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62話『サシ飲み』

 麗香さんが去った後――。

 俺は呆然としたまま、『Lv.∞』(レベルインフィニティ)に戻った。


「直くん……ごめんね……」


 レイナさんが落ち込んだ様子で、肩をすぼめている。


「いえ……全然……大丈夫ですよ?」


 そう言いながらも、当然、状況は何ひとつ変わっておらず、悪いまま。

 心はざわついていた。


「レイナちゃんは……直のこと、本当に好きなんだネ」


 レイナさんと麗香さんのやりとりの間――ひと言も発することなく、ただ見守ることに徹していたディーノさんが口を開いた。


「……うん」

「直のことを思っての行動だったんだよネ?」

「……うん」

「好きって気持ちに真っ直ぐなのが、レイナちゃんらしさだと思うし、僕はそういうレイナちゃんが大好き」


 ディーノさんは彼女を肯定しながらも、「でも」と彼女を諭すように続けた。


「でも……ちょっと一方的だったかもしれないネ。麗香さんもたぶん、レイナちゃんと一緒。直のことを大切に思っているから、言動に慎重になるし、嘘もついちゃう。麗香さんは、不誠実というよりも不器用なだけじゃないかナ?」


 レイナさんはディーノさんの言葉に小さく「……うん」と頷き、俺に向かって「本当にごめんね」と再び謝った。


 ディーノさんは「大丈夫だヨ?」と、レイナさんの肩をポンポンと優しく叩いた。


「僕はネ、あれは――みんなにとって必要な時間だったと思うから」


 必要な時間――というのは、先ほどの修羅場が、ということか。


「どうして……そう思うんですか?」


 緊張感で張り詰め、凍りついた恐ろしい雰囲気――。

 今思い出しても身震いしてしまう。

 修羅場なんて、ないほうがいいに決まっている。


 腑に落ちなかった。


「直さ、ぶっちゃけずっと気になってたんじゃない?麗香さんと智也さんが抱き合ってたこと」

「……まあ……そうですね」

「モヤモヤを抱えたままだと、何事に対しても相手に対して疑り深くなっちゃう。そのままうやむやすると――仮に恋人になったとしても絶対うまくいかないヨ」

「……たしかに……そうですね」

「どこかで、きちんと麗香さんと向き合う必要があった。そして、レイナちゃんの勇気ある行動のおかげで、改めて3人がお互いと向き合うきっかけを作れた。だから、みんなにとっては必要な時間だったんじゃないかナ?」


 レイナさんはずっと落ち込んだ様子で下を向いていたが、ディーノさんの言葉を聞き、顔を上げて彼に視線を向けた。


 ディーノさんはすかさず、優しく微笑みかけた。


「ディーノさん、ありがと」


 レイナさんは少し元気を取り戻した様子だった。


「ディーノさん、ありがとうございます」


 俺も彼に感謝の気持ちを伝えた。

 たぶん――自分だったらレイナさんを励ますことなどできなかったと思う。


 ディーノさんの存在が、本当に心強かった。


「いいヨ、いいヨ~!若い子たちの恋愛模様、楽しいネ!」


 ディーノさんはそう言って、意地悪っぽく笑った。


「それじゃ、私……今日は帰るね」

「エッ!レイナちゃん、帰っちゃうの?」


 時計を見ると、時刻はまだ21時前だ。


「うん。さすがに、麗香さんを差し置いては……ね……」


 そう言って、彼女は苦笑いを浮かべた。


「直くん、もしよければ……またふたりでデートする時間もらえないかな?」


 レイナさんは緊張した面持ちで、俺の顔色をうかがっている。


「もちろんです。あの……ありがとうございます。俺なんかのこと……好きでいてくれて……」

「え……あ、うん……」


 彼女は恥ずかしそうに下を向いた。


「それじゃ、また連絡するね!」


 こうして――レイナさんは帰っていった。


「じゃあ……直と僕――ふたりで飲みなおそうかネ?」

「誰か女性呼びますか?トモミさんとか、ニナさんとか……」

「No。今日はふたりで飲もう?」


 ディーノさんが男同士のサシ飲みを、前のめりで提案してきたのは意外だった。


「……わかりました」


 ディーノさんの要望でカウンターに移動し、席につく。


純太(じゅんた)さん、いつものワインもらえますか?」


 ディーノさんは、カウンターの向こう側にいるマスターにオーダーをした。


 マスターは、ヒゲをたくわえたダンディなおじさんで、とても寡黙な人だ。

 以前、カウンターで飲んだ時、オーダーのやりとりはしたが――くだけた話をしたことはないし、自分から積極的に客に話しかけている様子もほとんど見たことがない。


 『Lv.∞』(レベルインフィニティ)は常に、マスターと馴染みの店員さんのふたり体制。いつも対応してくれる店員さんは、自分と年齢もそう変わらないほど若く見え、話しかけやすいのだが――。


 マスターを下の名前で呼べるディーノさんは、やっぱりすごいなと思った。


「ディーノさん、マスターと親しいんですか?」

「うん。僕の最愛の人のお兄さんだからネ」


 “最愛の人”――。

 彼は以前も、その存在をチラつかせていた。


「最愛の人って……一体どんな人なんですか?」


 ディーノさんは、目の前のワイングラスを見つめながら、柔らかく穏やかな表情を浮かべた。


「僕なんかよりも余裕があって、大人で、思いやりにあふれた人。それでいて……自分勝手でわがままな人……かナ?」

「……大人なのに自分勝手って……対極じゃないですか?」

「あはは!確かにそうだネ~!」


 ディーノさんはくったくのない笑顔を見せた。

 しかし、ほんの一瞬だったが――彼の瞳が、切なそうに影を落としたように見えた。


「なんか……今日の直たちを見てたら、若い頃の自分の恋愛を改めて思い出してさ~」


 昔の記憶に思いを馳せるように、どこか遠くを見つめた後――。


「僕のチョット恥ずかしい恋愛話、聞いてくれる?」


 そう言って、俺に視線を向けた。


「……もちろんです」


 そうして――ディーノさんは懐かしそうに、過去を語り始めた。

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