14.少年の淡い初恋が終わる
むきになって言い返すが、ウルスロアンは口元にシニカルな笑みを浮かべるだけで、再び歩き出した。
違うのに、と思いながらも慌ててそれについて行く。
朝市の規模はかなり大きい。伯爵領で行われていた規模のおそらく三倍はあるだろう。その分人も多く、何故領主の許可がないと視察出来なかったかがわかる。人種も、身分も全てが入り乱れている。
ウルスロアンが屋台の交差する少し開けた場所で足を止める。
「右は工芸品や家で役立つ日用品がまとまっている。左は香辛料や原材料になるようなものだな。中央は食材や出来あいの料理を買って持ち帰れる」
ざっくりと商材によって区画分けされていることを教えてくれる。
「日用品は何が?」
「鍋などの鉄製品や布製品だな」
なるほど、朝市がこれだけの規模を誇るのは、この日に人々の生活の全てを補充する役割を担っているからなのだ。
食品は日持ちするものから、すぐに食べられるものまで豊富に揃っている。見れば、ちらほらと顔立ちの違う人たちも見える。国境付近のこの領地には、おそらく他国からの移民、流民も受け入れる役割があるのだろう。そのため、各地域の特徴的な食材も揃っている。見たこともない食材も多い。
伯爵領の朝市はどちらかというとそれらを手に入れるだけの余裕がある客層、だったが、こちらは貧富の差がないといったところか。
「一番奥には炊き出しエリアがあるが、あそこには近づくなよ」
そう言いながら、視線が少し遠い朝市の端の方へ向けられた。
「炊き出しエリア?」
「あぁ、職がない者達への配給だ。まずは栄養をつけてもらい、健康になったところで職を斡旋し、人材を循環させる」
なるほど、ただ貧しい人たちに与えているだけではない、ということか。それでも、職にありつけるほどの健康体であればいいが、そうではない者達もいるだろう。
当然、施しがあるからといってよからぬことを考える者がゼロになるわけではない。コーデルを近づけさせない理由もわかる。
「常に人材は不足していらっしゃるのですね」
「人はそれなりにいるがな。文化の違いや言語の違いを正し、戦力とするには時間がかかる」
この国の人材は、国防のために働く者達のことでもある。
ああ、どれだけ……中央にいた自分達は彼らの血のにじむような努力の上で平和を享受していたのだろう、と思う。
彼が……ウルスロアンが中央からきた貴族を厭う理由も、厳しく接する気持ちも理解できて胸が苦しい。
しょんぼりと肩を落としてしまったコーデルを見て、ウルスロアンは一つ息を吐く。
「人にはそれぞれ与えられた役割がある。お前は何を見たくてこの場所へ来た?」
問いかけられて、はっと顔をあげる。そうだ。ただ物見遊山にきたわけではない。それに、見落としてはいけないのは、そんな生活の中でも、多くの領民が笑顔で過ごしているという事実だ。
この三カ月、自分は見てきたではないか。
視界に広がる屋台や訪れた人々の明るい顔を見て、コーデルはきゅっと唇を結び直した。
「こ、香辛料を見たいです。先日孤児院へ慰問した時に、食事の味の変化に乏しいと感じました」
「ほぅ?」
「重湯などは胃に優しいですし、かさましにも適してはいますが、育ち盛りの子供は繰り返されると飽きて口にしなくなります」
食糧事情もある。贅沢は出来ないこともわかっている。だが、味の種類を香辛料などを使って変化を持たせるだけでも違うのではないか、と思ったのだ。
香辛料自体が安価ではないこともあり、今まで検討されてこなかったのだろうが、得てしてこういった朝市ではまとまった分量を仕入れることで値切り交渉も可能になる。それを狙いたかったのだ。
「なるほどな。人は自分のおかれた環境でしか考えられない生き物だ。お前のその視点はどこからくる?」
「……わ、私は……」
前世、孤児院で育った時に、同じことを思った。贅沢は言えない。食べられるだけでも幸せなことだと言い聞かせていたあの頃。
この世界の孤児たちよりも豊かであった世界ですら、そう感じたと、説明することはできない。
言いよどんだコーデルの頭に、ぽふり、とウルスロアンの大きな手が乗った。
「行くぞ」
ふわりとウッド系の香りが頬を撫でる。人の熱気も、食べ物の匂いもそこかしこに入り交じっているはずなのに、彼の香りを感じ取ってしまう自分が、嫌になる。
