12.イケおじは笑うの禁止
「コーデル……派……?」
初めて聞く単語に小首を傾げる。
「はい。現在この城の騎士は鬼のような閣下派と、天使のようなコーデル様派でわかれております」
基本必要最低限しか喋らないアドルフとは違い、彼は軽口が好きなようだ。本来こんな親し気に護衛対象と話すことはない。人懐こい雰囲気に少し圧倒されつつも、コーデルは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「……こら。滅多なことを言うものではないわ。私は閣下の婚約者なのよ」
そんな内部対立を煽るような派閥は許さない、と窘めると、ナッシュはその茶褐色の瞳を輝かせた。
「いい……! もっと怒ってください! ご褒美ですね」
うんうんと満足そうに頷いていて、コーデルは呆れてしまう。隣のアドルフも、じろりとナッシュを睨みつけている。
なんだか気が抜けてしまう空気を持った騎士だ、と思いつつも、自分を守ってくれることに感謝の意を示す。
そうして、コーデルの一日の行動が始まった。
本日の予定は市街地への視察だ。朝市が開催されているのだが、たくさんの行商人がきて人でごった返すので、ウルスロアンの許可が下りてからではないと駄目だと言われていたのだ。
ようやく領主が帰還し、さっそく許可申請をしていたのが下りた。
市場へ行けることにわくわくしながら城の広い玄関ホールに辿り着いて、足をとめる。
「……」
「……」
しばし、無言で見つめ合ってしまう。けれど、我に返ってコーデルは優雅にカーテシーをした。
「おはようございます。閣下」
そう、玄関ホールでコーデルを待ち構えていたのはこの地の領主であるウルスロアンだった。
ステンドグラスから降り注ぐ朝日を背にしたその姿は、凛とした空気と張り詰めた重みを伴ってコーデルの胸を締め付ける。
あの回廊でみた肖像画のような荘厳さだ。厳しく見える猛禽類の緑青の瞳に、年齢を重ねた落ち着きと色気を纏い、わざと残しているのか無頓着なのかわからない髪の一部分が白いところも彼の魅力として引き立っている。
大男というわけではないが背は高く、がっしりとした体躯をしている。舞踏会の夜、身体を抱き寄せられたらすっぽりとその胸に収まってしまったことを不意に思い出してしまう。
無意識に熱くなる頬を隠すように腰を折った姿勢のままでいると、ウルスロアンが動いた衣擦れの音が響いた。
「視察へは、俺も行く」
「……! は、はい……」
まさか、厭っている自分と共に行動をするとは思っておらず、コーデルは驚いたが、寸でのところで飲み込んだ。
緊張するし、どんな顔をすればいいかわからない。絶対に気まずい空気が流れるのがわかっているだけに、居た堪れない。
だけど、逆にこれはチャンスなのかもしれない。彼の、真意を探る。
よし、と心の中で気合いを入れたのもつかの間、差し出された手に思わず固まってしまう。
昨夜自分の腰を支えた大きな手の感触を思い出して頬が熱くなりながら、差し出されたそれを睨みつける。卒のないエスコートもかっこよくて、怒っていた感情が薄れてしまいそうでコーデルは己を叱咤する。
(だ、ダメよ。コーデル。ちゃんと怒った顔をしないと! 怒ってますって顔しないと!)
なんとか表情筋を動かしてキリッと眉を上げる。だが、ここでエスコートを無視して、二人の間柄を邪推されるわけにはいかない。
先ほどナッシュの言っていた派閥問題。それを決定付けてしまうのは女主人としては失格だ。
表情は淑女としての体裁を保ちながら、怒っていることは本人だけに伝わるようにして、エスコートを受けることは出来ないだろうか、と考えて閃いた。
よし、これだ! とコーデルは決意すると、にっこりとそれはそれは優しくたおやかにウルスロアンに向かって微笑んだ。
「ありがとうございます」
礼を述べると、その差し出された手に自分の手を乗せる。周囲にいた侍従や騎士達はその美しい所作と笑顔に見惚れているが、ウルスロアンだけがぴくりと片眉をわずかに動かした。
(よし、伝わったわね? 女の笑顔に秘めたる憤怒に)
だが相手も社交には慣れた貴族だ。それ以上は表情を変えることなく完璧に馬車へとエスコートされた。
そして馬車の中では隣り合わせで座ることになる。狭い車内なので肩が触れ合う近さだ。心臓の早鐘が聞こえてしまわないかとひやひやする。
「朝市に興味があるのか」
ウルスロアンは話しかけているのに、視線は前方に置いたままだ。まぁ、こちらを向かれても心臓がもたないのでありがたいのは確かだけど。
「はい。伯爵領でも朝市はありました。市場はその土地の色が出ます。どんなものがあるのか楽しみです」
一概に朝市といっても、土地によって出店される店も品物も違う。むしろそれぞれの土地の特色が出る。
同時に、貿易がどの国と盛んで、どのルートが安全で仕入れしやすいかという傾向も読み解ける。
コーデルは令嬢だが、前世の記憶を取り戻した時、この世界のことが知りたくて伯爵領を継ぐ兄の視察についてまわった経験がある。
そうでもしないと、この時代の「貴族令嬢」というのは外の世界を知らないまま、ただただ邸の中で甘やかされて育つ。
当然、マナーや嫁ぎ先の女主人となった時に必要な知識は叩き込まれるが、なんというか見聞きするものが制限されているような感覚なのだ。
元々好奇心旺盛な性格ではあったし、前世が孤児院育ちだったこともあり、自分自身で情報を集めることが当たり前だった。そこから正しく取捨選択しなければ騙されたり、搾取されたりとひどい目に遭うことも多かったからだ。
だから、この生まれ変わった世界で、貴族令嬢の「与えられた知識だけを従順に享受する」という文化に馴染めなかったのだ。
「ホゥロゥパンを食べたことはあるか?」
突然謎の単語を投げかけられ、小首を傾げる。
「何ですか?」
「ほろほろになるまで煮込んだ甘辛い餡を纏った牛肉を、薄く切った白いパンで挟んで食べる」
説明を聞いてるだけでも美味しそうな食べ物に、紅水晶の瞳がキラキラと輝き出す。
「食べたことありません」
「そうか。東の方でよく庶民がおやつとして食べるらしくてな。朝市でも人気が高い」
そうだった。ここは東の国境。確かに東方の食文化は流れてきやすいだろう。そんなことを考えた瞬間だった。
くきゅるるるぅうう……。
馬車内に、腹の鳴る音が響いた。
「……」
「……」
数秒間の沈黙が落ちた後。
「ぶ……っ、ははっ」
耐えきれずウルスロアンが噴き出し、コーデルが顔を真っ赤にしたのは仕方のないことだった。
(恥ずかしさで憤死しそうなのに、やっぱり笑った顔が殺人級に可愛くて……。もう! イケおじは笑うの禁止!)




