58話『泥酔』
「麗香さんって……直くんの本命?」
「……はい」
俺は目の前の光景が信じられず、呆然と立ち尽くす。
「本当にそうなの?だいぶ遠いけど?見間違えじゃない?」
何度も目をこすってみたり、瞬きを強めにしてみたりした。
だが、やはり――。
「今日の出社時と……ふたりとも、まったく同じ格好なので……」
「ふたりともって……男のほうも直くんの会社の人なの?」
「……」
先日の日曜日は、まるで恋人のように過ごしていたはず。
彼女もきっと、俺に好意があるんだと、そう確信めいた感覚があった。
だからこそ――目の前の状況が、にわかには受け入れがたい。
ふたりの目の前に、1台のタクシーが止まった。
彼らはそのまま車内に吸い込まれ、六本木の街に消えていった。
「……直くん?」
「……」
「……直くん」
「……」
「ねぇ、直くんってば!」
レイナさんの大きめの声で、ようやく現実に戻ってきた。
彼女のほうを向くと、心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込んでいた。
「とりあえず、お店行こう?」
「……はい」
俺たちはそのまま『Lv.∞』へ向かった。
「で、さっきの件なんだけど……」
レイナさんは席につくなり、軽い世間話や慰めの言葉などまったくなく、ド直球に質問してきた。
「さっきのふたりって付き合ってるの?」
「いえ……付き合ってないって、本人たちから聞いてます……」
「ふたりとも直くんの会社の人ってことだよね?」
「……はい。麗香さんと智也さんは、ふたりとも人事部の同期同士で……俺の先輩です」
レイナさんは「なるほどね……」とつぶやいた。
そして、少し沈黙した後、俺への問いかけを続けた。
「直くんは……麗香さんとどんな感じなの?」
「……この間の日曜日、はじめてふたりで出かけました……」
「……そっか。どんな感触だった?」
「彼女も……俺のこと……好きなのかなって……」
「……なんで……そう感じたの?」
「いままで苗字だったのに、名前で突然呼ばれたり……かっこいいって言われたり……向こうから手をつないできたりしたので……そうかなって……」
レイナさんは口をつぐんだ。その表情は明らかに歪んでいた。
本来の自分だったら、その理由を聞き出して、フォローを入れただろう。
だが――今はそんな余裕など、微塵もなくなっていた。
俺は一転、前のめりで彼女に意見を求めた。
「あの……レイナさんは客観的にどう思いますか?俺が麗香さんにされたことって、別に好きのサインじゃないってことですか?好きかもってのは、俺の思い違いってことなんですかね?俺、恋愛初心者すぎてわからなくて……」
レイナさんは目を伏せて、無言のまま。
「ねぇ、レイナさん」と、彼女の腕を掴んだ。
すると、彼女は俺の手を勢いよく振り払った。
俺はその反動で、少し後ろにのけぞるような格好になった。
反射的に取った行動だったようで、レイナさんは俺のほうを見て「ごめん……」と言った。
「私にはよくわからないや……私、麗香さんじゃないし」
「そう……ですよね。すみません」
「いや、私のほうこそごめん……」
俺とレイナさんの間には、気まずい空気が流れる。
しばらくの沈黙の後――重苦しい空気を変えたのは、レイナさんだった。
「……今日は飲もう」
「……え?」
「飲んで忘れよう?こういう日は。それが一番!」
「いやいや……でも、ちゃんと考えて策を練ったりしたほうが……」
「考えたってわかんないじゃん?そもそも、もしかしたらさっきのは人違いだったかもしれないし、逆に、麗香さんが超ビッチな女だって可能性だってある。でも、真相はいくら考えたってわかんないでしょ?」
「まあ、確かに本当のところはわかんないんですけど…」
「でしょ?はい、飲む飲む!」
レイナさんは俺の手にハイボールを持たせた。
彼女の言うことはごもっともだ。
あの状況を読み解こうとすればするほど、無限に可能性が考えられるからキリがない。
それはわかっているのだが――思考が止まらない。
麗香さんは、どんな気持ちで智也さんに抱きしめられていたのだろうか。
遠すぎてふたりの表情はまったく見えなかった。
無理やり?それとも、自ら進んで……?
もしかすると、先を越されて、智也さんが麗香さんに告白を……?
麗香さんを誰かに取られるなんて嫌だ。
麗香さんは俺だけの――。
「冷たっ」
頬に冷たい感触を感じて横を向くと、レイナさんが自分のハイボールのグラスを俺の頬にあてたようだった。
「楽しく飲もう?ね?」
レイナさんは俺を元気づけるように、笑顔で乾杯を促した。
「そうですね……!」
彼女の心意気を汲み、気丈に振る舞った。
俺たちはカチンと景気よくグラスの音を鳴らし、雑念を振り払うかのごとく、ふたりして一気にお酒を流し込んだ。
そして、もう1杯、もう1杯と、気づけば何杯飲んだのかもよくわからなくなっていた。
その後の記憶は――途切れ、途切れ。
こんなにたがを外して飲んだことは、社会人になってからはじめてだ。
真面目で誠実であることが自分の長所であると自負しているので、それに恥じない行動をと自分を律してきた。
だが、この日だけはダメだった。
考えることをやめるため、お酒に頼ってしまった。
おぼろげだが――店から出て、レイナさんとともにタクシーを待つ間のやり取りだけは覚えていた。
「……どんな顔して次……麗香さんと会えば……」
「次……?いつどこで?」
「え~?今週の土曜日!場所は……またまた『Lv.∞』で。う~ん、レイナさんもくる?」
「……行く~!」
ふたりして泥酔していたから、彼女は忘れているだろう。
いや、忘れてもらわないとまずい……。
そして、それよりも――今のこの状況のほうがもっとまずい……。
日付変わって、現在は午前6時。
見覚えのない部屋。
見渡すと、化粧台、テレビ、ソファ、仕事用らしいデスクと、物は多いが整理整頓されている。
だが――それとは対照的に、床にはバッグや靴下、ビールの空き缶などが散乱している。
俺は上半身だけ裸の状態。
そして、俺の傍らには――。
タンクトップ姿とラフな装いのレイナさんが、スヤスヤと眠っている。
――俺……何やらかしたんだあああああああ!!




