19.誘拐と追跡
アドルフの顔色が明らかに変わる。
ナリーに何があった? これだけで断定することはもちろん出来ない。だけど、嫌な予感がする。そのもやもやとした感覚をどうにか手繰り寄せようと記憶を探る。
(違和感を覚えたのはいつ? ウルスロアン様の執務室を出て……色んな人とすれ違って……)
「……食堂へ向かっていた……二人組……!」
言葉にすると同時に、駆けだした。頭の中で、ナリーが「お嬢様! 走ってはいけません」と必死な顔で追いかけてくる映像が思い浮かぶ。
(ごめん、ナリー! 無理だよ!)
当然、駆けだしたコーデルにぴったりとアドルフが並走してくる。
自分が行くよりも彼の方が早いとまずは報告を優先しようと口を開く。
「アドルフはウルスロアン様に……っ」
「貴方の傍を離れることは出来ません」
だが、彼からの返答は揺るぎない。コーデルを一人で行動させることは決してないのだ。
(そんな、青い顔をして何を言っているの?)
コーデルはこういう時、この世界の身分制度の不自由さに悔しさを感じる。前世の自分の立場が、環境が良かったとは到底言えない。
けれど、裏を返せば自由だった。
辛くても苦しくても、自分の足で、自分の意思で選びとることは出来ていた。
この世界は、どうしてそれを許してくれないのだろう、と。
「……っ」
もうそれ以上は何も言えなかった。彼の主人はウルスロアンだ。コーデルではない。それならば、せめて彼の足手まといにならないように、自分は必死で走るしかない。
きっと自分がいない方が、彼は速く駆けられるはずなのに。
(重たいドレスなんて脱ぎ去って、全力疾走したい……!)
記憶が正しければ、あの食堂へ向かった出入りの男二人組はコーデルの記憶にない人物だ。ただし、それだけで怪しいかというと違う。
新しい出入りの業者が増えることは、さほど珍しくないからだ。
違和感を感じたのは、その容姿だ。
庶民はえてして日の光の下の労働が多く、肌が焼けている。そして髪も、高い油は買えず、綺麗に整っていることは少ない。だが、あの二人組は業者の恰好をしているのに、白い肌にやけに綺麗にととのった髪型をしていた。
つまり、見かけた二人組は、貴族である可能性が高いということだ。
貴族が庶民の業者の振りをして城に入ることなど、何か理由がなければ絶対にありえない。そして、彼らが押していた荷車。
大量の食材を運ぶ時によく使われるので不自然さはないが、あのサイズだったら、小柄な女性を一人くらい中に入れて運ぶことができる。本来、業者が食材を運ぶ正規ルートを歩いていなかったのは、居住区の唯一の出入口から来たからだろう。
彼らが向かった方向は厨房側だ。人目に触れず城を出るならその先にある普段人が寄り付かないティーサロン。
あそこなら、コーデルが使わない時はほとんど人がいない。
ここで三カ月、城の中を歩き回り、使用人たちの話を聞いていたことが役立つとは思わなかった。
ティーサロンに飛び込む。そこには人気がない。ティーサロンのさらに奥には、裏口へと続く扉がついている。
飛びつくようにその扉を開いた。
果たしてそこに、一台の幌がついた荷馬車と、二人の男が、荷車から気を失ったナリーを荷台へと移しているところだった。
「ナリー!」
「くそ! バレた! いけ!」
コーデルの叫びとほぼ同時に、アドルフが腰に佩いていた剣を抜き、駆けた。しかし二人組のうち一人が、ぴゅう、と口笛を吹くと、茂みから武器を携えた男達が数人、姿を現した。
「!」
アドルフの動きが止まる。これ以上コーデルと離れれば、彼女の方に敵が迫ると判断したのだ。
怪しい貴族風の二人組は、今がチャンスとばかりに御者台に乗り込もうとしている。
「……ナリー!」
ナリーが目を覚ましてくれればと思い名を呼ぶが、届かない。
「……コーデル様、俺から離れないでください」
アドルフの柄を握る手が白くなっているのを感じながら、コーデルは歯噛みする。じりじりと間合いを詰めてくる男達は全部で四人。いくらアドルフが優秀な騎士だとしても、コーデルを守りながらはかなり分が悪い。
「アドルフ……あの二人……」
コーデルの問いかけに、敵をひたと睨みつけながらアドルフが答える。
「フィルカート子爵とリルン男爵のご子息です」
(フィルカート……どこかで……)
「! 仮面舞踏会にいた……徴兵を仮病で逃げている中央からきた貴族……」
コーデルの呟きに、アドルフが目を細めた。おそらく、彼も顔を見て確信したのだろう。
(でも何故、彼らがナリーを……)
そう考えているうちにも、敵の一人がアドルフに切りかかり、応戦する。裏庭に、剣戟が響く。
コーデルは邪魔にならないように後ろにさがりかけて、逃走を図ろうとする二人組が視界に入った。
(二人をこのまま行かせては駄目……!)
