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50話『綱渡り』

「いらっしゃいませ」


 入店と同時に、いつもの店員さんの落ち着いた声がした。


「いつもありがとうございます。ディーノさん来てますか?」

「いえ。まだいらしていません。先にお席にご案内いたしますね」


 店員さんの後ろに続きながら、さりげなく視線を店内全体に巡らせる。

 カウンター、テーブル、個室――可能な限りざっと見渡したが、レイナさんはいないようだ。


 俺はほっと胸をなでおろした。


 いつもの半個室に通され、腰を下ろす。

 さりげなくスマホに目をやると、ディーノさんからLINEが来ていた。


『ちょっとだけ仕事で遅れる!』


 俺は『了解です。先にはじめてます』と、返事をした。


「ディーノさん、少し遅れるみたい。はじめてようか」

「あ……うん」


 里実はなんとなく、そわそわとした様子だ。


「どうかした?」

「あ……うん……こんな大人なバーに来たのが初めてだから……落ち着かなくて」

「そっか。でも、とってもいい雰囲気でしょ?ほっとする、というか」

「うん。素敵なお店であることには間違いないんだけど……私はまだ慣れないかも……」


 里実は下を向き、肩をすぼめている。


「お酒でも飲んで、肩の力、抜いてこ?」


 一杯目、俺はシャンパンを、彼女はカシスオレンジをオーダーした。


「直って、こういう感じのお店よく来るの?」


 飲み物をオーダーし終えると、里実が小声で俺に問いかけた。


「こういう感じって…?」

「ザ・港区って感じというか……ラグジュアリーなお店」

「いや。そんなに頻繁には行かないよ。新卒1年目だから、お金にも限界あるし…でも、もっと港区のレストランを開拓したいなぁとは思うよ」


 港区の街と接点ができて以降、視野が広がってとても楽しい。


 はじめのうちは、何もかもが俺の住む街・巣鴨や地元とは違いすぎて、そのギャップにまったく慣れなかった。でも、都内のたくさんの街をデートリサーチがてら練り歩き、そのたびに新たな発見があった。


 なんか東京って面白いかも――そう思った。


 だから、これからも都内のいろいろな場所に行ってみたいと思っている。


「そうなんだ……なんか意外かも」


 里実はポツリとこぼす。


「え?何で……?」


 彼女が何を考えているのかよくわからず、モヤモヤした。


「直ってインドア派なのかなって思ってたから。マッチングアプリのプロフィール、趣味がアニメと資格勉強って書いてあったし……」


 そう言われて、俺はハッとした。


 半年以上前の俺は、たしかに極度と言っていいほどのインドア派だった。


 基本は自宅で過ごし、病院も買い物も――可能な限り、巣鴨近辺で済ませるようにしてきた。自分のテリトリーの外に出ることが嫌だった。


 だが――今はどうだろう。

 自分のテリトリーを広げたくて仕方がない。


 港区の街へ一歩踏み出したことが、自分の心境にも大きな変化をもたらしていたことに俺は気づいた。


「もちろんアニメも勉強も好きだけど……今はもっと東京を知りたいというか!」


 俺がそう言うと、里実は一瞬だが――悲しそうな表情を見せた。


 俺の言葉の何が、彼女を不安にさせたのかわからない。

「里実、どうかした?」と言いかけたところで――。


 “あの男”が颯爽と現れた。


「Hi~!遅くなってごめんネ~!」

「ディーノさん!」


 良くも悪くも、その場の空気がガラッと変わった。


「キミが里実さん?はじめまして。ディーノです!」

「あ……はじめまして……里実です」


 ディーノさんは挨拶を済ませると、さも当然のように里実の隣に座った。

 真正面のソファ席が空いているのに、あえて横並びに座ったのだ。


 里実を中央に男ふたりが挟む、よくわからない絵面になってしまった。


「ディーノさん、正面のソファ空いてますけど…」

「エ~~僕、里実ちゃんと親睦を深めたいからココがイイヨ~」


 ディーノさんは「ネッ」と里実に同意を求めた。

 対する里実は、「そうですね…」と、少し困ったように苦笑いを浮かべている。


 ――何考えてるんだ、この人……!?


 俺は眉間にシワを寄せて、ディーノさんを軽く睨んだ。


 里実は繊細なところがあるから、ぐいぐい来られるのはあまり得意ではないだろうと思う。


 ――俺がなんとかフォローしないと……。


「ディーノさんとは、この店で出会ったんだよ!」


 ディーノさんに向けられていた彼女の視線が、俺へと向いた。


 彼に主導権を握られると、何を言い出すやらわからず、やきもきする。

 できる限り自分で会話をコントロールしたい。


「そうなんだ。でも、元々は他人同士でしょ?どうやって飲み友達になるの?」


 ――これは、まずい……。


『恋愛の師になってほしいと、俺がディーノさんに土下座して頼んだのがきっかけ』


 なんて、絶対に言えない。


 ディーノさんとも一切すり合わせをしていない。完全に墓穴を掘った。

 彼を差し置いて会話を主導しようなどと、息巻いたから……。


 俺はさりげなくディーノさんに目配せをし、助けを求めた。


 すると、彼は里実越しに、わかりやすくニヤリと笑った。


「直がひとりで飲んでた時、僕が声をかけたのがきっかけだヨ。僕は、みんなでワイワイ飲むのが好きだから」


 里実は「そうなんですね」と、違和感なく納得した様子だった。


 ――助かった……。


 会話をコントロールしようなどと、慣れないことはするものではない。

 一か八か、ディーノさんに流れを任せてみることにした。


「里実ちゃんは、直と今日で何回目のデートなの?」

「3回目ですね」

「里実ちゃんには、直ってどんな男に見える?」

「そうですね……とっても優しくて、穏やかな人だなって思います。趣味がインドアなところも同じだし、波長が合うというか。自然体な自分でいさせてくれます」


 里実が自分に対してどう思っているのか、はじめて本音を知った。

 俺も、彼女に対して同じ印象を抱いている。


 きっと、俺たちは気質がとても似ているんだろうと思った。


「里実ちゃんは、直のこと好き?」


 …………えっ!?


 ディーノさんはいたって自然に、流れるように彼女に聞いた。


 俺はゴクリと生唾を飲み、里実の後ろ姿を見つめた。


 彼女はふいに振り返って、チラッと俺のほうに視線を向けた後、恥ずかしそうに下を向いた。


「……はい……」


 ディーノさんと里実のやりとりを、正式な告白と受け止めるのは違うだろうと思いつつ――自分でも顔がニヤけてしまっているのがわかった。


「そっか!わかるヨ~。直って、真面目で実直だし、他人を思いやる優しさがある。僕も彼を太鼓判押せるヨ!」


 ディーノさんが俺のことを褒めちぎってくれている……。

 心の中でその言葉をしみじみと噛みしめた。


 だが、喜びもつかの間――この男は、爆弾を落としてきた。


「だから、直はネ、とってもモテるんだヨ~!里実ちゃん以外のたくさんの女性たちから、アプローチされてるんだヨ~~!」


 ――ああ、ディーノさん!他の女性の話は、ご法度じゃないんですかぁ!?

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