7.私と不倫してください!
「……なんだ」
その声はかなり面倒臭そうな色を含んでいる。それは、コーデルにも伝わってきたが、さきほどの恐怖がまだ続いていて一人でいたくはない。
震える手に力を込めて訴える。
「あの……っその……っ少しだけでも……お話を……!」
若い男達とは違い、彼はきっといきなり無体を働いてくることはないと、何故か直観的に感じた。
本音で言えば、コーデルだってすぐに城へ帰りたい。
けれど、身体が震えて、言うことをきかないのだ。だから、今ここで一人にされてまた変な輩にからまれる可能性を考えると、彼に傍にいてほしかった。
男もコーデルの震えを感じたのだろう。小さくため息をつくと離れかけた身体の向きを戻すと、すっと肘を差し出した。
自分の腕に掴まれということなのだろう。さりげないエスコートに感謝しながら、コーデルはその肘に腕を通してなんとか自分の身体を支えた。
そのまま、よろよろとしたコーデルの歩幅に合わせて歩き出す。
休憩するために置かれたソファが置いてある会場端へと連れてこられた。
ソファは簡易な衝立で隠されていて、会場からぱっと見えない配慮もされている。おそらく密会する男女が人の目を気にせず語り合える場所ということなのだろう。
ソファにぽすん、と座らせられて、コーデルの横に、男も腰を下ろした。
一瞬、この場所に置いていかれるかと思ったが律儀に隣に座ってくれたことに少しだけ安堵する。
「で、なんだ?」
さっさと済ませろ、という圧を感じながらも、コーデルは慌てたように話題を探した。
「あ、その……さっきの二人は……」
「ああ、馬鹿息子どもか。中央から時折派遣される貴族の息子どもは、この土地で何を成すべきか理解していない阿呆が多い」
答えながら、男はソファの前においてあるローテーブル上にある酒を注いだ。コーデルにもいるか? と聞いてくれるので、こくりと頷く。
すると、自分はロックなのに、コーデルの分は果実液で薄めてくれた。
口調は乱暴というか、すこしきついのに……面倒臭そうにしながらもこちらを淑女扱いしてくれることになんだかむず痒くなりながら、グラスを受け取った。
「何を成すべきか……」
彼の言葉を無意識に繰り返すと、男はぐいとグラスを傾けて琥珀色の液体を流し込んで続けた。
「中央から派遣される貴族ってのは、おおむね王都で何かをやらかした奴らだからな」
(そんなこと、知らなかった)
コーデルは本当に自分はこういった世界から隔離されて生きてきたのだな、と改めて知る。だからこそ、知りたいと思うのかもしれない。
「……どうしてやらかすと、こちらに派遣されるのです?」
「この土地の貴族は、領地を守ることが仕事だ。つまり、出兵をする」
(なるほど……。だから先ほど徴兵という言葉が出たのか)
納得して、こくりと頷きながらさらに尋ねる。
「つまり……貴族への懲罰も兼ねている、ということですか?」
あまり気分のいい話ではないが、そういうことだろう。ここは常に戦場が近い領地。中央でぬくぬくと平和に育ったせいで悪さをする貴族も残念だがいる。
身分制度から、彼らを表立って断罪できない時に、おそらくこの地へと派遣し、更生を求めるのだろう。だが、それは王都側の勝手な事情。
派遣されてくる貴族はようは「問題児」だ。この土地の人間からすれば、それを押し付けられているのも同然というわけだ。
自分も同じ中央から来ているだけに、つきりと胸が痛む。
「そうだ。だから、この土地の者は王都の貴族に良いイメージがない」
「……申し訳ありません」
思わず謝ると、男は初めて肩を揺らして笑った。
「ふっ。変な奴だ。お前が謝る必要などないだろう」
柔らかくなった声音が、耳に擽ったい。彼が自分を助けてくれたのは、女性を危険から守ったのではなく、イケ好かない中央の貴族に灸をすえてやっただけのことなのだろう。
それでも、彼のおかげで危険を脱したことは確かだ。
コーデルは甘い口当たりのよいお酒を飲みながら、少しだけふわふわとした気分になっていく。
「私はまだここへ来て三カ月ですが、日々感じるのです」
グラスを両手で持って、思い出すように目を細めた。
「この領地は、領主様や領民たちの愛に溢れている、と」
「……」
男の酒を傾ける手がぴたりと止まる。
「街を見た時はその美しさに感動しました。青い屋根と白い壁が整然と並んでいて。けれど一歩中に入れば、道は入り組み、迷路のようになっている」
