76話『忠誠心』
「お兄さん、おひとりですか?一緒に飲みません?」
俺の隣の席にひとりの女性が座った。
チラッと横目で見ると――ツヤツヤのショートヘアにくっきりとした目鼻立ち。
タイトな黒のロングワンピース姿で、俺のほうに向かって脚を組んでいる。
ワンピースのサイドスリットがざっくり開いており、程よくむちっとした太ももが片側だけ大胆に露わになっていた。
俺は視線を前に戻した。
「すみません。今日はひとりで飲みたい気分で」
「もう十分、ひとりで楽しんだんじゃないですか?お兄さん、1時間以上前から店にいますよね?」
そう――『Lv.∞』で飲み始めてから、1時間以上が経っていた。
「私、ずっと向こう側のカウンターからお兄さんのこと見てたんです。気づかなかったですか?」
そう言って、女は俺の顔をのぞきこんだ。
だが――考え事をしていたからか、まったく存在に気づかなかった。
「そうですね。気づかなかったです。すみません」
「ずっとぼーっとしてたから……もしかして、彼女と喧嘩でもしたんですか?」
「……いえ。彼女とかでは……」
「お兄さん、もしかしてフリーですか?」
「……まあ、そうですね……」
俺の回答を聞くなり、女はあからさまに距離を詰めてきた。
「だったら、何も問題なくないですか?私、そんなに魅力ないですか?」
端正な顔立ち、細身だがメリハリのある体型――魅力がないなんてことはない。
間違いなくモテる女の典型だろうし、世の多くの男性が彼女からの誘いをNOとは言わないのかもしれない。
だが――。
「俺、好きな人がいるんで」
ハッキリと伝えた。
女は言った。
「だから?」
俺はチラッと女を見た。
「何がダメなんですか?」
女は首を傾げている。
「今フリーなんだから、逆に今遊んでおかないとじゃないですか?それに……彼女ができたって、彼女ひとりに忠誠を誓って一生その人だけ、なんて無理でしょう?お兄さん、かっこいいんだしもったいないよ?」
確かに――この先の長い長い人生を、ひとりの女性だけを愛し続けるというのは、難しいのかもしれない。
俺はディーノさんのようにはなれない。
別の女性を魅力的だなと思う時もあるだろうし、誘惑されて浮気心が湧いてしまう時もあるだろう。
だけど――絶対に失いたくないと思う気持ちさえあれば、理性を踏み外すなんて選択はしない。
「世の一般的な男性のことはよくわからないですけど……少なくとも俺は、好きな人に誠実であり続けたいですね」
俺はひと口、ワインを飲んだ。
女は一瞬、ムッとした表情を浮かべたように見えた。
「お兄さんはそうかもしれないけど、相手の女性はどうだろう?女ってお兄さんが思うほど清い生き物じゃないよ?」
それは――正直、わからない。
俺は彼女のことだけを愛したいと思っているけれど、彼女の心の内はどうしたって彼女にしかわからないし、気持ちが移ろうことももしかしたらあるかもしれない。
だけど――。
「確かに、相手の女性の気持ちが変わることもあるかもしれません。もしそうなったら――その時はその時です。でも、そうならないように努力します」
女は俺の回答が不満だったのか、さらに不機嫌そうに一瞬、顔をしかめた。
だが、すぐに表情が変わり、スイッチが入ったように見えた。
「お兄さん、一途だし真っ直ぐで……本当にかっこいいね?」
女は俺の太ももに触れた。
「私、お兄さんにもっと興味が湧いちゃった」
さらに近距離で身体を寄せる。
「別に今夜だけでもいいの。誰にも言わないし、連絡先も交換しなくていい」
女は俺の耳元に、さらに顔を近づける。
「私とお兄さん、ふたりだけの秘密」
女の唇が俺の耳に触れた。
その時――。
「ねえ、何してんの?」
腕を組んで仁王立ちし、女の真横に立っていた女性――。
レイナだった。
「あんた誰?直、知り合い?」
「ううん。知らない人」
レイナはキッと女を睨んだ。
「そこ、どいてくんない?」
女は不機嫌そうにレイナを一瞥し、席をどいた。
そして、「マスター、チェックで」と言い、そそくさと帰っていった。
「あからさまに色仕掛けされてたじゃん?」
「……そうだね。びっくりしたよ」
「直、全然興味なさそうで安心した」
レイナはふっと笑った。
「レイナ、今日は……ひとり?」
「うん。ひとりで飲もうと思って来たけど、直が来てたなんてラッキーだったわ!一緒に飲も?」
「……うん。もちろん……」
そう――別に、レイナと今日約束をしていたわけではない。
偶然だった。
でも――今日、彼女に「会おう」と連絡を入れようと思っていたから、ちょうどよかった。
「そういえば、直、ディーノさんと連絡とってる?昨日連絡入れたんだけど、既読にならなくてさ。ディーノさんって即レスが基本だから、何かあったんじゃないかって、ちょっと心配で」
俺はスマホを確認した。
ちょうど、1時間ほど前に――ディーノさんに連絡を入れていた。
いままでの感謝の気持ち、そして、自分の決断についての内容だった。
だが、既読はついていない。
まだ1時間足らずだが、いつもの彼の返信速度を考えると、確かに遅いのかもしれない。
「俺は1時間ほど前にメッセージ入れたけど……未読だね」
「そっか……ちょっと気になるから、電話してみようかな。ついでに、ディーノさんの予定が空いてるようだったら、今日は3人で飲もうよ!」
レイナはニコっと微笑んだ。
久しぶりにディーノさんに会いたい。
でも、今日は――。
「ごめん。ディーノさんのことは確かに気になるんだけど……今日は、ふたりで飲みたい」
レイナの目をまっすぐ見て伝えた。
彼女も、俺の真剣な雰囲気を察したのか、緩んでいた表情が気持ち引き締まったように見えた。
「そう……わかった」
彼女は手に持っていたスマホをテーブルに置いた。
少し沈黙が流れた。
改めて話を切り出したのは、レイナだった。
「麗香さんと……デートしたんだね?」




