61話『修羅場』
その場の空気が一瞬、凍り付く。
俺の胸騒ぎの予感は――きっとこのことだったんだろう。
とんでもない修羅場だ。
俺は、頭が真っ白になった。
「レイナちゃん!どうしたの?」
その場の空気を変えたのは、ディーノさんだった。
彼は立ち上がってレイナさんのもとに行き、軽くハグをしながら彼女の右頬にそっとキスをした。
「えへへ~突然ごめんね!今日はどうしても来たくって」
レイナさんは、今日も全身黒のコーディネートで、クールな雰囲気をまとっていた。
麗香さんとの対照的なスタイリングが、妙に俺を緊張させた。
ディーノさんはレイナさんをエスコートし、ソファに並んで座った。
レイナさんは、麗香さんの真正面。
ふたりは視線を交わした。
「あの……あなたは?」
麗香さんが恐る恐る、レイナさんに問いかける。
「レイナ」
彼女は名前だけ告げた。
「あなたは、麗香さんでしょ?」
「なんで私のこと……?」
「直くんから聞いてるから、あなたのこと」
レイナさんと麗香さんの視線が俺に向いた。
冷や汗が止まらない。
何をどう話したらいいかわからず、口をつぐむ。
「この間の水曜日、22時半頃――麗香さん、六本木にいましたよね?」
――えっ……。
ドッドッドッと、心臓の鼓動が一気に早まった。
レイナさんも、ディーノさんと同様、まどろっこしい質問などしない。
直球勝負だ。
「……はい。ひとりで……飲んでました」
――あぁ……。
目の前が真っ暗になった。
それが嘘だって、俺たちは知っているから――。
「ひとりで……ねぇ?」
レイナさんは眉間にシワを寄せている。
「私たちがあなたを見かけた時――あなた、男とふたりで抱き合ってましたけど?」
麗香さんは驚いた様子で、レイナさんを見ている。
「あれは、人違いですかね?」
レイナさんは追い打ちをかけた。
少しの沈黙の後――麗香さんはうつむき、消え入りそうな小さな声で応えた。
「……人違いじゃないです……すみません…」
ひどく落ち込んでいるのが伝わる、苦しそうな表情だった。
「謝るなら、直くんに、じゃないですか?彼、あなたが他の男と抱き合っているのを見て、とてもショックを受けてたんですから」
麗香さんは俺を見た。
「ごめんね……嘘ついて……」
彼女は覇気のない声で、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あの日――事情があって落ち込んでて、ひとりで飲んでたんだけど……酔っぱらって……気づいたら智也を呼び出してたみたいなの」
どうして、俺に電話をかけてくれなかったのか――。
智也さんと麗香さんの関係には、やっぱり敵わないということなのか――。
「ひとしきり泣いた後、帰ろうとしたんだけど……智也に……告白されたの」
「え……?」
俺は思わず声を漏らした。
智也さんからは、確かに宣戦布告をされてはいたが――先手を取られたということか……。
「その時に抱きしめられたところを、見たんだと思う。直くんには……知られたくなかった。……本当にごめんなさい……」
麗香さんは口をつぐんだ。
今にも泣きだしそうに、その表情は歪んでいた。
「……謝ることないですよ?俺たち……付き合ってるわけじゃないんだし……いちいち報告しなくても――いいですから……」
彼女をフォローしようと、咄嗟に言葉を並べ立てたが――なぜか胸がきゅっと締め付けられて、言葉に詰まった。
「そう……直くんは、誰とも付き合ってるわけじゃない。そうだよね?」
レイナさんは俺に、改めて再確認した。
「……はい」
俺は小さく頷いた。
「だから、私にもチャンスがあるってわけ」
「え……?」
うつむき加減だった麗香さんは、レイナさんに視線を向けた。
「私、直くんが好きなんです」
レイナさんは麗香さんから目線を逸らさず、続ける。
「私がつらい時、そばにいてくれたのが彼でした。不器用だけど、ずるいほど、優しくて誠実で……気づけば、ずっとそばにいてほしいなって思う存在になってました」
レイナさんは、いままで見たことがないほど真剣だ。
「でもね――彼にとってあなたは特別で、一番大切な人だから。どうせ、私は負けヒロインだって諦めてました。……だけど、変に隙を見せたり、嘘をついたり、思わせぶりな態度を取ったり……正直――私、今めちゃくちゃあなたにムカついてます」
レイナさんの表情は変わらない。
対する麗香さんは、視線を落として黙り込んでいる。
「あなたは直くんのこと、どう思ってるんですか?」
レイナさんは、先ほどのディーノさんと同じ質問をした。
あの時は――麗香さんは俺のほうを見て、確実に何かを言おうとしていた。
だが、今の麗香さんはピクリとも動かない。
視線を机のほうに落としたままだ。
「……」
「……何も言わないんですか?」
「……」
「ほんっと……そういうところが……」
レイナさんは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
あからさまにイライラしている様子だった。
その場の空気が再び凍り付いた。
しばらくの間――しゃべることも、飲むことも許されない雰囲気に包まれた。
「……私のせいで……ごめんなさい」
その場の空気を破ったのは、ずっと沈黙していた麗香さんだった。
彼女はそのまま荷物を持って、部屋を飛び出した。
数秒遅れて――。
「……麗香さん!」
俺は彼女を追いかけた。
そして、外の螺旋階段を上った先で彼女に追いつき、咄嗟に腕を掴んだ。
「……麗香さん、あの……」
何を言えばいいのか、まったく考えがまとまっていない。
でも、何か――何か言わなくては……。
「大河内くん……本当にごめんなさい」
この瞬間――完全に一線を引かれた気がした。
俺は反射的に彼女の腕を離した。
「少し……考える時間がほしいの……」
麗香さんはそう言って、六本木の街に消えていった。
俺はそれ以上、彼女を追いかけることはしなかった。
61話をお読みいただき、ありがとうございました!
次話からいよいよ、最終章『決断編』に突入します。
直の決断をぜひ温かく見守っていただけますと幸いです♪
(評価やリアクションもぜひお願いいたします!)




