16.私、ウルスロアン様を落とします!
「閣下って、案外、詰めが甘いですよね」
一番今言われたくない一言を部下から言われて、ウルスロアンのこめかみがぴくりと動いた。
「……」
無言の圧に、ナッシュはわざとらしく肩を竦める。
「ははは。嫌だなぁ。冗談ですって」
コーデルを城に送り届ける馬車に乗せて見送った後、二人で会場のバルコニーに立った。東の空は街の外に荒野が広がるせいか、星々が瞬く空がよく見える。
「でもどうせ、閣下だって彼女を手放せないでしょう?」
「……ここに留まればあいつは命を狙われ続ける」
「それを守ってこその閣下じゃないですか」
にやり、とわかったような笑みを浮かべて返してくるのが憎たらしい。
ナッシュの言うとおり、もうすでに自分自身が彼女に興味を惹かれてしまっている。それは事実だ。
この気持ちに名前を付けるには、多くの物を背負いすぎていることも、理解している。
政治と戦争の事情にがんじがらめになっている自分には、彼女の真っ直ぐさは眩しすぎる。
「下手したら、中央を敵に回すかもしれませんねぇ」
ナッシュののんびりとした呟きに、ウルスロアンはチッと舌打ちした。
「かまわん、元より当てにしてはいない」
「わぉ。うちの閣下かっこいい~」
軽口を叩く部下をじろりとひと睨みすると、会場へと戻るために踵を返した。
コーデルを自分の手元におくということは、東や他国だけではなく、中央の貴族からも守り続けなければならないということだ。
出来ないなどという考えは無い。
成すのであれば、成す。ただ、それだけだ――――。
不倫相手との三回目の逢瀬で、思わず先日の朝市の話をしてしまっていた。あくまでロゥは不倫相手で「ウルスロアン」ではない、という事実についつい口が軽くなってしまった。いや、おそらくそれだけではない。あの一件以降、コーデル自身がウルスロアンに対して甘えたいという感情が生まれてしまったせいだ。
だけど不倫宣言をしている「ウルスロアン」に自ら甘えるのは抵抗がある。そこでロゥだ。彼はこちらをコーデルだと認識していない。
つまり、彼には素直に甘えてもおかしくはない、と考えてしまった。
そのせいで、ついつい朝市の出来事でいかに「婚約者」がカッコいいかを語る結果になってしまった。オタクの悲しい性だ。当然、ロゥとしての彼は不倫相手から、別の男を褒める話を聞かされる。
怒るのは当たり前だ。
気づけばソファの上で押し倒されて、その仮面越しでもわかる精悍な顔が間近に迫っていた。
「それとも、やはり行為の証拠が必要か?」
「……!」
どきりとした。そうだ。ただ不倫相手は会って楽しくおしゃべりする存在ではない。すっかり浮かれて忘れていた。
相手は婚約者だ。そういった行為をしたところで不倫にはならないかもしれない。いや、駄目だ。この世界には前世のようなDNA鑑定はない。
たとえ後から相手はウルスロアンだったと自分が主張したところで、この世界では通用しない。
だとしても、仮面をつけたまま事に及ぶわけがないことを考えると自分の正体がバレてしまう。
触れそうなほど近い唇へのドキドキと、この危機から脱するためにぐるぐると回る思考がコーデルを混乱させる。すぐに答えられないでいると、すっとウルスロアンの方から身体を離した。
「……冗談だ」
いつもなら少し揶揄うような響きが含まれているのに、それが感じられなかった。どこか、彼自身戸惑うような……。
(ま、まさか。不倫相手としてのコーディに惹かれ始めてる、とかないよね?)
嫌な考えが急に浮かび、蒼白になる。どうしよう、彼がコーディとしての自分を好きになるかもなんて、これっぽっちも考えていなかった。
(そんなの……嫌だ……。私は、コーデルとしてこの人に……愛されたい)
胸を締め付けるその想いに、知らず言の葉が零れていた。
「……ロゥ様は……一人の人を愛せますか?」
こんなこと、聞くつもりなんてなかった。慌てて否定しないとと考えたが、唇が震えて言葉が出ない。
(どうしよう。もし、ウルスロアン様が博愛主義だったら)
どくどくと心臓が脈打つ。まるで死刑宣告を受ける罪人のような気持ちで落ちた沈黙に耐えていると、静かな声で答えが返って来た。
「どうだろうな。俺はそれほど器用ではないからもしお前のような跳ねっ返りが妻だったら、一人で手一杯になりそうだ」
ああ、彼は、たくさんの女性に愛情を注げるような、器用な人ではないんだ。
「……は、跳ねっ返りなんかじゃないです」
だけど、この答えは、やはりコーディに好意があるということだろうか、と憎まれ口を返す。
「……じゃぁなんだ? 言われたからといって不倫相手を探しにこんなところまで乗り込み、街を動き回り、朝市で危険な目にあっても、それでも諦めないんだろう?」
……あぁ、そうか。
彼が言っているその人物は、コーディのことを指してなんかいない。
私だ。ウルスロアン様に対する私に対して、言っている。
――――それでも諦めないんだろう?
まるであの日、身体を密着させて踊った時のような温かさが、じんわりと胸に沁み込んで広がって行く。
どうして、諦めなければいけないと思っていたのだろう。不倫を画策されて、追い返されそうになったからって、彼を。
だって、私は知ってしまった。
この人の背負うものも、何を大切にしているかも。
その中に自分がいないなら、入れてもらえばいい。邪魔だなんだと嫌な顔をされたって、正面に立って、まっすぐ「貴方が好きです」と。
だってこんな人、絶対もう二度と、出会えない。
前世から合わせても三十八年間、追い求めていた自分の心を初めて掴んで離さない男性。手が届く場所にいるのに、自ら諦めるなんて、そんなもったいないことしたくない。
コーデルは俯いていた顔をわずかに上げた。睨みつけるようにウルスロアンを見上げる。
「……諦めない……」
何を、とは明言しなかった。そんなもの、愚問に等しい。
「そうですね。私、諦めなくていい気がしてきました」
はっきりと明言すると、少しだけウルスロアンが呆れた口調で窘めてくる。
「まぁ、ほどほどにしろ」
彼にそれを言われると、燃えるということに気づいたコーデルは、先ほどとは打って変わって快活な声で答えた。
「ロゥ様、私決めました!」
「?」
自分の頬にあったウルスロアンの手をぐっと握りしめて、コーデルは満面の笑顔で宣言する。
「私、ウルスロアン様を落とします!」
「……ん?」
先ほどまで受け身だったコーデルがソファに座り直すと、今度はウルスロアンの方に迫った。顔を近づけると、自身の仮面を外し、正体を明かす。
(これは、私の決意の現れだ)
「だから、覚悟してくださいね」
もう、嘘偽りの関係なんて、いらない。
正々堂々と、貴方と私で、どちらが先に根をあげるか、勝負しましょう――――?




