第三話 最悪なチュートリアル!?
紅苺鬼と和解した私は、とりあえずカボットキングダムの入口まで帰って来た。
分厚いビスケットの扉の前に立ち、声を張り上げる。
「ただいまヴァニラ! 無事に謝罪できたよ」
すると、ドアがゆっくり開かれた。
クッキーの回廊を進んで、先ほど授業を受けていた小講堂へ入る。
ヴァニラが椅子に座って待っていた。
腕を組んでいるが、何処か落ち着きがない。
「よ、よく戻って来た。その……最初は逃げ出したように見えたが、相手の動きや地形を利用して上手く戦えていたな。褒めて……遣わす」
水晶玉のような大きさのキャンディを胸に押し付け、ヴァニラは視線を逸らす。
「もしや、その透明なボールで、私の様子を見ていたのかい?」
「ち、違う! これは……そう! これは宝石だ! 綺麗だろう?」
……自分の配下であるモンスターにあんなことを言われたら、流石に恥ずかしいだろうね。
「うん、実に綺麗な宝石だ。ヴァニラ様にそっくりだね」
「え」
ヴァニラは台詞を聞いて、硬直してしまう。
私としたことが! 普段芸術作品に投げかけていた愛の言葉を、十四歳の少女に囁いてしまうとは! 少し刺激が強かったかな?
「ぷ……ふふ……きゃははは! そのセンスの欠片もないクソダサ台詞は何なのだ!? それで我を口説いているつもりなのか!? キツすぎるだろ。さては童貞だな?」
こちらの自尊心を握り潰すように、ヴァニラは爆笑していた。
じわじわと頭に血が上ってくる。
「わ、私は確かに性の喜びこそ知らないが童貞ではない! ただ純潔を貫いているだけだ!」
「そういう哀しいモンスターを童貞と呼ぶのだ愚か者! 何が……くく、純潔を貫いているだ。言い方を変えればいいとでも思っているのか? ふふ」
このメスガキ……黙って聞いてりゃ、私の禁忌に踏み込みやがって。
「可哀想に、顔が真っ赤だな? 熱でもあるのでないか? ナンキン坊や」
「坊や……だと?」
「ふふ、では我はお風呂に入ってくる。純潔のナンキン坊やは、我の入浴でも妄想しながら、これでも食すといい」
メスガキはそうほざいて、カラフルな豆が入った皿を目の前に置いた。
そして教卓からお風呂セットを取り出し、小講堂から退出してしまう。
「私は童貞かもしれないが童貞ではないのだ……畜生」
目に苦悶の涙を浮かべ、ただ豆を齧る……なんたる屈辱だろうか。
高貴な生まれであるこの私が、今や餌を貪る家畜に成り果てるとは。
「うぅ……うぅ……アレ? 結構美味しいな?」
あまりの旨さに、思わず涙が止まった。
ただのゼリービーンズかと思えば、シェフのこだわりを感じる味付けだ。
赤い豆はトムヤンクンスープのように辛味と酸味が効いて刺激的、オレンジの豆はローストチキンのように香ばしくジューシーであり、青い豆は舌平目のムニエルのように上品なコクと甘みがある。
豆の色ごとに違う料理の味わいが口に広がる。
たかだか豆一粒なのに不思議と腹も膨れる。
舌の肥えた貴族である私を唸らせるとは……実に大した料理ではないか。
しかしヴァニラ! 美味い飯を食わせたからと言って、この私が許すと思うな?
かくなる上は復讐だ! この恨みを晴らさでおくべきか。
腹ごしらえを済ませ、軽く爪を研ぎながら思考を巡らせる。
あのメスガキをどう分からせるか?
海綿猫又の特性を私以上に熟知している相手だ。力づくでは絶対に叶わない。
ならば、精神的に分からせればいい。
「……あのメスガキの弱点を一つでも掴みさえすれば――私の勝ちだ」
***
小講堂の奥にバルコニーが見えた。扉を開けて外に出ると、甘い匂いがした。
「このミルクの匂い……温泉で間違いない」
バルコニーから木に飛び移った。
森のように連なった木々を飛び続け、枝から枝へ渡り歩いていく。
目的地に近付くほど、甘い湯気が漂ってくる。
「では見せて頂こう。君の弱点を」
断っておくが、コレは俗物的な覗きではない。敵情視察だ。
視線の先には露天風呂。日没の光に照らされ、湯面は白濁している。
ちょうど見下ろせる高さの木に陣取り、静かに身を潜めた。
やがてヴァニラが現れた。
無邪気に伸びをすると、躊躇なく湯に飛び込んだ。
「アイツ、誰も見てないと思って……実に品性が無い」
幼い柔肌が白濁としたミルクに包まれて、背徳的な美を帯びたヴァニラの一矢纏わぬ姿は、まさにバニラミルクの妖精と評するべきだった。
十四歳にしては形よく膨らんだ乳房、ミルクに溶け込んだ肢体、異彩を放っている橙髪は少女の身体を包み込む太陽の光!
こんなに美しい妖精が人であるはずがない! 彼女こそ人間が絶対に勝つことのできない、モンスターの象徴ではないだろうか?
不覚にも美術品のように見入ってしまっていた……屈辱的だ。
視線を逸らすと、ぷかぷかと浮かんでいる黄色の物体が目に入る。
アレは……アヒルの玩具?