「ごめん、アドルフ。お説教は後で聞くから!」
それだけ宣言すると、コーデルは突然、ドレスの前身ごろを引っ張ってぶつぶつぶつっと背中のボタンを引きちぎるようにドレスを引き剥がした。
その場にいた全員が目を見開く。
それはそうだろう。普通貴族のお嬢様が人前でドレスを脱ぐことなんてしない。
だからこそ、隙が生まれる。さらに、もちろん恥ずかしいけどコルセットとドロワーズ姿になれば、身軽に走れる!
あっけにとられて一瞬動きの止まった全員の意識を置き去りにするように、ヒールすらも脱ぎ捨てて走り出した。
一番最初に我に返ったのはアドルフだ。引き留めるように名を叫ぶ。
「コーデル様!」
だが、止まることも振り返ることもしない。
(わかってる! これ一番駄目なやつだって! わかってるけど……目の前で家族も同然な親友が連れていかれるのを、何もしないで見ているだけなんて……私には無理!)
走り出したコーデルにやっと認識が追い付いた敵が、追いかけようとする。それを阻むために、アドルフが素早く動いたのだろう。剣戟が聞こえる。背後を振り返っていては、遅くなると判断したコーデルは必死で前だけを見て走って、荷台に手をかけた。
その瞬間、ガタン、と馬車が揺れた。
「!」
(駄目だ。もう乗るしかない!)
両手で荷台の端を掴むと、思い切り地面を蹴った。
ドタンッ。
強かに身体を荷台の床にぶつけると同時に、幌のついた荷馬車が走り始めた。おそらく、御者台に乗っている二人は逃げることに必死でコーデルが乗り込んだことには気づいていない。
身体が痛いけれどすぐに起こして後方を見れば、我に返った敵とアドルフが交戦していた。先ほどよりも、アドルフの動きがよくなり複数人相手だというのに押している。
(私がいない分、彼は自由に動けるようになるはず。あとは、私がナリーを助け出せれば……)
悪路のためかひどく揺れる荷馬車の中で再び身体の向きを変えると、気を失ったナリーが横たわっているのがわかる。
手足を縛られたりなどはしてなさそうだ。女だからと油断しているのだろう。
「ナリー……! 起きて!」
可哀想だが今は仕方がない。ぺちぺちと頬をいささか強めに叩きながら声をかける。
「ん……っ」
苦しそうに眉間に皺が寄る。だがゆっくりとその瞼が開いて、自分を映すのがわかると、思い切りその身体を抱きしめた。
「え……? お嬢様……?」
「ナリー、良かった」
ナリーは状況を掴めずきょとんとしていたが、自分が揺れる荷台の馬車にいること、そして、目の前の主人のあられもない恰好に青ざめた。
「お嬢様! なんて格好を!」
御者台に聞こえてはまずいと、慌ててその口を手で塞ぎながら謝る。
「ごめん。本当にごめん。お説教は後で聞くからまずはここを脱出しよう?」
その言葉に、ただ事ではないことは理解できたのだろう、ナリーがしっかり頷いてくれることにほっと安堵して、手を離した。
「でも、お嬢様……脱出ってどうやって……」
二人でちらりと後方を見ると馬車の速度は激しく、飛び降りれば確実に大けがを負いそうだ。
ちらりと、まだこちらの様子に気づいていない御者台に視線を向ける。
どこへ向かっているのだろうか。コーデルもさすがに城の裏手の地形に明るいわけではない。こちら側は国境に近いから危険だと歩きまわるのも禁止されたのだ。
ナリーと身を寄せ合い、どうにか馬車の速度が緩まるチャンスを待つしかないのか、と考えていたその時。