きゅう、と引き絞られるような胸を抱えたまま、コーデルはその後を追った。
何故、彼が自分を遠ざけたがったのか、なんとなくは見えてきた気がする。彼にとって中央の貴族はこの土地の姿を知らない人間達だ。
中央の常識でこの土地を見てしまえばおそらく異端だし、恐ろしく高い貴族のプライドを刺激するだろう。
特に、王都で育った貴族令嬢はそれが顕著だとは思う。
彼は『王都育ちの令嬢にこの土地と領民は愛せない』と考えているのだ。そんなことはない、と言えればよかったけれど、コーデル自身も自分が前世の記憶を持っているから理解できる部分も多い、というのは薄々感じていた。
ノブレス オブリージュ、言葉と志は立派だが、この世界でその実体は『選民思想』に近い。
だが、この土地に根ざした人々は貴族だから、領民だからというよりは、先ほどウルスロアンが口にした「自分に与えられた役割」を見据えて生きているように感じる。
(不思議……それこそ、ウルスロアン様だって貴族なのだから、そんな風に考えることなんて本来ならありえないはずなのに)
「あ! コーデル様!」
聞き覚えのある声が背後から突然かかって、振り返る。すると、孤児院に出入りしている牛飼いの少年が立っていた。
「ジョアン、買い出し?」
十五歳になったばかりのジョアンは、笑顔で駆け寄ってくる。身長はコーデルと同じくらいだ。周囲の護衛がぴりりと緊張するのが空気でわかるが、ジョアンは気づいていない。駆け寄ってきたからなのか、コーデルに会えて嬉しいのか、少し頬を紅潮させて、少年は答えた。
「ああ、買い出しと、うちの牛の乳も販売にね」
ジョアンは孤児院に定期的に牛乳を卸している。そこで出会って、コーデルが自ら気軽に接してほしいとお願いしたのだ。
孤児達はジョアンに懐いていて、彼がコーデルに対して緊張していると無意識に伝染する。だから、まずは彼と仲良くなろうと考えた。
素直で働き者、まっすぐな少年は子供達に好かれるのもわかるほどだ。
「コーデル様は?」
ぱっと笑顔で問いかけてから、ジョアンの表情が強張った。どうしたんだろう? とコーデルが思っていると。
「イクスの所の息子か」
「りょ、領主様……おはようございます」
途端に顔いっぱいに緊張を滲ませて、ジョアンが背筋を伸ばした。ウルスロアンの迫力に、完全に萎縮してしまっている。
おそらくコーデルの姿だけを視界にとらえて近づいてきて、すぐ傍に領主がいることに気づかなかったのだろう。
今のこの一行は目立つとは思うのだが、コーデルは少年の淡い恋心に気づけるほど敏感な方ではなかった。
ウルスロアンは萎縮する少年の頭を見下ろして、口を開く。
「父母をよく助けている」
「……! あ、ありがとうございます!」
褒められたことに一瞬顔を跳ね上げた後、深々と頭を下げた。
「ふふ、よかったね。ジョアン」
領主様はここの領民からすれば憧れの存在だ。その存在感の大きさに畏怖もあるが、それよりも尊敬の念が強い。自分が個人として認識されているだけでなく、頑張りを認めてもらえれば嬉しいに決まっている。
ジョアンは喜びもつかの間、少しだけ大人の階段を上ったかのような表情で呟いた。
「ほ、本当に……コーデル様は、領主様のお嫁さんなんだね……」
「……え……」
それは、少年の淡い初恋の終わりを告げる言葉だった。しかし鈍いコーデルは何故そんなことを言われたのかわからず狼狽える。
まさか今ここで、不倫して婚約破棄するつもりだとも言えない。
答えに窮するコーデルの代わりに、ウルスロアンが短く答えた。
「そうだ」
「!?」
思わずコーデルが発言した男の横顔を見上げてしまう。二の句を継げないでいると、のほほんとした声がその場に割って入った。
「はいはい。そろそろ移動しないと視察の時間が無くなってしまいますよ。閣下、コーデル様」
声の主はナッシュだ。そこで、護衛騎士の存在にもやっと気づいたジョアンが、また孤児院で会いましょう、と頭を下げて去って行く。
「……私を、伯爵領に帰したいのではないのですか?」
恨めし気にちろりと睨みつけながら、コーデルが当人に届くか届かないか程度の小さな声で口にする。
すると、ウルスロアンもこちらに一瞥をくれて口元をにやりと歪ませた。
「不倫相手を紹介されるのが楽しみだな?」
「!?」
(あ、貴方ですけど~!?)