「クワァ、クワックワァ! ボクはミルキーダック! ヴァニラママのお友達なんだクワァ!」
耳を疑った。
間違いなく、ヴァニラ様から発せられた声だった。
「え」
困惑していると、ヴァニラ様は岩場に置いてあったお風呂セットから他の玩具を次々に取り出し始める。
「俺はスポンジニャンコ、ヴァニラ様に仕える執事だ」
猫耳が付いたスポンジを右手で掴み、ブンブン振り回す。
「アタシはプリンセスヴァニラ、皆に愛されるお姫様よ」
左手には南瓜の顔をした西洋人形だ。
「大変よスポンジニャンコ! ミルキーダックが溺れているわ!」
……ヴァニラ様。どう見てもそのアヒル、浮かんでいませんか?
「ふん、どうして俺があんなアヒルを」
……ああ、その猫耳が付いたスポンジは、そういうキャラなんだね。
「もう! じゃあアタシが助ける! アンタなんて知らない!」
ヴァニラ様は西洋人形を、温泉の中に沈めてしまった。
「あぷあぷ、スポンジニャンコ……助けて」
「ヴァニラ様! 全く。仕方の無いお姫様だ」
ヴァニラ様は、猫耳が付いたスポンジを使って、アヒルの玩具と西洋人形をすくい上げた。
「スポンジニャンコ……アタシとミルキーダックを助けてくれて、ありがとね」
「勘違いするな? 俺はたまたま海水浴をしたくなっただけだ。そこへ偶然お前達が溺れていたから、暇潰しに助けてやっただけだ」
……ダメだ。これ以上我慢すれば、私は死ぬことになる。
でも笑ったら殺されてしまう!
「もしボクが立派なモンスターになれたら、ママと結婚するクワァ!」
「ぷ……」
「残念ながら。姫君と婚約する権利は、執事である俺にしか与えられていない」
「ぷぷ……」
「もう、アタシの為に争わないで! 全く……ダックもニャンコも、アタシのことが好きで好きで、仕方ないのね……二人とも、まだまだお子様なんだから」
「ぶわっはっはっは!」
「!?」
堪え切れずに吹き出してしまった。流石に我慢の限界だった。
あんな脳内ハッピーセットのヴァニラ様を見せつけられ、笑うなと言う方が無理な話である。
「く……曲者!」
ヴァニラは声の聞こえてきた木に向かって火炎を撃ち込んだ。
慈悲も容赦も無い。
木は凄まじい勢いで炎上した。
私は飛び移る事もできず、木から転落してしまった。
「いだだ……結構な高さだったぞ……あ、ああヴァニラ様……ご機嫌麗しゅう」
ヴァニラは湯から上がり、濡れた髪をバサッと払う。
「全部観ていたのか?」
私は瞼を閉じて跪き、首を垂れた。
もはや命乞いするしか――
「……確かお前は芸術批評家だったな? その、我の劇場は……どう、だった?」
なくもない?
飛んできたのは殺意ではなく、震える声だった。
頬は真っ赤にして、こちらに期待するような眼差しを送っている。
期待と不安とプライドが混じった、製作者側の表情といったところか?
勝手に覗いていた手前、あまり下手なことは……いや?
勝手に覗いてしまったからこそ、あの公演と真摯に向き合って、批評するべきではないか?
「私は芸術批評家である故に、忖度するつもりはない。それでも大丈夫かい?」
「……う、うん」
「――最低だよ」
「ッッッ!?!?」
「展開は唐突。キャラの行動や動機に説得力がない。演出は幼稚で、世界観の統一もゼロ。おまけに主人公のヴァニラはスポンジ頼りで成長要素も無い。十三点」
「……十三点?」
「もちろん、百点満点でね。もう少しテンポがよければ二十点台でも……ひぃ!?」
ヴァニラの表情から光は消えて、裸体のあちこちが震えていた。
血走っている瞳から殺意を感じて、私は脱兎の如く、もとい脱猫の如く走り出していた。
「弁明の余地を与えたが残念だ。我の劇場を盗み見た上で十三点とは……万死に値するぞ?」
次の瞬間、炎の球体や氷の槍、風の刃に黒い雷など、様々な魔法が立て続けに飛んでくる。
「わ、悪気は無かったんですよ! 芸術批評家の本能が勝手に――」
「我の入浴を除いたのも、芸術批評家の本能のつもりと申すか?」
炎で燃やされ、氷に貫かれ、風に引き裂かれ、雷を打たれた。
ある程度のダメージを軽減しているとはいえ、激しい痛みが次々に押し寄せてくる……身体は蜂の巣だ。
海綿猫又でなければ確実に死んでいた。
魔法の吸収にも限界があると、身を以て痛感するが……こんなチュートリアルは最悪だ。
「くっ……お前なんて南瓜さえあれば、南瓜騎士で八つ裂きにしてやるのに」
「生前に七等分を経験したので……どうかお許し頂けないでしょうか? 覗きとか盗聴も、本当に悪気は無かったんですよ! 不慮の事故だったんですよ!」
「そうか。お前の死因は七等分だったのか。ならば今回の死因は八つ裂きがお似合いではないのか? 引き裂く箇所がもう一つ増えて丁度良いな?」
今更ながら理解したことがある。
ヴァニラが魔王として片鱗を見せる時は、威厳を演じている時ではなく、こちらに明確な殺意を抱いている時であると。
うん。また一歩彼女の使い魔に近付けたのかもしれないね。
こうして私は、大魔王ヴァニラに夜通し追い回されて、後に三日間ご飯抜きの刑に処された。