コーデルは瞳を輝かせながら、一つ一つ噛み締めるように続ける。
「教会が孤児院もかねていて、避難所になっているのですが、備蓄がそこに集まるようにしてあるのです。合理的だと思いませんか? 避難所へ備蓄を集めることで、有事の際も普段の孤児達の生活も両方損なうことなく支えられるのです」
「……だが、備蓄を一か所に集めるのは危険ではないのか」
尋ねられて、待ってましたとばかりに答えた。
「そこ! 私も疑問に思ったんです! でもですね~、街は明記はされていないけれどいくつかの区画に分かれているんですよ」
まるでパズルを解いた子供のようにコーデルはふにゃりと表情を崩して笑う。最初は正面を見ていた男が、自分の顔の方を見ていることにも気づかずに。
「その区画ごとに教会へたどり着けなかった時用の小さな避難所があって、そこにも備蓄を貯めてあります。防衛ラインになっているんです。最終は一番強固なお城へと順番に下がっていけるように」
くるくると指先を空中に何かを描くように答える声は実に楽しそうだ。その横顔を見つめながら、男が静かに問いかける。
「……地図には記していないのに、何故気づいた?」
「えっと……領主様のおかげです」
段々、緊張と力が抜けて、慣れないお酒の酔いが全身に回って来たのか、コーデルはとろりと瞼を半分ほど落とす。
「知ってますか? ここの領主様、すっごくカッコいいんですよぉ」
そのせいか、口調も前世のものに引っ張られて砕けたものになっていく。んふふ、と思い出し笑いしながら口を開く。
「自ら戦場に出るだけでなく、戦争で亡くなった人の家に必ず足を運んで、頭を下げるんですって」
家の者に歓迎されないだろうことは、想像にかたくない。本来であれば領主がするようなことではないはずだ。だが、彼は頑として譲らず、必ず自らの口から、家族へと伝える。
それはどれだけ、胸が抉られる行為だろうか。
想像するだけで、コーデルだって心臓が引き絞られて泣きそうになるのだ。それを三十年近くずっと続けている彼の傷は、どれだけ深いのだろうか、と。
笑顔が曇り、その紅水晶の瞳が揺らめく。
「末端の騎士達の顔も、名前も、全員覚えていて、声をかけるんですって。時折ふらりと街へやってきて、農作業や大工仕事を手伝ったり、子供達と遊んだりもするんだそうですよ」
「……」
街のどこに行っても、ウルスロアンの面影を感じる。彼の話をするとき、大抵の領民たちは笑顔だ。
ああ、愛されている領主なのだ、と伝わってくる。
「あんな怖い顔しているのに……どうやって子供達と仲良くなるのかしら」
小首を傾げてくすくす笑うコーデルに、男はグラスの酒を喉に流し込んだ。
「美化されすぎじゃないのか。ただの粗野で傲慢な男なだけだろう。己の器もわかっていない」
ひどい表現に、コーデルはむっとした。頬を膨らませ、唇を尖らせる。
「違うわ……! 傲慢な人じゃ……ない……と、思う。だから私、会えるのがすごく……楽しみで……」
言いながら、段々とあの嵐の夜を思い出して悲しくなってきた。思わず込み上げてくるものに、嗚咽が漏れる。
「あんなに……厭われているなんて……想像していなかったんだもの……」
ぐずぐずと泣きだしたコーデルに、男はぎょっとする。気づけば、彼女の手のグラスはあと少しだ。
しまった、飲ませすぎたか、とグラスを取り上げる。薄暗い照明のせいで、顔色がわからなかった。おそらく酒に強い方ではないのだろうと、男は察した。
「おい……飲みすぎ……」
「う……うぅうう~……っ」
ぽろぽろと零れる涙に、男はわずかに目を細めた。小さな声で「酔っ払いめ」と呟く。
「……衛兵を呼んでくるから今夜は大人しく帰れ」
はぁ、とため息をついて追い返されそうになるのに、コーデルは逃すまいとがっしと男に抱き着いた。
突然の令嬢らしからぬ動きに、男の身体が強張る。
「おい……っ」
「わ、私と不倫してください~!」
そして突拍子もないことを言い出した。
「は!?」
「貴方絶対イケおじの匂いがします……!」
酔っ払いよろしくわけのわからないことを喚くのに、男が思い切りその身体を引っぺがす。
「まだわからないのか? 俺は……」
男が自分の名を告げようとしたその時、暴れたせいで仮面が外れたコーデルと目が合う。泣き腫らして潤んだ瞳に、ぐ、と言葉を失った。
「お願い、そうじゃないと……ずっと苦しいままなの……」




