67話『決意と覚悟』
里実からの告白を、俺はしごく冷静に聞いていた。
「私……直に甘えてた。“トラウマを乗り越えるまで待つ”って言ってくれたから……。でも、ライバルの存在を知って……はじめて直と離れる未来を考えて……耐えられないなって思ったの」
里実は続ける。
「私ね、家事が得意なの。料理好きだし、掃除も嫌いじゃない。洗濯は……あんまり得意じゃないけど、直のためなら頑張れる。私たちは趣味も合うし、休日は家で本読んだり、アニメ見たり……お互いの好きなことを満喫できると思う。ささやかだけど……平穏な関係を築けると思うんだ」
里実は必死で俺に訴えかけた。
「お待たせいたしました」
ちょうど、オーダーしたメニューが一気に届いた。
恋愛ムードが一転、良くも悪くもリセットされた。
「返事は今すぐじゃなくていいけど……なるべく早いと嬉しいな。直、モテるし!」
里実はそう言って、「じゃ、焼こっか!」と俺に満面の笑顔を向けた。
「……そうだね」
俺の心はこの瞬間――固く決まった。
~~~
駅へ向かう帰り道――。
「お腹いっぱい!美味しかったね~」
「そうだね……」
「服にニオイついちゃったかも!」
里実はそう言って、くんくんと自分の服のニオイを嗅いだ。
「でもまあ、それも含めていい思い出だね♪」
ニオイを気にするどころか、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「あのお店、また一緒に行こうね?」
里実は、俺の左腕に自分の腕を絡めた。
俺は――その腕をゆっくりとはがした。
「……直?」
里実は不安そうな面持ちだ。
「ごめん……」
「え……何が……?」
表情がさらに歪んだ。
「告白の返事……ごめん……」
「……え……」
里実は呆然としている。
「里実といる時間は、心から落ち着けたし、癒された。間違いなく……自分らしくいられた。きっと……恋人になっても、さっき里実が話してたような――穏やかで心安らぐ日常が約束されてるんだろうなって思う」
「……じゃあ、なんで……」
「……でも、今の俺は……港区の街を知ってしまったから――。たとえ、今後傷ついても、傷つけられても……後悔しない。きっとまた、港区に戻りたいって思う」
この漠然とした理由が彼女に伝わるかわからないが――これが俺の覚悟だ。
「……気持ちに応えられなくて……本当にごめん……」
俺は駅の改札へ向かって、ひとり歩き出した。
「……直!」
里実は俺の腕を掴んだ。
「私も……港区女子になれるように努力する……だから……もう少しだけ、返事を保留にできないかな?」
「……え?」
「直の好みになれるように、努力するから……」
「いや……」
「どんな女性がタイプ?あ、この間、バーで会った港区女子みたいな人?私あんまり色気がないから……服装とかメイクとか、あの人に寄せてみる。だから……」
「そういうことじゃ……ないよ……」
彼女の必死の訴えに応えてあげられないことへの申し訳なさで、胸が痛くなり、言葉に詰まった。
「それなら……」
――痛ッ。
里実は俺の腕を掴んだ両手に力を込めた。
「今から、ホテルに行ったっていい……」
彼女の目は本気だった。
ぐいぐいと俺の腕を引っ張り、駅とは反対方向へと歩き出した。
「……里実」
彼女は俺の呼びかけに応じない。
「里実!」
腕にぐっと力を込め、その場に立ち止まった。
ゆっくりと俺のほうに振り返った彼女の目は――涙でいっぱいだった。
「もっと……自分を大切にしてほしい」
「……」
「無理して頑張ろうとしなくったって……里実はそのままで十分、魅力的なんだから」
彼女の目から、一筋の涙が頬をつたった。
「直って……最後まで残酷だよね。魅力的だって言うなら、私を選んでよ……」
「……」
「……ほんとに終わり……なんだね?」
「……ごめん」
絞り出すように謝罪の言葉を伝えると――里実は「……そう」とだけ言って、天を仰いだ。
そして、空に向かってつぶやいた。
「どこで……間違えちゃったんだろうね?」
俺は、今も里実のことが好きだ。
だから、里実と恋人になるルートは、確実にあったと思う。
だけど――他の女性の存在や自分の心境の変化もあって、少しずつ彼女とのズレが生まれ、好きの温度も変わってしまった。
恋愛は――タイミングや状況の変化で、大きく揺れ動く。
また一つ、大事なことを学んだ気がした。
「俺のこと……好きになってくれてありがとう」
最後は――感謝で締めようと、心に決めていた。
里実は一瞬俺を見た後、すぐにくるっと背を向けた。
「……もう行って……」
彼女の声は震えていた。
里実に背を向け、駅のほうに向かって歩き出す。
すると、後方から――里実がわんわんと泣く声が聞こえてきた。
だが、振り返らなかった。
それが、彼女に対する俺なりの誠意であり、俺自身の決意表明でもあったから。
こうして――俺は、里実との別れを選んだのだった。
帰り道――。
電車に揺られながら、俺は思った。
――もう、後には引けないんだな。
里実という安寧を捨てた。
まさか、自分がそんな選択をするとは思わなかった。
でも、自分の選択に後悔はない。
ふと、レイナさんとのLINEメッセージの画面を開く。
――レイナさんとのデートを先にするか……?
画面を閉じて、今度はInstagramの麗香さんとのDMの画面を開く。
――それとも、麗香さんともう一度向き合うのが先か……?
俺はLINEとInstagramを行ったり来たりしながら、迷いあぐねた。




