63話『ディーノの過去【前編】』
僕――ディーノ・レオーネは、イタリア人の父母のもとに長男として生まれた。
生まれも育ちもイタリアのミラノ。
ごくごく普通の家庭でのびのびと暮らし、日本とはまったく無縁の生活を送っていた。
大きな転機が訪れたのが、20歳の時。
たまたま旅行で訪れた日本で、その文化の違いに衝撃を受けた。
『この国をもっと知りたい』
直感的にそう思った僕は、すぐに日本への留学を決めた。
当然、はじめはまったく慣れずにたくさん戸惑った。
とくにイタリアとの違いを感じたのが、日本特有のおもてなし文化。
相手が求めていることを汲み取って先回りしたり、相手に負担を感じさせないよう準備したり――。
相手を思いやる精神が強い国だから、日本人は生まれながらに、自然とそうした所作や振る舞いが身についている。
でも、僕はそういうのが苦手。
相手を思うよりも、自分がどう思うかが大事だと思っていたし、相手に合わせて無理をするのは自分の性にも合わなかった。
正直に言うと……面倒くさい文化だな、なんて思ってた。
そんな僕を変えたのが、最愛の人――橘 美央だった。
美央との出会いは21歳の時。ふらっと立ち寄った六本木のバーだった。
20年以上も前のことだから、今はもう――そのバーはなくなってしまったけど。
僕にとって原点ともいえる、とても大切な場所だ。
今でも、彼女とはじめて出会った時の衝撃は忘れられない。
酒に酔ってテンションが高い客が多い中、美央はひとり、カウンターで静かにワインを嗜んでいた。
真っ白のふわっとしたロングワンピース姿で、周りのほとんどの客が、黒やグレーなどの暗めの色のスタイリングだったからか、余計に目立って見えた。
長身で色白、切れ長の目が印象的で、どこか憂いを帯びたその瞳に引き込まれた。
周りのざわめきを意に介さず、それでいてその場に自然と溶け込んでいる彼女の佇まいは、控えめで奥ゆかしく、まさに日本人の気質をそのまま体現しているかのように、僕には見えた。
一目惚れ。
後にも先にもはじめての経験で、僕の中でドンと雷が落ちた感覚だった。
店員さんに美央とは離れたカウンター席に通されたけれど、空いていた彼女の隣の席に移動し、すぐさま交際を申し込んだ。
彼女の答えは――「No」。
僕はイタリアではかなりモテたし、自分の容姿に自信があった。
告白を断られた経験がなかった僕にとって、はじめての屈辱であり、同時に心の導火線に火をつけるきっかけにもなった。
その後――僕はその店の常連だった美央に会うため、毎日店に通った。
片言だった日本語を猛勉強し、恋愛関連の書物も片っ端から読み漁った。
でも、彼女はすぐに心を開いてはくれなかった。
それから、1か月後――。
いつも、興味なさそうに適当に僕の話をあしらってきた彼女が――はじめて、僕に質問を投げかけた。
「あなたのこと、なんて呼べばいい?」
後に聞いた話だけど、僕の熱意に根負けしたらしい。
そこから僕たちは、急速に距離を縮めた。
はじめは友達として。
そして、改めて正式に彼女に交際を申し込んだのは……確か、美央と出会って3か月が経った頃だったと思う。
でも――すぐに「Yes」の返事をくれなかった。
理由は明白で、彼女が僕との年の差を気にしていたから。
21歳だった僕に対して、美央は36歳。15歳差だった。
僕は交際後、すぐにでも彼女と結婚したいと思うほどの覚悟を持っていたし、本気で彼女を愛していた。だから、年の差なんてまったく気にしなかった。
でも、美央は違った。
たぶん――僕の将来のことを思って、安直に返事をするべきじゃないと考えたんだと思う。彼女はとても賢くて、他人を誰よりも思いやる人だったから。
だけど、当時の僕としては、お互いの気持ちが通じ合っているはずなのに、なぜ彼女はYesと言ってくれないのか――自分の努力不足が原因なのか、僕のことを本当は愛していないのかと……ずいぶん美央を責め立ててしまったなと思う。
本当に――当時の僕は未熟だった。
結局、美央は僕の説得に折れる形で、交際がスタートした。
交際中は――毎日本当に幸せだった。
ほぼ毎日電話で連絡を取り合って、週末は共通の趣味である旅行に出かけた。
ごくごく普通の日常の積み重ねだったけれど、その1日1日が、僕にとっては特別だった。
もちろん、たくさん喧嘩もしたよ。
交際後もやっぱり自分勝手な気質が強かったから、「レオはもっと女心を学ぶべき!」って怒られて、日本人女性が喜ぶ言動や振る舞いをずいぶん叩き込まれたよ。
そのおかげで――日本人が大切にする「他人を思いやる心」について学べたから感謝してる。
あ、彼女が勤め先の人と浮気してるんじゃないかと疑って、会社まで押しかけて修羅場になったこともあったなぁ。あれは、最大の別れの危機だったよ。
でも、困難なことが起こるたび、たくさん話して、お互いを理解し合って――信頼関係を積み重ねていったと思う。
交際から1年ほどで同棲生活を始めて、いつしか「レオは完璧すぎる彼氏」なんて、彼女に冗談交じりで言われるくらいには男としても成長して――このまま美央と結婚するんだって、信じて疑わなかった。
だけど、別れは突然訪れた。
交際スタートから2年という節目を迎える日の前日。
美央は忽然と――自宅から姿を消した。




