60話『胸騒ぎ』
土曜日――。
「直くん!」
18時15分。
麗香さんと六本木駅で落ち合った。
「今日、とっても楽しみにしてたよ♪」
麗香さんはワクワクした様子で、いつもよりテンションが少し高いように感じる。
「俺も……楽しみにしてました!」
対する俺は、気丈に明るく振る舞って見せているものの、気分は冴えない。
彼女と智也さんとの関係に対して生じたモヤモヤが、まったく晴れていないからだ。
「『Lv.∞』って、どんなお店なの?」
「バーなのでお酒の種類が豊富なのはもちろん、食事のメニューもたくさんあります。とくにチキンカレーが美味しいですね。雰囲気は、港区らしくラグジュアリーで大人な感じですけど…どんな人でも受け入れてくれるような――そんな懐の深さがある素敵な場所です」
里実には……あまり気に入ってもらえなかった。
麗香さんはどうだろうか――。
「そっかぁ。直くんにとって、とっても大切なお店なんだね」
麗香さんはそう言って、柔らかな優しい笑みを浮かべた。
『Lv.∞』は、俺の原点ともいえる特別な店。
そして、そこに行くきっかけを作ってくれたのが麗香さんだ。
だから、今日という日は俺にとって大きな意味があるし、彼女にとっても特別な1日になってほしいと願っている。
「でも、私、港区女子たちの中に溶け込めるかな~?」
麗香さんは少し不安そうに、俺に視線を向けた。
今日の麗香さんは――ノースリーブのトップスに、タイトなロングスカートの組み合わせで、全身白のコーディネート。彼女の細身のシルエットが際立つスタイリングだ。
港区の街に違和感なく溶け込めているのはもちろん、むしろその中でもひときわ輝きを放つ上品さと美しさだ。
本当は――目立ってほしくなどない。
すれ違う人全員が、彼女にいやらしい目を向けているように感じてしまう。
俺だけの麗香さんでいてほしい――。
「大丈夫ですよ?麗香さんは麗香さんらしくいてくれれば、それで十分です」
上辺の言葉で取り繕い、笑顔で会話を続けながらも、腹の中は真っ黒だった。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、いつもと変わらない声のトーンで、店員さんが俺たちを出迎えた。
「今日もお世話になります」
「ディーノ様が先に来られていますので、ご案内いたしますね」
いつも通りのやりとりで、席に案内される。
店内も相変わらず、派手な騒がしさはなく、普段通りの落ち着いた空気が流れている。
それなのに――店に入った瞬間、妙な胸騒ぎがした。
どうしてなのか、わからない。
だからこそ――怖い。
「とってもいい雰囲気だね!」
見えない不安と戦っている俺とは対照的に、麗香さんは後ろから高揚感をはらんだ声色で話しかけてきた。
せっかくの麗香さんとのデートだ。
お店を気に入ってくれている様子だし、何を心配することがあるだろうか。
「気に入ってもらえて嬉しいです!」
俺は心の中に生じた不安をかき消すように、彼女に笑顔を向けた。
「麗香さん、久しぶりだネ~」
「お久しぶりです…って言っても、数日前ぶりですけど!」
「確かに!」
ディーノさんと麗香さんは、ほぼ初対面とは思えないほど自然に挨拶を交わした。
俺たちは、テーブルを挟んで、ディーノさんとは対面のソファに座った。
里実の時のように、麗香さんの隣に移動してくるかと思ったのだが――彼は俺たちを正面にしたまま話し出した。
「麗香さんって、直の会社の先輩なんだよネ?」
「そうですね」
「直って会社でどんな感じ?」
「すごく真面目で努力家なので、エンジニアとしてとっても優秀ですよ。お客さんからの問い合わせに対して、一つひとつ丁寧だし誠実です」
彼女はニコっと微笑み、俺に視線を投げかける。
「いやいや……そんな、全然です……麗香さんのほうがずっとすごいでしょう?」
「直くんは私を過大評価しすぎだよ?人事部は現場とは違って、お客さん対応もしないし」
「人事部って、エンジニアとして成果をちゃんと出せた人しか異動できない花形部署だって聞きました。仕事ができて、華もあって……人事部は麗香さんにしか務まらないです」
「……えぇ……そうかなぁ……?」
俺たちは視線を絡ませ、互いに微笑み合う。
「ネ~~僕を置いてイチャイチャするのやめてヨ~~」
「えっ!……いや、イチャイチャとかでは……」
慌てふためきながら否定した。
だが、ディーノさんは追い打ちをかけるように攻め立てる。
「偶然会った時だって、手つないでラブラブだったくせに」
「いや……それは……」
弁解のしようがない事実だ。
「キミたちってさ……すでに付き合ってるノ?」
ディーノさんはすべてを知っているくせに……。
あえてこの質問を投げかけてきたのが、憎らしいなと思った。
俺はチラッと麗香さんのほうを見た。
すると――彼女も俺を見ていた。
くりっとした大きな瞳。
その目が期待している、俺の答えは――?
「……付き合ってないです」
麗香さんの真意はどうしたってわからないが――やっぱり、彼女に「好き」と伝えないまま、自分たちは交際中だと勝手に判断するのは不誠実だと思った。
ディーノさんは俺の答えを聞いてすぐ、麗香さんを見た。
「麗香さんはさ、直のこと、男としてどう思ってるノ?」
里実のときと同様、彼の質問はド直球だ。
俺は麗香さんを見る。
すると、麗香さんはまたしても俺のほうを見ていた。
彼女が次に発する言葉に期待しつつ、ごくりと生唾を飲んだ。
「私は……」
ほんの一瞬、空気が張り詰めた。
その時だった。
「直くん」
俺を呼ぶ声がした。
麗香さんでも、ディーノさんでもない声――。
俺は声のしたほう――半個室の入り口付近に目をやる。
すると、そこには――。
レイナさんが立っていた。
「来ちゃった」
俺に向かって笑顔でそう告げると、レイナさんは麗香さんのほうを見て不敵な笑みを浮かべた。




