルフとの噂が広まりつつあることに、無意識にどこかで安堵していた。
(安堵……? 恐れているのか? この俺が……)
こんな力を込めたら簡単に折れてしまいそうな身体の少女を?
馬車に乗り込んだ後も、自身の膝の上に乗せたままでいると、ぼんやりと、振動でコーデルが瞼を薄くあけた。
その顔を見るに、まだ夢うつつのようだ。
しかし、仮面をすでに外しているからか、こちらを認識したらしい。
「……ウルスロアン様……?」
唇が小さく動く。
「……何故、お前はこの地を知ろうとする」
酔っ払いに聞いても仕方がないはずなのに、思わず口をついて出る。コーデルは、すり、と頬を胸に寄せて覚束ない意識のまま答えた。
「私、この街が好きです。家族みたいで……」
「……」
「ひとりぼっちは……寂しいもの……」
こぼれた言葉の意味をウルスロアンが尋ねようとした時には、再び寝息をたててしまっていた。
(本当に、何者なんだ……この娘は)
次の日、コーデルは二日酔いに悩まされることになる。頭がガンガンと痛い。元々酒に強いわけではなかったのに、あの空気に飲まれていつも以上に飲んでしまっていたのだろう。
青ざめた顔で寝台から起き上がれない。
「本日はお休みされたらどうですか?」
ナリーが心配そうに水を持ってきてくれる。それを受け取り飲みながら、頭を小さく振った。
「いいえ、今日は元々教会孤児院の慰問の日だもの。行くわ」
「……」
ナリーは昨晩の記憶が途中からほとんどないコーデルに言うべきかどうか迷う。彼女を連れて帰ってきたのが、この城の主であるウルスロアンであることを。
しかし、告げたとして主人の憂いが払えるわけではない。あまり危険なことはしてほしくなくて、空になったグラスを受け取りつつ遠慮がちに伝える。
「……不倫相手探しは、一度お休みになられては?」
「それは駄目よ。早くしないと、アドルフと強制的に不貞の噂を流されたらまずいもの」
昨夜助けてくれた男性は、年齢的にはコーデルの守備範囲だった気がするが、連絡先も名前も聞きそびれてしまった。
いや、そもそも彼の年齢であれば妻がいる可能性がある。
もしそうだとしたら、ダブル不倫になってしまう。どう考えてもコーデルの前世の倫理観として抵抗がある。
(いや、不倫しようって時点で倫理も何もないんだけど……)
勢いで不倫してやる、と宣言したものの、そんなことをしたいと思ったことがないからどうすればいいかわからないのだと今更ながらに気づいた。
(ひとまず、作戦の練り直しね)
大体、相手に嫌な想いをさせるのも良くないからきちんと最初に事情を伝えるべきかもしれない。そこまで考えて却下する。
(いや、ないわね。別れたいから不倫相手になってほしいなんて、どの面下げて言えるのかしら)
そんなことを悶々と考えながら孤児院へと足を向けた。
街の教会の孤児院は、見晴らしのいい丘の上に立っている。機密事項ではあるが、この教会の地下室から地下道が繋がっており、城へと避難が出来る通路があるそうだ。万一のことに備えて、初めて訪れた際に説明を受けた。
この世界の人々は国は違えど神を敬う心は皆持っており、教会は戦争時において不可侵となる場所だ。
とはいえ、野盗や傭兵などといった粗野で治外法権な組織に属する者たちには狙われやすいという側面も持っている。
だからこそ教会ではあるが常に騎士団が見回りをし、危険を察知できるようにしてあるらしい。
「コーデル様!」
馬車から降りてきたコーデルに、子供達が笑顔で駆け寄ってくる。ここ三カ月足繁く通ったおかげか、子供達は彼女に懐いていた。
「コーデル様ぁ! あれやって」
幼い少女がコーデルのスカートを掴んで引っ張る。本来であれば叱られるような行為も、コーデルにとっては嬉しい限りだ。最初は挨拶をしても遠巻きに見つめるだけで、近寄ってきてくれなかったのだから。
距離が縮まったことを感じる。
「草笛ね。ちょっと待って。葉っぱ選びから肝心なのよ」
先日、コーデルが前世の子供の頃遊んでいた草笛を教えたら、皆が目を輝かせて自分もやりたいと言ってくれたのだ。
それでもうまく鳴らせなかった子達が、また教えてほしいとねだってくる。小さな葉っぱを口元に当てて、息を吹きかける。
ぴゅーぅ……ぴぃー……。
「すごぉい! 鳴った!」
子供達はまだ悪戦苦闘していて、息がふぅふぅと葉っぱを揺らすだけだ。
「ふふ、コツはね……」
コーデルは得意げな顔で子供達に草笛のコツを教える。そんな彼女達の姿を遠くから見つめる視線があった。
「あれは……何をやっている」
この地の領主である男の鋭い眼光が細められる。隣に立つ妙齢のシスターが笑顔で答えた。
「ふふ。コーデル様が草笛を子供達に教えてくださっているのですわ。閣下」
「……土の上に座ってか」
そう、コーデルは子供達と仲良く丘の原っぱの上に座ってきゃっきゃっと遊んでいる。その姿は、一見すると貴族の令嬢には見えない。
子供達と同じ目線で、同じ熱量で楽しそうに騒いでいる。
「不思議な方ですわ。確かに普段の立ち居振る舞いはお嬢様として完璧ですのに。ああやって子供達と遊ぶ姿は……まるで……」
「……おかしな動きは」
シスターの言葉を遮るように低い声音で尋ねると、彼女は少しだけ悲しそうに眉を下げた。
「まだ、コーデル様をお疑いなのですか?」
「……」
沈黙すると、シスターは小さく嘆息し両手を組んで胸に添え、答える。
「ございませんわ」
「……そうか」
それだけ短く答えると、ウルスロアンは教会を後にした。
そのたった数日後。再び不倫相手を探しに仮面舞踏会にやってきたコーデルの腕を、一人の男が掴んだ。
「おい」
「! 貴方は……」
相変わらず会場内は薄暗く、相手の髪色も顔もよくわからないが、その声と雰囲気はすぐにあの時に助けてくれた男性だとわかった。
高いところからじっと見下ろされて、どうしたのだろう、とコーデルは不安になる。まさか、また選ぶ花を間違えただろうか?
今回は危険な意味を持たない花を選んだはずだが。
「……不倫相手を探している、だったか?」
「! な、ななな、何故それを!?」
自分で口走っていたのだが、あの時のコーデルは酔っぱらっていたので記憶になかった。驚く彼女の目をじっと見つめながら、男は口を開いた。
「なってやってもいい」
「!?」




