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70話『揺らぐ心』

「お待たせしました」


 オーダーしたビールが運ばれてきた。

 そのおかげで、俺とレイナさんとの間を流れていたピンク色の雰囲気が、一気に日常の色合いに戻った。


 いい意味で、空気が読めていない店員さんに感謝した。


 一方、レイナさんは頬をぷくっと膨らませ、険しい表情で店員さんを見ていた。

 俺とは対照的に、いい雰囲気を遮られたことに不満があったのだろう。


「……そ……それじゃ、乾杯しましょうかね?」

「……うん。そだね」


 レイナさんはまだ少しだけ、ご機嫌斜めな様子だった。


「たくさん……飲みましょ?ね?」


 彼女の目が一気にキラキラと輝いた気がした。


「今日ね、飲み放題にしたの~!」

「うえ!?」

「だからちゃんと付き合ってね?」


 先日――レイナさんと飲んでいて記憶を飛ばした時のことが頭をよぎった。

 酒は飲んでも、飲まれないようにしなくては――。


「乾杯~~~~~!」


 こうして、お台場デートを締めくくる夜が始まった。


「レイナさんって……いままでどんな恋愛してきたんですか?」


 今日――俺が一番、彼女に聞きたかったこと。

 いままで、自分の恋愛のことばかり話してきたので、今日は彼女のことも聞いてみたいと思っていたのだ。


「う~~ん。そうだね……」


 彼女はお肉を焼きながら考え込む。


「恋愛経験は多いけど……どれも短命って感じかなぁ」

「すぐ別れちゃう理由は……?」

「ほとんど、相手の浮気。まあ、自分にも原因があると思うけど」

「浮気する相手のほうが悪いわけなのに……どうしてレイナさんに非があるんですか?」


 レイナさんは「直くんらしいピュアな質問だね」と、ふっと笑った。


「尽くしすぎちゃうんだよね、私。家事は当然すべてやってあげるし、彼のためならどんな予定だってどけるし、無理して高価なプレゼントも買ってあげちゃう。100万円貸したまま返ってこなかったこともあったな~」


 レイナさんほど美人で引く手あまただろう女性が、なぜ相手に屈し、対等な関係が築けないのだろう。不思議でしょうがなかった。


「……やりたくない、嫌だって言わないんですか?レイナさんなら……ハッキリ言えそうなのに」


 あははは!と高らかに笑った後、彼女は「そう思うじゃん?」と言って続けた。


「好きになるとね~私、変わっちゃうのよね。しおらしい女になるの」

「しおらしいって……!」


 レイナさんのイメージとあまりにもかけ離れたワードに、思わずぷっと笑ってしまった。


「イメージつかないでしょ?私さ……告白されて付き合ったことって一度もなくて」

「え?じゃあ、いつも自分からってことですか?」

「うん。好きになるのはいつも私が先……っていうのも、毎回、外見から入って一目惚れに近い形で相手を好きになるからなんだけど」


 彼女は苦笑いを浮かべた。


「好き好きアピールをして、付き合おうって言わせる恋愛だったから……そもそもスタートの時点で、お互いの“好き”に温度差があって。それがわかってるから、自分を殺して必要以上に尽くしちゃうのかも」


 ――好きの温度差……か……。


 里実をフッた理由が、まさにこれだ。

 この温度差は、努力次第で簡単に縮まるものでもないとわかっているからこそ――胸の奥がピリッとした。


「ありのままの自分を、好きだって言ってくれる人と……出会えるといいですよね……」


 無意識にポロっと出た言葉だった。


 レイナさんに向けた言葉であり、同時に、別れた里実に対しての切なる願いでもあった。


「……そうだね。だから、直くんに……ありのままの私を好きになってほしいんだよ?」


 ドキッとした。


「本当の私はさ……けっこうわがまま。感情が表に出ちゃうし、嫉妬深い。スキンシップもたくさんしたいし、愛してるって、毎日言ってほしい。食べることとお酒が大好きだから、家にこもるよりも、たくさん出かけたい」


 真剣な眼差しを俺に向けたかと思ったが、一転、彼女は自嘲気味にふっと笑った。


「まあ、直くんは究極のインドア派だろうから、私とはそもそも合わないのかもしれないけど」


 レイナさんはそう言うと――「あ!お肉こげてる!」と大きめの声を発し、慌てた様子で目の前のBBQコンロに集中した。


 ――そんなことない。


 俺は、心の中で彼女の主張を強く否定した。


 以前の――ディーノさんやレイナさんと出会う前の自分だったら、まったくレイナさんとは合わなかっただろう。


 でも今の俺は――刺激を求めている。


 いままで行ったことがない場所に行って、家にいるだけでは味わえないいろいろな体験をして、さまざまな感情を味わって――世界を広げていきたいのだ。


 レイナさんは――俺を未知の世界へと連れ出してくれる女性だ。


 合わないなんてことは絶対ない。


 彼女とならどこへだって行きたい。

 彼女となら何気ない日常だってきっと楽しい。

 彼女とならたくさん触れ合っていたい。


 俺はレイナさんのこと――。


 間違いなく……今、好きの温度は限りなく彼女に近いと思う。


 今この瞬間に抱いた、自分の確かな気持ちを大切にしたい――。

 俺は――心の中で決意を固めた。


 23時――。


 酔い覚ましのため、再びお台場海浜公園に来た。

 遅い時間ということもあり、人はまばら。


 もちろん、家族連れなどまったくいない。


 俺たちはベンチに腰掛けた。


「今日一日あっという間だったな~楽しかったね!」


 レイナさんは満面の笑みで俺のほうを向く。

 対する、俺は真剣な面持ちで彼女に向き直った。


「さっきさ」

「うん」

「ありのままの自分じゃ、俺とは合わないかもって言ってたじゃん?」

「え……?うん」

「俺はそうは思わない」


 彼女はびっくりした様子で俺を見ていた。

 たぶん、敬語を外したことと、ハッキリと否定的な主張を彼女にしたことの両方に驚いたのだと思う。


「今日……最高に楽しい一日だった。もっとレイナと……いろんな場所に出かけたいって思った」


 もっと彼女と近づきたい。


「ちょっとわがままなところも可愛いなって思う」


 もっと彼女と触れ合いたい。


 そう、俺は――。


「俺、レイナのこと……」


 好きだ。


 そう言おうとしたのだが……。


 言葉がつっかえて、出てこない。


「……」


 彼女は俺の言葉を待っている。

 早く言わなくては――。


「……レイナのこと……」


 やっぱりその先の言葉が続かない。


 そんな俺の様子を見た彼女は、優しく「直」と俺の名を呼んだ。

 そして、俺の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。


「……無理しなくていいよ?」

「……」

「私……直の気持ちが整理できるまで、待ってるからさ!」


 ――ああ。なんてことを……。


 俺は自分の言動をひどく後悔した。


 明るい声で言葉をかけてくれたが、たぶん――彼女を傷つけた。


「……本当に……ごめん」


 俺は彼女の腕の中で、中途半端で情けない自分に脱力した。

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