65話『Lesson12 恋はパッション』
「その手紙をきっかけに、自堕落な生活を改めて、今の会社を……」
ディーノさんは話を中断した。
「ナンデ、直が泣いてるのさ~!」
俺は、気づくと号泣していた。
「いや、だって……」
「泣きたいのは僕のほうだから!」
そう言って、ディーノさんは笑った。
「まぁ、もう20年近く前の話だけどネ」
ディーノさんは遠くを見つめ、物思いにふけっているようだった。
「今でも美央さんのこと……?」
無意識のうちに、口をついて出てしまった。
かなり野暮な問いかけだったなと、我ながら少し反省した。
だが、ディーノさんは即答した。
「うん。今でも、そしてこれからも彼女だけを愛してる」
彼の言葉には並々ならぬ覚悟がにじんでいた。
「僕が生涯愛したいと思うのは美央だけだから、特定の誰かを愛することはできない。だけど――別の形でなら、世界中の女性を幸せにできるんじゃないかって思ってネ。今の会社を起業したんだヨ」
ディーノさんは一転、ふいに寂しそうな表情を浮かべて「でも」と続けた。
「でもネ……やっぱり僕は……今でも美央に病気のことを話してほしかったなって思う。治療の副作用で髪がなくなっても、どれだけ頬がこけてしまっても、美央は美央。どんな姿になっても、最期まで彼女の隣にいたかった」
そう言って、切なそうに笑った。
「女性は男性よりも心の内が複雑で、想像以上にいろんなことを考えてる。一筋縄じゃいかない」
恋愛経験ゼロの俺だが、ディーノさんのこの主張には妙に納得した。
彼女たち――麗香さん、レイナさん、里実の心の内を読み解くことに、今まさに苦心しているから――。
「僕はさ、直がどんな選択をしたとしても応援するヨ」
「……はい」
「経験上、僕が言えることは……知らぬまま後悔するより、知って後悔したほうがよっぽどいいってこと。お互いを想えばこそ、なあなあにしてしまうことも多いけど、たとえ傷ついても知る勇気を持つこと。これが、僕から言える最後のアドバイス」
ディーノさんは、いままでにないほど優しい眼差しを俺に向けていた。
「最後なんて言わないでください……俺……男としてまだまだ未熟者だし……」
首を左右に振って、彼は俺の主張を否定した。
「そんなことない。直はとっても成長したヨ!今日の修羅場は、キミの成長の証でもあるんだし」
「……俺……麗香さんも、レイナさんも、里実も……全員のことが好きなんです。誰も……傷つけたくない。だからこそ……たくさん悩んで、考えてきたつもりだったんですけど……結果的に、みんなを傷つけてしまいました……」
誠実で真面目であることこそ、自分の取り柄だと思ってきた。
誰に対しても、そのように振る舞ってきたつもりだ。
だが――深く踏み込むことを避け、全員に対して中途半端にいい顔をした結果がこれだ。
それに、俺の本音はもっと醜い。
キスしたい、抱きしめたいといった情欲。
相手の行動に対する不信感。
周りの人の目に触れさせたくないという独占欲。
その場の雰囲気に流されてしまいたいと思う浮気心。
表向きは誠実そうに振る舞ってはきたが――心の中はどろどろとした感情が渦巻き、矛盾と葛藤の連続だった。
恋愛をしなければ、きっと知らなかったであろう自分の一面。
こんな自分――知りたくなんてなかった。
「直さ、自作の恋愛指南書、持ってる?」
「……え?はい……」
いきなりどうしたのかと、戸惑いながらもカバンからノートを取り出す。
ディーノさんはそのノートを手に取り、裏側に向ける。
そして、ある特定の場所を指さした。
「……『恋はパッション』?」
「そ!」
ディーノさんは天井を見上げ、一点を見つめた。
「相手への“好き”が強いほど、人って強い感情を引きずり出される。自分が自分じゃなくなるほどにネ」
たぶん、美央さんのこと想っているのだろう。
「僕も直と同じように、トモミちゃんやニナちゃん、そして、レイナちゃん、全員のことが大好き。だけど、美央に対して抱く感情って――他の女性に向けるものより、ずっと醜くて、重たいし、不格好。でも、だからこそ……僕にとって美央は、誰よりも特別なんだ」
ディーノさんは俺に語りかけているようでいて――天の上の美央さんに向けて、気持ちを伝えているのかもしれないと思った。
「誰に対しても誠実であろうとするところは、直のいいところだけど……恋愛って、そんなに純粋でピュアなものじゃない。ぐっちゃぐちゃで、どろっどろ」
「……ぐちゃぐちゃで、どろどろ……」
ディーノさんは笑った。
「要は、パッションってこと!頭で考えるんじゃなく、最後は結局、どれほど相手に夢中になれて、感情が突き動かされたか、だヨ!」
ディーノさんは「頑張れ!」と、俺の背中をポンポンと優しく叩いた。
23時半。
帰宅の電車内――。
座席が空いたタイミングで腰を下ろし、俺はひとり、ぐったりと身体を委ねた。
――疲れた……。
今日は1日がとても長く感じた。
それだけ、今日起きた出来事が濃密すぎたということだろう。
俺はカバンから再びノートを取り出し、裏側に向ける。
――恋はパッション……か……。
この言葉がまさか――自分の恋の行方を大きく左右することになろうとは……ディーノさんに一筆入れてもらった時の俺は、思ってもみなかった。
自分が3人と、これからどう向き合うべきか――なんとなく糸口はつかめた気がする。
まず最初に、ちゃんと向き合って話したい相手は――。
デートの日程調整のため、LINEを開いた。




