4.嵐の夜の「不倫宣言」
美しい騎士と、儚い美少女の二人は一対の絵のようだと人気があるらしい。コーデルは眩暈がした。
あまりにも心外な噂である。
「ここの城の人たちは主人を差し置いて何を言っているの」
「……娯楽が少ないから仕方ないですよぉ。それに……主人とはいっても……」
そこで言いにくそうに口を噤んだ。ナリーの言いたいことはわかる。
コーデルがナイトガルドに来てもう一か月。実は、ただの一度もウルスロアン・ナイトガルド辺境伯には会えていない。
まさか、忙しいとはいえ一か月も放置されるとは思わなかった。
「……仕方ないわ。戦場を離れるわけにはいかないもの……」
彼は大将でありながら、前線にも立ち、剣を振るう。ウルスロアンそのものが、戦場を駆けることに敵軍への抑止、自軍への鼓舞と重要な意味がある。
わかっていても、こんなに会えないと思っていなかったので正直、落ち込みはする。
(そりゃぁ……政略結婚だもの。お仕事よりも優先する必要なんてないわよね)
なんて自分を慰めながらさらに数日後、コーデルは耳を疑った。
「え? 代理婚約式?」
聞いたこともないような単語に、あんぐり口を開けていると、いつもは冷静な家令がさすがに言いにくそうに眉を下げた。
「……は、はい。このまま閣下の帰りをお待ちしていたら、いつまでも婚約式が終わらず、王室からの催促がくるので、代理をたてて婚約式をしろ、と」
「……婚約式に、代理をたてるなんて話……聞いたこともないわ」
とんでもない要求に、コーデルは頭が真っ白になる。家令もここまで一生懸命にこの土地に馴染もうとしているコーデルを可哀想に思うのか、辛そうな顔で口を開いた。
「代理は、アドルフにやらせろ、と」
「!」
コーデルが自分の後ろに控えたアドルフを振り返る。彼の表情は変わらない。どうやら知っていたようだ。
「……」
(相手が、代理だなんて)
喉まで出かかった拒否の言葉を、寸でのところで飲み込んだ。自分は、戦争を知らない。そんな自分が、我儘を言うことは許されるのだろうか、と。
「さ、再来月には、閣下も一度お戻りになると思いますので」
さすがに不憫に思ったのか家令がそう付け足した。コーデルはぎゅう、とドレスを掴んで、なんとか荒れ狂う自分の心を落ち着かせると、顔を引き締めて前を見た。
「わかりました。いつまでも婚約式が済まないと、閣下に憂いを残すでしょう。代理婚約式の手配をすすめてちょうだい」
コーデルの返事に、家令はほっとした顔つきになり、頭を深々下げると部屋を退出した。ここは、城の端にあるドーム型のティーサロン。
最近はここで優雅なティータイムを楽しむのが日課になっている。大きなガラスが壁面に敷き詰められて、外の庭園に咲き乱れる花々を鑑賞しながらお茶を嗜める。城内探索をしていて見つけたお気に入りの場所だ。ここまで来る道すがらに食堂や厨房があり、働いている皆の顔を見て挨拶ができるのも良かった。コーデルがくるまではほとんど利用されておらず、ここを手入れしている庭師や使用人達が陰で喜んでくれているらしい。
美しい装飾がされたティーカップを口元へ持っていって一口飲み、喉を潤してから口を開いた。
「アドルフ、知っていたのね」
コーデルの固い声に、アドルフは短く「は」とだけ答えた。
(何か……何かがおかしい)
王命の政略結婚だったとはいえ、戦場が忙しく滅多に自分の城にすら戻れないとしても、代理婚約式なんて、そんなことあり得るだろうか。
嫌な考えが頭を過るが、コーデルは頭を振ってそれを打ち消した。
(大丈夫、しっかりしなくちゃ)
「……午後は、街の孤児院に慰問するわ」
カチャリ、とティーカップをおいて呟くと、後ろに控えたアドルフとナリーが、同時に返事を返した。
そうして何の抵抗もできないまま、何故かコーデルは城に併設された小さな礼拝堂で、アドルフと代理婚約式をすませた。
そこからさらに二か月、婚約者である男からは音沙汰もなく、放置され続けた。いい加減不安の方が勝り、いつも明るく前向きなコーデルも表情を曇らせることが多くなった頃。
城の主が、帰還した。
外は雷鳴が轟く嵐の夜。もう時間は深夜だった。いつもは静かな城内がどこか騒がしく感じて、コーデルは寝台の中で目を覚ました。
窓の外を見ると、強い雨がガラスを叩いている。眼下に広がる回廊に、松明の火がちらちらと滲んで見えた。
(こんな時間に一体何があったのだろう……)
胸騒ぎがして、ストールを羽織ると部屋の扉を開けた。ひょこりと廊下に顔を出すと、護衛の騎士が立っている。だが、いつものアドルフではない。
確かに、交代制ではあるので、常にアドルフではないが、本日は彼が部屋まで送ってくれたので、てっきりそのまま深夜の警護につくものだと思っていた。
「いかがなさいましたか?」
猛烈な違和感を覚えながら、コーデルが尋ねる。
「城が騒がしいわ。何があったの?」
彼女の質問に、護衛の騎士は表情を引き締めた。
「閣下が、ご帰還されました」
「!」
目を見開く。コーデルはいてもたってもいられず、そのまま廊下へ飛び出した。
「! いけません! コーデル様!」
護衛の騎士が止めようと腕を伸ばすが、するりと抜けて、コーデルは走り出す。おそらく騒がしい声が聞こえる方へ行けば、どこに彼がいるか教えてくれるはずだ。
会って、顔を見て、この不安を打ち消してほしい。
貴方はどんなふうに笑うのだろう。
貴方はどんな声なのだろう。
この三か月、コーデルは城の者たちから聞かされ続けていた。城主であるウルスロアンが、どれだけ情に厚い男なのかを。
この領地を愛し、守りぬいているのかを。
街に降りれば、彼の考案した防衛策が見える。人々の生活に馴染み、領民達もまた、街を守るために自らが動く。
貴族とは思えぬほど領民達との距離が近く、彼の人物像を聞くに事欠かない。
話を聞くたびに、どんな方なのかと想像して、胸を期待に膨らませた。
手紙一つ寄越さない、帰ってくることのない不安を打ち消すように、彼の守る世界にずっと触れてきたのだ。
「……!」
追いかけてくる護衛の騎士に掴まる寸前に、廊下の角を曲がった先に人の気配がした。慌てて足を止めると、聞こえてきたのは二人の話声。
「……まだ落とせていないのか」
コーデルが城で聞いたことのない威圧的な声だ。だから、わかってしまった。追いかけてきていた騎士も、まずいと思ったのか少し距離をとって息をひそめて止まっている。嵐の音だけが響く中、身体を緊張に固まらせた。
「……閣下。これ以上は……」
聞こえてきたもう一人の声は、すぐにわかった。護衛騎士であるアドルフだ。
「何のためにお前をつけたと思っている。さっさと事を成して、彼女を伯爵領へ戻せ」
「閣下……」
「若い女なぞお前の顔で迫ればすぐに落ちる」
それ以上は、もう聞いていられなかった。気づいた時には、コーデルは廊下の角から飛び出していた――――。




